~悪夢の輪舞曲~

 フィノ達が悪夢と戦い、打ち勝っていたその頃……

―トランシュ、ねえ、トランシュ……―

 甘やかな音色を奏でる女性の声。
 愛しいひとが己を呼ぶ心地好さに、トランシュはゆるく浸っていた。

 花の香りを召したスカイグリーンの長い髪をふわりとなびかせ、アップルグリーンの目をいとおしげに細める婚約者、フローレットの笑顔はいつでも、トランシュにとって癒しである。

(なんだいフローレット、そんな愛らしい笑顔で?)

 デューやリュナンがこの場にいれば、とびきり苦いものを口に含んでしまったかのようなひどい顔をしていただろう。
 しかしそのような邪魔も入らないそこは、心なしか桃色に染まって……

―わたくし、今日は張り切ってお食事を作ってみたの。ああ、けどトランシュは任務で疲れているわよね。先にお風呂がいいかしら?―

…………それとも?

 もじもじと恥ずかしそうに長い睫毛を一度伏せるフローレットだったが、横目でちらりとトランシュを見る。

「ふふ、君は本当に可愛いなあ」

 なんて、心からの感想を口にすると、

『俺がか?』

 彼女にしては野太い、まるで逞しい男性のような声がかえってきた……――


 甘い夢は終わりを告げ、トランシュが瞼を開けると、

『うーむ、整い過ぎた容姿に優れまくった力で様々な称賛の言葉を受けてきたこの俺だが、可愛いと言われたのは初めてだな……』
「……なんだ、君か」

 眠っていたらしい自分の傍らで胡座をかき、腕組みをして真剣に考え込む源精霊・万物の王の姿が。
 筋肉美を見せつけるがごとき半裸の四本腕の男は、か弱く可憐な婚約者とは似ても似つかない。

 起き上がって周囲を確認すると、アラムンドの残骸を寄せ集めてアンバランスに歪んだ薄暗い小部屋は、紛れもなくツギハギの塔の内部だろう。

 ならばあのほんのりピンクでいい香りのする幸せの空間は、

「夢か……これも、僕達を惑わそうとする敵の仕業かな?」
『転移には抗えなかったが、飛ばされる瞬間咄嗟にお前の精神だけは俺の力で守れた。他の連中ならともかく、お前は何もされていないはずだが?』

 精霊王の言葉が真実ならばあの夢は“総てに餓えし者”が得意とする精神攻撃の類などではなく、気持ちよく眠っていたトランシュが普通に、呑気にみていただけのものということになる。

 しばし、沈黙が流れた。

「……うん、それじゃあ他のみんなを探そうか!」
『そういうごまかしかた、ランシッドにそっくりだぞお前』

 なんともしまらない状況だが、仲間のために王都の英雄は立ち上がるのだった。
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