~選択肢と覚悟~

――時間は少し遡って。

 王都から拉致され、暗く冷たい洞窟で目を覚ましたフローレットは、どこか壁を隔てた先での話し声を聞いた。

「……様、何故……」
「来たね、それじゃあ……」

 薄く開いたアップルグリーンの目に映る情報量は少なく、また王都の外に出ることがほぼないお嬢様には、ここがどこで今がどういう状況か判断がつかなかった。

 確か屋敷にザッハがやってきて、使用人のカシューに乱暴をして、辺りをめちゃくちゃにしてしまって……

(そうだわ、わたくしは気を失ってこんな所まで……でも、どうして?)

 どうしてザッハがこんなことを?

 フローレットを含むほとんどの、王都や城の人間の中でさえ、ザッハの変貌を知る者は少ない。
 暢気に考えている場合ではないのだろうが、彼女は生来のおっとりさもありながら、今の自分がどうすればいいのか、できることはないのかと働き始めた思考を巡らせていた。

 と、そこに……

「フローレットは、無事なのですか」

 フローレットにとって、今一番聞きたい青年の声。
 騎士団の仕事に追われているのだろうか最近は全く会えないでいた愛しの婚約者、トランシュの声にフローレットはすぐにでも名乗り出たい思いだったが、

(トランシュ、わたくしはここです!)

 そう叫んだつもりが、喉からはヒューヒューと微かな音が漏れるだけであった。

(声が……これは、沈黙の術!?)

 上位の術にとってかわられてしまい最近ではあまり使われないが、対象の声を封じることで魔術を得意とする者を無力化させる術があると、戦いとは無縁なフローレットでも話には聞いたことがあった。
 効果は一時的なものに過ぎないものの、小部屋に閉じ込められた状態で非力な彼女にとって今この時に口を塞がれるのは、自分の存在をトランシュに伝える唯一の手段を失うことを意味している。

(こんなところに連れてきて閉じ込めた上に、わざわざ声まで……なにかしら、胸がざわつく……)

 もどかしさに焦れながら少しでも情報を拾えないかと、彼女は壁の向こうに意識を集中させ、聞き耳を立てた。

「フローレットなら安全なところに保護しているよ。君が僕の頼みを聞いてくれれば、ちゃんと屋敷に帰そう」
「頼み……?」

 会話はやはりトランシュとザッハのものであった。
 それを聞くなりじわじわとわき上がっていた不安がフローレットの中で一気に噴き出す。

「簡単なことさ。僕を城の地下に連れていけばいい。君と一緒なら怪しまれないからね」

 ザッハの口から、やけに楽しげな声色で告げられた言葉。
 フローレットには詳しいことまではわからないが、城の地下には数ヵ月前に王都の周囲に障気を撒き散らしていた元凶らしきものがあったという話だ。

「結界と騎士に守られた一見すると鉄壁に見える王都は一度中に入ってしまえば案外脆い……父上の目の前で、全て壊してやるんだ」
「ザッハ様、それは……!」
「トランシュ……君は愛する人とその他大勢、どっちを取るんだい?」

 逆らえばフローレットは無事では済まないと暗に含んだやや強い語気に圧され、トランシュはすぐには答えなかった。
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