「魔物」と人間(※「そこに、至るまで」の改題)

早朝。人間が本格的に活動を始める時間帯の前。

ガラディエは翼で空を飛んでいた。彼は、遮るものが何もないほどの高さ──森の木々よりもはるか上空を飛んでおり、ライラークが住みガラディエが拠点としている街が、少しずつ遠ざかっていく。代わりに、町の近くに繁茂する森が目下に広がっていく。
ガラディエのすぐ真下から、ライラークの弾んだ声が届く。
「すごい!この森ってこんなに広かったんだ……」
ガラディエは約束した通り、ライラークを空の旅に招待していた。
彼の飛行の様子は、例えるなら飛空艇のような、気球のような体勢だった。ガラディエが浮力と動力、ライラークはゴンドラや搭乗部分だ。
ライラークを空に連れていくにあたり、人間の道具である、大きめのかごと平紐を採用した。ライラークをかごに乗せ、かごを結んだ平紐をガラディエにかけ、そのまま飛ぶ。ライラークの安全を幾分か担保しつつ、ガラディエの飛行にもなるべく支障がないような体勢をとるには、この方法が良いのではとライラークと話をまとめたのだ。
ガラディエがライラークを運んで飛ぶ姿は(遠目から見れば)獲物を足でがっちりと掴んで空を行く、鷹のようにも見えた。
ルートは、空の旅をスムーズに進められるよう事前に決めていた。ライラークから「町近くの森の上を飛んでほしい」と要望があり、ガラディエは彼の希望に沿った。
平静を装って羽ばたくガラディエだったが、彼の心は全く落ち着いていなかった。
ガラディエをもり立てたのは、ライラークの "おまじない" の効果だ。彼が人間の目を気にせず堂々と町を通り、森の上空を飛べる自由。この解放感は、ガラディエに得難い喜びと高揚感をもたらした。さらに、大切な誰かを彼自身の持ちもので喜ばせることが、魔物の仔の心を熱くさせた。
ガラディエが空を進むたび、風が当たる。魔物の仔である彼は、翼や術によって風圧を上手くいなした。身体に当たる風も空気を掴んで揺らす翼もいつもと変わらないはずなのに、どこか違うとガラディエは感じていた。
「ねえガラディエ。レムリア、って知ってる?」
ライラークの弾む声が届く。
「知らねえ。何だ、それ」
「幻の大陸。空に浮かぶ島なんだって」
「空に浮かぶ島か……」
天敵が少なそうだが、食べ物はあるのだろうか──ガラディエは思いを馳せる。
「ぼく、そこに行ってみたいんだ」
「なんで行ってみたいんだ」
ガラディエは何気なく尋ねる。
「ぼくは高いところが好きなんだ。少し肌寒くて、色々なものが見渡せて、綺麗で。空に浮かぶ島なら、今まで見たことないものが見られるだろうなって」
「ふーん……」
ライラークのその感覚は、ガラディエにも分からなくはなかった。大地や山、森、川などを見渡す清々しさはなかなかのものだ。
「行けそうなら連れてってやるよ、その浮かぶ島に」
ガラディエはライラークを喜ばせることが出来るなら、満更でもなかった。
「いいの?…ありがとう」
ガラディエはこそばゆさこそあるものの、それ以上の何かで身体に熱が湧くのを感じた。

—-

ガラディエの身体に疲労が迫ってくる。そろそろ体を休ませなければならないと、彼は悟った。
「一旦降りるぞ」
「うん」
ガラディエは緩やかに高度を落とし、目標の場所に向かっていく。翼で上手く空気を捕まえ、両足を踏ん張るように出しながら、ライラークをかごごと抱えるようにして着地した。
ガラディエが着陸した場所は、周囲からは見えづらくガラディエのお気に入りの場所だった。
そこは、周囲を木々や背の高い植物、岩などで囲まれており、丁度良い "家" のような場所もあった。その "家" は、岩が人間の家の壁や屋根を形成するように重なった、天然の隠れ家だった。隠れ家のスペースは、ガラディエが寝そべっても余裕があるくらいの広さがある。
森では鳥が鳴き、小動物が互いの状況を知らせる声が響いている。人間の姿は、ガラディエが見渡す限りは見当たらない。
ガラディエは平紐を身体から外し、紐ごとかごを抱える。ライラークは「ぼくが持つ」とガラディエから紐とかごを預かろうとしたが、ガラディエは固く断った。
ガラディエはライラークを隠れ家へ招き、中へ座らせた。中には、ガラディエが人間の街で得た戦利品、いわばふかふかの毛布やらマントやらが敷かれている。
ガラディエは抱えていた平紐付きのかごを適当な場所へ下ろし、ライラークの隣に腰掛けた。
「ここってガラディエが作ったの?」
ライラークの頬は嬉しそうに緩んでいる。
「色々敷いたのはオレだけど、この岩場は元からあったのを利用しただけ」
「そうなんだ」とライラークは輝いた目で隠れ家を見上げる。
ガラディエはライラークの横顔を見ながら尋ねた。
「人間に見つからないようにする技は、人間なら誰でも使えるのか?」
「え?」
ライラークの顔からサッと血の気が引いた。
彼は明らかに動揺している。
「これは……この技は、誰でも使える訳じゃない。使える人は限られてるよ」
ライラークは前で組んだ手元を見つめる。落ち着かない様子だ。
「ぼくが使った、とっておきのおまじないは……姿隠しの術って言ってね。術をかけた相手を、見えないようにするんだ」
ライラークは顔を上げて、ガラディエに懇願する。
「ぼくがこの術を使えることは、他の人には内緒にしてくれる?」
「? なんだよ、急に」
「……他の人が知ったら、大変なんだ」
ライラークの目が雄弁に物語っていた。彼の目には悲しげな、悲痛そうな光が宿っている。
「約束する。誰にも言わねえよ」
「…うん」
安心したように、ライラークの目元が緩んだ。
そもそも、ガラディエが長話をする相手はライラークくらいしかいなかったし、大切な友人の秘密を誰かに漏らすことはしたくない。
「オレが知るのは良いのか?」
「ガラディエだったら……いいかなって」
ライラークは目線を下に向ける。
二人の間を自然の風が吹き抜け、さらさらと木の葉が揺れる音がした。
ライラークは話を切り替える。
「ガラディエ、今作ってる服のほかに着たい服ってある?」
「な、何だよ急に」
「この前何の装備を作るか聞いたとき、君、何か言いたそうだったから」
ガラディエは狼狽する。まさか彼に見破られてしまっていたとは、思っていなかった。
「皆には秘密だけど……さっきのおまじないを応用すれば、ガラディエの悩みも解決できると思うんだ。気になる部分をほかの人に見せずに、好きな服を着られるよ」
「……できるのか、何でも」
「出来るよ。だから、遠慮しないで言ってね」
ガラディエは頬が熱くなるのと同時に、自身に嫌気が差した。自分の密かな望みを打ち明けるのに、これほどの勇気が必要だとは。

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