「魔物」と人間(※「そこに、至るまで」の改題)

ガラディエが目を覚ましたのは、人間の住みか─もとい、家の中だった。
家は木の板で出来ており、彼がいる部屋のほかに別の部屋はない。
ふいに、1人の人間が扉を開けて家に入ってくる。
「ガラディエ」
その人間は女性で、長い金髪を2つにまとめ、リーパーの職業服を身に付けていた。
「おはよう。目、覚めたんだね」
ガラディエは、これが夢であると自覚した。
なぜならガラディエは、この家もこの人間も、既になくなってしまっていることを知っているから。
このリーパー服を着た女性は、ガラディエに瘴気術の基礎や人間の文化を教えた人物だ。ガラディエが町に出られるようにと、彼に人間の装備を与えた人でもある。そしてこの家は、かつてこの女性とその弟が住んでいて、ガラディエも暫く滞在していた場所だった。
「ねえガラディエ、わたしたちとの暮らしはどう?」
ガラディエは「それなりに」と返し、彼女を見上げる。おそらくこれは、今現在のこと─ガラディエの暮らしぶりを尋ねているのだと、何故か感じた。そして彼女の言う "わたしたち" というのも、人間という種族そのものを指しているのだ、とも。
「無理はしてない?」
人間の女性は心細そうに眉を下げる。
別に、とガラディエは少し語気を強める。さらに彼は「嫌な訳じゃないから」と言葉を付け足す。
女性はまだ不安そうな顔をしている。
「辛いことや、嫌なことに遭ったりしてない?」
ガラディエは嘆息し、ないことはない。でも問題はない、と返す。
「それなら良いんだけど」
目の前の女性は弱々しく微笑む。
「わたしが死んじゃった後も、わたしたちのことを沢山助けてくれたんでしょう?遠くから見てたよ」
ガラディエは、瘴気術を教えてくれた恩があるから……と口ごもる。自身のこそばゆさを隠すように、彼は口を開く。
約束は守る。これからも出来るところはやる。おまえは休め、と。
女性は目を細める。彼女の目から、涙がぽろりと落ちる。
「ありがとう。これからも、わたしたちのことを─助けて、ね───」


『────』
ガラディエが夢から覚めると、目前には草の茂る大地はなく。無論、あのリーパーの女性もいなかった。代わりに、茶色い布が目前に広がっていた。
ガラディエは身動ぎをする。彼の身体は重かったが、なんとか彼自身が置かれている環境を把握する。どうやら、自分は人間の家のような場所にいて、寝床(ベッド)にうつぶせに寝かされていたようだ、と。
ガラディエがまとっているのは破かれた服でなかった。真新しい、町の人間が着ているような、ぶかぶかした素朴なもの(ズボンとトップス)だった。服は、ガラディエの翼が自由に動かせるように工夫がされていた。また、少し厚めのふかふかした布(かけ布団)も、ガラディエの身体に気ぜわしげにかけられていた。
ガラディエは察しがついた。自身が置かれたこの状況はおそらく、人間のお節介が積まれた結果だと。彼は身に覚えがあった。前にも、同じような出来事が彼の身に起きたから。
ガラディエは、寝床のそばの壁に目をやる。そこには、彼が使っていた鎌、靴などの装備一式が立て掛けられていた。装備一式には泥汚れなどがなく、綺麗に磨き上げられていた。また、ガラディエの暗い色をした外套は、木の枝のような縦長の置物に、丁寧にかけられていた。
部屋は日の光が優しく差し込んでおり、穏やかだった。ガラディエの天敵の気配もない。その代わり、部屋の外、ずっと遠くの方から、人間の話し声が聞こえてくる。
ガラディエの心身は、まだ戦いで受けた痛みを忘れていなかった。じわじわと、ガラディエの身や心を浸食している。まるで、今この場所が、ガラディエが生きていることが、現実であるのを示しているかのようだ。
「ガラディエ?」
ガラディエは声をした方を見る。身体は上手く起こすことが出来なかった。
声の主は、人間の子どものようだった。一瞬の間ののち、飛びつくような勢いで足音と風がガラディエに迫ってきた。
「良かった……、目を覚ましたんだね」
きみ3日間もずっと眠ってたんだよ、と目を潤ませて訴える人間は、商店の息子のライラークだった。ライラークは丁度、ガラディエの目の前まで駆け寄ってきたようだった。
「…………」
突然のことに、ガラディエは言うべき言葉を探せなかった。
「とにかく、ゆっくりしてて。起きたばっかりなんだから」
ライラークはそろ、とガラディエのそばを離れる。ライラークは足音をなるべく立てないように、急いで部屋を出ていった。

ガラディエはライラークが去ったあとをぼんやり見つめていたが、重大なことに気付き、血が冷える。
ライラークにこの姿を、異形の姿をしていることを、見られてしまった。見られてしまったからには、もうこの町には来られないかもしれない。
一方で、ガラディエには怪訝に思う。ライラークの態度だ。ガラディエのこの姿─人間にはない翼、羽毛、鳥のような脚などを見たはずなのに、あの人間の子どもの様子に、特段変わりはなかったのだ。
昔─ガラディエが出会った人間の中には、(ガラディエが人間と異なる者だと知ると)敵対的な態度や排他的な行動をとる者もいたというのに。例えば─暴言を吐く、集落から追い出そうとするなど、さまざまだった。
ライラークは、ガラディエのこの姿を見ても何も思わないのだろうか?ガラディエはライラークが出ていったあとの扉を無意識の内にじっと見つめていた。まるで、湧き水が出る場所を待つかのように。

日差しが寸も変わらない内に、ライラークは部屋に戻ってきた。
ガラディエが使っている寝台のそばの机に、ライラークは慎重に何かを置いた。ガラディエの視点からは、板に載った瓶とコップが見えた。
水、良かったら飲んで、と言うライラークを、ガラディエは横目で見る。
「おまえ、オレのこの姿を見ただろ。驚かないのか」
ガラディエは、我ながら阿呆らしい問いかけだと思ったが、聞かずにはいられなかった。
ガラディエの問いに、ライラークは目を見張る。それから「うん……」と呟きガラディエから目をそらす。
「ちょっと驚いた……」
ライラークはぎこちなく言葉を紡ぐ。
「最初はきみの姿を見て驚いてたけど、ぼくとぼくの家族は……色々あるから」
「……色々?」
「でも安心して。きみの今の姿を、町の誰にも見られないように、ここまで運んだから」
ガラディエは気にならないわけではなかった─ライラークの言う "色々" の意味が。だが彼は、無理に詮索したり聞きただしたりする気はなかった。ガラディエは、誰もが聞かれたくない秘密を持っていることを、よく知っていた。
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