「魔物」と人間(※「そこに、至るまで」の改題)
ガラディエが、ライラークから追加で装備を──リーパーの服を受け取った日の夜。
ガラディエは寝台の上で目を開ける。
月明かりが綺麗な夜で、窓から静かに光が差し込み、部屋を青白い光で照らしていた。
部屋の扉の向こうから、人間の話し声がする。
ガラディエは息を殺して声に耳を傾ける。
「ライラ。自分の部屋に戻りなさい。彼と私達で話をするから」
「……待って。やるなら、ぼくの手でやらせて」
「駄目だ、危険すぎる」
「大丈夫だよ。ぼくももうおとなだし、かあさんに習った魔術だって完璧なんだから。それに……」
ついにこのときが来たのだ。
ガラディエの心はすぐに落ち着いた。彼は身じろぎせずに、そのまま寝台の上で待っていた。
やがて、ガラディエの滞在する部屋の扉がゆっくりと開いた。
扉の向こうから現れたのは人間の子ども──ライラークだ。
ライラークは後ろ手で部屋の扉をきっちり閉めた。手には、液体が入った瓶と斧を持っている。ガラディエは斧の刃の大きさから、生物を切断するためのものだと冷静に判断していた。
ライラークは、斧を扉のつっかえ代わりにして静かに置くと、薬瓶を部屋の隅に置いた。
ガラディエは、月明かりのみの部屋の中でライラークと目が合う。ライラークの目は月の光を反射して、惹きつけられるような光を宿していた。この子どもはガラディエが目を覚ましていたことに驚きもせず、真っ直ぐ彼のそばに来る。そして、ガラディエの耳元で囁いた。
「ガラディエ。すぐに装備を整えて、ここの窓から出ていって」
ガラディエは部屋の窓を見る。窓は、余裕をもってガラディエがくぐれる大きさだ。装備を持って出ようとしても、つっかえることなくスムーズに飛び出せそうだった。
「──早く。とうさんとかあさんが気付かないうちに」
ガラディエは黙って頷く。ライラークがこのように急かす理由は聞かなかった。
突如、ライラークの目から大きな雫がひとつ、ふたつとこぼれ落ちる。雫はそれで止まることなく、次々に生まれては落ちていく。人間が泣くのは、主に悲しいときだ。一体彼は何が悲しいのだろうか?
ライラークはうつむくと何かを呟く。言葉の意味は分からなかったが、まるで川のせせらぎのような心地良い韻だった。
ガラディエは装備を整える。ライラーク特製の瘴気使いの職業服に腕を通す。これを着ると、ガラディエの魔物らしい部分が隠され、人間そっくりに扮することができる。服に織り込まれた、ライラークの"まじない"の効果だ。翼だけは、リーパーの装備であることを生かし、そのまま見えるようになっている。
靴に足を通し、防具を身に着けたガラディエは、瘴気使いの鎌を持ち、窓の枠に足をかけた。
「ごめんね、ガラディエ……元気でね」
ライラークの手元から淡い光が溢れ、ガラディエに宿る。"姿隠しの術" だった。
「じゃあな。おまえが謝る必要はないから」
ガラディエは窓枠を蹴り、夜の空へ向かって飛び出した。
ガラディエは大きく羽ばたく。ライラークの住む街はぐんぐん遠くに去っていった。
去りゆく街の方角から、怒鳴る声が聞こえた。街から遠く離れているはずなのに、声はガラディエの耳に飛び込んで心を刺す。
「ライラ、これは一体どういうことだ。説明しなさい」
人間の低い声。
「とうさんこそ説明してよ。ガラディエはぼくの友だちだ。殺す必要なんて、どこにあるの」
ライラークが訴える。
「さっきも言っただろう。彼は魔物だ、わたし達を襲うかもしれない。だから、その前に退治しないといけないんだ」
「ガラディエは、ぼくたちを他の魔物から守ってくれてたんだよ……わからないの?」
ライラークがすすり泣く声が聞こえる。
「ライラ。物見の水晶を隠したのも貴方ね。どうしてそんないけないことをしたの?魔物の場所が分からないと、私達だけじゃなく街の人達まで、危険に晒されるのよ?」
「だって…水晶があったら、かあさんもとうさんもガラディエのことを……」
ガラディエは飛翔する。脇目も振らず、風を切って飛んでいく。方角も何も考えず、ひたすら遠くへ。夜の空を突っ切った。彼は何も考えないように思考するのを止め、空を駆けた。
-----
どの程度飛行していただろう。ガラディエの前方に、宙に浮かぶ島が見えた。
あれはライラークが言っていた "レムリア大陸" だろうか──ガラディエは思い出す。
体力の厳しさもあり、ガラディエはその不思議な島へと降りることにした。
ガラディエはふと、思い出す。
治療のため、ライラークの家で厄介になっていた頃のことだ。
羽の手入れをするガラディエの傍らで、ライラークは手仕事をしていた。
遠慮がちにライラークから声をかけられた。
「ねえ。ぼくが拾った水色の大きな羽根って、もしかして…きみの羽根?」
「多分、そうだ」
羽色が水色であるなら、落とし主はガラディエの血縁者という可能性もあるが。
少なくとも、ライラークの街の周辺にガラディエの血縁者の気配はなかった。
「なんだよ」
「きみの羽……きれいだよね。青空みたいで。とてもきれい」
ライラークは慈しむように目を細めた。
ガラディエは二の句が継げなかった。彼はどう返事をしたら良いのか分からなかった。
ガラディエが人間のギルドに入り冒険者として活動を始めるのは、もう少し先のことだった。
ガラディエは寝台の上で目を開ける。
月明かりが綺麗な夜で、窓から静かに光が差し込み、部屋を青白い光で照らしていた。
部屋の扉の向こうから、人間の話し声がする。
ガラディエは息を殺して声に耳を傾ける。
「ライラ。自分の部屋に戻りなさい。彼と私達で話をするから」
「……待って。やるなら、ぼくの手でやらせて」
「駄目だ、危険すぎる」
「大丈夫だよ。ぼくももうおとなだし、かあさんに習った魔術だって完璧なんだから。それに……」
ついにこのときが来たのだ。
ガラディエの心はすぐに落ち着いた。彼は身じろぎせずに、そのまま寝台の上で待っていた。
やがて、ガラディエの滞在する部屋の扉がゆっくりと開いた。
扉の向こうから現れたのは人間の子ども──ライラークだ。
ライラークは後ろ手で部屋の扉をきっちり閉めた。手には、液体が入った瓶と斧を持っている。ガラディエは斧の刃の大きさから、生物を切断するためのものだと冷静に判断していた。
ライラークは、斧を扉のつっかえ代わりにして静かに置くと、薬瓶を部屋の隅に置いた。
ガラディエは、月明かりのみの部屋の中でライラークと目が合う。ライラークの目は月の光を反射して、惹きつけられるような光を宿していた。この子どもはガラディエが目を覚ましていたことに驚きもせず、真っ直ぐ彼のそばに来る。そして、ガラディエの耳元で囁いた。
「ガラディエ。すぐに装備を整えて、ここの窓から出ていって」
ガラディエは部屋の窓を見る。窓は、余裕をもってガラディエがくぐれる大きさだ。装備を持って出ようとしても、つっかえることなくスムーズに飛び出せそうだった。
「──早く。とうさんとかあさんが気付かないうちに」
ガラディエは黙って頷く。ライラークがこのように急かす理由は聞かなかった。
突如、ライラークの目から大きな雫がひとつ、ふたつとこぼれ落ちる。雫はそれで止まることなく、次々に生まれては落ちていく。人間が泣くのは、主に悲しいときだ。一体彼は何が悲しいのだろうか?
ライラークはうつむくと何かを呟く。言葉の意味は分からなかったが、まるで川のせせらぎのような心地良い韻だった。
ガラディエは装備を整える。ライラーク特製の瘴気使いの職業服に腕を通す。これを着ると、ガラディエの魔物らしい部分が隠され、人間そっくりに扮することができる。服に織り込まれた、ライラークの"まじない"の効果だ。翼だけは、リーパーの装備であることを生かし、そのまま見えるようになっている。
靴に足を通し、防具を身に着けたガラディエは、瘴気使いの鎌を持ち、窓の枠に足をかけた。
「ごめんね、ガラディエ……元気でね」
ライラークの手元から淡い光が溢れ、ガラディエに宿る。"姿隠しの術" だった。
「じゃあな。おまえが謝る必要はないから」
ガラディエは窓枠を蹴り、夜の空へ向かって飛び出した。
ガラディエは大きく羽ばたく。ライラークの住む街はぐんぐん遠くに去っていった。
去りゆく街の方角から、怒鳴る声が聞こえた。街から遠く離れているはずなのに、声はガラディエの耳に飛び込んで心を刺す。
「ライラ、これは一体どういうことだ。説明しなさい」
人間の低い声。
「とうさんこそ説明してよ。ガラディエはぼくの友だちだ。殺す必要なんて、どこにあるの」
ライラークが訴える。
「さっきも言っただろう。彼は魔物だ、わたし達を襲うかもしれない。だから、その前に退治しないといけないんだ」
「ガラディエは、ぼくたちを他の魔物から守ってくれてたんだよ……わからないの?」
ライラークがすすり泣く声が聞こえる。
「ライラ。物見の水晶を隠したのも貴方ね。どうしてそんないけないことをしたの?魔物の場所が分からないと、私達だけじゃなく街の人達まで、危険に晒されるのよ?」
「だって…水晶があったら、かあさんもとうさんもガラディエのことを……」
ガラディエは飛翔する。脇目も振らず、風を切って飛んでいく。方角も何も考えず、ひたすら遠くへ。夜の空を突っ切った。彼は何も考えないように思考するのを止め、空を駆けた。
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どの程度飛行していただろう。ガラディエの前方に、宙に浮かぶ島が見えた。
あれはライラークが言っていた "レムリア大陸" だろうか──ガラディエは思い出す。
体力の厳しさもあり、ガラディエはその不思議な島へと降りることにした。
ガラディエはふと、思い出す。
治療のため、ライラークの家で厄介になっていた頃のことだ。
羽の手入れをするガラディエの傍らで、ライラークは手仕事をしていた。
遠慮がちにライラークから声をかけられた。
「ねえ。ぼくが拾った水色の大きな羽根って、もしかして…きみの羽根?」
「多分、そうだ」
羽色が水色であるなら、落とし主はガラディエの血縁者という可能性もあるが。
少なくとも、ライラークの街の周辺にガラディエの血縁者の気配はなかった。
「なんだよ」
「きみの羽……きれいだよね。青空みたいで。とてもきれい」
ライラークは慈しむように目を細めた。
ガラディエは二の句が継げなかった。彼はどう返事をしたら良いのか分からなかった。
ガラディエが人間のギルドに入り冒険者として活動を始めるのは、もう少し先のことだった。
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