共生協同体
家のそばの林で発生した瘴気は、ライラークの生活に影響を及ぼした。
両親は慌ただしく動くようになり、ライラークは「外で遊ぶなら町の公園や街道沿いの草原に行くように」と両親から言いつけられた。町の公園や街道沿いの草原は、林と正反対の方向にあり、人通りもある場所だ。両親は、瘴気と魔物からライラークを遠ざけようとしたのだろう。
10歳の少年はその処遇にひどく不満だった。
ライラークは人通りのある場所が苦手だった。ましてや公園や街道は、同年代のアースランやルナリアが遊んでいることがある。ライラークは、過去にアースラン達から受けた傷を、自ら思い出すような行動は避けたかった。
それに、ライラークには約束がある。彼がこの土地に来てから初めて出来た、ツバサビトの友達─ガラディエとの約束が。
ライラークとツバサビトの彼とは、まだ友達と呼べるような関係ではないのかもしれない。だが、ライラークにとってその異種族の少年は、今の自分でも仲良くなれるかもしれない、貴重な存在だった。
それにライラークは、瘴気の魔物に会うことも、「魔物」の正体を確かめることも諦めていなかった。
そもそもライラークが瘴気の魔物に会おうとしたのも、ヒトに似た姿を持つという「魔物」に興味があったからだ。
もしかしたら─瘴気の魔物は、本当は魔物などではなく、ライラークと同じような悩みを抱えている、ただの "ヒト" かもしれないから。
瘴気がライラークの住居近くの林に発生してから、1日経った夜。
ライラークは両親から、暫く町に避難することを提案された。
「ライラ。町に行こう。ここにいては危ないことが起きる」
ライラークはかぶりを振る。
「……いやだ。ぼくはここにいたい」
母親がライラークの正面にかがんで、息子と目線を合わせる。
「ライラ。瘴気が出なくなったら、またこの家に戻るから。ね、少しの辛抱よ」
町に行くという提案は、ライラークにかつて住んでいた町の辛い記憶を否応なしに思い出させた。
「ごめんなさい。ぼくは……町にはどうしても行きたくない」
「……そうか。分かったよ」
ライラークの父親は観念し、母親は悲しそうに目を伏せた。
この決断が、ライラークの状況をがらりと変える災厄の前触れだとは、彼は知る余地もなかった。
町に移り住む提案を拒んでから、2日後の昼。
ライラークは家で本を読んでいた。世界樹にまつわる冒険や、新しい発見をまとめた本だ。
迷宮の情景が書かれたページを眺め、世界樹で採れた素材が生活の資材となっていることを知るたび、ライラークは想像の羽を伸ばし、夢を膨らませるのだった。
ライラークは父親が仕立屋を営んでいることもあり、何かを仕立てることに関心があった。世界樹から採ってきた素材で何かを仕立てれば、きっとすごいものが出来るに違いなく、想像するだけで心が躍った。
そのとき、家の外からライラークの両親を訪ねる声が聞こえた。
「こんにちは。依頼を承ったギルドの──です」
両親は迷うことなく、揃って訪問者を出迎える。
両親は訪問者と丁寧な挨拶を交わしたのち、魔物の潜む場所はどうだの、ターゲットの魔物の特徴はどうだの、ライラークにはよく分からないやり取りをしゃくしゃくと進めていく。
どのような来訪者なのか気になったライラークは、そっと玄関に向かった。ドアを2センチほど開け、訪問者の姿を確かめる。
両親の後ろ姿の間からは、2人の大人の姿が確認出来た。訪問者は2人ともアースランの女性のようだった。
一人はとんがり帽子を被った、まっすぐで長い黒髪の女性だ。もう一人は背に矢筒を背負った、金髪の女性だった。
来訪者である黒髪の女性は、ライラークの視線に気付くと、ライラークに向かって微笑む。
「あら。こんにちはボク」
ライラークはぎくりとする。
「息子がすみません」
「いえいえ」
「ライラ。向こうで本の続きを読んでなさい」
母親は、ライラークに遠くにいるようにわざと言い付ける。
「はあい」
この調子の母親は、有無を言わさない。ライラークは素直に従うことにした。
数分後。両親は家に戻り、玄関の扉を閉めた。訪問者との話は終わったようだ。
ライラークは、すかさず両親に尋ねる。
「今の人、誰?」
「魔物の退治屋さんよ」
ライラークは嫌な予感がした。
「何を、退治するの」
「瘴気の魔物よ」
ライラークは絶句した。
「暫くすれば、魔物も瘴気の心配もなくなるからね。また、林に行けるようになるよ。もう少しの辛抱だよ、ライラ」
「…………」
ライラークは絶望のあまり、父親に応えることが出来なかった。
なんということだろう、 "瘴気の魔物" と対話を試みることはおろか、邂逅すら出来ぬまま退治されてしまうのだろうか。
「嬉しくないのかい?」
ライラークは二の句が継げなかった。
ライラークの予感の通り、もしも瘴気の魔物が本当にただの人間でしかなかったら。退治屋達はどうするのだろう。見逃してくれるのだろうか。
ライラークは沈黙する。
このままでは "瘴気の魔物" と呼ばれる命が刈り取られてしまうかもしれない。
「退治屋さん……もう帰っちゃった?」
「ええ、それがどうしたの?」
ライラークは呆然としながら玄関のドアを押し、家を出る。
「ライラ?」
ライラークは母親の言葉も耳に入らず、家のそばの道に出て周囲を見回す。退治屋という2人の女性の姿はどこにも見当たらなかった。
「ライラ、何をしているんだい?危ないから家に戻ろう」
父親がライラークの腕を掴まえた。
「…………」
望みが潰えてしまったライラークは、父親に連れられるまま家に戻った。
まだこの辺りに退治屋が残っていたのなら、話す余地があったかもしれないのに。
両親は慌ただしく動くようになり、ライラークは「外で遊ぶなら町の公園や街道沿いの草原に行くように」と両親から言いつけられた。町の公園や街道沿いの草原は、林と正反対の方向にあり、人通りもある場所だ。両親は、瘴気と魔物からライラークを遠ざけようとしたのだろう。
10歳の少年はその処遇にひどく不満だった。
ライラークは人通りのある場所が苦手だった。ましてや公園や街道は、同年代のアースランやルナリアが遊んでいることがある。ライラークは、過去にアースラン達から受けた傷を、自ら思い出すような行動は避けたかった。
それに、ライラークには約束がある。彼がこの土地に来てから初めて出来た、ツバサビトの友達─ガラディエとの約束が。
ライラークとツバサビトの彼とは、まだ友達と呼べるような関係ではないのかもしれない。だが、ライラークにとってその異種族の少年は、今の自分でも仲良くなれるかもしれない、貴重な存在だった。
それにライラークは、瘴気の魔物に会うことも、「魔物」の正体を確かめることも諦めていなかった。
そもそもライラークが瘴気の魔物に会おうとしたのも、ヒトに似た姿を持つという「魔物」に興味があったからだ。
もしかしたら─瘴気の魔物は、本当は魔物などではなく、ライラークと同じような悩みを抱えている、ただの "ヒト" かもしれないから。
瘴気がライラークの住居近くの林に発生してから、1日経った夜。
ライラークは両親から、暫く町に避難することを提案された。
「ライラ。町に行こう。ここにいては危ないことが起きる」
ライラークはかぶりを振る。
「……いやだ。ぼくはここにいたい」
母親がライラークの正面にかがんで、息子と目線を合わせる。
「ライラ。瘴気が出なくなったら、またこの家に戻るから。ね、少しの辛抱よ」
町に行くという提案は、ライラークにかつて住んでいた町の辛い記憶を否応なしに思い出させた。
「ごめんなさい。ぼくは……町にはどうしても行きたくない」
「……そうか。分かったよ」
ライラークの父親は観念し、母親は悲しそうに目を伏せた。
この決断が、ライラークの状況をがらりと変える災厄の前触れだとは、彼は知る余地もなかった。
町に移り住む提案を拒んでから、2日後の昼。
ライラークは家で本を読んでいた。世界樹にまつわる冒険や、新しい発見をまとめた本だ。
迷宮の情景が書かれたページを眺め、世界樹で採れた素材が生活の資材となっていることを知るたび、ライラークは想像の羽を伸ばし、夢を膨らませるのだった。
ライラークは父親が仕立屋を営んでいることもあり、何かを仕立てることに関心があった。世界樹から採ってきた素材で何かを仕立てれば、きっとすごいものが出来るに違いなく、想像するだけで心が躍った。
そのとき、家の外からライラークの両親を訪ねる声が聞こえた。
「こんにちは。依頼を承ったギルドの──です」
両親は迷うことなく、揃って訪問者を出迎える。
両親は訪問者と丁寧な挨拶を交わしたのち、魔物の潜む場所はどうだの、ターゲットの魔物の特徴はどうだの、ライラークにはよく分からないやり取りをしゃくしゃくと進めていく。
どのような来訪者なのか気になったライラークは、そっと玄関に向かった。ドアを2センチほど開け、訪問者の姿を確かめる。
両親の後ろ姿の間からは、2人の大人の姿が確認出来た。訪問者は2人ともアースランの女性のようだった。
一人はとんがり帽子を被った、まっすぐで長い黒髪の女性だ。もう一人は背に矢筒を背負った、金髪の女性だった。
来訪者である黒髪の女性は、ライラークの視線に気付くと、ライラークに向かって微笑む。
「あら。こんにちはボク」
ライラークはぎくりとする。
「息子がすみません」
「いえいえ」
「ライラ。向こうで本の続きを読んでなさい」
母親は、ライラークに遠くにいるようにわざと言い付ける。
「はあい」
この調子の母親は、有無を言わさない。ライラークは素直に従うことにした。
数分後。両親は家に戻り、玄関の扉を閉めた。訪問者との話は終わったようだ。
ライラークは、すかさず両親に尋ねる。
「今の人、誰?」
「魔物の退治屋さんよ」
ライラークは嫌な予感がした。
「何を、退治するの」
「瘴気の魔物よ」
ライラークは絶句した。
「暫くすれば、魔物も瘴気の心配もなくなるからね。また、林に行けるようになるよ。もう少しの辛抱だよ、ライラ」
「…………」
ライラークは絶望のあまり、父親に応えることが出来なかった。
なんということだろう、 "瘴気の魔物" と対話を試みることはおろか、邂逅すら出来ぬまま退治されてしまうのだろうか。
「嬉しくないのかい?」
ライラークは二の句が継げなかった。
ライラークの予感の通り、もしも瘴気の魔物が本当にただの人間でしかなかったら。退治屋達はどうするのだろう。見逃してくれるのだろうか。
ライラークは沈黙する。
このままでは "瘴気の魔物" と呼ばれる命が刈り取られてしまうかもしれない。
「退治屋さん……もう帰っちゃった?」
「ええ、それがどうしたの?」
ライラークは呆然としながら玄関のドアを押し、家を出る。
「ライラ?」
ライラークは母親の言葉も耳に入らず、家のそばの道に出て周囲を見回す。退治屋という2人の女性の姿はどこにも見当たらなかった。
「ライラ、何をしているんだい?危ないから家に戻ろう」
父親がライラークの腕を掴まえた。
「…………」
望みが潰えてしまったライラークは、父親に連れられるまま家に戻った。
まだこの辺りに退治屋が残っていたのなら、話す余地があったかもしれないのに。
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