4. 甘すぎて食べきれないこの恋(始春)

 カンカンと聞こえた音に、涙は共有ルームに向かう足を止めて階段を下りる。微かな音だから聞き間違いかもしれないと思いながら音のする方――グラビの共有ルームへ向かった。

「お邪魔します」
「っ?!」

 カーンと高い金属音が聞こえて涙の顔はそちらの方に向いた。音の原因は涙の登場に驚いた春が台の上に金属のボウルを落としたことにあった。

「はぁ~びっくりした……。涙、どうしたの?」
「金属音が聞こえたから、気になったんだ」

 しかし、涙の謎はすぐに解けた。微かな金属音はボウルと泡だて器がぶつかる音だったようだ。
 なるほどと納得したところで、涙に新たな疑問が浮かぶ。

「ねぇ、春は何を作ってるの?」

 ボウルと泡だて器を持ちなおした春は、気まずそうに苦笑した。

「これ、ね、プリン作ってるんだ」
「プリン」
「あはは、涙の目キラキラしてる」

 プリンという言葉に反応して涙は春の元へ駆け寄る。近づくほど匂う甘い香りは涙の大好物のものだ。
 美味しそうだとまだ冷やし固められていないプリン液を見ながら、涙はまた新しく浮かんだ疑問を口にした。

「どうして春はプリンを作ってるの?」
「え、えーっと、それは……」

 春は言いづらそうに視線を彷徨わせる。やがてふっと息を吐いて、小さな声でぽつり呟いた。

「……一人で抱えてると、甘すぎて胸焼けしそうだったから」

 あまりに小さな声だったが、涙の耳にはしっかりと聞こえた。ただ、聞こえたからと言って言葉の意味を理解したわけでは無い。どういう意味かと涙が問う前に春はかき混ぜる動作を再開した。
 混ざったプリン液を濾しながら容器に注いでいく。6個の容器に注ぎ終わると用意していた鍋の中に並べて置いた。
 『美味しいプリンを作るには面倒な手間が多いんだよ』と言ってたのは夜だったか。『簡単に出来る方法もあるんだけどね、味がシンプルな分プリンは手間をかければかけるほど美味しいものになるんだ』涙はそんな事を聞いた覚えがある。ならば、春が今プリンを作っているのにもそれなりの理由があるはずだ。
 いくつも思い浮かぶ疑問の中から、涙は一つ選んで、鍋の中を見つめる春に声をかける。

「春は、グラビの皆とプリンが食べたかったの?」
「ん? う~ん……少し違うかな」

 鍋から涙の方に視線を移動させ春は微笑んだ。
 ――美しいと、涙はこのやり取りに全くそぐわない感想を述べかけて口を閉じる。

「ほら、砂糖って食べれば食べるほど甘さが口の中に残るでしょ? それと一緒で、愛も貰えば貰うほどずっと頭に残っちゃう。……それが悔しいから、少しでも同じような気持ちを味わってほしかったんだ」

 春の言葉は詩的だ。でも涙には何となく理解することが出来た。そして6個も作っているのはあくまでカモフラージュで、本当はただ一人にすべて食べきってほしいのだということも。
 そこまで理解して涙は単純にプリンの味が気になった。一体、そのプリンはどれほど甘いのだろうか。

「ねぇ、そのプリン完成したら一口くれる?」
「……いいよ。一個ですら食べきれる気がしないから、俺のを分けてあげる」
「ありがとう」

 完成が待ち遠しいと思いながら涙はグラビ共有ルームを後にした。きっと春は一人で作りたいのだろうと思ったからだ。

 数時間後、春が涙を呼んで、涙は完成したプリンを一口食べた。
 それは今まで食べた中で一番、甘くて、幸せの味がした。
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