melty blue


 SolidSとしてデビューして、最近ではソロの仕事や他のユニットとの仕事も増えてきた。今日もその一つだ。
 ふうと小さく息を吐いて扉を開く。

「お、久しぶり!」
「久しぶりです、海さん。今日はよろしくお願いします」
「おう! よろしくな~」

 にかっと笑う海さんを見て、ここに来るまでに感じていた緊張は体から抜けていった。
 海さんと話すのは合同で行った舞台以来だろうか。年末のライブは日程が別だったからしっかり話す機会は無かった。
 翼や里津花とは違う人懐っこさ、見る者を安心させる笑顔は俺とは正反対の存在だ。
 そんな俺たちが何故同じ仕事なのかというと、喋る必要のないファッション誌のモデルの仕事だったからだ。そしてその内容もアイドルらしいものというより、クールに決めるものらしく俺に仕事が来たのも納得だった。
 だが、海さんにそのイメージはあまり無い。身長が高くスタイルもいい海さんはモデルの仕事もこなしているが、それ以上に海外でのロケや秘境探検のイメージが強い。だから少しだけ不思議で、でも学ぶことは多いだろうと心の中で意気込む。

「お二人とも準備お願いします」

 スタッフに呼ばれ控室を出る。衣裳部屋に着くとあれよあれよとヘアメイクと着替えが進められた。
 衣装は互いに3パターンあって、フォーマル系とカジュアル系の幅が広い衣装だ。
 コンセプトは『男が惚れるかっこよさ』だという。それを聞いた時、少し、俺でいいのだろうかという不安が頭をよぎった。

「大丈夫だ」

 黒いジャケットに身を包んだ海さんが俺の肩を叩いてそう言った。海さんの長い手足にはスーツスタイルは良く映えている。

「何が、ですか」
「何がって、大が不安そうな顔してたからな」
「そんな分かりやすく顔に出てましたか?」

 自慢じゃないが、俺は感情が顔に出ない人間だ。付き合いの長い翼には気づかれることがあっても、大抵の人は俺の考えていることがよく分からないと言う。
 どうして海さんにはバレたのか問うと、海さんはいつものように快活に笑った。

「表情はいつも通りだよ。けど、纏う空気がそんな感じだったからな。
 そんな不安げにしなくたって、大なら大丈夫だ」

 俺の頭の方に向かって行った海さんの手は、しかし髪に触ることなく元の場所に戻った。髪が崩れてしまうことを考えて引っ込めたのだろう。
 その代わり、海さんの手は俺の袖を軽く引っ張る。一瞬指先が触れ合う。

「さぁ、頑張ろうぜ」

 もう海さんの手は俺から離れているというのに、一瞬触れただけの指先から熱が広がる。どうしてだろう。海さんの手が熱かったとか、そういうわけでは無いのに。
 ただ、自分でも不思議なくらい穏やかな気持ちでセットの中に入る。
 コンセプトからのイメージで、セットもシンプルなものだ。背景があって、小道具には椅子がある程度。
 カメラマンからポーズの指示を受け、その通りポーズを取る。ちらり、隣の海さんはどんな表情をしているのか気になって、その横顔を盗み見た。

(うわ、)

 思わず出そうになった声を慌てて飲み込む。
 つい先ほどまで笑顔だった海さんから一切の笑みが消え、目は一点カメラの方に向いている。愁いを帯びているようにも見える表情は、俺の心をざわつかせた。あんなに笑ってた海さんが、今深海のような光の届かない目つきでカメラを見つめている。

 パシャッとシャッター音が聞こえ、我に返る。連続するシャッター音に表情をつくりレンズを見つめた。
 ポーズを何度も変え、衣装も変えて、撮影は続く。その間、海さんは一瞬たりとも笑顔を見せることは無かった。そんな海さんにカメラマンは様々なリクエストを出し、海さんはそれをクールにこなしていく。
 身近にモデルがいるから、モデルの仕事は里津花のイメージが主だった。SolidSはユニットの特色からか写真撮影は他に比べて多いように思う。だけど、今まで一度も撮影でこんなに心をざわつかせられたことは無い。アイドルになって一番最初の撮影の時よりも汗をかいている気がする。

「じゃあ、次ラストね。文月くんと村瀬くん向き合って」

 カメラマンの指示によって俺は海さんの方に顔を向けた。同じように、海さんも俺の方に顔を向ける。
 視線が噛み合う。海のような青い瞳に俺の姿が映る。
 その瞬間、吸い込まれそうだと思った。本当に海のように、飛び込んだらそのまま溺れてしまいそうで。
 空が青いのは海の青に恋い焦がれてたから、なんてお伽噺が不意に頭に浮かんだ。俺はこの青に恋い焦がれている、そんな風に思えてしまうほど海さんの瞳は美しかった。
 ――この青が欲しい。もっと、もっと……。

「せくん、村瀬くん?」

 名前を呼ばれ、我に返る。俺は、今、何を考えていた?

「っ、すみません」
「大丈夫? 体調悪い?」
「いえ、平気です。撮影続けてください」

 心配そうに声をかけてくれるカメラマンに、他のスタッフたちもざわつく。やってしまったという自己嫌悪に陥っていると、目の前の海さんが急に口角を上げた。

「もしかして、俺に見惚れてたのか?」

 にいっと、意地悪っぽく海さんは笑う。そんな表情もあるなんて、どこまで人を溺れさせるつもりだろう、この人は。
 俺が何も言わないのを肯定だと受け取ったカメラマンは「なんだ、そうだったの?」と安心したように言った。

「かっこいいのは分かるけど、撮影もうすぐで終わるから集中してね」
「すみません……」

 今度は青を見ないように意識を別の方向にそらす。あの目を見つめてしまったら全ての感覚が奪われてしまう。
 シャッター音が鳴り響き、海さんはまた笑みを消してクールな表情でポーズを取る。これがプロだ。先程までの自分は決してプロの仕事とは言えなかった。あと少し、集中して撮影に臨まなければ。

「……オッケー。撮影、終わりだよ」

 終了の声に全身の力が抜けていく気がした。緊張とも違う、張りつめていた気が緩む感覚。
 ほっと小さく息を吐くと、海さんが俺の肩を叩いた。

「お疲れさん」

 そこには撮影中の深海のような目つきは無くて、ただ優しく笑っていた。安心するような、でも寂しいような複雑な感情を抱くと同時に、自分の失態を思い出す。

「さっきはすみません。迷惑をかけてしまって」
「あぁ、大丈夫! 大がミスするイメージなかったから、珍しいところ見れたなぁって思ってちょっと得した気分だ」

 あははと笑う海さんから目を離せなくなる。
 もう撮影中のようなクールな表情では無いのに、変わらずその目は海のように美しくて、やっぱり吸い込まれそうになってしまう。いや、もう吸い込まれているのかもしれない。だって、首元のあいた衣装なのにこんなにも息苦しい。

「あの、海さん」
「ん?」
「この後、時間ありますか?」

 不思議そうな顔で首を傾げた海さんは、すぐに笑って頷く。

「おう。空いてるよ」
「じゃあ、一緒に飯食いに行きませんか」
「いいぞ! そういや腹減ったな~。何食おうかな~」
「海さんの好きなものでいいですよ」

 海の中は案外心地が良くて、このまま泡になってしまってもいいと思えるぐらいにはもうその青に溺れてしまっている。
 いくつも料理名を並べて楽しそうに笑う海さんを見て、俺は少し口角を上げた。

 ――もっと、その青を俺にください。
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