花が咲くのを星が見つめて
書類仕事の最後、今度やるライブのセットリストを眺めていると、ふと自分のデュエットソングのタイトルに目が留まった。
バラード調のメロディーに少し切ない恋心を歌った歌詞はファンからもかなり支持されている。盛り上がる曲というわけではないが、アップテンポばかりではなくしっとり聴かせる曲を入れるのもセットリストには重要だ。
じっと曲名を眺めてメロディーを頭の中で流す。歌い出しは海からだ。
「大切な君のために、」
歌詞を乗せて歌えば、少しかすれた声が一人きりの部屋に響いた。
甘く響くその言葉に海は顔を顰める。大好きな曲だ。間違いなく大好きな曲の一つなのだが、あまりに自分に寄り添いすぎている歌詞は胸に重く突き刺さる。
『言葉にして君に好きとは言えない』なんてそのまますぎて心の中をすべて見られているようだ。
センチメンタルな気持ちになって、海はそっとセットリストの紙を裏返した。
書類仕事は終わったし、セットリストはリーダーに見せなくてはならないがすぐにという訳でもない。明日見せに行ったところで特に問題は無いだろうと海は書類を持って立ち上がった。
――早く部屋に戻って眠ろう。そんな海の思惑はすぐに粉々に砕かれる。
「海、ここに居たんだね」
海が声の方に顔を向けると、隼が微笑みを浮かべて立っていた。一瞬目をそらしてしまったのは先程から繰り返し頭の中で流れる曲のせいだ。
かさり、海の動揺が手元の書類に伝わる。それを隠すように口角を上げた。
「おう。俺に何か用があったのか?」
「ううん。特には」
海のことを探していたような口ぶりだったのにと首を傾げる海に、隼は微笑みながら海に一歩近づく。
「恋人に会いたいと思っただけだよ」
かあっと海の顔に熱が集まる。隼は余裕の表情でさらにもう一歩海に近づいた。
同じ屋根の下で生活しているし、ロケなどで遠方に行っていない限りは毎日顔を合わせているのに、隼は恋人の海をこんな風にして求める。付き合いが長いのにいつまで経っても恋人扱いに慣れない海は毎度顔を赤くさせる。
熱くなった頬を冷たい手で冷やして、海は抱えていた資料を机の上に置く。
「ホットミルクでも飲むか」
「ふふ、うん。よろしく、海」
隼と目を合わすことが出来ないで海はキッチンの方に向かう。
冷蔵庫から牛乳を、食器棚からマグカップを二人分出したところで、ようやく海の熱は治まった。
冷たい牛乳を火にかけて、温度計とにらめっこしながらはぁと一息吐く。
相変わらず頭の中で流れる曲のせいだ。自分をそのまま映し出したような歌詞に海のため息は止まらない。
隼と恋人関係になってから海は一度も「好き」と隼に伝えたことが無かった。それは歌詞の通り、形にしてしまったら失うのが怖いからなのかは自分でもよく分からない。そんな海を今まで隼は問い詰めたことは無かったけれど。
(いつ愛想尽かされてもおかしくないよなぁ)
落ち込む一方の思考をリセットするように適温になった牛乳をマグカップに注ぐ。漂う湯気に少しだけ冷ますように息を吹いて。
せっかくならと海は冷蔵庫から小瓶を取り出した。黄金色に輝くそれをスプーンですくって牛乳に溶かす。ほんの少し味見をした海は瓶を元の場所に仕舞って、海を待ち構えている隼の元へと向かった。
「はい、ホットミルク」
「ありがとう。いただくよ」
ふぅっと隼の口から息がこぼれて、そのままミルクが口の中へと運ばれていく。
海も向かいに座り、マグカップで手を温めながらゆっくりと口をつける。
「ん、美味しい。ハニーミルクだね」
「ああ。ハチミツあったし、入れたほうが美味しいかなって」
返事をしてからハニーミルクを口の中に入れる。少し熱かったものの火傷するほどではなく、優しい甘みが熱と共に喉を過ぎていった。
しばらく続いた無言は居心地の悪い物では無かった。けれど、目の前の紙の束を視界に入れた海は一番上の紙をひっくり返す。
「そういや、これ。今度のライブのセトリだから目を通してくれ」
片手にマグカップを持ったままで隼の方に差し出す。隼はマグカップを机の上に置いて、丁寧に文字の列を目で追っていく。
隼が気に留めるわけはないと分かっていても、海の心臓はいつもより早く鼓動を鳴らす。もし曲がきっかけで海に気づいてしまったなら。愛想を尽かしてしまったら。
「……うん、いいと思うよ」
隼が机の上に紙を置いた音で海は我に返る。隼が何も気に留めなかったことにほっとする半面でチクリ胸が痛む。
その痛みを隠すように海がハニーミルクを味わっていると、隼の腕が不意に海の方へと伸びてきた。
細く長い指が海の短い髪に触れる。
「ねぇ、海」
マグカップを机の上に置いて海は返事をする。真っすぐ射抜くようなクリソベリルが海の心をざわつかせた。
「どうしてそんなに傷ついた顔をしているの?」
そう言われても海には自分の表情が見えない。左手で頬に触れてみるが何が違うのかよく分からなかった。
しかし、何も理由が分からないという訳でもない。傷ついた表情をしているのなら恐らく、まだ海の頭の中で流れている曲に影響されてしまったからだろう。
思わず海の視線は紙に書かれた曲のタイトルへ移る。隼もそれに気づき視線を動かす。
「……たとえ、君の心が僕を見ていなくても」
「っ、しゅん」
「なんてね。海の目がこの曲に向けられていたから言ってみただけだよ」
悪戯っぽく笑う隼に海はどう反応すればいいのか戸惑っていた。
もう何度目かもよく分からないリピート再生に考える力を奪われていて、聞き慣れたメロディーが海をぐちゃぐちゃにする。
でもやっぱり、海の唇は伝えたい言葉を紡ごうとはしない。
「かぁい。ね、こっち来て」
ぽんぽんと隼はソファの空いた側を叩く。言われるがまま海は隼の隣に座ると、隼は勢いよく海を抱きしめた。
「ちょっ、隼ここ共有ルームだぞ」
「大丈夫だよ、こんな時間にわざわざここに来ることはないだろうから」
「隼は来ただろ」
「僕は海を探してたからねぇ。まぁ、見つかったとしても皆知ってるんだしいいじゃない」
言葉の応酬になれば分が悪いのは海の方だ。いつもいいように言い包められて頷いてしまう。他のメンバーが居れば海に加勢してくれる場合もあるのだが生憎今は二人きり、海は言い返す言葉が見つからずそのまま黙り込む。
抱きしめられていること自体は悪い心地はしない。咎めるようなことを言っていた海も隼の背中に腕を回す。
「海」
海の耳元で隼が囁く。艶めいた声はそれだけで海の全てを支配する。
「僕は海が好きだよ」
たった一言で海の体は熱を帯びる。顔も手も足もどこもかしこも熱い。
「俺、も」
返したい言葉は一つで、でも海の気持ちは声にならない。あと二文字、それを口にしたところで壊れるものなんてないのに。今この時隼に想いを伝えられないのが悔しい。
どうして、と自身を責める海に降りかかったのは柔らかい衝撃だった。
「無理して言おうとしなくていいよ。海の気持ちは十分すぎるくらい伝わってるから」
「え……?」
「僕に好きって言えてないこと気にしてたんでしょう?」
「はっ、え、気づいてたのか……?」
「うん」
穴があれば入りたいとはまさにこのことだ。先程とは違った意味で海の顔は真っ赤になってきっとよく熟れた林檎のようだろう。
海の目の前には楽しそうに笑う隼の姿がある。クリソベリルの瞳は海だけを映していて、それはまるで二人ぼっちの世界に閉じ込められたみたいで。
「……すき」
口走った言葉が何だったのか、海自身理解するのに時間がかかった。隼は一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような表情をした後、破顔して再度海の唇に自分の唇を重ね合わせる。
やっと言えたと喜ぶ気持ちと言ってしまったという恥ずかしい気持ちが海の中で混ざり合う。しかしそれらは隼からのキスにどろどろに溶けて消えて無くなりかける。唇が触れ合っているだけで気持ちは伝わっているような気がした。
少しだけハチミツの味がするキスはゆっくり糸を引いて離れていく。
「海、ねぇ、もう一回言って」
「無理。さっきなんで言えたのかも分からないし」
「え~。一回言ってしまえば二度目も一緒じゃない?」
やっぱり言い包められるのは海の方だ。
先程と同じ状況なら言えるかもしれないと海は隼の瞳を見つめる。
「す、好き、だ」
羞恥心が海を煽る。先程は思わず零してしまったといった感じで言えたが、今は意識しながら言ったからだろうか、体温が2℃上がったような気さえしてくる。
早く何かリアクションを取ってほしいと海は隼を見るが、隼は音にせず唇を動かしている。
何を言っているのだろう。読唇術の使えない海には分かりそうもない。
「……と……き」
「隼?」
微かに聞こえた声に海が呼びかけると、かちり視線が噛み合う。もう一度海は隼の名前を呼ぼうとしたが、その前に海の視界が隼から天井に移り変わった。
――これはまずい。海の視界には肉食獣のような顔をした隼がいて、何かスイッチが入ってしまったのは明白だ。こうなってしまえばどれだけ海が嫌がろうとも隼は海を抱きつぶす。
今にも襲わんとする隼を海は両手で抑える。ここは共有ルームだ。いくらなんでもここでそういう行為をしようとは思わない。
「隼っ! ここ、共有ルーム、だからっ」
海の言葉に少し理性を取り戻した隼は大きく息を吐いて海の上から退く。ほっとしたのも束の間、海の腕は隼によって引っ張られる。華奢に見える体のどこにこんな力が隠されているのだろうか。
飲み干したもののマグカップを放置したままで、きっと明日の朝は夜に怒られるんだろうなと思いながら海は隼に連れられるまま最奥の部屋へと向かって行った。
バラード調のメロディーに少し切ない恋心を歌った歌詞はファンからもかなり支持されている。盛り上がる曲というわけではないが、アップテンポばかりではなくしっとり聴かせる曲を入れるのもセットリストには重要だ。
じっと曲名を眺めてメロディーを頭の中で流す。歌い出しは海からだ。
「大切な君のために、」
歌詞を乗せて歌えば、少しかすれた声が一人きりの部屋に響いた。
甘く響くその言葉に海は顔を顰める。大好きな曲だ。間違いなく大好きな曲の一つなのだが、あまりに自分に寄り添いすぎている歌詞は胸に重く突き刺さる。
『言葉にして君に好きとは言えない』なんてそのまますぎて心の中をすべて見られているようだ。
センチメンタルな気持ちになって、海はそっとセットリストの紙を裏返した。
書類仕事は終わったし、セットリストはリーダーに見せなくてはならないがすぐにという訳でもない。明日見せに行ったところで特に問題は無いだろうと海は書類を持って立ち上がった。
――早く部屋に戻って眠ろう。そんな海の思惑はすぐに粉々に砕かれる。
「海、ここに居たんだね」
海が声の方に顔を向けると、隼が微笑みを浮かべて立っていた。一瞬目をそらしてしまったのは先程から繰り返し頭の中で流れる曲のせいだ。
かさり、海の動揺が手元の書類に伝わる。それを隠すように口角を上げた。
「おう。俺に何か用があったのか?」
「ううん。特には」
海のことを探していたような口ぶりだったのにと首を傾げる海に、隼は微笑みながら海に一歩近づく。
「恋人に会いたいと思っただけだよ」
かあっと海の顔に熱が集まる。隼は余裕の表情でさらにもう一歩海に近づいた。
同じ屋根の下で生活しているし、ロケなどで遠方に行っていない限りは毎日顔を合わせているのに、隼は恋人の海をこんな風にして求める。付き合いが長いのにいつまで経っても恋人扱いに慣れない海は毎度顔を赤くさせる。
熱くなった頬を冷たい手で冷やして、海は抱えていた資料を机の上に置く。
「ホットミルクでも飲むか」
「ふふ、うん。よろしく、海」
隼と目を合わすことが出来ないで海はキッチンの方に向かう。
冷蔵庫から牛乳を、食器棚からマグカップを二人分出したところで、ようやく海の熱は治まった。
冷たい牛乳を火にかけて、温度計とにらめっこしながらはぁと一息吐く。
相変わらず頭の中で流れる曲のせいだ。自分をそのまま映し出したような歌詞に海のため息は止まらない。
隼と恋人関係になってから海は一度も「好き」と隼に伝えたことが無かった。それは歌詞の通り、形にしてしまったら失うのが怖いからなのかは自分でもよく分からない。そんな海を今まで隼は問い詰めたことは無かったけれど。
(いつ愛想尽かされてもおかしくないよなぁ)
落ち込む一方の思考をリセットするように適温になった牛乳をマグカップに注ぐ。漂う湯気に少しだけ冷ますように息を吹いて。
せっかくならと海は冷蔵庫から小瓶を取り出した。黄金色に輝くそれをスプーンですくって牛乳に溶かす。ほんの少し味見をした海は瓶を元の場所に仕舞って、海を待ち構えている隼の元へと向かった。
「はい、ホットミルク」
「ありがとう。いただくよ」
ふぅっと隼の口から息がこぼれて、そのままミルクが口の中へと運ばれていく。
海も向かいに座り、マグカップで手を温めながらゆっくりと口をつける。
「ん、美味しい。ハニーミルクだね」
「ああ。ハチミツあったし、入れたほうが美味しいかなって」
返事をしてからハニーミルクを口の中に入れる。少し熱かったものの火傷するほどではなく、優しい甘みが熱と共に喉を過ぎていった。
しばらく続いた無言は居心地の悪い物では無かった。けれど、目の前の紙の束を視界に入れた海は一番上の紙をひっくり返す。
「そういや、これ。今度のライブのセトリだから目を通してくれ」
片手にマグカップを持ったままで隼の方に差し出す。隼はマグカップを机の上に置いて、丁寧に文字の列を目で追っていく。
隼が気に留めるわけはないと分かっていても、海の心臓はいつもより早く鼓動を鳴らす。もし曲がきっかけで海に気づいてしまったなら。愛想を尽かしてしまったら。
「……うん、いいと思うよ」
隼が机の上に紙を置いた音で海は我に返る。隼が何も気に留めなかったことにほっとする半面でチクリ胸が痛む。
その痛みを隠すように海がハニーミルクを味わっていると、隼の腕が不意に海の方へと伸びてきた。
細く長い指が海の短い髪に触れる。
「ねぇ、海」
マグカップを机の上に置いて海は返事をする。真っすぐ射抜くようなクリソベリルが海の心をざわつかせた。
「どうしてそんなに傷ついた顔をしているの?」
そう言われても海には自分の表情が見えない。左手で頬に触れてみるが何が違うのかよく分からなかった。
しかし、何も理由が分からないという訳でもない。傷ついた表情をしているのなら恐らく、まだ海の頭の中で流れている曲に影響されてしまったからだろう。
思わず海の視線は紙に書かれた曲のタイトルへ移る。隼もそれに気づき視線を動かす。
「……たとえ、君の心が僕を見ていなくても」
「っ、しゅん」
「なんてね。海の目がこの曲に向けられていたから言ってみただけだよ」
悪戯っぽく笑う隼に海はどう反応すればいいのか戸惑っていた。
もう何度目かもよく分からないリピート再生に考える力を奪われていて、聞き慣れたメロディーが海をぐちゃぐちゃにする。
でもやっぱり、海の唇は伝えたい言葉を紡ごうとはしない。
「かぁい。ね、こっち来て」
ぽんぽんと隼はソファの空いた側を叩く。言われるがまま海は隼の隣に座ると、隼は勢いよく海を抱きしめた。
「ちょっ、隼ここ共有ルームだぞ」
「大丈夫だよ、こんな時間にわざわざここに来ることはないだろうから」
「隼は来ただろ」
「僕は海を探してたからねぇ。まぁ、見つかったとしても皆知ってるんだしいいじゃない」
言葉の応酬になれば分が悪いのは海の方だ。いつもいいように言い包められて頷いてしまう。他のメンバーが居れば海に加勢してくれる場合もあるのだが生憎今は二人きり、海は言い返す言葉が見つからずそのまま黙り込む。
抱きしめられていること自体は悪い心地はしない。咎めるようなことを言っていた海も隼の背中に腕を回す。
「海」
海の耳元で隼が囁く。艶めいた声はそれだけで海の全てを支配する。
「僕は海が好きだよ」
たった一言で海の体は熱を帯びる。顔も手も足もどこもかしこも熱い。
「俺、も」
返したい言葉は一つで、でも海の気持ちは声にならない。あと二文字、それを口にしたところで壊れるものなんてないのに。今この時隼に想いを伝えられないのが悔しい。
どうして、と自身を責める海に降りかかったのは柔らかい衝撃だった。
「無理して言おうとしなくていいよ。海の気持ちは十分すぎるくらい伝わってるから」
「え……?」
「僕に好きって言えてないこと気にしてたんでしょう?」
「はっ、え、気づいてたのか……?」
「うん」
穴があれば入りたいとはまさにこのことだ。先程とは違った意味で海の顔は真っ赤になってきっとよく熟れた林檎のようだろう。
海の目の前には楽しそうに笑う隼の姿がある。クリソベリルの瞳は海だけを映していて、それはまるで二人ぼっちの世界に閉じ込められたみたいで。
「……すき」
口走った言葉が何だったのか、海自身理解するのに時間がかかった。隼は一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような表情をした後、破顔して再度海の唇に自分の唇を重ね合わせる。
やっと言えたと喜ぶ気持ちと言ってしまったという恥ずかしい気持ちが海の中で混ざり合う。しかしそれらは隼からのキスにどろどろに溶けて消えて無くなりかける。唇が触れ合っているだけで気持ちは伝わっているような気がした。
少しだけハチミツの味がするキスはゆっくり糸を引いて離れていく。
「海、ねぇ、もう一回言って」
「無理。さっきなんで言えたのかも分からないし」
「え~。一回言ってしまえば二度目も一緒じゃない?」
やっぱり言い包められるのは海の方だ。
先程と同じ状況なら言えるかもしれないと海は隼の瞳を見つめる。
「す、好き、だ」
羞恥心が海を煽る。先程は思わず零してしまったといった感じで言えたが、今は意識しながら言ったからだろうか、体温が2℃上がったような気さえしてくる。
早く何かリアクションを取ってほしいと海は隼を見るが、隼は音にせず唇を動かしている。
何を言っているのだろう。読唇術の使えない海には分かりそうもない。
「……と……き」
「隼?」
微かに聞こえた声に海が呼びかけると、かちり視線が噛み合う。もう一度海は隼の名前を呼ぼうとしたが、その前に海の視界が隼から天井に移り変わった。
――これはまずい。海の視界には肉食獣のような顔をした隼がいて、何かスイッチが入ってしまったのは明白だ。こうなってしまえばどれだけ海が嫌がろうとも隼は海を抱きつぶす。
今にも襲わんとする隼を海は両手で抑える。ここは共有ルームだ。いくらなんでもここでそういう行為をしようとは思わない。
「隼っ! ここ、共有ルーム、だからっ」
海の言葉に少し理性を取り戻した隼は大きく息を吐いて海の上から退く。ほっとしたのも束の間、海の腕は隼によって引っ張られる。華奢に見える体のどこにこんな力が隠されているのだろうか。
飲み干したもののマグカップを放置したままで、きっと明日の朝は夜に怒られるんだろうなと思いながら海は隼に連れられるまま最奥の部屋へと向かって行った。
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