教会の鐘が聞こえる
「僕と結婚してくれませんか」
恋人という関係になってから約4年、そろそろ一つの区切りを付ける頃だと思った。
その為に念入りに準備をして、最高のシチュエーションで、僕は海の前に小さな箱を差し出した。海が喜ぶ顔が見たくて、それなのに。
「……悪い。これは受け取れない」
海はそう言って僕が差し出した箱をそのまま突き返した。
予想外の状況に僕は上手く対応することが出来ない。指輪についた青い宝石は鈍く光っている。
「……どうして?」
ただそれだけしか尋ねることが出来なかった。
海はゆらゆらと視線をさまよわせて、小さく息を吐いた。
「どうして、ってそれは男同士だから」
「今更じゃない、そんなこと。本当に今すぐ結婚するわけじゃなくて、海の未来が欲しいっていう意味なんだけど……それでもダメなの?」
海はゆっくりと首を縦に振る。それ以上何も言うことは無いと立ち上がって僕の前を去っていった。
行き場を失った指輪が机の上で寂しそうにしている。
「ごめんね、君に居場所を与えられなくて」
そっと開いた箱を閉じて、先程まで隠していたポケットにしまい込んだ。
鉛のように足が重い。昨日のことを思い出すと眠れなくて、僕にしては珍しく早い時間に共有ルームに向かう。足取りは重いのにそれでも共有ルームに向かうのは一人で部屋にいるよりそのほうがいいと思ったからだ。
扉を開いて足を踏み入れる。味噌汁のいい香りが鼻に届いた。
「あ、おはようございます、って隼さん?!」
かたんと夜の動揺が持っていたおたまに伝わる。慌てる夜にくすりと笑って「落ち着いて」と声をかけた。
「す、すみません……。まさか隼さんがこんなに早い時間に起きてくると思わなくて。てっきり海さんかと思ったので……」
海という名前だけで心臓が痛む。
その痛みに気づかないフリをして優雅に笑ってみせた。
「今日はなんだか早起きの気分だったんだ。夜の朝ごはん、楽しみにしてるね」
「はいっ」
夜との会話を終え、お気に入りのソファへと移動する。腰を下ろせば柔らかい感触が体を包み込んだ。
トントントンと包丁の小気味いい音が眠りを誘う。
夜が居るというだけでなんだか安心感が出てきて、寝不足の体はすぐに睡眠を欲した。その波に抗うことなく僕はソファの上で体を横にして目を閉じた。
「おーい、起きろー」
体を揺さぶられ瞼を開くと、赤色の髪が真っ先に視界に映った。
「ん……陽」
「夜の朝飯もう出来てるから早く食えよ」
いつの間にか眠りの世界に落ちていたらしい。ソファから体を起こして食卓の方に顔を向ける。
そこには僕が求めている人の姿だけが見えなかった。
「あれ、海は?」
「何言ってんだよ。今日はあいつ早朝からロケだろ」
「二泊三日って言ってましたよね」
二泊三日、と頭の中で繰り返す。そういえばそんなスケジュールだった。プロポーズのことで舞い上がってたから頭の片隅に追いやってしまっていた。
「海がいないからってサボったりすんなよ」
陽の言葉に笑って返したけれど、上手く笑えていたかはわからない。夜が作ってくれた朝食はすごくいい香りがするのに、何を食べてもその美味しさを味わうことが出来なかった。
海に会えるのは三日後、いいことなのか悪いことなのか今の僕には判断できない。求婚して、フラれて、普通なら顔を合わせるのが気まずいと思う。もちろんその気持ちが無いわけでは無い。
でもそれより、海の本当の気持ちが聞きたかった。どうしてプロポーズを断ったのか、僕に未来を縛られるのが嫌なのか。
もしそうだとしたら、僕たちは今の関係を続けられるのだろうか。
「隼?……隼!」
「っ、あぁ、ごめんね。少し考え事をしていたんだ」
「……朝からそんな調子なら、下の子たちが俺らに相談してくるのも分かるよ」
はい、と春が僕の前に紅茶を差し出す。柔らかい色はミルクティーで、一口飲むと優しい甘さが口いっぱいに広がった。
海のいない一日の仕事を終え、寮に戻ると僕の帰りを待ち構えていた春に部屋へと連行された。春の部屋なのに始もいて、これはすぐに帰れるような雰囲気ではないことを感じ取った。
春が言うには、僕の様子がおかしいことに気付いたプロセラの子たちが、同じ年長組である始と春にどうにかして話を聞いてもらえないかと相談しに行ったらしい。
「あいつらにあまり心配をかけるなよ。……どうせ、海のことだろう」
ふぅとため息に似た息を吐いて、始は力強い瞳で僕を見つめる。
ここに他のグラビやプロセラのメンバーが居たなら、始はかっこいいねなんて言っていつも通り振舞えただろうに、あいにく他のメンバーは春しかいない。今そんな事を言っても逃げていることはバレてしまう。
仕方なく頷くと「やっぱりな」と言って始も春の淹れたミルクティーを飲んだ。
「隼、俺らでよかったら何があったのか話してほしいな」
「春……」
「力になれるかはわからないけど、吐き出すだけでも楽になれるかもしれないし」
優しく笑う春に、目の前のミルクティーのようだと思った。
「ありがとう」
春の言う通り、一人で抱え込む必要は無いのかもしれない。そう思い、僕は昨日の出来事を話した。
「海にプロポーズして、断られたんだ」
一番シンプルな言葉で先に結論を述べた。僕の向かいに座る始と春は、僕の言葉が予想外だったのか二人とも目を丸くしたまま固まっている。
おそらく半信半疑であろう二人の前に、カバンから小さな箱を取り出して見せる。それは昨日海に受け取ってもらうはずのエンゲージリングの入った箱だ。指輪を見せながら昨日の数分間のやり取りを説明すればさすがに信じてくれたらしい。
「そんなことが……」
「うん。まさか、断られるなんてね」
「海と話は?」
「ううん、出来てない。帰ってくるの明後日だし」
お手上げだ。今の状況では僕にできることは無い。ただこのまま待っていても僕の気持ちはぐちゃぐちゃのままだ。
救いを求めるように始の方を見るが、始にもどうにもならないようできりっとしている目元が困惑で下がっている。
そんな中、春が「あの」と弱弱しくも声をあげた。
「俺、その理由もしかしたらわかる、かも」
ガタッと机が揺れる。無意識のうちに僕の体は動いていた。
「本当に?!」
「あ、いや、絶対にそうってわけではないんだけど……」
そう前置きして春が話し始めたのは僕の知らない海の話だった。
「あれは、俺と海で仕事があって、その帰りに寄ったカフェでだったと思う。教会が近くにあって、たまたま結婚式をやってたんだ。
店内もお祝いムードになってて、その時に海が『いいなぁ』って呟いてた」
春はそこで話を区切って、喉が渇いたのかミルクティーを一口飲む。僕も同じようにミルクティーを飲んだ。温かかったミルクティーは少し冷めてぬるくなっていた。
「その呟きの後、海は『隼もあんな風に結婚するんだろうな』って他人事みたいに言ってたんだ」
「それ、って」
「聞き返したよ。どういうこと?って。そしたら海は『俺は隼の未来を縛りたくないんだ』って笑って返された」
笑ってという部分が海らしいなと皮肉にも思ってしまった。その台詞を放つ海が容易に想像できる。
だからと言って納得いくわけでもない。海が僕に縛られたくないのならプロポーズを断る理由になるが、僕を縛りたくないなんて理由になるはずがない。僕は、海と一緒に未来を歩んでいきたいと思っているのに。
悲しみのような怒りのような複雑な感情が僕の中でぐるぐると渦を巻く。
「……海の気持ち、少し分かる気がするんだ」
春が弱弱しい声で呟く。僕だけでなく、隣の始も春の顔を見つめていた。
「えっと、勘違いしないでほしいんだけど、別れたいとかそういうわけじゃないんだ。
……ただ、自分がこんなにすごい人を縛り付ける存在になってもいいのかな、って思う気持ちは分かる」
「春もそう思ってるって事か?」
「あ、いや、俺はもうそんな事思ってないけど……昔は、ちょっと、ね」
昔の自分を懐かしむように春は苦笑する。始は少し複雑そうに、でも安堵の表情を見せた。
僕よりも春の方が海の持っている感覚に近い。その春が言うことならそれが海の本心なのだろうか。
「春」
「なに?」
「話してくれてありがとう。少し一人で考えてみるよ」
「隼……」
冷めたミルクティーを飲み干して僕は席を立った。隼、と始の芯の通った声が僕の名前を紡ぐ。
「あいつらに心配かけるなよ」
「うん。忠告ありがとう、始」
始たちの方は振り返らずに答えて、僕は春の部屋を出て行った。
その日もやっぱり上手く寝付くことが出来なかった。
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