引き寄せやすい恋人の話
何故もう来ないと、油断してしまったのだろう。後悔の念を頭の中に並べても現状が良くなるわけでは無い。
僕の前には一週間前と同じ、闇に囚われた目をしている海が立っている。
「……また、海に憑りついたの?」
僕の問いかけに霊は答えない。代わりに海の顔でにこりと笑う。
「よく同じだって分かったな?」
「前にも言ったけど、僕は海の恋人だからね」
「恋人、ね」
ひんやりとした空気が体中を包む。
笑顔を浮かべたまま、海の体で霊が僕に近づいてくる。思わず後ずさりするが、構わず霊は迫ってくる。そして素早く僕の首を両手で掴んだ。
「っぐ」
「ははっ、なぁどんな気分? 恋人に首を絞められるのは」
「く、はっ、なに」
「あいつのせいで俺は、……私は」
それまで海の喋り方をしていた霊は唐突に一人称を変えた。これが霊の本当の姿なのだろう。
「何で私が死んで、あんたは幸せそうに生きてるのよ、っ」
彼女はぐっと僕の首を絞める力を強める。
元の霊が女性だとしても、今彼女が乗っ取っているのは海の体だ。もちろん力の強さだって海のもので、呼吸をするのが苦しくなってくる。
どうにか解放してもらわないとこのままでは僕が死んでしまう。手首を握って冷静になってもらうように力を籠める。
「はっ、おち、つい、て」
「っ」
力の弱まった隙をついて、手探りで水晶を手に取る。万が一のことを考えて近くに置いておいたのは正解だった。
透明な石に黒い魂が吸い込まれて、石ごと真っ黒に染まっていく。
悪霊は基本的に会話することが出来ない。向こうが喋ることは理解できないし、こちらが喋ることも向こうには理解できない。ただ、完全に悪霊となっていない霊ならばある程度意思疎通をはかることが出来る。
彼女はまだ悪霊では無かった。だから本当なら彼女を成仏させるために何かをしてあげたかったけれど、海の体を乗っ取って僕を殺そうとした以上、強制的に水晶の中に閉じ込めるより他なかった。
これから彼女をどうするかは、また後で考えるとして。
「ふぅ……」
ようやく酸素が体の中に入ってくる。霊がいなくなってから海は力が抜けて、僕の上で倒れている。
「かぁい。そろそろ起きてほしいなぁ」
僕が体を揺さぶると、海は眠そうに唸り声を上げながらゆっくりと目を開いた。
「ん~」
「気分はどう?」
「あれ……隼……? 何で隼が俺の部屋に……?」
「残念だけど、ここは海の部屋じゃなくて僕の部屋だよ」
「っえ?」
余程僕の言葉が衝撃だったのか、ぱっちりと目を開いた海はキョロキョロ辺りを見回す。
そしてようやく事実であると受け入れた海は、今度僕の方を見てさらに驚いた表情を見せる。
「隼、それ、首どうしたんだ」
「首?」
「誰かに絞められたみたいな、跡がついてる」
あぁ、跡になってしまっていたのか。彼女は本気で僕を殺そうとしていたから当然と言えば当然かもしれない。
さてどう言い訳をしようかと僕が考えているうちに、海は自分の両手と体勢を見て小さく「まさか」と呟いた。
「俺が、やったのか……?」
がたがたと震えだす海を僕は引き寄せて抱きしめた。
これではどんな言い訳をしても海は自分を責めるだろう。それならば本当のことを話すのが一番いい。
「海、聞いて。今から話すことは信じがたいかもしれないけど、本当のことだから」
そう前置きをして、抱きしめたままで海の特異体質の話を始めた。
とは言っても話すことはそんなに多くない。海が霊を引き寄せやすいこと、たまに体を乗っ取られることもあること、それと今回の霊の話をすれば今の海には十分だ。
海は静かに僕の話を聞いていた。
「……そう、だったのか」
僕の話が終わると、海はそう零した。察するに信じられないという気持ちと、今まで不可解に思っていたことが納得できるという気持ちでぐちゃぐちゃになっているのだろう。
「今日の霊はもう海に憑りつくことは無いから安心していいよ」
「……隼」
震える手がぎゅっと僕の背中に回る。僕は幼子をあやすように、ぽんぽんと優しく海の背中を叩いた。
数分間そうして抱き合っていて、だんだんと海の震えも止まっていった。
そろそろ海の顔が見たいし、なんならキスもしたい。ハグする腕を離して海の顔を見ると、海は今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「海……どうしたの?」
「思い出した。夢、見てたんだ」
「夢?」
「さっき、女の人の夢を」
海が語りだした夢物語は、おそらくあの霊の記憶だった。
彼女にはお付き合いをしている恋人がいて、二人の関係は良好だった。しかしそう思っていたのは彼女の方だけで、彼には彼女とは別にお付き合いをしている女性がいたのだという。
彼女がそれを知ったのは彼から別れ話を突きつけられた時だった。
「それで、喧嘩になって、その女の人は彼の目の前で飛び降りようとしたんだ」
本気で死にたがったわけでは無い。ただ彼を脅かしてやろうという気持ちからベランダの手すりに手をかけた。
死のうとすればさすがに止めると思っていた。それなのに彼は何も言わず、黙って部屋を出て行こうとする。
待って、そう言って追いかけようとした彼女はバランスを崩しベランダから落ちた。
「そこで、夢が終わって……。その女の人が俺に憑りついた霊なのか?」
「たぶんね」
「そっか……」
まだ辛そうな海に、僕は微笑んで優しく口づけた。
海がこんなに心を痛めているのだから、あの霊にはもう海に近づかないことを約束させて解放してあげよう。自我を失う前に成仏すればきっと、生まれ変わったら幸せな人生を送れるはずだ。
少し長めのキスの後、ゆっくりと唇を離す。海は頬を赤くさせ、ふっと僕から目をそらした。
「かぁい? どうして目をそらすの?」
「や、だって、なんか今の隼の顔が」
「僕の顔がなに?」
「……すっごい、かっこいいなって」
「ねぇ、それっていつもはかっこ悪いっていう風に聞こえるんだけどなぁ?」
拗ねたように言ってみれば「いつもかっこいいぞ」なんて言葉が返ってきて、不意打ちに照れさせられたのはこっちの方だった。
それから、もう一度キスをしてソファから寝室へと移動する。その後どうしたかは僕の口から語る必要のないことだ。
僕の前には一週間前と同じ、闇に囚われた目をしている海が立っている。
「……また、海に憑りついたの?」
僕の問いかけに霊は答えない。代わりに海の顔でにこりと笑う。
「よく同じだって分かったな?」
「前にも言ったけど、僕は海の恋人だからね」
「恋人、ね」
ひんやりとした空気が体中を包む。
笑顔を浮かべたまま、海の体で霊が僕に近づいてくる。思わず後ずさりするが、構わず霊は迫ってくる。そして素早く僕の首を両手で掴んだ。
「っぐ」
「ははっ、なぁどんな気分? 恋人に首を絞められるのは」
「く、はっ、なに」
「あいつのせいで俺は、……私は」
それまで海の喋り方をしていた霊は唐突に一人称を変えた。これが霊の本当の姿なのだろう。
「何で私が死んで、あんたは幸せそうに生きてるのよ、っ」
彼女はぐっと僕の首を絞める力を強める。
元の霊が女性だとしても、今彼女が乗っ取っているのは海の体だ。もちろん力の強さだって海のもので、呼吸をするのが苦しくなってくる。
どうにか解放してもらわないとこのままでは僕が死んでしまう。手首を握って冷静になってもらうように力を籠める。
「はっ、おち、つい、て」
「っ」
力の弱まった隙をついて、手探りで水晶を手に取る。万が一のことを考えて近くに置いておいたのは正解だった。
透明な石に黒い魂が吸い込まれて、石ごと真っ黒に染まっていく。
悪霊は基本的に会話することが出来ない。向こうが喋ることは理解できないし、こちらが喋ることも向こうには理解できない。ただ、完全に悪霊となっていない霊ならばある程度意思疎通をはかることが出来る。
彼女はまだ悪霊では無かった。だから本当なら彼女を成仏させるために何かをしてあげたかったけれど、海の体を乗っ取って僕を殺そうとした以上、強制的に水晶の中に閉じ込めるより他なかった。
これから彼女をどうするかは、また後で考えるとして。
「ふぅ……」
ようやく酸素が体の中に入ってくる。霊がいなくなってから海は力が抜けて、僕の上で倒れている。
「かぁい。そろそろ起きてほしいなぁ」
僕が体を揺さぶると、海は眠そうに唸り声を上げながらゆっくりと目を開いた。
「ん~」
「気分はどう?」
「あれ……隼……? 何で隼が俺の部屋に……?」
「残念だけど、ここは海の部屋じゃなくて僕の部屋だよ」
「っえ?」
余程僕の言葉が衝撃だったのか、ぱっちりと目を開いた海はキョロキョロ辺りを見回す。
そしてようやく事実であると受け入れた海は、今度僕の方を見てさらに驚いた表情を見せる。
「隼、それ、首どうしたんだ」
「首?」
「誰かに絞められたみたいな、跡がついてる」
あぁ、跡になってしまっていたのか。彼女は本気で僕を殺そうとしていたから当然と言えば当然かもしれない。
さてどう言い訳をしようかと僕が考えているうちに、海は自分の両手と体勢を見て小さく「まさか」と呟いた。
「俺が、やったのか……?」
がたがたと震えだす海を僕は引き寄せて抱きしめた。
これではどんな言い訳をしても海は自分を責めるだろう。それならば本当のことを話すのが一番いい。
「海、聞いて。今から話すことは信じがたいかもしれないけど、本当のことだから」
そう前置きをして、抱きしめたままで海の特異体質の話を始めた。
とは言っても話すことはそんなに多くない。海が霊を引き寄せやすいこと、たまに体を乗っ取られることもあること、それと今回の霊の話をすれば今の海には十分だ。
海は静かに僕の話を聞いていた。
「……そう、だったのか」
僕の話が終わると、海はそう零した。察するに信じられないという気持ちと、今まで不可解に思っていたことが納得できるという気持ちでぐちゃぐちゃになっているのだろう。
「今日の霊はもう海に憑りつくことは無いから安心していいよ」
「……隼」
震える手がぎゅっと僕の背中に回る。僕は幼子をあやすように、ぽんぽんと優しく海の背中を叩いた。
数分間そうして抱き合っていて、だんだんと海の震えも止まっていった。
そろそろ海の顔が見たいし、なんならキスもしたい。ハグする腕を離して海の顔を見ると、海は今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「海……どうしたの?」
「思い出した。夢、見てたんだ」
「夢?」
「さっき、女の人の夢を」
海が語りだした夢物語は、おそらくあの霊の記憶だった。
彼女にはお付き合いをしている恋人がいて、二人の関係は良好だった。しかしそう思っていたのは彼女の方だけで、彼には彼女とは別にお付き合いをしている女性がいたのだという。
彼女がそれを知ったのは彼から別れ話を突きつけられた時だった。
「それで、喧嘩になって、その女の人は彼の目の前で飛び降りようとしたんだ」
本気で死にたがったわけでは無い。ただ彼を脅かしてやろうという気持ちからベランダの手すりに手をかけた。
死のうとすればさすがに止めると思っていた。それなのに彼は何も言わず、黙って部屋を出て行こうとする。
待って、そう言って追いかけようとした彼女はバランスを崩しベランダから落ちた。
「そこで、夢が終わって……。その女の人が俺に憑りついた霊なのか?」
「たぶんね」
「そっか……」
まだ辛そうな海に、僕は微笑んで優しく口づけた。
海がこんなに心を痛めているのだから、あの霊にはもう海に近づかないことを約束させて解放してあげよう。自我を失う前に成仏すればきっと、生まれ変わったら幸せな人生を送れるはずだ。
少し長めのキスの後、ゆっくりと唇を離す。海は頬を赤くさせ、ふっと僕から目をそらした。
「かぁい? どうして目をそらすの?」
「や、だって、なんか今の隼の顔が」
「僕の顔がなに?」
「……すっごい、かっこいいなって」
「ねぇ、それっていつもはかっこ悪いっていう風に聞こえるんだけどなぁ?」
拗ねたように言ってみれば「いつもかっこいいぞ」なんて言葉が返ってきて、不意打ちに照れさせられたのはこっちの方だった。
それから、もう一度キスをしてソファから寝室へと移動する。その後どうしたかは僕の口から語る必要のないことだ。
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