「好きです」なんてやっぱり言えない

「……よし、そろそろ休憩にするぞ」
「はい!」
「ん……」

 海の号令に、郁は元気良く返事をし、涙はその力も無いと床に倒れこんだ。ダンスレッスンのいつもの光景に、郁は苦笑しながら涙の元へタオルとドリンクを運ぶ。

「はい、涙」
「いっくん……ありがとう」

 水分補給をしたことで元気を取り戻したのか、ふわり微笑む涙と、つられて笑う郁の姿は何とも微笑ましい。
 きっとこの場に陽が居れば一緒に「痒い」と声をあげているのだろうなと思いながら、海は体中から噴き出る汗をタオルで拭った。
 珍しい組み合わせのダンスレッスン、それもその通りで、元々今日は年少組のダンスレッスンの日で、海の練習日では無い。では何故一緒に練習をしているのかと問われれば理由は簡単で撮影が急に延期になり、ぽかんと時間が空いてしまったからだ。
 オフだと楽しむことも出来たのだろうが、今の海は寮に帰って休むより、誰かと一緒に体を動かしていたかった。
 そんなわけで郁と涙の練習に混じる形で参加することになった。いつの間にか海が仕切っていたのは性格故だろう。

 二人だけの世界に入りつつある郁と涙を海はぼんやりと見つめている。その視線に気づいた涙は不思議そうに首を傾げて、海の名前を呼んだ。

「どうしたの?」
「え、何が?」
「海、何か変な顔してる」

 変な顔と言われ、海は手で自分の顔を触るが、涙は静かに首を横に振った。

「なんだろう……羨ましい、みたいな目をしてた」

 涙の言葉に海より先に郁が反応した。その言葉の意味をすぐに理解したからだ。

「あ~えっと、涙? それ以上は追究しない方が」
「う~ん……僕といっくんが羨ましい……」
「ちょっと涙、気づいてないの? というかあんまり言うと海さんが気づいちゃう、って」

 あ、と郁が口を滑らしたことに気付き慌てて口を噤んだ。
 しかし、時すでに遅く、海まで涙の言葉の意味を考え込み始めている。鈍感なのは変わりないので、残念ながら答えには辿り着いていないようだが。
 答えに辿り着く前に話を変えようとする郁の前に、涙がそっと爆弾を投下した。

「あ、分かった。海も隼と仲良くしたいってことだね」

 郁が止めるのは一歩遅く、爆弾は綺麗に海の前で爆発した。さすがの海も言葉の意味を理解する。

「涙……」
「え、どうしたの? いっくん」
「ううん。もういいや……涙は悪くないから……」

「……俺、そんな顔してたのか」

 悟りを開いた郁ときょとん顔の涙の耳に、小さく海の呟く声が届いた。二人で海の方に顔を向ければ、海は寂しげな表情で自分の頬に触れている。
 普段大らかに笑う海のあまり見せない表情に、慌てて二人は海に駆け寄る。

「海、大丈夫?」
「海さん大丈夫ですか?」

 心配を態度の全てで表す二人に海は表情を崩して、優しく二人の頭を撫でた。

「悪い、変に心配させちまったな」

 無理に笑う海の笑顔は痛々しい。年少組の二人は顔を見合わせて同時に頷いた。

「海、我慢しなくていいよ。ここは僕たちしかいないから」
「そうですよ、海さん。俺らじゃ頼りないかもしれないですけど、話すだけでも楽になれると思います」
「涙、郁……」

 可愛い年少組の頼りになる姿に、海は感極まりそうになる。心の中で流れる涙を表に出さないようにぐっとこらえた。

「……それじゃあ、聞いてくれるか?」

 こくこくと頷く年少組を見て海も頷き話し始める。
 海は相方である隼に恋をしている。ただし、叶うことの無い片思い。乙女チックな表現をすればその言葉に集約されていた。
 隼が兄弟ユニットのリーダー、始のファンであることはメンバーだけでなくファンも周知の事実だ。事あるごとに始愛を口にする隼の姿はいつもの風景になっていて、今更それをおかしいと言う人もいない。
 海もよく理解している。ただ、理解しているからと言って嫉妬しないわけではないのだ。
たとえば今日、隼は始と共に雑誌の取材を受けている。そのためいつもは朝に弱い隼もすぐに起きて、満面の笑みで仕事へ向かって行った。

「……それがさ、すごい幸せそうだったんだ」

 たったそれだけのことで、海の心臓は血の涙を流した。
 隼から一途に思われ続けている始が羨ましい。海は隼と幼馴染なわけではないし、足りないところを補いあうような関係でもない。相方という言葉の繋がりしかないから、一方的な感情の行き先にどうしようもなく苦しく思ってしまう。

「何で俺は、隼が好きなんだろうな」

 誰かに尋ねても答えが返ってくるはずはないのに海はそう呟く。

「……それでも、海は隼が好きなんでしょ?」

 涙が落ち着いた調子でそう返した。返事があると思っていなかった海は面食らってしまう。
 涙はそのままの調子で話を続ける。

「海が悩んでる理由がよく分からない。好きなら好きって言えばいいのに」
「それ、は」
「隼はどんな海でも受け入れてくれるよ。一番隣に居るから分かるでしょ?」

 涙の言葉は真っすぐ何の躊躇もなくて、だからこそ海の胸に深く突き刺さった。
 海は助けを求めるように郁へ視線を向ける。ぱちりと合った視線から、郁も同じことを思っているのだと伝わってきた。

「……えっと、」

 「海さん」と郁のしっかりした声が海の耳に届く。その続きの言葉を郁が発する前に、先に海は大声を張り上げた。

「あっ、そういや俺書類仕事あったんだったわ。悪いけど、先に戻るな」

 タオルを持ったまま、壁にもたれかけたカバンを走りながら手に取って海はレッスン室を後にした。
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