おわりのはじまり(3月)
始まったあの日から、この関係の終わりを探していた。
今でもよく覚えている。高校の卒業式が終わり、誰もいない生徒会室で始と二人何でも無い時を過ごしていた。感傷に浸る時間とでも言うべきだろうか。俺たちはもうすでにアイドルという道があって、二人で同じ大学に行くことも決まっていて、それでも何故か寂しさを覚えていた。
「春」始の低い声が俺の名前を呼ぶ。何、と返事しながら始の顔を見ればとても真剣な眼差しで俺を見つめていた。
――どうしよう、もう逃げられない。そう思ったけど声にはならなかった。
「好きだ」これ以上ないくらい明瞭で真っすぐな告白だった。だからこそ、茶化すことなんて出来なくて。期待するように音を立てる心臓を抑えつけて俺は始の告白を受け入れた。
あの日からもう四年も経ってしまった。俺が間違いを犯してしまったあの日から、四年も。
「……どうしよう、ね」
一人きりの部屋で呟いても誰かが返事してくれるわけじゃない。苦笑いを浮かべて自分で淹れたミルクティーを口にする。多めに入れた砂糖が心の穴を埋めてくれるようだ。
俺の前には卒業関連の資料がバラバラに並んでいる。卒業論文を提出して、卒業に必要な単位も全て取得していて、あとは式に出て卒業証書を貰えば長かった学生生活は終わる。もう、大人になってしまう。
「その前に、終わらせるつもりだったんだけどなぁ」
せめて俺の独り言をホケキョくんが聞いてくれればよかったのに、部屋中見回してもその姿は見えない。仕方なく一人で溜め込んだ想いを吐き出す。
始を好きになったのは、いつだったかいまいち自分でもよく分からない。ただ中学の時にはもう恋愛感情を自覚していたからきっとその頃だろう。
でもその頃から両思いになることを望んでいたわけでは無かった。良い友人で居ることが出来ればそれでよかったのだ。だから王様の隣に居る参謀として、始の横に居ても大丈夫なように努力して。男同士の関係に合わないかもしれないけど≪友達以上恋人未満≫を俺は望んでいた。
それなのに、あの日、俺は始を拒まず受け入れてしまった。
始は大きな家の嫡男として将来を期待されている。昔も今も本人は嫌がっているけど、始自身には生まれ持ったリーダー性があって、ゆくゆくは俺には想像も出来ないほど大きなものを背負う存在になっていくのだろう。当然、そんな始に欠片でも汚点があってはいけない。そして俺との関係はその汚点に値する。
「もう、終わりにしなきゃ……」
甘いはずのミルクティーが苦く感じて一気に飲み干す。
大丈夫、恋愛関係を無くすだけ。グラビの活動も、俺らが友人であることも変わらない。あの日から今日までの四年間を無かったことにするだけだ。
椅子から立ち上がり、扉の方に足を向ける。決心が鈍らないうちに、早く、始に言わないと。
「っ、なんで」
足が、動かない。視界がぼやけて、嗚咽がこぼれる。
なんで、俺は泣いてるんだろう。
床に倒れこんだ、その瞬間扉がノックされた音が聞こえた。どうしようと思っているうちにドアノブが動いて扉が開く。ああ、馬鹿だな、どうして鍵閉めなかったんだ。
「春?」
その声は聞き覚えがありすぎていて。咄嗟に顔を伏せると床に付いた手の甲に滴がぽたりと落ちた。
「……お前、何やってるんだ?」
顔が上げられない。涙で濡れた顔を見せたくなくて、黙ったまま俯いている。
はあ、と始の口からため息がこぼれるのが聞こえる。その直後、始に顎を掴まれぐいっと無理矢理に顔を上げさせられた。
ぼやけた視界でも始が驚いているのが分かる。
「泣いてた、のか?」
「……始には、関係ないよ」
嘘だ。
「嘘だろ」
こんな時ばかり始は察しがいい。きっと俺がどれだけ否定したってしつこく真実を問いただそうとするだろう。
それならばさっさと本題に入ったほうが楽だ。
「……俺と、別れてほしい」
これ以上泣かないようにしていたけど声は少しだけ震えた。でも及第点じゃないだろうか。思ったよりはすんなり、分かりやすく言えたはず。
始はゆっくりと一度瞬きをした後、俺の顎を持っていた手を離した。解放された反動でまた下を向く。
「それは、春の本心か?」
「そう、だよ」
涙を拭って無理矢理に微笑みを作る。これなら少しはましだろうと顔を上げて見えた始の顔は、酷く歪んでいた。
――選択を間違えたのかもしれない。そんな風に思ってしまうくらいには始の表情が苦しそうで、これ以上別れ話をするのを躊躇ってしまう。
自然と、体を支えていた腕が始の方に伸びる。始は俺の腕を取って、そしてその勢いのまま俺の体を抱きしめた。
「はじ、め?」
「……少し、静かにしろ」
ぎゅっと抱きしめられる力が強くなる。強すぎて痛いほどだ。それでも何故か、離してほしいとは思わなかった。
もう一度名前を呼ぼうとするが、静かにしろと言われた以上何も言葉に出来ない。
ひたすら黙っていると、やがて耳元に始のため息がまた聞こえた。
「何で急にそんな事言いだしたんだ」
いつも真っすぐな始の声が不安で揺れている。
「急じゃないよ。ずっと思ってた。……俺は始の汚点になるって」
ああ、俺の声も揺れている。事実なのに、独り言と本人に告げるのとでは緊張の度合いが全く違う。
「俺は始の弱みになりたく、ない」
ぽとりと零れ落ちた滴が始の肩を濡らす。涙が染みになって、また始を汚してしまうのかと自己嫌悪で苦しくなる。
ずっと溜め込んでいた思いが涙になって次々に溢れ出していく。自分が情けなくて、こんな自分が始の友人で居ることさえ烏滸がましいなんて思ってしまった。
「……弱み、か。確かにそうかもな」
始の力が弱まる。このまま、離れてしまうのだろうか。自分から望んだくせに、怖くなって始の顔を見ないようにぎゅっと目を閉じた。
始が俺から離れる。怖々、目を開こうとしたら唇に柔らかい物が当たった。
キス、された。……どうして?
「っ、はじ、め」
「弱みは裏を返せば強みでもある。俺は、春が隣に居てくれるから今の自分があると思ってる」
「え、っ」
「だから……そうだな、春と別れたらきっと今とは違う俺になるだろうな」
柔らかい微笑みに目を奪われる。予想とは違う答えに返す言葉が見つからない。
「それで、お前は何を恐れてるんだ? もし家の事だとしたら、心配しなくていい。
両親にはもうすでに春と付き合ってることは伝えてあるから」
考え込む頭に始の言葉が入って来て、思考が停止した。
「今、なんて」
「だから、もう両親には報告済みだ。母親の方は相手が春だと知って喜んでいた」
「え、え、初耳なんだけど」
「言ってなかったからな」
くっくっと今度は微笑みというより笑いを堪えている。大方、呆けた顔をした俺が面白くて笑っているのだろう。
あまりの衝撃で涙は止まるし、別れを覚悟していた分感情はぐちゃぐちゃだ。それでも一番に俺を支配した感情はぐるぐると俺の中を駆けまわり続けている。その名前は、喜び。
「っ、あ~もう! 始ってたまに突拍子もないことやるよね」
「これぐらいしないと、春が変な方向に行くのは分かっていたからな。……まさか、こんなに唐突に別れるなんて言われると思ってなかったが」
「それ、は」
思っていたよりもずっと、俺は始に愛されていたんだななんて別れ話をして知ることになるとは。
申し訳なさと歓喜が渦を巻いて、言葉として溢れ出す。
「……ごめん。本当は、別れたくない、です」
言ってしまった。本当の気持ち。
両思いを望んでいないと、ずっと自分に言い聞かせていた。言い聞かせていればいつか始との別れが来た時に、苦しまずに済むと思っていたから。自分に嘘をつき続けていた俺の口から、初めて本心が零れた。
もう、嘘をつく必要は無い。始は覚悟を決めている。俺だって、覚悟を決めなきゃいけない。
「始が、好き」
顔に熱風を当てられたように、息苦しくて熱い。始からの言葉を待っていると、もう一度唇を押し当てられた。
さっきと違うのは始の舌が唇の間から侵入してきたことだ。離してはくっついて、舌を絡めあう濃厚なキスになっていく。気持ちよさに力が抜ける。キスの嵐から解放される頃には、体に上手く力が入らなくなっていた。
ふにゃふにゃになった俺を見て、くすっと満足そうに始は笑う。
「これでもう、離れたいなんて言えなくなったな」
さすがの王様の微笑みだ。数分前まで苦しそうな顔をしていた始の面影はもうどこにも無い。
あの悲痛に歪んだ顔を思い出して、俺はそっとゆっくり瞬きをした。そしてにっこり、微笑を浮かべる。
「もう、始が嫌がっても離れないからね」
そう言って、今度は俺から唇を重ね合わせた。
今でもよく覚えている。高校の卒業式が終わり、誰もいない生徒会室で始と二人何でも無い時を過ごしていた。感傷に浸る時間とでも言うべきだろうか。俺たちはもうすでにアイドルという道があって、二人で同じ大学に行くことも決まっていて、それでも何故か寂しさを覚えていた。
「春」始の低い声が俺の名前を呼ぶ。何、と返事しながら始の顔を見ればとても真剣な眼差しで俺を見つめていた。
――どうしよう、もう逃げられない。そう思ったけど声にはならなかった。
「好きだ」これ以上ないくらい明瞭で真っすぐな告白だった。だからこそ、茶化すことなんて出来なくて。期待するように音を立てる心臓を抑えつけて俺は始の告白を受け入れた。
あの日からもう四年も経ってしまった。俺が間違いを犯してしまったあの日から、四年も。
「……どうしよう、ね」
一人きりの部屋で呟いても誰かが返事してくれるわけじゃない。苦笑いを浮かべて自分で淹れたミルクティーを口にする。多めに入れた砂糖が心の穴を埋めてくれるようだ。
俺の前には卒業関連の資料がバラバラに並んでいる。卒業論文を提出して、卒業に必要な単位も全て取得していて、あとは式に出て卒業証書を貰えば長かった学生生活は終わる。もう、大人になってしまう。
「その前に、終わらせるつもりだったんだけどなぁ」
せめて俺の独り言をホケキョくんが聞いてくれればよかったのに、部屋中見回してもその姿は見えない。仕方なく一人で溜め込んだ想いを吐き出す。
始を好きになったのは、いつだったかいまいち自分でもよく分からない。ただ中学の時にはもう恋愛感情を自覚していたからきっとその頃だろう。
でもその頃から両思いになることを望んでいたわけでは無かった。良い友人で居ることが出来ればそれでよかったのだ。だから王様の隣に居る参謀として、始の横に居ても大丈夫なように努力して。男同士の関係に合わないかもしれないけど≪友達以上恋人未満≫を俺は望んでいた。
それなのに、あの日、俺は始を拒まず受け入れてしまった。
始は大きな家の嫡男として将来を期待されている。昔も今も本人は嫌がっているけど、始自身には生まれ持ったリーダー性があって、ゆくゆくは俺には想像も出来ないほど大きなものを背負う存在になっていくのだろう。当然、そんな始に欠片でも汚点があってはいけない。そして俺との関係はその汚点に値する。
「もう、終わりにしなきゃ……」
甘いはずのミルクティーが苦く感じて一気に飲み干す。
大丈夫、恋愛関係を無くすだけ。グラビの活動も、俺らが友人であることも変わらない。あの日から今日までの四年間を無かったことにするだけだ。
椅子から立ち上がり、扉の方に足を向ける。決心が鈍らないうちに、早く、始に言わないと。
「っ、なんで」
足が、動かない。視界がぼやけて、嗚咽がこぼれる。
なんで、俺は泣いてるんだろう。
床に倒れこんだ、その瞬間扉がノックされた音が聞こえた。どうしようと思っているうちにドアノブが動いて扉が開く。ああ、馬鹿だな、どうして鍵閉めなかったんだ。
「春?」
その声は聞き覚えがありすぎていて。咄嗟に顔を伏せると床に付いた手の甲に滴がぽたりと落ちた。
「……お前、何やってるんだ?」
顔が上げられない。涙で濡れた顔を見せたくなくて、黙ったまま俯いている。
はあ、と始の口からため息がこぼれるのが聞こえる。その直後、始に顎を掴まれぐいっと無理矢理に顔を上げさせられた。
ぼやけた視界でも始が驚いているのが分かる。
「泣いてた、のか?」
「……始には、関係ないよ」
嘘だ。
「嘘だろ」
こんな時ばかり始は察しがいい。きっと俺がどれだけ否定したってしつこく真実を問いただそうとするだろう。
それならばさっさと本題に入ったほうが楽だ。
「……俺と、別れてほしい」
これ以上泣かないようにしていたけど声は少しだけ震えた。でも及第点じゃないだろうか。思ったよりはすんなり、分かりやすく言えたはず。
始はゆっくりと一度瞬きをした後、俺の顎を持っていた手を離した。解放された反動でまた下を向く。
「それは、春の本心か?」
「そう、だよ」
涙を拭って無理矢理に微笑みを作る。これなら少しはましだろうと顔を上げて見えた始の顔は、酷く歪んでいた。
――選択を間違えたのかもしれない。そんな風に思ってしまうくらいには始の表情が苦しそうで、これ以上別れ話をするのを躊躇ってしまう。
自然と、体を支えていた腕が始の方に伸びる。始は俺の腕を取って、そしてその勢いのまま俺の体を抱きしめた。
「はじ、め?」
「……少し、静かにしろ」
ぎゅっと抱きしめられる力が強くなる。強すぎて痛いほどだ。それでも何故か、離してほしいとは思わなかった。
もう一度名前を呼ぼうとするが、静かにしろと言われた以上何も言葉に出来ない。
ひたすら黙っていると、やがて耳元に始のため息がまた聞こえた。
「何で急にそんな事言いだしたんだ」
いつも真っすぐな始の声が不安で揺れている。
「急じゃないよ。ずっと思ってた。……俺は始の汚点になるって」
ああ、俺の声も揺れている。事実なのに、独り言と本人に告げるのとでは緊張の度合いが全く違う。
「俺は始の弱みになりたく、ない」
ぽとりと零れ落ちた滴が始の肩を濡らす。涙が染みになって、また始を汚してしまうのかと自己嫌悪で苦しくなる。
ずっと溜め込んでいた思いが涙になって次々に溢れ出していく。自分が情けなくて、こんな自分が始の友人で居ることさえ烏滸がましいなんて思ってしまった。
「……弱み、か。確かにそうかもな」
始の力が弱まる。このまま、離れてしまうのだろうか。自分から望んだくせに、怖くなって始の顔を見ないようにぎゅっと目を閉じた。
始が俺から離れる。怖々、目を開こうとしたら唇に柔らかい物が当たった。
キス、された。……どうして?
「っ、はじ、め」
「弱みは裏を返せば強みでもある。俺は、春が隣に居てくれるから今の自分があると思ってる」
「え、っ」
「だから……そうだな、春と別れたらきっと今とは違う俺になるだろうな」
柔らかい微笑みに目を奪われる。予想とは違う答えに返す言葉が見つからない。
「それで、お前は何を恐れてるんだ? もし家の事だとしたら、心配しなくていい。
両親にはもうすでに春と付き合ってることは伝えてあるから」
考え込む頭に始の言葉が入って来て、思考が停止した。
「今、なんて」
「だから、もう両親には報告済みだ。母親の方は相手が春だと知って喜んでいた」
「え、え、初耳なんだけど」
「言ってなかったからな」
くっくっと今度は微笑みというより笑いを堪えている。大方、呆けた顔をした俺が面白くて笑っているのだろう。
あまりの衝撃で涙は止まるし、別れを覚悟していた分感情はぐちゃぐちゃだ。それでも一番に俺を支配した感情はぐるぐると俺の中を駆けまわり続けている。その名前は、喜び。
「っ、あ~もう! 始ってたまに突拍子もないことやるよね」
「これぐらいしないと、春が変な方向に行くのは分かっていたからな。……まさか、こんなに唐突に別れるなんて言われると思ってなかったが」
「それ、は」
思っていたよりもずっと、俺は始に愛されていたんだななんて別れ話をして知ることになるとは。
申し訳なさと歓喜が渦を巻いて、言葉として溢れ出す。
「……ごめん。本当は、別れたくない、です」
言ってしまった。本当の気持ち。
両思いを望んでいないと、ずっと自分に言い聞かせていた。言い聞かせていればいつか始との別れが来た時に、苦しまずに済むと思っていたから。自分に嘘をつき続けていた俺の口から、初めて本心が零れた。
もう、嘘をつく必要は無い。始は覚悟を決めている。俺だって、覚悟を決めなきゃいけない。
「始が、好き」
顔に熱風を当てられたように、息苦しくて熱い。始からの言葉を待っていると、もう一度唇を押し当てられた。
さっきと違うのは始の舌が唇の間から侵入してきたことだ。離してはくっついて、舌を絡めあう濃厚なキスになっていく。気持ちよさに力が抜ける。キスの嵐から解放される頃には、体に上手く力が入らなくなっていた。
ふにゃふにゃになった俺を見て、くすっと満足そうに始は笑う。
「これでもう、離れたいなんて言えなくなったな」
さすがの王様の微笑みだ。数分前まで苦しそうな顔をしていた始の面影はもうどこにも無い。
あの悲痛に歪んだ顔を思い出して、俺はそっとゆっくり瞬きをした。そしてにっこり、微笑を浮かべる。
「もう、始が嫌がっても離れないからね」
そう言って、今度は俺から唇を重ね合わせた。