どんなに優れた頭脳も、恋の前には無力である(1月)
朝と昼のちょうど間ぐらいの時間帯、太陽の光が窓から差し込んできて、いい日向ぼっこ日和だななんてソファに横になりながら思う。
このまま睡魔に身を任せて寝てしまおうとしていた時、共有ルームの扉が開く音が聞こえた。
「くしゅっ……あ、始」
盛大なくしゃみをしながら現れたそいつは、俺の名前を呼んでもう一度くしゃみをする。
「春。風邪か?」
「どうだろ……昨日髪ちゃんと乾かさずに寝ちゃったからかも」
「はぁ……またお前は」
「わーごめん、ごめんって! 俺が悪かったからその腕下げて!」
俺が起き上がって腕を大きく上げると、アイアンクローを食らわされると思ったらしい春が慌て始めた。別にそんなつもりは全く無かったが、勝手に勘違いをして慌てている春を見るのは面白い。
上げた腕を下ろす振りをして、春の方に手を伸ばしてその髪に触れた。確かにいつもに比べると少し指通りが悪い気がする。
「っ、始?」
思っていた行動と違うことをされたからか、春は不思議そうな表情をする。
弥生春という男は、他人の事をよく気にしているくせに自分に対しては無頓着である。髪をきちんと乾かさないのだって、これが初めてではない。本に熱中していれば食事の時間も忘れるし、レポートの締め切りが大変な時は平気で連日徹夜をする。
メンバーが少しでもいつもと体調が違うとすぐ気付くのだから、もう少し自分に対してもその意識を向ければいいのに、なんて思うのは恋人だからか。
もう一度わざとらしくため息を吐いて、居眠り用に置いてあったブランケットを手に取った。そしてそれを春の肩にかける。
「とりあえず、ソファに座れ」
「え、あの」
「いいから、座れ。それ外すなよ」
肩にかけたブランケットを指さすと、春は渋々ながらも頷いた。言いつけ通りにソファに座る姿を確認して俺はキッチンのほうに向かう。
綺麗に整理整頓されている調理器具たちの横にある電気ケトルを手に取る。火を使うのが苦手なわけでは無いが水を沸かすのにこっちの方が時短になる。きっちりとセッティングをしてスイッチを押した。
沸くまでの数分間で食器棚から紫と緑のマグカップを取り出す。ついでにココアの袋も用意して、スプーンでマグカップの中に入れる。
「体を温めたいときはココアを飲むんです」と言っていたのは葵だ。「風邪の引きはじめにいつも母が淹れてくれて」なんて照れ笑いしていた姿が脳裏に浮かぶ。
科学的な根拠云々より、俺はその言葉を信用していた。
ケトルのスイッチが切れたのを確認して、マグカップの中へお湯を注ぐ。湯気と共に甘い香りもやわらかく広がっていく。
マグカップを持って春の元に向かうと、春はブランケットを握ったままへにゃりと笑った。
「この匂い、ココアだね」
「ああ。ほら」
「わぁ、ありがとう。始」
春は両手でマグカップを受け取り、ふぅっと息で冷ましながらゆっくりココアを飲む。認めるのは悔しいがその姿がとても可愛らしい。きっと隼や海辺りならそんな俺の気持ちに気付いて揶揄ってくるだろう。
惚れた方が負けなのだと自分に言い訳をしながら俺も自分の分のココアを飲んだ。
「……ん、美味しい」
噛みしめるように春がそう呟いた。温かい甘さは冷えた身体に沁みわたっていく。
「それで少しは体が温まっただろう」
「……もしかして、俺のために淹れてくれたの?」
「当たり前だ。そんな事でお前に風邪を引かれたら困るからな」
言葉が少しきつかったかもしれない。春相手だとどうしても素の自分が先に出てしまい上手い言い方が出来なかった。
代わりに温まった手でくしゃくしゃと春の頭を撫でる。手を離すと、春が俯いたまま小さな声で俺の名前を呼んだ。
「ん? どうかしたか?」
「っと、本当ずるいよね」
春の表情を見ようと顔を覗き込むと、その頬は真っ赤に染まっていた。
――その表情、春こそずるいのではないか。
俺はマグカップを机の上に避難させて、未だ顔を上げようとしない春の顎を掴んで上を向かせる。
「ふっ、真っ赤だな。はぁる?」
「……その言い方もずるい」
「どっちがだ。そんな顔させといて」
紅くさせた顔はまるで食べ頃の林檎のようだ。林檎に齧り付くみたいに春の唇を奪う。
ふっと春から吐息が漏れる。それが扇情的で俺はさらに深く口づけた。
「っふぁ……はじ、め」
カタンと音がして机の上にマグカップと春の本体、もとい眼鏡が置かれる。潤んだ瞳が俺を捉えていて、「もっと」と言っているように見えた。
「春」
名前を呼んでキスを再開した。ソファに体を押し付けて舌を絡ませ合う。
そういえば春の体は本人のせいで冷えていたのではなかったか。ならば最初からこうやって俺の熱を与えればよかったのかもしれない。
春にそう言えばきっと「馬鹿じゃない?」なんて返ってくるだろう。馬鹿で結構、俺が馬鹿なら応えている春だって馬鹿だ。
馬鹿同士、お似合いの恋人なんじゃないか。なぁ、
「……ふ、はる」
「っ、はじめ」
目をとろんとさせた春は、この先を促すような熱っぽい視線を俺に送る。きっと今の春に俺以外の物は見えていない。
あぁ、だけど俺の頭にはまだ理性が残っている。まだ飲み終わっていないココアが机の上にあって、穏やかな日差しが差し込むほど裸になるにはまだ早い時間帯で、何より俺たちがいるこの場所は共有ルームだ。
下の奴らは学校や仕事で夕方まで帰ってこないことは分かっているが絶対というわけではない。いくら俺たちの関係を理解してくれているといってもそんな姿を共有ルームで晒すわけにはいかない。もちろん、ここならグラビだけじゃなくプロセラが来る可能性だってある。
ココアと時間の事はひとまず置いておいて、個人の部屋に移ることが最優先事項だ。
「春、とりあえず俺に掴まれ」
「へ?」
「よっ、と」
寝そべった状態から春の体を起こして、そのまま姫抱きにする。嫌だとか下ろしてだとか喚く春はまるっと無視して俺の部屋へ向かう。
共有ルームから出る前、一度振り向くと机の上に紫と緑のマグカップが仲良く並んでいて、その横には春の本体がぽつんと残されていた。後で全て片付けるからと頭の中で言い訳をして、それからは振り返らず俺の部屋に春を連れ込んだ。
このまま睡魔に身を任せて寝てしまおうとしていた時、共有ルームの扉が開く音が聞こえた。
「くしゅっ……あ、始」
盛大なくしゃみをしながら現れたそいつは、俺の名前を呼んでもう一度くしゃみをする。
「春。風邪か?」
「どうだろ……昨日髪ちゃんと乾かさずに寝ちゃったからかも」
「はぁ……またお前は」
「わーごめん、ごめんって! 俺が悪かったからその腕下げて!」
俺が起き上がって腕を大きく上げると、アイアンクローを食らわされると思ったらしい春が慌て始めた。別にそんなつもりは全く無かったが、勝手に勘違いをして慌てている春を見るのは面白い。
上げた腕を下ろす振りをして、春の方に手を伸ばしてその髪に触れた。確かにいつもに比べると少し指通りが悪い気がする。
「っ、始?」
思っていた行動と違うことをされたからか、春は不思議そうな表情をする。
弥生春という男は、他人の事をよく気にしているくせに自分に対しては無頓着である。髪をきちんと乾かさないのだって、これが初めてではない。本に熱中していれば食事の時間も忘れるし、レポートの締め切りが大変な時は平気で連日徹夜をする。
メンバーが少しでもいつもと体調が違うとすぐ気付くのだから、もう少し自分に対してもその意識を向ければいいのに、なんて思うのは恋人だからか。
もう一度わざとらしくため息を吐いて、居眠り用に置いてあったブランケットを手に取った。そしてそれを春の肩にかける。
「とりあえず、ソファに座れ」
「え、あの」
「いいから、座れ。それ外すなよ」
肩にかけたブランケットを指さすと、春は渋々ながらも頷いた。言いつけ通りにソファに座る姿を確認して俺はキッチンのほうに向かう。
綺麗に整理整頓されている調理器具たちの横にある電気ケトルを手に取る。火を使うのが苦手なわけでは無いが水を沸かすのにこっちの方が時短になる。きっちりとセッティングをしてスイッチを押した。
沸くまでの数分間で食器棚から紫と緑のマグカップを取り出す。ついでにココアの袋も用意して、スプーンでマグカップの中に入れる。
「体を温めたいときはココアを飲むんです」と言っていたのは葵だ。「風邪の引きはじめにいつも母が淹れてくれて」なんて照れ笑いしていた姿が脳裏に浮かぶ。
科学的な根拠云々より、俺はその言葉を信用していた。
ケトルのスイッチが切れたのを確認して、マグカップの中へお湯を注ぐ。湯気と共に甘い香りもやわらかく広がっていく。
マグカップを持って春の元に向かうと、春はブランケットを握ったままへにゃりと笑った。
「この匂い、ココアだね」
「ああ。ほら」
「わぁ、ありがとう。始」
春は両手でマグカップを受け取り、ふぅっと息で冷ましながらゆっくりココアを飲む。認めるのは悔しいがその姿がとても可愛らしい。きっと隼や海辺りならそんな俺の気持ちに気付いて揶揄ってくるだろう。
惚れた方が負けなのだと自分に言い訳をしながら俺も自分の分のココアを飲んだ。
「……ん、美味しい」
噛みしめるように春がそう呟いた。温かい甘さは冷えた身体に沁みわたっていく。
「それで少しは体が温まっただろう」
「……もしかして、俺のために淹れてくれたの?」
「当たり前だ。そんな事でお前に風邪を引かれたら困るからな」
言葉が少しきつかったかもしれない。春相手だとどうしても素の自分が先に出てしまい上手い言い方が出来なかった。
代わりに温まった手でくしゃくしゃと春の頭を撫でる。手を離すと、春が俯いたまま小さな声で俺の名前を呼んだ。
「ん? どうかしたか?」
「っと、本当ずるいよね」
春の表情を見ようと顔を覗き込むと、その頬は真っ赤に染まっていた。
――その表情、春こそずるいのではないか。
俺はマグカップを机の上に避難させて、未だ顔を上げようとしない春の顎を掴んで上を向かせる。
「ふっ、真っ赤だな。はぁる?」
「……その言い方もずるい」
「どっちがだ。そんな顔させといて」
紅くさせた顔はまるで食べ頃の林檎のようだ。林檎に齧り付くみたいに春の唇を奪う。
ふっと春から吐息が漏れる。それが扇情的で俺はさらに深く口づけた。
「っふぁ……はじ、め」
カタンと音がして机の上にマグカップと春の本体、もとい眼鏡が置かれる。潤んだ瞳が俺を捉えていて、「もっと」と言っているように見えた。
「春」
名前を呼んでキスを再開した。ソファに体を押し付けて舌を絡ませ合う。
そういえば春の体は本人のせいで冷えていたのではなかったか。ならば最初からこうやって俺の熱を与えればよかったのかもしれない。
春にそう言えばきっと「馬鹿じゃない?」なんて返ってくるだろう。馬鹿で結構、俺が馬鹿なら応えている春だって馬鹿だ。
馬鹿同士、お似合いの恋人なんじゃないか。なぁ、
「……ふ、はる」
「っ、はじめ」
目をとろんとさせた春は、この先を促すような熱っぽい視線を俺に送る。きっと今の春に俺以外の物は見えていない。
あぁ、だけど俺の頭にはまだ理性が残っている。まだ飲み終わっていないココアが机の上にあって、穏やかな日差しが差し込むほど裸になるにはまだ早い時間帯で、何より俺たちがいるこの場所は共有ルームだ。
下の奴らは学校や仕事で夕方まで帰ってこないことは分かっているが絶対というわけではない。いくら俺たちの関係を理解してくれているといってもそんな姿を共有ルームで晒すわけにはいかない。もちろん、ここならグラビだけじゃなくプロセラが来る可能性だってある。
ココアと時間の事はひとまず置いておいて、個人の部屋に移ることが最優先事項だ。
「春、とりあえず俺に掴まれ」
「へ?」
「よっ、と」
寝そべった状態から春の体を起こして、そのまま姫抱きにする。嫌だとか下ろしてだとか喚く春はまるっと無視して俺の部屋へ向かう。
共有ルームから出る前、一度振り向くと机の上に紫と緑のマグカップが仲良く並んでいて、その横には春の本体がぽつんと残されていた。後で全て片付けるからと頭の中で言い訳をして、それからは振り返らず俺の部屋に春を連れ込んだ。