夜空の下、君と笑おう

 遮光カーテンで真っ暗な部屋の中、隼は誰にも起こされずに目を開けた。
 二度寝しようと再び目を閉じるが、いつものベッドとは違う寝心地に睡魔はやって来ない。仕方がないと隼は小さく息を吐いて、体を起こしソファから立ち上がる。
 洗面所で顔を洗ったところで、隼は海が眠る寝室へと向かう。
 扉を開くと、大きなベッドで眠る海の姿がすぐに見えた。

「……海、おはよう」

 一応声をかけてみたが、海はまだ眠ったままのようだ。海が寝ていることに安堵して、隼はベッドに腰掛ける。

「昨日はごめんね、海」

 昨日の荒れた自分の姿を思い出し、隼は苦笑いしながら海の寝顔を見つめる。
 自分でも驚くほど昨日の隼は途中から我を忘れていた。海を少しからかって、自分にあまり近づかないようにさせればそれでよかった。けれど、海の思いもよらない言葉が隼の引き金になった。
 キスだって、本当にするつもりは無かったのだ。海が思い出すか、両思いになるまではやらないと決めていたのに。
 海を好きになればなるほど、自分でも知らなかった隼の弱い部分が露になる。

「でももう、海は知っちゃったよね。僕の本当の気持ち」

 目を覚ました海は隼の顔を見てどんな反応をするのだろうか。知りたい気持ちともし拒絶されたらと尻込みする気持ちが隼の中でせめぎあう。ここは隼の部屋だから逃げだすことも出来ない。
 複雑な表情で口角を上げて、隼はそっと寝ている海の頬へ手を伸ばす。指先が軽く触れた瞬間、海はいきなり声をあげた。

「ん~……」

 隼が手を引っ込めると、海の目がぱちりと開く。
 しばらく何度か瞬きをした海は、自分の前にいる隼の姿を理解したようで唖然とした表情を隼に向けた。
 海のそんな表情は、隼にとっては容易に想像がついていた。だから優雅に微笑み「おはよう」と告げる。

「よく眠れた?」
「……隼」
「あぁ、君が急にベッドに倒れて眠っちゃったから驚いたよ。でも安心して。僕は寝ている君に悪戯なんてしてないから」

 隼は言葉の裏に、昨日のキスは夢だと仕込ませる。
 しかし海は隼の言葉に安堵したような様子はなく、むしろどこか青ざめた様子で勢いよく起き上がり、そしてベッドの上で正座した。

「海?」

 海の奇行にさすがの隼も意味がわからず首を傾げる。次の瞬間、海はベッドの上で頭を下げた。

「隼、すまん!」
「……え、っと?」

 海の姿勢は所謂土下座だ。謝罪や誠意の意思を見せる時にする姿勢。それはもちろん隼も知っているが、今の海の行為は予想と上手く結びつかない。
 とりあえずと隼が海に顔をあげさせると、海は申し訳なさそうにゆっくりと顔をあげた。

「何で、急に海は謝ったの? 何も悪いことしてないでしょ」
「しただろ。……お前の事、忘れてた」
「ねぇ、海。もしかして、」
「ああ。全部思い出した」

 海の目にあの日以来見えなかった恋の色が宿る。言葉より先に体いっぱいで隼は海の事を抱きしめた。勢い余って二人で大きなベッドへと雪崩込む。

「海、待ってた。ずっと」
「悪い。事故とはいえ、隼の事だけ忘れてたなんてな。……いっぱい、迷惑かけた」
「迷惑じゃないよ。あぁ、でも、君にこうして触れられないのは嫌だった」

 隼は今度こそ、恋人の海とキスをする。
 昨日の一秒にも満たない事故のようなキスとは違い、二人はお互いを確かめ合うように何度も何度も離れてはくっつけあう。
 そのうちにだんだんと触れ合う時間が長くなり、隼の舌が海の口の中に侵入したところで、海は隼の肩を押した。

「ん、ちょ、ストップ」
「え~ここからじゃない」
「俺はまだ隼に言わなきゃいけないことがあるから」
「僕に? 何かな?」

 起き上がることは許さないと、隼は海の腰を抱いたまま海の顔を見つめる。
 海はやりづらそうにしながらも、そのまま話を続けた。

「その、記憶が無かったとはいえ、始が好きなんじゃないかとか言ってごめん」
「……あぁ、そのことか。間違いではないけどね。僕は始ラブだから」
「うん。けど、あの時は本気でお前が始を恋愛的な意味で好きだって思っちまったんだ。
 ……たぶん、俺がお前を好きだって自覚しちゃったから」
「自覚?」
「記憶を失くす前、隼に告白されるまで俺は本気で隼が始をそういう意味で好きなんだと思ってた。だから、記憶を失くしてあの時の自分の気持ちに戻ったんだと思う」
「ってことは、昨日の海は記憶を失くした状態で、僕の事を意識してたって事?」
「うん、まぁ、そうなる、な」

 海は恥ずかしそうに目をそらしながら肯定した。隼は海のそんな可愛らしい様子に、もう一度、今度は軽く口づける。

「っ、ちょっ」
「そんな可愛いこと言われて、僕が我慢できるわけないじゃない?」

 隼は舌なめずりをして、海の唇にかぶりつこうとする。が、幸か不幸か、開け放した寝室の扉の向こうから郁の声が聞こえてきた。

「隼さ~ん! おはようございます、開けますよ~?」

 マスターキーを持った郁は隼を起こすために玄関の鍵を開ける。
 ガチャリと扉の開く音に、隼は気にせず事を進めようとしたが、海が全力で隼を突き放す。
 不満そうな隼に焦った表情の海がベッドの上でもみ合っている寝室に、何も知らない郁がリビングから直接やって来る。

「おはようござい、…………え?」

 ドアの影から姿を現した郁は、寝室の状況を見て固まる。そしてすぐに隼の腕を引っ張った。

「ちょっと、隼さん! 海さん寝室に連れ込んで何やってるんですか!」
「郁、誤解だよ? 海がここにいるのは合意の元だからね」
「え?」
「俺、隼のことちゃんと思い出したんだ」
「え、あ、そうなんですか?!」

 海と隼の顔を交互に見やり、「よかったです」と郁は満面の笑みを見せた。
 再度、今度はきちんとした言葉で謝罪する海に郁は首を横に振る。

「お二人が元通りになってよかったです。皆も、それを望んでましたから」

 郁は「ご飯の用意できてますから、早く共有ルームに来てくださいね」と言い残し、寝室から出て行く。程なくして玄関の扉が開いて閉じる音が聞こえてきた。
 郁の登場により止められていた行為を隼は再開しようとしたが、それより早く海はベッドから降りる。

「かぁい」
「早く他の奴らにも大丈夫って言わなきゃだろ?」

 誘惑する隼に海は笑って躱す。不満そうに唇を尖らせた隼も、結局は受け入れ静かにベッドから降りた。
 そんな隼に、海は僅かに視線をさまよわせ、隼の耳元へと顔を寄せる。

「……夜、隼の部屋行くから」

 顔を赤くさせて、海はそれだけを伝えた後逃げるように隼の部屋を出て行く。
 普段の海はあまり恥ずかしがることは無い。けれど、恋人の前では別だ。キスをして体を暴く時は恥ずかしそうに顔を林檎色に染める。先程の海の顔色はその時にするものとよく似ていた。

「ふふふ、覚悟してね?」

 隼はもう姿の見えなくなった海の背中にそう声をかけて、満足そうに大きく欠伸をした。


 それからのプロセラ共有ルームは、歓喜の声に包まれた。涙ぐむ夜に、安堵した表情でつられて泣きそうになる陽の姿を隼が眺めていると、涙が「よかったね」と隼に微笑んだ。
 しばらくしてようやくプロセラが落ち着いてくると、海は今度はグラビにも謝らなくてはと隼を連れて二階へ降りた。
 ちょうどグラビも全員で朝食をとっており、突然の隼と海の登場に身構えていたが、海が記憶を取り戻したと話せば駆と恋は走り寄って二人を祝福した。
 葵は優しく微笑み、新はいつも通りの表情だったが目から安堵が読み取れた。
 そして一番心配していただろう始と春は年少二人を席に戻した後で、それぞれに祝福の言葉をかけた。

「よく頑張ったな」

 始にそう言われた隼は嬉しさで涙をこぼしそうになり、けれど海の腕を引っ張ることでその涙を引っ込ませる。

「僕は海を信じているからね。ふふ、でもありがとう始」

 朝食途中だったグラビを邪魔したことにお詫びをして、二人は三階へと戻った。
 朝食を済ませ、全員での仕事に向かう。迎えに来てくれた黒月にも記憶が戻ったことを伝えれば、黒月は目を丸くした後朝からぼろぼろと大粒の涙を流した。プロセラメンバーを我が子のように可愛がっている黒月らしいそのリアクションに、メンバー全員で笑ったのだった。

 ドタバタした一日を振り返り、隼はバルコニーで空を見上げながらくすりと笑う。隼の隣では海も同じように星空を見ていたが、突然笑い出した隼に怪訝そうな目を向ける。

「どうしたんだ?」
「ううん。何でもないよ。……ただ、幸せだなぁって思って」

 隼の言葉に、海も頷く。
 もうずいぶんと夜も更けた時間だ。建物の明かりは少なくなり、数えきれないほどの星がキラキラと輝いているのが見える。
 想いが通じ合った日に見た星空に比べれば、その光は弱く感じる。けれど隼にとってはあの日と同じく美しい星に見えた。小さな光は隼と海の瞳を照らす。

「綺麗だなぁ」

 海が、ぽつりと呟く。その言葉には隼も同意見だ。同じものを見て同じように感じられることはなんて幸せなことなんだろうか。
 隼は口元を緩めて夜空を見上げる海の体を、横から優しくぎゅっと抱きしめる。

「わ、隼?」

 問いかける海に隼は答えない。その代わりに抱きしめる力を強くする。体が触れ合うところから想いが伝わるようにと。
 そんな隼の想いが通じたのか、海も何も言わずに隼の背中へと腕を回す。
 互いの熱が伝わり溶け合い、まるで一つになっていくようだ。呼吸音も心臓の音も重なって、なんだか元々同じ一つの個体のような気さえしてくる。
 ハグだけでは足りないと、隼が海の唇を奪えば、海もそれに応える。
 今度は舌まで絡み合うキスだ。口の中の熱まで共有すれば、もう頭の中は蕩けきってお互いの姿しか目に入らなくなる。
 しばらく呼吸も忘れて求めあっていたが、だんだんと息苦しくなりどちらからともなくゆっくりと唇を離した。二人を繋ぐ銀色の糸が鈍く光る。

「……海。もっと僕に君を感じさせて?」

 にやりと笑い隼は海の腕を引っ張る。海はそれを振り払うことなく、身を任せて同じように笑う。
 バルコニーから雪崩れるようにベッドに潜りこんだ隼と海は、月明かりだけが照らす部屋でもう一度唇を重ね合う。そして顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。
5/5ページ
スキ