夜空の下、君と笑おう

 海が事故に遭ってから一週間後、ようやく海の退院の日がやって来た。寮では海の復帰祝いの料理を夜と葵が中心になって作っている。
 海の記憶喪失の話は、その日中にグラビにも隼の口によって伝えられた。その中で全員で取り決めたのは、『海に隼と恋人であったことを言わない』ということだった。海に混乱させないためだと隼から提案したが、自分たちと対になるグラビの年長組だけは最後まで抵抗していた。それでも渋々、最終的には受け入れてくれたのだが。
 隼はこの一週間の事を思い出し、車の中、小さくため息をつく。

「隼大丈夫か?」

 運転している黒月が、前を向いたまま隼に声をかけた。「大丈夫だよ」と隼は笑う。

 この一週間、プロセラもグラビも暇さえあれば海の見舞いに行ったが、ただ一人隼だけはあの日以来一度も出向いてはいなかった。自分の事を全く覚えていない海に会うのが怖かったからだ。
 そんな隼を咎める者は誰もいなかった。だから今日まで隼は海に会わないまま過ごしてきた。
 本当ならば今日も退院した海を迎えに行くのは黒月一人の仕事だったが、隼が黒月に頼んで同行する運びとなった。黒月は何度も隼に「本当にいいのか?」と念押しして、隼はそれに笑って頷いた。

 病院に到着し、海のいる病室まで歩いて行く。隼の心臓はどくんどくんとうるさいぐらいに鼓動を鳴らす。
 先を歩く黒月が病室のドアをノックし、ドアをスライドさせる。隼も後ろについて病室の中へ足を踏み入れた。

「お~黒月さん!」

 海は嬉しそうに黒月の名前を呼ぶ。嫉妬と悲壮感でぐちゃぐちゃになった隼はそっと海から視線をそらす。

「あ、っと、隼も来てくれたんだ」
「……え?」

 今、確かに海は隼の名前を呼んだ。そらした顔を戻して隼は海の方を向く。
 海は頭をかき、苦笑しながら隼へ話をする。

「悪い。俺、隼の事全然覚えてないんだ。皆からユニットのリーダーで、俺の相方だって話は聞いたんだけど」
「そう、なんだ」
「ああ。迷惑かけてすまん」
「いいよ、謝らなくて。……大丈夫、だから」

 隼は海に気遣わせないよう、口角を上げて微笑んだ。
 どうやら隼が来ていないうちに、海は隼の基本的なデータを頭に入れたようだ。そういえば最初に会った時、海は隼にそこまで驚くことなくすんなり受け入れていた。

「隼。俺お前のこと覚えてないし、色々失礼な事言うかもしれないけど、俺に隼の事教えてくれないか?」

 首を傾げる海に隼の心臓は掴まれ痛みだす。海は隼と恋人であったことなんて一つも覚えていないのに、期待してしまう自分がいる。

「もちろんだよ」

 隼が微笑むと、海も微笑み返した。
 隼と海のやり取りが終わって、黒月は海の荷物を手に掴む。すでに退院手続きを済ませており、そのまま三人で車に乗り込んだ。
 隼が後部座席に座り、海はその隣に座った。

「……助手席じゃないんだね」
「ん~? あぁ、だって隼と色々話したいしな」

 海は隼の知っている笑顔で言い放った。そうだ、文月海という男は誰にも壁をつくらない男だった。隼は軽く返事をして窓の外を一瞥した。
 黒月の運転で車は発車する。寮までそんなに時間はかからないとはいえ、隼は平常心を保つのに精一杯だ。
 海からの質問に隼が答え、その度に海は楽しそうに笑う。出会った頃と同じように接してくる海は隼にとっても新鮮だった。

 二人が会話しているうちに、車は寮に到着した。
 まだ仕事があると言う黒月は、二人と荷物を下ろして車を走らせて行った。隼と海は二人で寮へと入る。
 三階のプロセラ共有ルームに二人が向かうと、プロセラとグラビのメンバーが勢ぞろいで出迎えてくれた。

「おかえりなさい!」

 口々におかえりという言葉が飛び交う。年少組に寄られた海は恥ずかしそうに、でも嬉しそうにしている。続いて年中組もそれぞれ海に話しかけている。
 隼はそっと海から離れ、遠巻きに見守っていた始と春の方へ足を向けた。

「二人は行かないの?」
「俺たちは後でいいよ。……それより、隼。海の記憶はまだ?」
「戻ってないよ」
「そう……」

 春は哀しそうに目を伏せた。代わりに始が口を開く。

「あまり思いつめるなよ、隼」
「ふふふ、心配してくれてるの? 始が僕に優しいなんてこれ以上ない幸せだね」
「……そういうことが言えるならまだ大丈夫だな」

 呆れたような始の口調に、哀しそうにしていた春もくすりと笑う。
 同じ年長組として始も春も、かなり隼と海の事を気にかけていた。隼と海が恋人として付き合うことになったのは二人が協力してくれたからだ。
 隼は少し弱弱しい声で「ありがとう」と二人に向かって告げた。春は微笑み、始は大きな音で手を叩く。

「お前ら、それぐらいにしとけ。快気祝いのパーティーをそろそろ始めるぞ」

 始の呼びかけに、海の元へ寄っていたメンバーはそれぞれ自分の席につく。
 春の案内で主役の海も席についたところで、パーティーは始まったのだった。


*****


 海の快気祝いは盛り上がったままで幕を終えた。片づけは年少組でやるとのことで、隼は一人自分の部屋へと戻る。
 ウッドデッキに出ると、満天の星空が隼の目の前に広がっていた。ツキノ寮は閑静な住宅街にあるからか、東京でも星がよく見える。

「嗚呼本当……何でだろうね」

 隼の呟き声は空気になって消える。涙がこぼれそうになって、けれど隼はそれをぐっと飲みこんだ。
 泣きたいわけでは無い。ただどうしようもなく思いが溢れてしまうのだ。

「僕は……」

 隼が言葉を紡ぐ前に、ウッドデッキへ訪問者がやって来る。

「お、隼だ」
「……海」

 突然の海の登場に隼は一瞬驚く。が、すぐにふふっと微笑んだ。
 隼に笑顔を返した海は、自然に隼の隣に腰掛ける。

「隼は何やってたんだ?」
「星を見てたんだ」
「星? あぁ、確かに綺麗だな」

 海は手を伸ばして、星を掴むような動作をする。その横顔は美しく、隼はしばらく見惚れていた。
 隼の視線に気づいたのか、海は不思議そうな表情で隼を見つめる。

「何かついてるか?」

 海の問いに隼は首を横に振って、海から星空へと視線を移した。

 隼が海に告白した時も、星が綺麗な夜空の下だった。プロセラ全員でロケに行った際、泊まった部屋から星を眺めながら告白した。
 どうしてこのタイミングで、と海は驚き笑った。隼自身も同じ気持ちだった。どうして今告白したのだろうと。
 今思えば落ち着いた雰囲気の旅館の部屋に、二人きりで星を眺めているというロマンチックなムードが隼をそうさせたのだろう。しかし、するりと出てしまった言葉はもう引き返せない。
 珍しく少し慌てる隼を前に、海は笑顔のまま頷いた。「俺も、好きだ」海が絞り出すように出した言葉に、隼は歓喜し勢いよく海を抱きしめた。

 そんなに昔でもない在りし日を思い出し、隼はふうっと息を吐いた。どんなに懐かしがっても海の記憶が戻ってくるわけでは無い。

「なぁ、隼」
「うん?」
「明日からよろしくな。なるべく早く、お前の事思い出せるように頑張るから」

 真っすぐ純粋な目で見られては、隼も頷く以外の返事が出来なかった。

「無理はしないでいいよ」

 隼がそう言うと、海はまた笑ってくしゃりと隼の髪を撫でた。大きくて暖かい手に飲み込んだはずの涙が込み上げてくる。

「ありがとな」

 海の笑顔は、隼の心を奪うほどに美しかった。
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