愛し、此の世界
三日という時間はあっという間に過ぎて、海は僕を連れて不思議な鳥居の前へと向かった。
古びた鳥居は何の変哲もないように見えるが、海が言うにはここをくぐれば春たちが暮らす社に到着するということだ。
「じゃあ行くぞ」
海が先導して鳥居をくぐる。続いて僕もくぐれば、一瞬眩い光に視界を奪われ、思わず目を閉じてしまう。その後すぐに目を開けば、くぐる前に見えていた鳥居の向こう側とは全く違う景色が目の前に広がっていた。
社はとても古そうだが大きく、存在しているだけで何か力のようなものを感じる。
「隼?」
「ああ、ごめんね。こんな社、初めて見たから」
「そっか。この中に皆いるから挨拶しに行くぞ」
「うん」
引き続き海の先導で社の中へと進んでいく。
扉を開けるとそこには見たことの無い妖が二人、僕らを出迎えてくれた。
「海さんお疲れ様です!」
「海、その子が海の拾った子?」
「よぉ、駆、涙。涙はその話誰から聞いたんだ? 春か?」
「ううん、恋からだよ。恋は春から聞いたんだって」
「元を辿れば春か」
海と妖の一人が話している横で、金のような光り輝く髪色に夕日のような大きく丸い目が僕を見つめる。にこっと笑った顔に敵意は一つも感じられない。
「俺は駆って言います! 君の名前は?」
「隼だよ。よろしく、駆」
「あ、僕は涙。よろしくね、隼」
「涙。よろしく」
駆には小さな角が、涙には獣の耳が生えている。何の妖かまでは分からないけど、人じゃないことは一目で分かる。
僕たちの騒ぎを聞きつけてきたのか、奥から梅の花のような髪色と栗色の髪を持った妖二人がやってきた。二人にも獣の耳が生えている。
「海さん! あ、噂の子だ!」
「海さん、ご苦労様です」
梅の花の方は恋と名乗り、栗色の方は郁と名乗った。二人とも人である僕が不思議なのか、じっと見た後ににっこり笑った。
想像以上に歓迎され戸惑っていると、海が僕の手を引いた。
「先に始に会ってくるから、また後でな」
海の言葉に四人はそれぞれ返事をして社の中へと戻って行く。
海は四人が向かったほうとは別の廊下を僕の手を引きながら進む。
社の中は外から見ている以上にとても広い。海の説明では黒天狐だから特別なんだそうだが、未だ会ってない僕にもその理由が分かる気がする。
ずんずんと進んだ廊下の一番奥、襖を開けた瞬間、時が止まったような心地がした。
「……よく来たな、海」
低く、それでいて社中を響かせるような雄大な声。夜闇のように黒い耳と藤の花の色をした瞳が真っすぐに僕を捉える。
「お前が、隼か。春から話は聞いた」
少し距離があるのにものすごい迫力がある。これが黒天狐の力なのだろうか。
気がつけば全身が震えていた。それは決して畏怖ではなく。
「……か、っこ、いい……!」
僕の足はまるで意志を持っているかのようにひとりでに始の方へ走り出す。勢いに任せて始に抱きつこうとしたが、それは始の隣に居た春によって阻まれた。
「っと、隼? いきなり走り出したからびっくりしたよ」
「春、助かった」
「ふふふ、ごめんね? なんか始の姿を見たら居ても立っても居られなくて!」
困ったように僕を見る始、その表情もかっこいいと見惚れていると海が近づいて僕の体を持ち上げた。
「悪いな始。俺もびっくりして咄嗟に動けなかった」
「大丈夫だ。……隼」
「は~い! なぁに?」
「少し、二人で話をしたい」
始は海と春に対し部屋を出て行くよう促す。二人は心配そうな表情をしながらも言われた通りに部屋から出て行った。
大きな部屋には僕と始の二人きりだ。宴会場から離れているからか、それとも黒天狐の力なのか分からないけれど、部屋で聞こえる音は緑が揺れる音だけ。そんな中で始はふぅと小さく息を吐いた。
「春から話は聞いている。ここに来たということは海から俺たちの説明も受けたのだろう?」
「うん。始は黒天狐なんだよね」
「ああ。そこまで聞いてるなら早速本題に入ろう」
始は大きな尻尾を軽く揺らして、重々しく口を開く。
「俺たち妖と人は基本的に流れる時間が違う。人が生まれて死ぬまでの時間は、俺らからすれば一月過ぎるのとほぼ同じだ」
始が言うには、もうすでに僕は海と出会ってから人間の時に換算すればかなりの時間が経過しているということらしい。生まれた時から日付の感覚なんて無いようなところで生きてきたから、その変化はあまり実感していなかった。
「けど、お前は妖になったわけじゃない。体は人のままだ」
「……それはつまり、僕が海と一緒に居れる時間は少ししかないってこと?」
「そうだ。自分が成長しているという自覚はないか?」
そう言われると確かに身長は伸びたかもしれない。海との身長差が日に日に縮まっているような感覚がしていたのは気のせいではなかったようだ。
まだ海と出会って三日しか経っていないが、もう少しすれば僕の体は成長しきって衰えていくのだろう。
「それでも、隼、お前は海と一緒に居るか?」
真っ直ぐ射抜くような視線は怖くて美しい。
始はおそらく僕の覚悟を確かめている。海といることで僕は短い間しか生きられないが、それでも一緒に居られるのかと。
その答えは僕の中でもう既に出ていた。
「海の迷惑にならないなら、僕はずっと海のそばに居るよ」
元々いつ無くなってもおかしくない命だ。それが海のおかげでこうして貴重な経験をさせてもらっている。それなら最期の時までこのまま過ごせたなら、僕にとってはこれ以上ない幸せだ。
始は静かに深く頷いて視線を外へとずらした。そしてゆっくりとまばたきをした後で僕の方に向いた。
「そうか。試すようなことを言って悪かったな」
「ううん。始は海が心配だったんでしょう?」
「……まぁ、な」
照れて視線をそらす始は、そのままおもむろに立ち上がる。毛並みの揃った美しい尻尾が立ち上がったおかげで大きく広がる。
「さぁ、宴会場まで行くぞ」
「ふふふ。始の相伴なんて光栄だね!」
「……お前子どものくせに、言葉だけはよく知ってるな」
始の横に並んで板張りの廊下を歩く。
長い廊下を歩いているとだんだんとざわめきが聞こえてきた。近づいて行く度ざわめきは大きくなる。
始が立ち止まって襖を開けると、中にいた妖たちの目が一斉にこちらを向いた。
先に向かっていた海と春に、玄関先で会った駆と涙、恋と郁の姿が見える。それ以外に僕の知らない妖が四人、皆一様に僕を見て笑顔を浮かべていた。
「お~やっと来たか」
「もうすぐにでも始められるよ」
「待たせたな。さぁ、宴を始めるぞ」
始の一言に歓声が上がり、それをきっかけにして妖たちの宴は始まって、そしてそれは机の上にたくさん並んだ料理とお酒が無くなるまで続いたのだった。
古びた鳥居は何の変哲もないように見えるが、海が言うにはここをくぐれば春たちが暮らす社に到着するということだ。
「じゃあ行くぞ」
海が先導して鳥居をくぐる。続いて僕もくぐれば、一瞬眩い光に視界を奪われ、思わず目を閉じてしまう。その後すぐに目を開けば、くぐる前に見えていた鳥居の向こう側とは全く違う景色が目の前に広がっていた。
社はとても古そうだが大きく、存在しているだけで何か力のようなものを感じる。
「隼?」
「ああ、ごめんね。こんな社、初めて見たから」
「そっか。この中に皆いるから挨拶しに行くぞ」
「うん」
引き続き海の先導で社の中へと進んでいく。
扉を開けるとそこには見たことの無い妖が二人、僕らを出迎えてくれた。
「海さんお疲れ様です!」
「海、その子が海の拾った子?」
「よぉ、駆、涙。涙はその話誰から聞いたんだ? 春か?」
「ううん、恋からだよ。恋は春から聞いたんだって」
「元を辿れば春か」
海と妖の一人が話している横で、金のような光り輝く髪色に夕日のような大きく丸い目が僕を見つめる。にこっと笑った顔に敵意は一つも感じられない。
「俺は駆って言います! 君の名前は?」
「隼だよ。よろしく、駆」
「あ、僕は涙。よろしくね、隼」
「涙。よろしく」
駆には小さな角が、涙には獣の耳が生えている。何の妖かまでは分からないけど、人じゃないことは一目で分かる。
僕たちの騒ぎを聞きつけてきたのか、奥から梅の花のような髪色と栗色の髪を持った妖二人がやってきた。二人にも獣の耳が生えている。
「海さん! あ、噂の子だ!」
「海さん、ご苦労様です」
梅の花の方は恋と名乗り、栗色の方は郁と名乗った。二人とも人である僕が不思議なのか、じっと見た後ににっこり笑った。
想像以上に歓迎され戸惑っていると、海が僕の手を引いた。
「先に始に会ってくるから、また後でな」
海の言葉に四人はそれぞれ返事をして社の中へと戻って行く。
海は四人が向かったほうとは別の廊下を僕の手を引きながら進む。
社の中は外から見ている以上にとても広い。海の説明では黒天狐だから特別なんだそうだが、未だ会ってない僕にもその理由が分かる気がする。
ずんずんと進んだ廊下の一番奥、襖を開けた瞬間、時が止まったような心地がした。
「……よく来たな、海」
低く、それでいて社中を響かせるような雄大な声。夜闇のように黒い耳と藤の花の色をした瞳が真っすぐに僕を捉える。
「お前が、隼か。春から話は聞いた」
少し距離があるのにものすごい迫力がある。これが黒天狐の力なのだろうか。
気がつけば全身が震えていた。それは決して畏怖ではなく。
「……か、っこ、いい……!」
僕の足はまるで意志を持っているかのようにひとりでに始の方へ走り出す。勢いに任せて始に抱きつこうとしたが、それは始の隣に居た春によって阻まれた。
「っと、隼? いきなり走り出したからびっくりしたよ」
「春、助かった」
「ふふふ、ごめんね? なんか始の姿を見たら居ても立っても居られなくて!」
困ったように僕を見る始、その表情もかっこいいと見惚れていると海が近づいて僕の体を持ち上げた。
「悪いな始。俺もびっくりして咄嗟に動けなかった」
「大丈夫だ。……隼」
「は~い! なぁに?」
「少し、二人で話をしたい」
始は海と春に対し部屋を出て行くよう促す。二人は心配そうな表情をしながらも言われた通りに部屋から出て行った。
大きな部屋には僕と始の二人きりだ。宴会場から離れているからか、それとも黒天狐の力なのか分からないけれど、部屋で聞こえる音は緑が揺れる音だけ。そんな中で始はふぅと小さく息を吐いた。
「春から話は聞いている。ここに来たということは海から俺たちの説明も受けたのだろう?」
「うん。始は黒天狐なんだよね」
「ああ。そこまで聞いてるなら早速本題に入ろう」
始は大きな尻尾を軽く揺らして、重々しく口を開く。
「俺たち妖と人は基本的に流れる時間が違う。人が生まれて死ぬまでの時間は、俺らからすれば一月過ぎるのとほぼ同じだ」
始が言うには、もうすでに僕は海と出会ってから人間の時に換算すればかなりの時間が経過しているということらしい。生まれた時から日付の感覚なんて無いようなところで生きてきたから、その変化はあまり実感していなかった。
「けど、お前は妖になったわけじゃない。体は人のままだ」
「……それはつまり、僕が海と一緒に居れる時間は少ししかないってこと?」
「そうだ。自分が成長しているという自覚はないか?」
そう言われると確かに身長は伸びたかもしれない。海との身長差が日に日に縮まっているような感覚がしていたのは気のせいではなかったようだ。
まだ海と出会って三日しか経っていないが、もう少しすれば僕の体は成長しきって衰えていくのだろう。
「それでも、隼、お前は海と一緒に居るか?」
真っ直ぐ射抜くような視線は怖くて美しい。
始はおそらく僕の覚悟を確かめている。海といることで僕は短い間しか生きられないが、それでも一緒に居られるのかと。
その答えは僕の中でもう既に出ていた。
「海の迷惑にならないなら、僕はずっと海のそばに居るよ」
元々いつ無くなってもおかしくない命だ。それが海のおかげでこうして貴重な経験をさせてもらっている。それなら最期の時までこのまま過ごせたなら、僕にとってはこれ以上ない幸せだ。
始は静かに深く頷いて視線を外へとずらした。そしてゆっくりとまばたきをした後で僕の方に向いた。
「そうか。試すようなことを言って悪かったな」
「ううん。始は海が心配だったんでしょう?」
「……まぁ、な」
照れて視線をそらす始は、そのままおもむろに立ち上がる。毛並みの揃った美しい尻尾が立ち上がったおかげで大きく広がる。
「さぁ、宴会場まで行くぞ」
「ふふふ。始の相伴なんて光栄だね!」
「……お前子どものくせに、言葉だけはよく知ってるな」
始の横に並んで板張りの廊下を歩く。
長い廊下を歩いているとだんだんとざわめきが聞こえてきた。近づいて行く度ざわめきは大きくなる。
始が立ち止まって襖を開けると、中にいた妖たちの目が一斉にこちらを向いた。
先に向かっていた海と春に、玄関先で会った駆と涙、恋と郁の姿が見える。それ以外に僕の知らない妖が四人、皆一様に僕を見て笑顔を浮かべていた。
「お~やっと来たか」
「もうすぐにでも始められるよ」
「待たせたな。さぁ、宴を始めるぞ」
始の一言に歓声が上がり、それをきっかけにして妖たちの宴は始まって、そしてそれは机の上にたくさん並んだ料理とお酒が無くなるまで続いたのだった。