恋人が始オタクになりました


 睦月始はこの世界で最高のトップアイドルである。
 もちろん、ファンにとっては自分が応援しているアイドルこそがトップだと思うだろう。皆違って皆いい、だから僕もそれを否定しない。
 僕の中ではトップアイドルは始だ。それはきっと今後も揺るがない。

 テレビの中では始が妖艶に笑って、カメラに向かってウインクをしていた。途端に聞こえる悲鳴のような歓声。そんな訳はないと分かりつつも、ファンは皆自分に向けられていると錯覚してしまう。
 僕だってそうだ。けれど、彼女たちのように歓声をあげる前に映像は止められ、画面には大きく始の顔が映っている。

「はぁ~……やっぱかっこいいな」

 そう呟いたのは僕ではない。隣に居る僕の相方だ。
 相方である海は、恍惚とした表情で画面の中の始を見つめている。かと思えば、リモコンを操作してもう一度少し前から再生し始めた。
 もう5回だ。5回、繰り返して同じ部分だけを再生している。このあとの春の歌声はなかなか聞けそうにない。
 決して飽きたわけでは無い。たとえ同じ始の映像を何十回、何百回見たところで毎度新鮮な気持ちでかっこいいと思う。それを共感してもらえる相手がいるのは、大変嬉しいのだが。

(そろそろ、僕の事を構ってくれてもいいんじゃない? 海)

 声にならない文句を心の中で呟く。
 せっかく半日オフが重なったのだ。僕と海は所謂恋人同士で、けれどいつもは仕事だからそう簡単にいちゃつくことも出来ない。貴重な休みを恋人と幸せに過ごしたいと思うのは当然ではないだろうか。
 グラビのDVDを見ようと提案したのは僕だ。こんなことになるとは思っていなかったので、今は数時間前の僕に会ってその提案をするのを止めに行きたい。

 画面の中ではまた始のウインクが映っている。ファンの歓声は一時停止によって中途半端に止められた。

「この角度、やっぱ完璧だ。さすが始」
「……うん、そうだね」

 6回目でも関係なく興奮している海に、笑顔で同意する。
 ようやく満足したのか、海はそのまま戻すことなく再生をした。春の歌声が聞こえて来て、どこかほっとする自分がいる。
 始はトップアイドルだ。けれど、僕だって誰かの、出来れば海の一番で居たい。始に勝とうなんて思ってはいないが、そのサファイアのような美しい瞳に映るのは僕の色であってほしい。

 始と春が歌い終わって、歓声鳴りやまぬまま次の曲のイントロが流れ始める。可愛らしい衣装に身を包んだ年少組がライトに照らされているのを見ていると、コンコンと共有ルームの扉をノックする音が聞こえた。
 扉が開き、現れたのは先程まで画面の中心にいた、その人だった。

「海、いるか?」
「始!」

 僕が名前を呼ぶと、始は眉間にしわを寄せた。うん、今日もいつも通りのツンデレだ。
 冷たい態度に僕が満足げに微笑むと、後ろから「いるぞ」と少し高めのテンションの声がした。

「あぁ、よかった。ちょっと海に確認したいことが」
「なんだ? あ、今な、グラビのライブ見てて、始のウインクがかっこよくてな!」

 テレビを指さして、嬉しそうに海は始に報告する。言われた始は困惑した表情で、救いの目を僕に向けてきた。
 今までの海は始に対して普通だった。だけど、最近の海は始に対してファンらしい熱視線を送っている。それが始の戸惑いを生んでいるのだろう。
 始は口角を引きつらせたまま、僕の名前に口を動かす。

「ちょっと、先に隼と話してもいいか」
「? おう!」
「はぁい。何かな、始」
「いいから、ちょっと来い」

 始に呼ばれて、海を一人残し共有ルームを出る。扉を閉めると静かな廊下に、始のため息が大きく響いた。

「どうしたの?」
「どうしたの、じゃないだろ……最近海がおかしいんだが」
「あぁ、海も始ファンになったからねぇ」

 僕がそう言うと、始は再び深くため息をついた。
 おおかた、僕のせいだと言いたいのだろう。じとっとした目で訴えられるが、僕だってまさかこんなことになるなんて思っていなかったのだ。
 海と付き合う前から、僕は始ファンだ。だから海と恋人という関係になってからも、始への愛はずっと声にし続けてきた。
 そもそも僕の中で、始を好きな気持ちと海を好きな気持ちは方向が違う。海もそれは分かっていて、僕たちは上手くいっていたはずなのだけれど、気づけば海も僕と同じテンションで始の魅力を語るようになっていた。

「……逆に、どうすれば海が元に戻るのか教えてほしいよ」

 零れ落ちた本心は、何とも情けない声で音になった。

「自分で蒔いた種だろう」
「付き合う前からの習慣だよ? 変えられるわけないじゃない。それに、付き合う前は僕がする始の話なんてほとんど聞き流してたのに」

 始は眉を顰めて、ふんと小さく息を漏らした。その表情は始が困った時にするものだ。

「まぁ、仕事に支障が出ないなら問題ないからな。後はお前らの問題だ」
「そうだねぇ」
「……どうしても治らないようなら、俺も協力するから」

 始から付け足された言葉はとても暖かくて。僕がふふふと笑えば、始は照れくさそうに僕に背を向けて共有ルームに入って行った。
 後を追って部屋に入ると、グラビのライブDVDをBGMに始と海が真面目な顔で話をしている。
 どうやら、きちんと切り替えは出来ているらしい。二、三言葉を交わして、始は「ありがとう」と言って共有ルームから出て行った。
 嬉しそうな笑顔をキープしたまま、海は僕を視界に映す。

「あ、隼。見逃した始のソロパート、もう一回見るか?」
「ううん。何回も見てるから大丈夫」

 僕が首を横に振れば、海は「そうか」とだけ答えてまたテレビに視線を戻す。
 セットリスト的にそろそろ終盤だ。あと二曲流れて、最後の挨拶が終わればひとまずエンドロールが流れる。その後はアンコールが流れてこのDVDは再生を終了する。
 もう少し待てば終わるのは分かっていて、だけど僕はリモコンを手に取って再生を停止した。賑やかな音から一転、自然の音だけが部屋を支配する。

「えっと、もう見ないのか?」

 海が不思議そうに首を傾げる。僕は何も言わないまま、海にゆっくりと近づく。
 距離を詰めると、海は顔を赤くさせて不自然に視線をそらした。

「かぁい」
「……ここ、共有ルームだぞ」
「わかってる」

 この後の行為を予想しているのだろう、海は隼を諭すような言葉をかける。
 でも、嫌がっているわけでは無い。やっと意識してくれたことに、思わず口元が緩んでしまう。
 距離なんてもう無くて、手を海の顔に添えて唇を重ね合わせた。少しかさついた海の唇を舐めると、海の体はびくりと反応する。

「っは、しゅん、っ」

 両手で足りないほどキスをしても、海はいつも恥ずかしそうにする。今その海のような美しい青には、白銀だけが占めている。これ以上ない優越感だ。

「ふふふ、海。まだ軽いキスだよ?」
「うるさい。隼の色気が強すぎるんだよ」
「褒め言葉だね」

 わざといたずらっぽく笑えば、海はぷいっと顔をそむける。
 そして、赤くさせた耳をのぞかせて小さな声で「部屋、行こうぜ」と誘う海を、僕は勢いよく抱きしめその真っ赤な耳に口づけを落とした。


*****


 テレビを食い入るように見つめる海。既視感を覚えつつ、僕も同じようにテレビの画面を見つめる。
 映っているのはもちろん、黒の王様睦月始である。先日音楽番組にグラビがゲスト出演し、それを録画した物を二人で見ている。再生回数は、これで3度目だ。
 新曲の振付にはメンバーが様々なハートポーズを行っていて、ファンの間でもかなり話題になっている。恋と駆は頭で大きなハートを、新と葵は二人で一つのハートを、春は指でハートを、そして始は拳をくっつけてハートをつくっている。もちろん全員が魅力的で、それぞれファンが興奮するポイントを押さえている。
 海はリモコンを操作し、始がハートポーズをしたところで一時停止する。綺麗に止まった映像はブレがなく、まるで一枚の写真のようだ。僕の隣から感嘆の声が聞こえた。

「いや~始は可愛いも出来るんだなぁ。すげえ」
「本当にね。さすが始だよ。やっぱり始は最高のアイドルだよね!」
「あはは、確かにな」

 海が僕に同調して、楽しそうに笑う。一時停止は解除され、6人の歌声がスピーカーから流れる。
 がちゃりと扉が開いたのは、ちょうどグラビが歌い終わって観客の拍手が聞こえてきた頃だった。

「すまない、隼はいるか?」

 またもデジャヴと思いながら、立ち上がり始に近づく。
 隣に座っている海は、映像を戻してまたグラビのトーク部分から再生し始めた。始は呆れた表情でその様子を見ていた。

「はいは~い! 何の話?」
「明日の撮影について打ち合わせしたいことがあるんだが」

 その前にと小さく呟いて、始の顔が僕の耳元へ寄せられる。

「海、変わってなくないか?」

 囁かれた声はとても心配そうな様子で。違うグループの僕らを気にかけてくれるなんてやっぱり始は素敵な人だ。
 にやける口元を気にすることなく、海に聞こえないよう僕も小声で返事をする。

「うん、変わってないね」
「いいのか?」
「いいよ。だって海の恋人は僕だから」

 僕が笑って言えば、始は呆れ顔でため息をついた。
 海が始を好きだと言う度に、嫉妬しないわけでは無い。だけど、海の唯一は僕だ。それがわかったから同じように始を応援できる。
 始は僕と海を交互に見やって、本来の目的を話し始める。僕は緩んでいた口元を引き締めて、仕事の自分へとスイッチを切り替えた。
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