何度でも恋をする(11月)

 それはすべての『始まり』だった。
 “僕”は知識を与えるものとして、周りから崇められていた。だから、ずっと孤独だった。
 そんな僕の所へ、とある天族がやって来る。

「……あなたは?」
「ケセドにいるカイだ。あんたはシュンだろ?」
「そうだ。わざわざ私のところに来るなんて、あなたは変わってるな」

 嫌味のように言ったのに、カイは快活に笑った。その瞬間、僕はカイにとても興味を持った。
 ケセド――慈悲に属するものだからか、カイの魂はとても美しい。僕をダァトから連れ出して自分の仲間を紹介してくれたカイは、それからも何度も僕の元を訪れた。
 そんなカイに僕はいつしか抱いてはいけない想いを抱いてしまった。

「お~い、遊びに来たぞ~」

 カイの声が聞こえた途端、世界がぐらり揺れた。
 世界と僕は繋がっている。僕が変わってしまったのを世界は認めようとはしなかった。だから僕を排除しようとしているのだ。
 段々と意識が遠のいて行く。

「……あぁ、ここまでか」

 僕は世界を裏切った。大切な存在をつくってはいけなかったのに。

「願わくは……一緒に居ても許される世界に……」

 呟いた声はほとんど音にならず、空気になって消える。意識がなくなる手前、カイが僕の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。


*****


 僕はその後、羽を失って地上の世界へと堕ちた。だからといって天族の力をすべて失ったかといえばそうではない。あの頃に比べれば力は制限されたものの、僕は世界を動かす力を持っていた。
 そして意識を戻してから千年もの長い間、カイを探し続けた。様々な土地に行ったがあの姿を見つけることは出来なかった。あの世界が崩れた今、カイも地上にいるはずなのに。

「次は……」

 僕が訪れたのは戦争が行われているとある国で、そこで死にかけの兎と泣いている兎を見つけた。死にかけの兎は周りから死を嘆かれるほどに愛されていた。けれど当の本人は死を恐れず、透明な魂で空を見つめていた。その姿はカイによく似ていて、だから僕は彼の命を助けようと決めた。

「さぁ!白兎の王様の誕生だ!」

 助けた兎は偶然にも名前を海と言った。同じ名前なのはつまり、彼の生まれ変わりということだろう。海はこの国の王様になり、横で泣いていた兎――涙は王子様になった。その他にも陽、夜、郁という兎がそれぞれ王宮で仕事を持っている。
 僕は魔王様として王宮に居座っている。この世界では海と一緒に居ても問題は起きないようだ。

「隼?」
「あぁ、ごめん。少し考え事をしてただけだよ」

 海は「そっか」とだけ言って紅茶を飲んだ。
 出会った当初、国は不安定で王様の海を中心に国の安定に尽力していた。そのおかげで、今は平和な国としてこの数十年栄えている。
 穏やかな日常、そんな愛おしい日々は永くは続かない。だって、海は僕とは違う存在だから。

 ティーカップを机の上に置いた海はそのままベッドに横たわった。寿命の短い兎族の中では長生きしているらしいが、老いは確実に海を蝕んでいく。
 王様なのに毎日稽古をしていた海がいつしか稽古をしなくなった。外に出る回数が減り、食事の量も少しずつ減って行った。病気になる回数は増えた。それが死に近づいているのだと僕は何度も見てきたから知っている。でも、海ほどその日が来てほしくないと思ったことは無い。

「なぁ、隼」

 ベッドの上で横たわる海が僕の名前を呼ぶ。僕の方に伸ばされた腕を取り微笑んだ。

「なぁに?」
「俺さ、お前に会えてすっごい楽しかった。ありがとうな」
「ふふふ、改まってどうしたの?」
「ずっと言いたかったんだ。俺は、お前に助けられた、から」
「……ううん、僕は助けたわけじゃない。それが運命なんだよ」
「また、よくわからない、こと、を、言う、な、隼は」

 海の意識がフェードアウトしていく。ゆっくりと目を閉じた海は、そのままもう目を開くことは無かった。

「……海」

 握っていた手が冷たい。命の灯は消えてしまった。

「もし生まれ変わるなら、今度は君を傍で守れるようになりたいな」

 錫杖を手に取り、ぎゅっと強く握る。
 この世界に未練はないと僕は錫杖を天に掲げた。


*****


 次に僕が目を覚ました時もやはり人間では無かった。
 僕たちは『獄族』と呼ばれ、夜の世界を支配していた。人は短い昼の間だけ外で生活し、暗闇が空を覆う頃には、人は皆家の中で朝が来るのを待っている。
 この世界で僕が海に出会ったのは前に比べると割と早かった。

「人がこんな時間に外に出ていいの?」

 夜になって人ならざるものが蠢く時間に、男はたった一人で家の外に出ていた。その容貌と感じるオーラは僕の記憶の海と酷似していて、だから僕は声をかけた。
 男は僕を一目見て獄族と分かったようだが、驚いたのは一瞬ですぐに笑顔を見せた。

「今日は星が綺麗だから、少しだけならいいかなと思ったんだ」
「ふぅん……素敵なことを言うんだね、海は」
「え、何で俺の名前……?」

 不思議そうに男――海は首を傾げる。僕は笑って流し、自分の名前を告げた。

「それで、海」
「ん?」
「僕と契約しない?」
「えっ、え……?」

 海は戸惑った様子で僕を見つめる。
 いきなり現れた獄族に名前を呼ばれた上に契約しようと言われたのだから、戸惑うのも無理はない。契約する時にはお互いの何かを提供しなければならない。海は自分が何を求められるのか考えているのだろう。
 僕はただ海からの返答を待った。静かに微笑みを崩さないまま、海の姿を映す。

「……あのさ、」

 ゆっくりと、海が口を開く。

「お前は……えっと、隼は何が欲しいんだ?」
「ふふふ、僕が欲しいのは海だよ」
「俺?」
「そう。海が僕と一緒にいてくれること、それが僕の願い」

 僕の答えを聞いた海は一度空を見上げた後、僕に視線を戻してにかっと笑った。キラキラと輝く笑顔は夜空の星よりも明るい。

「分かった。これからよろしくな、隼」

 海が僕の方へ手を伸ばす。僕はその手を取って強く握った。

 それからは出会った仲間たちと物の怪退治をしながら、僕は海の家で一緒に暮らしていた。二匹の笹熊も一緒で、家が狭くなったと海は笑って笹熊達を撫でた。
 王国に居た頃は確かに同じ城の中に住んではいたが、部屋は別々で離れていたから海と一緒に暮らしているという感覚は薄かった。けれど、今は一つの部屋で布団を敷いて眠っている。始まりの頃から抱いていた感情が表に出てしまうのも時間の問題だった。

 険しい表情で考え事をする僕にミミが心配そうな声をあげる。落ち着かせるように頭を撫でていると、外から何かが倒れる音が聞こえてきた。

「……何?」

 嫌な予感が脳裏によぎる。ミミを連れて外に出ると、シュンシュンが玄関に置いてあった置物を倒していた。
 一瞬悪戯かと思ったが、シュンシュンの目が僕に訴えかけている。海に何かがあったのは明白だった。

「海っ!」

 五感を研ぎ澄ませて海の感覚を探す。辺りはもうすっかり暗くなっていて、陰の気が満ち満ちている。
 その中から微かに感じる陽の気に向かって走り出した。

「……っあ、しゅん」

 辿り着いた先で、海はボロボロになって倒れていた。生気を吸われたのだろう、息は絶えかけていて声を出すのもやっとという感じだ。
 駆け寄って手を握る。その手は冷たくてもう死が近づいているのだと嫌でも分からされる。

「ごめ、おれ」
「喋らないで。……何で僕を連れて行かなかったの」
「だ、って、はた、きたく、いって」
「何言ってるの。僕は海が欲しいって言ったじゃない。海がいればそれでいいんだって」

 「一緒に居てよ」という言葉に、海は困ったように眉を下げた。おそらく海自身ももう自分が死ぬのだと悟っている。
 僕についてきていた二匹の笹熊も海を囲んで悲しそうに声をあげている。

「あり、がと、しゅ、ん」
「やだ、海、海……っ」

 海は微笑みを浮かべたまま瞳を閉じた。その顔は白兎の時と同じだった。

「なん、で」

 海の傍にいたというのに、僕は海を守れなかった。また目の前で海が死んでいった。
 同じ種族に生まれれば違ったのだろうか。同じように人間で、そして平和な世界ならば、僕は海と一緒に過ごしても許されるのではないだろうか。

「次、次こそ」

 戦いの無い平和な世界で、君と生きたい。












 ゆっくりと目を開ける。見慣れた天井と照明が見えて、今までの記憶の旅は全て夢だったのだと分かる。
 隣へ顔を向ければ、海が規則正しい寝息を立てて眠っていた。
 僕も海も何も身に纏っていない。昨夜のことを思い出して、一人頬を緩ませる。

 何度も世界を巡った。そして何度も海に出会った。
 海が目の前で死ぬ度後悔した。次こそ、と。
 そしてやっと今、僕は海と公私共にパートナーとして一緒に日々を過ごしている。時に体を一つに繋げて愛を確かめて、一つのベッドで眠る。穏やかで幸せな毎日だ。

 眠る海の髪にそっと触れる。そこから下に向かって指を這わす。
 首まで指が下りると、何かを感じ取ったのか海は寝返りを打った。僕の方に背を向けて、しかしまだ意識は夢の中にあるようだ。
 離した手をそのままに、海の背中に近づき肩甲骨に触れる。
 ずっと昔、海の背中には翼があった。大きく美しく白い翼を海自身は覚えていないだろうけど、その名残は今ここにある。
 あの頃は出来なかった、その肩甲骨に僕はキスを落とした。

「んっ」

 さすがに違和感があったのか、海は声を漏らしもう一度寝返りを打った。今度は海の顔が僕の方を向いている。

「ふふふ、お目覚めかな?」
「あ……隼もう起きてんのか……」

 目を開いた海は眠そうに目をこすった後、時計の針を確認する。予想よりも早い時間だったのだろう、あくびをして不思議そうに僕を見つめた。

「珍しいな、隼がこんな早くに起きるなんて」
「……少し、夢の中で旅をしていたから、それで変に目が覚めてしまったんだ」
「またよく分からないことを……旅って、どんなとこ行ってたんだ?」
「様々な世界だよ。始まりは天界だったね」

 僕の言う意味を理解していない海は訝しげに僕を見る。
 きっと今から夢の話をしたって海には信じてもらえないだろう。でも、それでいいのだ。いくつもの世界を超えてようやく、僕はこの世界を手に入れたのだから。

「ねぇ、海」
「ん? なんだ?」
「僕は今、とても幸せだよ」

 天族のシュンが欲しかったのは何の変哲もない日常だ。力も知識も権力も何もいらなかった。
 何度も海を探して、ようやくたどり着いた今を僕は大切にしたい。

 海を抱きしめ、そしてその唇に軽くキスをする。何も分かっていないはずの海は、僕のキスに対して嬉しそうにふふっと笑った。

「俺も、幸せだよ」

 その言葉は海自身のものであると同時に、よく似た誰かの言葉の様にも思えた。
 けれどもそのことには触れず、ようやく手にした平和を謳歌するようにもう一度キスをして幸せの波に身を投じた。
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