君が不機嫌な理由(10月)
相方で恋人の水無月涙は、まだ分からないことがたくさんある。
例えば今、何故かずっと物を投げ続けられているその理由とか。
「あのさ、涙」
返事の代わりに10月のツキウサ大が飛んでくる。本人は勢いよく投げたのだろうが、威力が弱くギリギリ俺の足元に落ちた。
悲しそうに横たわる俺の分身的存在は、そのまま俺の心を表しているようだ。
「ねぇ、話聞いてよ。涙」
「……やだ」
やっと返事が来たと思ったら今度はクッションが投げられた。ツキウサ大よりは軽いからか俺の体まで届いた。
そのクッションをキャッチして、それを足元に置く。
「何があったの? 話してくれなきゃわかんないよ」
なるべく涙を怖がらせないように、表情にも言葉にも気を遣いながら問いかける。
俺の方を見て少しだけ眉間にしわを寄せた涙は、近くにあった猫型のクッションを引き寄せて座り込んだ。どうやらここから逃げるつもりはないようだ。
もし涙が猫なら耳も尻尾も立って警戒している状態なんだろう。見えない耳と尻尾を思い浮かべて無意識に口元が緩みそうになる。
可愛い、絶対に可愛いけど今それを言うべきじゃないな。
「涙~?」
少しずつ、じりじりと涙との距離を詰める。涙はクッションに顔をうずめたまま、何も喋ろうとはしない。
「なぁ、涙」
距離はだいぶ近づいて、手を伸ばせば抱きしめられるところまで来れた。けれど抱きしめるには猫のクッションが邪魔をする。
せめて顔を合わせたいと、俺は涙に不意打ちを実行することにした。
「……涙、好きだよ」
効果音がついてるんじゃないかってくらい、勢いよく涙が顔をあげる。驚いた目とぱちり視線が合う。
「やっと目が合った」
「……いっくん」
「話をしようよ。俺、涙が何で怒ってるのかちゃんと分かりたいんだ」
涙は不安そうに視線をさまよわせた後、おずおずと口を開く。
「いっくんは……優しいから」
「……え?」
「だから、嫌」
持ち上げられて落とされる感覚に、どうしていいか分からず戸惑う。
涙はそれ以上何も言わないから、俺の言葉を待っているのだろう。何を返すか、正しい答えが見つからないまま言葉を選ぶ。
「俺、そんな優しいってわけじゃないよ?」
「ううん。優しいよ、いっくんは」
会話はなかなか前に進まない。どうすべきか悩んでいると、涙が目を伏せた状態でぽつりぽつりと話を始めた。
「今日ね、海と一緒の仕事だったんだけど」
「確かファッション誌の撮影だったよね?」
「うん、そうだよ」
涙が海さんと一緒に撮影してきたファッション誌は、20代から30代の女性をメインにしていて、プロセラだけでなく他のアイドルも出るような有名な雑誌だ。
海さんからは特に何の話も聞いてないから撮影自体は問題無く終わったと思っていたんだけど……。
俺が考え事をしている間になおも涙の話は続く。俺は静かに耳を傾けた。
「その時、一緒に写真を撮ったモデルさんに話しかけられたんだ。
その人がね、前にいっくんとも撮影したことがあって、ずっといっくんの話をしてたの」
「俺の?」
「うん。ずっといっくんのこと褒めてた。
……それで、」
気になるところで涙が言葉を切る。
涙の顔は俯いていて表情は見えない。今涙はどんな表情をしているのだろう。
「……涙?」
手を伸ばして涙の髪に触れる。ゆっくりと顔を上げた涙の表情は、今にも涙がこぼれそうだった。
「いっくんに告白する、って、言って」
震えた声から涙の気持ちが伝わってくるようで、俺は勢いのまま涙を抱きしめた。
涙は俺の腕の中で静かに声を漏らす。
「嫌だったんだ。いっくんは僕のなのに」
「……うん」
「でも、そう思う自分が一番嫌」
「そっか、そうだったんだ」
涙の言葉に俺はただ優しく頷いて抱きしめることしか出来ない。
一言で言ってしまえば涙は嫉妬したって話だ。俺がそのモデルさんの気持ちに答えるわけははないと分かっていて、それでも涙は複雑な気持ちを抱いたんだろう。
そして何より、そんな自分に嫌気がさした。でもその気持ちの持って行く先が見つけられなかった結果、俺に向かって怪我しないよう柔らかい物ばかりを投げつけるという行為に落ち着いた。
「……大丈夫だよ」
想いが届くように、抱きしめる力を強くする。
「俺は涙が大好きだから。どんなに涙が自分を嫌っても、俺は涙が大好きだよ」
たぶん、八つ当たりのようになってしまったことにまた涙は自己嫌悪に陥っているんだと思う。
だからこそ、きちんと言葉にする必要があった。俺が涙をどんなに好きか、どんなに大切に想っているか。大好きな人に自分を傷つけてほしくなかったから。
どのくらい抱きしめていたかわからない、おそらく一分にも満たないぐらいだったのだろうけど、解放してほしいという合図に涙が軽く俺の肩を叩いた。
合図通り、力を緩めて腕を離す。顔を合わせようと涙の方を見た瞬間、その顔は驚くほど近くまで迫っていた。
目を閉じる暇もなく、唐突に涙の唇に自分の唇が触れる。あまりに一瞬の事で、何が起きたのか理解が追いつかない。
「え……?」
「ありがとう、いっくん」
目の前の涙は穏やかな表情で微笑みを浮かべている。それは俺の語彙力ではうまく表現出来ないけど、とても綺麗だった。
少しの間その笑顔に見惚れてしまったが、何故お礼を告げられたのか理由が分からない。
理解できていない俺は呆けた表情をしていたのか、涙はくすりと笑って言葉を紡ぐ。
「僕のこと好きでいてくれて、ありがとう」
―――ああ、そういうことか。
「僕も、いっくんが大好き」
溢れ出す想いは言葉よりも先に体に伝わる。
意識するよりずっと早く、俺は涙を自分の元へ引き寄せキスをした。重ねる度、好きの気持ちが互いの唇を通じて伝わっていく。
涙によって投げられた10月のツキウサと6月のツキウサが、そんな俺らの姿を横たわり並んで見ていた。
例えば今、何故かずっと物を投げ続けられているその理由とか。
「あのさ、涙」
返事の代わりに10月のツキウサ大が飛んでくる。本人は勢いよく投げたのだろうが、威力が弱くギリギリ俺の足元に落ちた。
悲しそうに横たわる俺の分身的存在は、そのまま俺の心を表しているようだ。
「ねぇ、話聞いてよ。涙」
「……やだ」
やっと返事が来たと思ったら今度はクッションが投げられた。ツキウサ大よりは軽いからか俺の体まで届いた。
そのクッションをキャッチして、それを足元に置く。
「何があったの? 話してくれなきゃわかんないよ」
なるべく涙を怖がらせないように、表情にも言葉にも気を遣いながら問いかける。
俺の方を見て少しだけ眉間にしわを寄せた涙は、近くにあった猫型のクッションを引き寄せて座り込んだ。どうやらここから逃げるつもりはないようだ。
もし涙が猫なら耳も尻尾も立って警戒している状態なんだろう。見えない耳と尻尾を思い浮かべて無意識に口元が緩みそうになる。
可愛い、絶対に可愛いけど今それを言うべきじゃないな。
「涙~?」
少しずつ、じりじりと涙との距離を詰める。涙はクッションに顔をうずめたまま、何も喋ろうとはしない。
「なぁ、涙」
距離はだいぶ近づいて、手を伸ばせば抱きしめられるところまで来れた。けれど抱きしめるには猫のクッションが邪魔をする。
せめて顔を合わせたいと、俺は涙に不意打ちを実行することにした。
「……涙、好きだよ」
効果音がついてるんじゃないかってくらい、勢いよく涙が顔をあげる。驚いた目とぱちり視線が合う。
「やっと目が合った」
「……いっくん」
「話をしようよ。俺、涙が何で怒ってるのかちゃんと分かりたいんだ」
涙は不安そうに視線をさまよわせた後、おずおずと口を開く。
「いっくんは……優しいから」
「……え?」
「だから、嫌」
持ち上げられて落とされる感覚に、どうしていいか分からず戸惑う。
涙はそれ以上何も言わないから、俺の言葉を待っているのだろう。何を返すか、正しい答えが見つからないまま言葉を選ぶ。
「俺、そんな優しいってわけじゃないよ?」
「ううん。優しいよ、いっくんは」
会話はなかなか前に進まない。どうすべきか悩んでいると、涙が目を伏せた状態でぽつりぽつりと話を始めた。
「今日ね、海と一緒の仕事だったんだけど」
「確かファッション誌の撮影だったよね?」
「うん、そうだよ」
涙が海さんと一緒に撮影してきたファッション誌は、20代から30代の女性をメインにしていて、プロセラだけでなく他のアイドルも出るような有名な雑誌だ。
海さんからは特に何の話も聞いてないから撮影自体は問題無く終わったと思っていたんだけど……。
俺が考え事をしている間になおも涙の話は続く。俺は静かに耳を傾けた。
「その時、一緒に写真を撮ったモデルさんに話しかけられたんだ。
その人がね、前にいっくんとも撮影したことがあって、ずっといっくんの話をしてたの」
「俺の?」
「うん。ずっといっくんのこと褒めてた。
……それで、」
気になるところで涙が言葉を切る。
涙の顔は俯いていて表情は見えない。今涙はどんな表情をしているのだろう。
「……涙?」
手を伸ばして涙の髪に触れる。ゆっくりと顔を上げた涙の表情は、今にも涙がこぼれそうだった。
「いっくんに告白する、って、言って」
震えた声から涙の気持ちが伝わってくるようで、俺は勢いのまま涙を抱きしめた。
涙は俺の腕の中で静かに声を漏らす。
「嫌だったんだ。いっくんは僕のなのに」
「……うん」
「でも、そう思う自分が一番嫌」
「そっか、そうだったんだ」
涙の言葉に俺はただ優しく頷いて抱きしめることしか出来ない。
一言で言ってしまえば涙は嫉妬したって話だ。俺がそのモデルさんの気持ちに答えるわけははないと分かっていて、それでも涙は複雑な気持ちを抱いたんだろう。
そして何より、そんな自分に嫌気がさした。でもその気持ちの持って行く先が見つけられなかった結果、俺に向かって怪我しないよう柔らかい物ばかりを投げつけるという行為に落ち着いた。
「……大丈夫だよ」
想いが届くように、抱きしめる力を強くする。
「俺は涙が大好きだから。どんなに涙が自分を嫌っても、俺は涙が大好きだよ」
たぶん、八つ当たりのようになってしまったことにまた涙は自己嫌悪に陥っているんだと思う。
だからこそ、きちんと言葉にする必要があった。俺が涙をどんなに好きか、どんなに大切に想っているか。大好きな人に自分を傷つけてほしくなかったから。
どのくらい抱きしめていたかわからない、おそらく一分にも満たないぐらいだったのだろうけど、解放してほしいという合図に涙が軽く俺の肩を叩いた。
合図通り、力を緩めて腕を離す。顔を合わせようと涙の方を見た瞬間、その顔は驚くほど近くまで迫っていた。
目を閉じる暇もなく、唐突に涙の唇に自分の唇が触れる。あまりに一瞬の事で、何が起きたのか理解が追いつかない。
「え……?」
「ありがとう、いっくん」
目の前の涙は穏やかな表情で微笑みを浮かべている。それは俺の語彙力ではうまく表現出来ないけど、とても綺麗だった。
少しの間その笑顔に見惚れてしまったが、何故お礼を告げられたのか理由が分からない。
理解できていない俺は呆けた表情をしていたのか、涙はくすりと笑って言葉を紡ぐ。
「僕のこと好きでいてくれて、ありがとう」
―――ああ、そういうことか。
「僕も、いっくんが大好き」
溢れ出す想いは言葉よりも先に体に伝わる。
意識するよりずっと早く、俺は涙を自分の元へ引き寄せキスをした。重ねる度、好きの気持ちが互いの唇を通じて伝わっていく。
涙によって投げられた10月のツキウサと6月のツキウサが、そんな俺らの姿を横たわり並んで見ていた。