妄想ノート(9月)
「……よし」
シャーペンを置いて、自分が今まで書いた文字を見直す。文字を目で追いながら、ふふっと思わずにやける。
羅列した言葉は、自分の欲望が詰まっていて。それを文字におこすことで、溜め込んだ想いを発散している。現実にはきっと起こらない、だから妄想するのだ。
目を閉じて、自分の書いた言葉を思い出しながらその情景を思い浮かべる。がちゃりと扉が開く音が聞こえたのはその瞬間だった。
「夜ー」
「うわあああああ?!」
名前を呼ぶ声に驚き振り返れば、陽の姿がそこにあった。
入る前にノックをしろだとか、そもそも事前に言ってくれだとか言いたいことは色々あったが、真っ先に俺は開いていたノートを乱暴に閉じた。
「何、なんでそんな驚いてんの」
「そりゃ驚くでしょ。入る前にノックぐらいしてよね」
「いや、したぞ。ノック。聞こえてなかった?」
訝しげに俺を見る陽に、失態を犯していたのは俺の方だったと気づく。妄想の世界に入り込んでしまい、現実の世界の意識があまり無かったのだろう。
「ごめん、その、音楽聞いてて」
出来るだけ自然なように笑顔を作って答える。おそらく陽にはバレバレなのだろうが、彼は興味なさそうにふ~んと声を漏らしただけだった。
ほっと安堵したのも束の間、陽はずんずんとこちらへ近づいてくる。閉じたノートを一瞥して、陽がノートに興味を持たないようにそっと自分の後ろへと隠す。
「えっと、何でわざわざ部屋に?」
「これ。新に貸してただろ、ノート」
ノートという言葉に思わず体を硬直させてしまったが、陽の手には水色のノートがあった。それは確かに、仕事のために講義を休んだ新に、テスト勉強のためにと貸したものだ。後ろの黄色のノートとは全く別物で、安心しながら水色のノートを受け取る。
「あれ、でも何で陽が?」
「あいつに頼まれたんだよ。今日仕事一緒で、あいつうっかり返し忘れたからって言うから。あ、礼はまた今度するってさ」
「そうなんだ。別にいつでもよかったのに」
でも、自分もテスト前には見直したかったから早めに返してもらえたのはありがたかった。そんなことを考えながらノートをぺらぺらと捲る俺の視界には陽の姿は見えていなくて。
何気なく陽が俺の後ろにある黄色のノートを見つけてしまった事に、俺は気づいていなかった。
「ん? 何、このノート」
陽の声に反応し机を見るも、時すでに遅し。
何のタイトルも書かれていない黄色のノートは既に陽の手に渡っていた。
「ちょっ、陽っ! それ返してっ」
「え、なに、怖いんだけど夜」
そう言いながらも陽はノートを俺の手に返そうとはしない。7センチの身長差を上手く利用して俺の攻撃をひらりと躱す。
「え~何書いてんの」
「ダメ、絶対見ないで!」
「そう言われると気になるんだけど、っと」
猛攻虚しく、陽の手によってノートの表紙が捲られる。
1ページ目に書いてあることを思い出して、俺は羞恥でパニックになりその場に座り込んだ。
陽はまじまじとノートに書いてある文字を見つめる。どんな表情をしているのか見ていられず、俺はそっと床に視線を移した。
「……何これ」
陽の冷たい声がはっきりと耳に聞こえる。ああ、何もかも終わりだ。
「『お前の席はここだろ?って言われて、手を「わあああああああ」
音読し始める陽に、慌てて阻止すれば、にやにやと笑う陽の顔が見えた。どうやら怒ったりはしていないようだ。
真っ赤な顔をしているだろうことは自覚しつつ、何とか取り繕う。
「あの、それはその、ドラマの役作りのために、ね」
「役作りって、お前この間撮り終わったばっかって言ってたじゃん」
「こ、今度来るかもしれない役に向けてだよ」
自分で言いながら、どう考えても苦しすぎる言い訳だなと思う。仮にも役者として仕事を貰っている人間のアドリブとは思えない。
陽はにやついた笑みを浮かべたまま、「へぇ~そっか」と全くそう思っていない顔で縦に首を振った。
「じゃあ、この『陽の部屋から帰ろうとしたとき』の陽って誰? 今度来るかもしれない役の恋人の名前?」
「それ、は」
「俺の知ってるお前に近い“陽”なんて一人しかいないんだけど」
陽の顔がぐっと近づく。逃がさないと掴まれた腕に不意にもドキッとしてしまった。
ルビーのような美しい瞳に俺の顔が映りこむ。
「なぁ、このノート何?」
もう少し近づけば、キスが出来そうな距離に恥ずかしくなり、目をそらして静かに腹を括った。もうどうにでもなれ、だ。
「……妄想ノート」
「…………は?」
零した言葉は、思っていたよりもずっと小さい声になった。
なんとか陽の顔に視線を戻すと、はてなを頭に浮かべている陽の顔が大きく視界に映る。
「あの、夜さん?」
「なんでしょう、陽さん」
「妄想ノートって何? いや、言葉でなんとなく想像はつくけど」
困惑している陽は俺を掴む腕を離し、またノートをぺらぺらと捲る。
解放された俺は陽から少し離れて、少々自棄になりつつ、『妄想ノート』の説明を始めた。
「そのノートに書いてるのは、俺が陽にして欲しいことなんだ」
大したことは書いていない、ただちょっと女々しい妄想をする度そのノートに書き連ねていた。
書いてある内容は、ほとんどが女子かと突っ込まれそうな内容だ。書いてある一つ一つに共通点はほとんどないが、強いてあげるとするならば陽に独占されたいという気持ちだろうか。
陽はかっこよくて優しい、誰しもが羨むような理想の恋人だ。そんな恋人に文句なんてないけれど、少しぐらい強引にしてくれたっていいのにと思うことはよくある。その気持ちが積み重なった結果がこのノートだ。
「あの、陽。分かったらそのノート返してくれないかな」
「嫌だ」
書きかけのページまで軽く目を通したところで、陽はノートを閉じ自分の手から離そうとしない。
その振る舞いがかっこよく見えて、見惚れているうちに陽がまた近づいてきた。
「これ、夜の願望が書いてるんだろ? じゃあ、それを叶えるのが恋人の務めじゃん」
にこっと笑う顔がかっこよくて、また顔が熱くなる。
今この時間だけは俺が陽を独占しているのだ。かっこよくて、チャラそうに見えて実は真面目で、普段男には意地悪なくせに恋人には優しい葉月陽を、今だけは。
「夜」
名前を呼んで、陽はぐっと俺に手を伸ばす。そして素早く無駄のない動きで、俺の事を抱きしめた。
陽の顔が俺の耳元へと向かう。吐息がはっきりと聞こえて、思わず体が反応してしまう。
「本気で嫌がらねぇと、やめないぜ?」
その台詞はノートに書いた記憶がある。陽は早速実践をしているらしい。
それならば、ずっとこの状況を妄想してきた俺が取る行動はもう決まっている。
だらりと下げていた腕を陽の首に回す。顔を少し離すと、いつもと違う俺の行動に驚いている陽の顔が見えた。
「やめないでよ、陽。ずっと離さないで」
自分であって自分でない誰かのようだ。でも、妄想の中の俺はずっとこうやってきた。
黄色いノートに書いてあるのはあくまでも陽にやってほしいことだ。ただ、俺の妄想の中ではそれに対しての俺の行動も一緒にインプットされている。普段なら恥ずかしくて絶対に出来ない、誘うような自分の行動。
あんな妄想でも役に立つ時が来るのだなぁとどこか冷静な自分が頭でぼんやりと考える。が、すぐにそんな冷静な自分は陽からの噛みつくようなキスに消されてしまった。
「んぁ、っ」
「……お前、分かって言ってるんだよな? この後どうなるのか」
ノート渡しに来ただけだったんだけどな、とぽつり陽が呟く。陽の言っている意味がいまいち理解できず聞き返そうとすると、再び陽から深い口づけが贈られた。
シャーペンを置いて、自分が今まで書いた文字を見直す。文字を目で追いながら、ふふっと思わずにやける。
羅列した言葉は、自分の欲望が詰まっていて。それを文字におこすことで、溜め込んだ想いを発散している。現実にはきっと起こらない、だから妄想するのだ。
目を閉じて、自分の書いた言葉を思い出しながらその情景を思い浮かべる。がちゃりと扉が開く音が聞こえたのはその瞬間だった。
「夜ー」
「うわあああああ?!」
名前を呼ぶ声に驚き振り返れば、陽の姿がそこにあった。
入る前にノックをしろだとか、そもそも事前に言ってくれだとか言いたいことは色々あったが、真っ先に俺は開いていたノートを乱暴に閉じた。
「何、なんでそんな驚いてんの」
「そりゃ驚くでしょ。入る前にノックぐらいしてよね」
「いや、したぞ。ノック。聞こえてなかった?」
訝しげに俺を見る陽に、失態を犯していたのは俺の方だったと気づく。妄想の世界に入り込んでしまい、現実の世界の意識があまり無かったのだろう。
「ごめん、その、音楽聞いてて」
出来るだけ自然なように笑顔を作って答える。おそらく陽にはバレバレなのだろうが、彼は興味なさそうにふ~んと声を漏らしただけだった。
ほっと安堵したのも束の間、陽はずんずんとこちらへ近づいてくる。閉じたノートを一瞥して、陽がノートに興味を持たないようにそっと自分の後ろへと隠す。
「えっと、何でわざわざ部屋に?」
「これ。新に貸してただろ、ノート」
ノートという言葉に思わず体を硬直させてしまったが、陽の手には水色のノートがあった。それは確かに、仕事のために講義を休んだ新に、テスト勉強のためにと貸したものだ。後ろの黄色のノートとは全く別物で、安心しながら水色のノートを受け取る。
「あれ、でも何で陽が?」
「あいつに頼まれたんだよ。今日仕事一緒で、あいつうっかり返し忘れたからって言うから。あ、礼はまた今度するってさ」
「そうなんだ。別にいつでもよかったのに」
でも、自分もテスト前には見直したかったから早めに返してもらえたのはありがたかった。そんなことを考えながらノートをぺらぺらと捲る俺の視界には陽の姿は見えていなくて。
何気なく陽が俺の後ろにある黄色のノートを見つけてしまった事に、俺は気づいていなかった。
「ん? 何、このノート」
陽の声に反応し机を見るも、時すでに遅し。
何のタイトルも書かれていない黄色のノートは既に陽の手に渡っていた。
「ちょっ、陽っ! それ返してっ」
「え、なに、怖いんだけど夜」
そう言いながらも陽はノートを俺の手に返そうとはしない。7センチの身長差を上手く利用して俺の攻撃をひらりと躱す。
「え~何書いてんの」
「ダメ、絶対見ないで!」
「そう言われると気になるんだけど、っと」
猛攻虚しく、陽の手によってノートの表紙が捲られる。
1ページ目に書いてあることを思い出して、俺は羞恥でパニックになりその場に座り込んだ。
陽はまじまじとノートに書いてある文字を見つめる。どんな表情をしているのか見ていられず、俺はそっと床に視線を移した。
「……何これ」
陽の冷たい声がはっきりと耳に聞こえる。ああ、何もかも終わりだ。
「『お前の席はここだろ?って言われて、手を「わあああああああ」
音読し始める陽に、慌てて阻止すれば、にやにやと笑う陽の顔が見えた。どうやら怒ったりはしていないようだ。
真っ赤な顔をしているだろうことは自覚しつつ、何とか取り繕う。
「あの、それはその、ドラマの役作りのために、ね」
「役作りって、お前この間撮り終わったばっかって言ってたじゃん」
「こ、今度来るかもしれない役に向けてだよ」
自分で言いながら、どう考えても苦しすぎる言い訳だなと思う。仮にも役者として仕事を貰っている人間のアドリブとは思えない。
陽はにやついた笑みを浮かべたまま、「へぇ~そっか」と全くそう思っていない顔で縦に首を振った。
「じゃあ、この『陽の部屋から帰ろうとしたとき』の陽って誰? 今度来るかもしれない役の恋人の名前?」
「それ、は」
「俺の知ってるお前に近い“陽”なんて一人しかいないんだけど」
陽の顔がぐっと近づく。逃がさないと掴まれた腕に不意にもドキッとしてしまった。
ルビーのような美しい瞳に俺の顔が映りこむ。
「なぁ、このノート何?」
もう少し近づけば、キスが出来そうな距離に恥ずかしくなり、目をそらして静かに腹を括った。もうどうにでもなれ、だ。
「……妄想ノート」
「…………は?」
零した言葉は、思っていたよりもずっと小さい声になった。
なんとか陽の顔に視線を戻すと、はてなを頭に浮かべている陽の顔が大きく視界に映る。
「あの、夜さん?」
「なんでしょう、陽さん」
「妄想ノートって何? いや、言葉でなんとなく想像はつくけど」
困惑している陽は俺を掴む腕を離し、またノートをぺらぺらと捲る。
解放された俺は陽から少し離れて、少々自棄になりつつ、『妄想ノート』の説明を始めた。
「そのノートに書いてるのは、俺が陽にして欲しいことなんだ」
大したことは書いていない、ただちょっと女々しい妄想をする度そのノートに書き連ねていた。
書いてある内容は、ほとんどが女子かと突っ込まれそうな内容だ。書いてある一つ一つに共通点はほとんどないが、強いてあげるとするならば陽に独占されたいという気持ちだろうか。
陽はかっこよくて優しい、誰しもが羨むような理想の恋人だ。そんな恋人に文句なんてないけれど、少しぐらい強引にしてくれたっていいのにと思うことはよくある。その気持ちが積み重なった結果がこのノートだ。
「あの、陽。分かったらそのノート返してくれないかな」
「嫌だ」
書きかけのページまで軽く目を通したところで、陽はノートを閉じ自分の手から離そうとしない。
その振る舞いがかっこよく見えて、見惚れているうちに陽がまた近づいてきた。
「これ、夜の願望が書いてるんだろ? じゃあ、それを叶えるのが恋人の務めじゃん」
にこっと笑う顔がかっこよくて、また顔が熱くなる。
今この時間だけは俺が陽を独占しているのだ。かっこよくて、チャラそうに見えて実は真面目で、普段男には意地悪なくせに恋人には優しい葉月陽を、今だけは。
「夜」
名前を呼んで、陽はぐっと俺に手を伸ばす。そして素早く無駄のない動きで、俺の事を抱きしめた。
陽の顔が俺の耳元へと向かう。吐息がはっきりと聞こえて、思わず体が反応してしまう。
「本気で嫌がらねぇと、やめないぜ?」
その台詞はノートに書いた記憶がある。陽は早速実践をしているらしい。
それならば、ずっとこの状況を妄想してきた俺が取る行動はもう決まっている。
だらりと下げていた腕を陽の首に回す。顔を少し離すと、いつもと違う俺の行動に驚いている陽の顔が見えた。
「やめないでよ、陽。ずっと離さないで」
自分であって自分でない誰かのようだ。でも、妄想の中の俺はずっとこうやってきた。
黄色いノートに書いてあるのはあくまでも陽にやってほしいことだ。ただ、俺の妄想の中ではそれに対しての俺の行動も一緒にインプットされている。普段なら恥ずかしくて絶対に出来ない、誘うような自分の行動。
あんな妄想でも役に立つ時が来るのだなぁとどこか冷静な自分が頭でぼんやりと考える。が、すぐにそんな冷静な自分は陽からの噛みつくようなキスに消されてしまった。
「んぁ、っ」
「……お前、分かって言ってるんだよな? この後どうなるのか」
ノート渡しに来ただけだったんだけどな、とぽつり陽が呟く。陽の言っている意味がいまいち理解できず聞き返そうとすると、再び陽から深い口づけが贈られた。