夏の恋人(8月)

 夜と二人で海での撮影、じりじりと焼け付く太陽の下で様々なカットを撮る。
 一旦休憩をとることになり、テントの下で水分補給をしていたら相方が隣に居ないことに気が付いた。くるりとあたりを見渡してみれば、暑いだろうに砂浜の上に座ってぼんやりと海を眺めている姿を見つけた。
 夜の分のドリンクを受け取り、彼の元へと足を進める。
 だいぶ近づいたところで声をかけると、夜はこちらの方に顔を向けた。

「陽」
「お前、暑くねーの? ほら」
「ありがとう」

 ドリンクを手渡すと、ふわっと夜は微笑んだ。その瞬間吹く風に夜の髪が揺れる。
 その美しさに思わずごくりと息をのんだ。

「陰で休まないのか?」
「ん~もうちょっとだけ、海見てたくて」

 そう言って夜は俺からまた海へと視線を戻す。
 これは何を言っても動く気が無いのだろう。それならばと俺も夜の隣に腰掛ける。
 尻から伝わる熱は服越しでも熱い。けれど、時折吹く潮風は案外心地よかった。
 無言のまま海を眺め続ける夜を、横目でちらりと盗み見る。その顔はどこか物憂げで。何を考えているのか、俺には何となく予想めいたものがあった。

 その異変に気付いたのは、幼馴染という付き合いの長さだろうか。
 色恋沙汰に疎い夜が、新と葵のことを羨望のような嫉妬のような眼差しで見つめていることに、ある日ふと気付いた。
 もしかしてとさらに注意深く見ていれば、夜は新のことを気にしているようだった。
 夜と葵ちゃんはとても仲がいい。女子力コンビでセットにされることもある。反対に俺と新も、OS組としてセット扱いされることがある。
 だから夜と新の接点は、葵ちゃんに比べれば少ない方だろう。それでも夜が新を気にしているということはつまり、

(好きなのか、新のこと)

 随分飛躍した理論だと自分でも思う。そう思ってしまったのは、俺が夜のことをそういう目で見ているからだ。
 いつからと問われれば、明確な答えは無い。言うならば、生まれた時からずっと夜に恋い焦がれていた。
 夜じゃないとダメなのだと、気づいて認めるには長い時間がかかってしまったけれど。

「……陽?」

 思考の波から、夜の声によって呼び戻される。
 どうやら盗み見てたはずが、俺はがっつり夜を見つめていたらしい。その視線に気づいた夜が俺の名前を呼んだ。

「あ、悪い。ちょっと考え事してた」
「俺の顔見ながら?」
「……別にお前を見てたわけじゃねーよ。たまたまそっちの方向見てただけだって」

 取り繕うように言葉を紡いでみれば、夜はそれ以上俺に何か言うことは無かった。
 どことなく気まずい空気が流れる。そう思うのは俺だけなのか、それとも夜もそう思っているのか。

「なぁ、夜」
「うん?」
「お前さ、」

 今誰を想っているの、と言おうとしたその時スタッフさんが俺らを呼ぶ声が聞こえた。

「あ、行かなきゃ」
「だな」
「陽さっき何言いかけたの?」
「ん~……大したことじゃないから、また今度話す」

 へらりと笑って言えば夜は納得したのか、立ち上がって先にテントの方へと戻って行く。
 その背中を見つめながら、俺も重い腰を上げて熱い砂浜の上を歩き始めた。



 その日の晩、俺は夢を見た。
 夢と言ってもかなり現実的な夢だ。
 昼間と同じように夜が砂浜の上に座って海を眺めている。違うのは俺がどれだけ近づいても夜がこちらを見ないということ。
 何の通知も無い携帯電話を見ては、夜はため息をつく。
 どうしたのと声をかけようとしたとき、夜の携帯電話が着信を知らせた。
 その画面を見て、嬉しそうに笑う夜。電話を取ってすぐその唇は「新」と動いた。
 嫌だ聞きたくないと耳を塞いでも、夜の話し声が聞こえる。

「……うん、俺も××だよ」

 こっちを見てほしいと夜に手を伸ばす。その頭に触れた瞬間、夜の姿は光になって消えた。


 ばっと勢いよく起き上がれば、額から汗が流れ落ちてきた。

「夢、か」

 にしてもなんと酷い夢だろう。夢の中くらい、もう少し自分に都合がいいものであってくれたっていいのに。
 そう、所詮は夢だ。でも、先程の夜の嬉しそうな顔と光の粒になって消えていく姿は簡単には忘れられそうにない。
 気づけば俺は枕元に置いてあった携帯電話をとって、夜の番号へと電話をかけていた。

『ふぁ……陽、どうしたの……?』

 眠そうな声で夜が電話に出る。そういえば今何時なのか確認していなかった。

「悪い、夜。今からそっち行ってもいい?」
『今から?! 別にいいけど……何かあったの?』
「まぁ……とりあえず、行くから鍵開けといて」
『分かった』

 通話を切り、携帯電話と鍵を持って部屋を出る。
 すぐ隣の部屋の扉を開ければ、部屋着姿で目をこする夜の姿が見えた。

「陽。ねぇ、本当どうしたの?」
「ん……」

 俺を心配そうに見る夜の顔は、夢の中の夜とは違っていた。そのことにひどく安心した俺は、そのまま夜に近づいて夜がさっきまで眠っていたであろうベッドにダイブした。
 俺の行動に更に心配そうにする夜に、俺は何も言わないでその腕を引っ張る。

「わっ、もう陽、どうしたんだよ。言いたくないの?」
「ん~……言いたくないってか、怖かったんだ」
「怖かった?」
「さっき、お前が消える夢を見たから」

 夜は俺の言葉を聞いた途端、くすくすと笑い始めた。むかつくが、その顔は可愛い。

「お前笑うなよ」
「だって……ふふっ、陽にも可愛い所あるなぁって」

 そう言って夜は、俺に笑いかけた。
 ドキドキと心臓が高鳴る。冷静になって見れば、この状況は色々とまずい。深夜、好きな人と部屋で二人きり、これで何も思わないやつはいないだろう。
 自分を落ち着かせるように小さく深呼吸をする。
 近い距離で俺を見つめる夜をなるべく視界に入れないようにしながら、何とか言葉を紡ぐ。

「……あのさ、昼間の続き」
「昼間? あぁ、そういえば何か言いかけてたよね」
「うん。夜に聞きたいことがあって」

 夜に視線を戻してみれば、夜はまっすぐに俺を見ていた。その瞳は俺だけを映している。
 たとえ、今だけだとしても嬉しいなんて。

「お前、好きなやついるの?」
「…………え?」

 固まったまま動かない夜に、俺の予想は確信に変わる。

「やっぱいるんだ」
「え、あ、なんで」
「何となく。お前見てたら気づくよ」

 本当は気づきたくなかったと心の中で呟く。
 でももう確実なものになってしまった。俺の思いは叶わない。

(少しだけ、許して)

 神様にか夜本人にか、口に出さずに許しを乞うて、夜の体へと手を伸ばしそのまま抱きしめた。
 腕の中に夜のぬくもりを感じる。夜がパニックになっているのが、顔を見なくても分かる。

「ごめん、夜」
「へ……?」
「こんなこと今言うって最低だって分かってるんだけど、俺はお前のことが好きなんだ」

 夜が衝撃で息をのむ音が聞こえる。それには構わず、俺は告白を続けた。

「夜じゃなきゃダメだし、夜のためならなんだってできる。
 ……だから、俺は夜を応援するよ」
「っ、どういうこと?」
「そのまんまだって。お前が好きなやつと上手くいくように、俺は応援するから」

 今自分の顔がものすごく酷い顔をしているのだろうなという自覚はある。だってこんなの、心からの言葉じゃない。
 思いを殺して好きなやつの幸せを応援するとか、どう考えても大馬鹿野郎だ。だけど今はそれが最良の選択肢だから。
 なんとか笑顔を取り繕って、夜を俺の腕の中から解放する。
 無くなったぬくもりを寂しく思いながら、夜を見ずにベッドから降りそのまま扉に向かおうとした。

「待って」

 夜の凛とした声が俺の足を止める。続いて掴まれた腕から夜の熱がじんわりと伝わってきた。

「夜……?」
「言い逃げなんて、ずるいよ陽」

 夜の言葉にまさかと思い振り返って見れば、その顔は真っ赤に染まっていた。
 嗚呼、これじゃあまるで。

「俺の気持ちも聞かないで、逃げるなんて許さない」
「だ、だってお前の好きなやつって、新だろ?」
「はあ?!」
「夜見てたらよく新の方見てるし! もしかしたら好きなのかと思って……」

 だんだんと言葉が弱弱しくなる。さっきまであんなに確信していたというのに。
 夜は大きくため息をついて、俺の腕を離し小さく何かを呟いた。それを聞き取ろうとすると、夜は俺の方に詰め寄ってくる。

「あのね、陽。俺が好きなのは新じゃなくて陽だから」
「えっ、は……?」
「な、何回も言わせないでよ」
「マジで言ってんの?」
「マジです」

 呆気に取られている俺を、真っ赤な顔で夜は睨み付ける。それは怒りと言うよりは羞恥と呆れが入り混じっていると言う方が近い。
 こんな状況でおかしな話だが、どうやら俺と夜は両想いだったらしい。
 じゃあ新の事を見ていたのは何だったのか。その問いに対して夜は気まずそうにしながら答えてくれた。

「実は新に陽が好きだってこと相談してたんだ……」
「何で新に?」
「ほら、陽と新仲いいし、俺は陽の好きなタイプとか知らないから少しでも近づけたらと思って、相談を」

 真っ赤な顔で可愛いことを言う夜に、俺の理性はそろそろ限界だった。
 夜をもう一度俺の腕の中へ引き寄せる。

「陽っ」
「は~……可愛すぎ。好きだわ」
「何それ」

 思わず漏れた本音に夜がくすっと笑う。絶望から一転、こんなに幸せな気分を味わえるとは。
 あの物憂げな表情も全部自分を思ってのことだと考えれば、飛び上がってしまいたくなるほど嬉しい。夢の中とは違って、夜が見ているのは俺なわけで。
 噛みしめるように抱きしめる腕を強くすれば、夜の腕が俺の背中へと回ってきた。

「……夜、俺の恋人になってください」
「はい。よろしくお願いします」

 腕を離して、夜の顔を見る。俺が顔をどんどんと近づけていけば、夜は頬を赤くさせながら目を閉じた。
 真夜中、恋人になった俺たちのキスは夏の太陽のようにとても熱かった。
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