僕が考える家族について(6月)
頭の中で流れていた音楽が終わる。ふーっと息を吐くと目の前の楽譜が少し揺れた。
「……できた」
静かな部屋に自分の声がはっきりと聞こえる。頭の中に流れていたメロディーを楽譜に書き起こせたことはとても有意義だった。
楽譜から目を離し時計を見ると、ちょうど短い針が3を、長い針が12を指していた。集中力が切れると急に喉の渇きと空腹を感じる。
着の身着のまま部屋を出ると、少し雨の音が聞こえる。防音の部屋にいたから気づかなかったが雨が降っていたみたいだ。微かに聞こえる雨音は、心地よいリズムを奏でている。
「おー涙」
「海、隼」
「涙も一緒に紅茶飲まないかい?」
共有ルームの扉を開けると、隼と海が向かい合って紅茶を飲んでいた。こちらにと手招きする隼の所へ向かう。
「ほい、涙の分」
隼の隣に座ると、海が目の前に紅茶を出してくれた。「ありがとう」と言って口をつける。甘い、ピーチの味がした。
「珍しいね、フルーツティー」
「たまにはね。海が試行錯誤しながら作ってくれたんだよ」
「ピーチティーなんか紙パックのやつしか飲んだことないのに、隼が美味しいピーチティーが飲みたいって言うから」
文句を言っているようで、海の顔は笑っていた。なんとなく、嬉しそうだと思った。
甘いピーチティー以上に甘い空気。それは嫌じゃなくって、むしろ好きな方。
「で、涙はさっきまでピアノを弾いていたのかな?」
隣の隼が微笑みながら問いかける。それには大きく縦に頷いた。
「曲、譜面に起こしてたの」
「へぇ~。それはとっても素敵だ。今度僕に聞かせてくれないかい?」
「あ、俺も聞きたい」
「いいよ。そんなに長い曲じゃないし、いつでも弾く」
僕の言葉に、二人は同じ顔をして笑った。二人は正反対だとよく言っているけれど、ふとした時の表情はよく似ている。コンビで活動していたら、いつしか似てくるものなのかな。
そういえば、この間からずっと思っていたことがある。せっかくだから話してみよう。
「ねぇ、隼、海」
「ん?なに?」
「どうした?涙」
ティーカップを置くと、二人の目がこっちを見ていた。「あのね、」と頭に浮かんでいる言葉をゆっくりなぞる。
「前にね、いっくんとプロセラは家族みたいって話をしてたでしょ」
「あぁ、あったな。俺が父で、夜が母でってやつ?」
「そう言えば僕のポジションが無かったよね。寂しいなぁ~」
「考えたの、初めの頃だったから。ごめんね?」
「ふふふ。いいよ、許してあげる」
隼が楽しそうに笑って紅茶を飲む。話すことはあまり得意じゃないけれど、きちんと目を見て聞いてくれる皆の前で話すのは好きだ。
「その家族、いっくんが初めに言いだしたんだけど、僕なりに改めて考えてみたんだ」
「ほぉ~。改訂版はどうなったんだ?」
「えっとね、隼と海はおじいちゃん」
僕がそう言うと二人とも首を傾げた。やっぱり似てるなって、ちょっと可笑しくなって心の中で笑った。
「えっと、涙くん? 俺ら二人ともじーちゃんなの?」
「うん。だってどっちもおじいちゃんだもん」
適当じゃなくて、ちゃんと理由がある。隼も海も、かっこいいところがあって頼りになるところがある。だけど僕やいっくんにはちょっと甘い。そういうところはおじいちゃんみたいだ。
家族って言うなら、本当はどっちかをおばあちゃんにするべきなんだろう。だけど、どう考えてもおじいちゃんが二人だ。だからおじいちゃんが二人いてもいいんじゃないかと、そう思った。
そう伝えると、海は目を丸くして隼は顔をほころばせた。
「僕と海は一緒なんだね。おじいちゃん同士の夫婦なんて面白いな」
「いや、夫婦とは言ってないぞ?!」
「ううん。隼の言う通り。おじいちゃんの夫婦だよ」
「ほら。観念して認めなよ、かぁい」
本当はそこまで考えていなかったけれど、隼の言葉に合わせてみれば海は顔を真っ赤にしてうんうん唸っている。可愛い、と小さく呟いた隼の顔は甘くとろけてしまいそうだ。
真っ赤な顔をした海が紅茶を飲み、時計を見る。「あ」と声を漏らしたと思ったら、突然すごい勢いで立ち上がった。
「やべっ、隼っ! そろそろ迎え来る頃だぞ!」
「え~。まだ涙とお喋りしてたいなぁ~」
「ダメだ。兄貴に迷惑かかるだろ、ほら」
海が手を伸ばし、隼がその手を取る。そして勢いよく引っ張ったかと思えば、慌ただしく共有ルームから出て行った。
遠くのほうで足音が聞こえる。大きい音は海、少しおとなしめの音は隼だ。小さくなっていく足音を雨音と合わせながら、頭でリズムを奏でる。そのうちに足音は聞こえなくなって、雨音だけ響くのが少し寂しい。
空っぽになったティーカップをぼんやりと見つめていると、また足音が遠くのほうから聞こえてくる。隼と海とは違う、この音の持ち主は……
「たっだいま~」
「おかえり、陽、夜」
「あ、涙。ただいま」
足音で判断したとおり、共有ルームにやってきたのは陽と夜だった。陽は豪快なようで繊細な音で、夜は静かだけどしっかりとした音。まだ帰ってこないだろうけど、いっくんは明るくて元気になれる音だ。
「涙、お前一人?」
「うん。さっきまで隼と海がいたけど」
「あぁ、そういえば俺たちと入れ替わりだったね」
「なるほどな。じゃ、その紅茶は海がいれたやつか」
陽が机の上のティーポットを指さす。僕が頷くと、「俺も飲もうかな~」と食器棚の方へ向かって行った。夜は手に持っていた袋を机の上に置き、ティーポットの中身を覗く。
「これ、ピーチティーだね」
香りを嗅いで夜が中身を当てる。
「海が隼に頼まれて作ったんだって」
「え、作ったの?! すごい」
「はぁー相変わらず海は隼に甘すぎだろ」
陽が二人分のティーカップを持って戻ってくる。海が隼に甘いというなら陽は夜に甘いと思う。口には出さないけど。
ティーカップを受け取った夜は、ティーポットを持ち自分の分と陽の分を入れる。「涙のも入れようか?」と言ってくれたので素直に頷いた。
「そういえば、おやつ買ってきたんだよ。プリン、食べる?」
「……! 食べる」
夜はふふっと笑って、先程置いた袋を自分の手元に引き寄せた。中から出てきたのは白い箱で、店名らしきロゴが書かれている。それを開けると、中から6個のプリンが出てきた。
「この間テレビでやってたお店覚えてる? 今日ロケがたまたまその近くで、せっかくだから買ってきたんだ」
一週間ほど前だろうか。夜と隼と一緒に見たお昼の番組でスイーツ特集をしていた。そこで美味しそうなプリンが取り上げられていて、食べてみたいねと三人で話していた。それを夜が覚えてくれていたのだ。
目の前のプリンはガラスの瓶に入っていて、黄金色と少しの焦げ茶色が層をなしている。プラスチックの蓋を開けると甘い香りが一気に鼻まで届いた。
「美味しそう。食べていい?」
「ていうかもう食べるだろ、それ」
「いいよ」
夜からの許可が出たので、スプーンを手に取って中身をすくう。口に入れた瞬間広がる濃厚な甘みは想像以上だ。
「美味しい」
「ほんと、美味しいそうに食うな。夜、俺の分も取って」
夜が陽にもプリンを渡して、僕と同じように陽もプリンを口にする。「お、マジで美味いなこれ」と陽にも僕の感動が伝わったようだ。
美味しいプリンと、海が作ってくれた紅茶と。さっきまでの寂しい気持ちはどこかへ消えていった。幸せな音楽が頭の中に流れる。
あぁ、そうだ。隼と海にした話を陽と夜にもしてみよう。
「ねぇ」
「何、どした?」
「家族の話、覚えてる?」
言葉足らずだったからか、二人は首を傾げる。ゆっくりゆっくり、急がなくていいから言葉を紡ごう。
「プロセラは家族みたいだねって話したの覚えてる? 海がお父さんで夜がお母さん、陽がお兄ちゃん」
「あ~それか」
陽が納得したように頷く。
「それでね、僕なりにもう一回考えてみたんだ」
「ん? 役割を変えてみたってことか?」
「そう」
「へぇ~。面白そうじゃん」
「俺、ついにお母さんじゃなくなるんだね!」
「ううん。夜はお母さんのままだよ」
僕がそう言うと夜はがっくりと肩を落とした。その横で陽はけらけらと笑っている。
だって、変えようがないのだ。夜は優しくて気遣い屋さんで、けど頑固なとこもあって。皆を見守るお母さんってポジションは夜にしか務まらない。
「けど、お父さんは変わったよ」
「誰?」
「陽」
「俺か」
陽はびっくりした顔をして「何で海じゃなくなったんだ?」と問う。それの答えは簡単だ。
夜がお母さんから変わらないと決まった時、その隣に居るお父さんは自然と陽しかいなかった。ただ、それだけだ。お父さんみたいと言うなら、きっと陽より海の方がそれっぽいのだろう。だけど、陽も案外面倒見がよく、周りをよく見ている。そして、お母さんの夜を支えられるのは陽しかいない。
そう僕が答えると、陽も夜も顔を真っ赤にしていた。
「涙、お前そんな風に思ってたんか……」
「恥ずかしい……」
顔を真っ赤にしたまま二人同時にピーチティーを飲む姿はやっぱり夫婦だ。隼と海もそうだけど、陽と夜も正反対なようでどこか似てる部分がある。
僕といっくんはどうなんだろうか。自分たちのことは考えても答えは出そうにない。
「あ、じゃあ、隼と海はどうなったんだ?」
照れを隠すように陽は話題を変える。あの二人はおじいちゃんだと伝えると、陽は目を丸くした後噴き出した。
「ふはっ、あいつらおじいちゃんって」
「陽笑いすぎ」
「だ、だって」
笑い過ぎて涙を流す陽の背中を、夜が呆れた表情でぱしんと叩く。優しいその音は愛に溢れていた。
甘い。ピーチティーよりもプリンよりもずっと甘い。隼も海も陽も夜も、甘い空気を出していて、幸せで素敵なメロディーを奏でている。
それが、なんだか羨ましいなと思ってしまうのは、きっと隣にいっくんがいないからだ。
「早く、帰ってこないかな」
誰にも聞こえないような小さな声で呟いたはずなのに、向かいに座る陽と夜は僕を見て微笑んでいた。
自分の部屋でヤマトと遊んでいると、元気のいい足音が聞こえる。にゃあと鳴くヤマトを置いて部屋から出ると、ちょうどいっくんが自分の部屋の扉まで戻ってきたところだった。
「いっくん、おかえり」
「涙。ただいま」
部活をして疲れているはずなのに、いっくんの笑顔はいつも輝いている。「ちょっと待ってて」といっくんは自分の部屋に戻り、そして荷物を置いてすぐに出てきた。
「ねぇ、涙の部屋行ってもいい?」
きっといっくんには分かるのだ。僕が今日の出来事を話したがっているんだってこと。
僕が頷くと、いっくんの笑顔がまた輝く。それが嬉しくて、でもちょっとだけ恥ずかしい。そんなことを思いながら部屋の扉を開ける。
扉を開けてすぐのところにヤマトがいて、またにゃあと鳴いた。
「ヤマト、ただいま。涙と一緒に遊んで楽しかったかー?」
いっくんの問いに返事するようにヤマトがいっくんにすり寄る。その体を撫でて、いっくんは僕のほうを見た。
「涙は今日どんなことしてたの?」
「えっとね、」
ベッドに座って今日の出来事を話す。短いながらも曲ができたこと、隼と海とピーチティーを飲んだこと、陽と夜とプリンを食べたこと、そして家族の話。
いっくんはヤマトを撫でながら僕の話を聞いてくれる。時折入ってくる相槌が心地いい。
「へぇ~なるほどな。確かにおじいちゃんはわかるかも!」
「陽にすっごく笑われたけどね」
「あ~あいつは笑いそう。で夜さんに怒られるっていうパターンな」
「さすが夫婦だな」なんていっくんは笑う。あぁ、きっと今ここの空気はあの時のみんなと同じくらい甘いのだろう。これが今日ずっと欲しかった甘さだ。
「で、俺たちは今まで通りなの?」
「それを迷ってるんだ。自分たちのことは、難しくて」
「確かになぁ。双子のままでもいいけど……」
いっくんの大きな目が僕を捉える。にこり、笑った顔はいつになくかっこいい。
「俺も、涙と夫婦になりたいな?」
ぎゅっと僕の手を握り、僕の目を見つめて言ういっくんのかっこよさにくらくらしそうになる。
いっくんがかっこいいのは知ってるのに好きっていう気持ちが重なると、もっともっとかっこよく見えてしまうからいっくんはずるい。
「……僕も、そう思ってた」
僕がそう言うといっくんは、大きな目をさらに大きく見開く。そして手を離し、腕を広げて僕のことを抱きしめた。
「両想いだね、俺たち」
「うん」
「へへっ。これからもよろしくね、涙」
「よろしく、いっくん」
甘くて優しい、幸せなメロディーがまた頭の中に流れる。この曲は僕の中だけで味わう甘さだ。きっと他の人が聞けば、甘くて胸焼けしてしまう。
いっくんの背中に手を回せば、さらにいっくんは僕を強く抱きしめる。
大好きな旦那さんと、大好きなお父さんお母さんと、大好きなおじいちゃん二人と、これが僕の考えた家族の話。
「……できた」
静かな部屋に自分の声がはっきりと聞こえる。頭の中に流れていたメロディーを楽譜に書き起こせたことはとても有意義だった。
楽譜から目を離し時計を見ると、ちょうど短い針が3を、長い針が12を指していた。集中力が切れると急に喉の渇きと空腹を感じる。
着の身着のまま部屋を出ると、少し雨の音が聞こえる。防音の部屋にいたから気づかなかったが雨が降っていたみたいだ。微かに聞こえる雨音は、心地よいリズムを奏でている。
「おー涙」
「海、隼」
「涙も一緒に紅茶飲まないかい?」
共有ルームの扉を開けると、隼と海が向かい合って紅茶を飲んでいた。こちらにと手招きする隼の所へ向かう。
「ほい、涙の分」
隼の隣に座ると、海が目の前に紅茶を出してくれた。「ありがとう」と言って口をつける。甘い、ピーチの味がした。
「珍しいね、フルーツティー」
「たまにはね。海が試行錯誤しながら作ってくれたんだよ」
「ピーチティーなんか紙パックのやつしか飲んだことないのに、隼が美味しいピーチティーが飲みたいって言うから」
文句を言っているようで、海の顔は笑っていた。なんとなく、嬉しそうだと思った。
甘いピーチティー以上に甘い空気。それは嫌じゃなくって、むしろ好きな方。
「で、涙はさっきまでピアノを弾いていたのかな?」
隣の隼が微笑みながら問いかける。それには大きく縦に頷いた。
「曲、譜面に起こしてたの」
「へぇ~。それはとっても素敵だ。今度僕に聞かせてくれないかい?」
「あ、俺も聞きたい」
「いいよ。そんなに長い曲じゃないし、いつでも弾く」
僕の言葉に、二人は同じ顔をして笑った。二人は正反対だとよく言っているけれど、ふとした時の表情はよく似ている。コンビで活動していたら、いつしか似てくるものなのかな。
そういえば、この間からずっと思っていたことがある。せっかくだから話してみよう。
「ねぇ、隼、海」
「ん?なに?」
「どうした?涙」
ティーカップを置くと、二人の目がこっちを見ていた。「あのね、」と頭に浮かんでいる言葉をゆっくりなぞる。
「前にね、いっくんとプロセラは家族みたいって話をしてたでしょ」
「あぁ、あったな。俺が父で、夜が母でってやつ?」
「そう言えば僕のポジションが無かったよね。寂しいなぁ~」
「考えたの、初めの頃だったから。ごめんね?」
「ふふふ。いいよ、許してあげる」
隼が楽しそうに笑って紅茶を飲む。話すことはあまり得意じゃないけれど、きちんと目を見て聞いてくれる皆の前で話すのは好きだ。
「その家族、いっくんが初めに言いだしたんだけど、僕なりに改めて考えてみたんだ」
「ほぉ~。改訂版はどうなったんだ?」
「えっとね、隼と海はおじいちゃん」
僕がそう言うと二人とも首を傾げた。やっぱり似てるなって、ちょっと可笑しくなって心の中で笑った。
「えっと、涙くん? 俺ら二人ともじーちゃんなの?」
「うん。だってどっちもおじいちゃんだもん」
適当じゃなくて、ちゃんと理由がある。隼も海も、かっこいいところがあって頼りになるところがある。だけど僕やいっくんにはちょっと甘い。そういうところはおじいちゃんみたいだ。
家族って言うなら、本当はどっちかをおばあちゃんにするべきなんだろう。だけど、どう考えてもおじいちゃんが二人だ。だからおじいちゃんが二人いてもいいんじゃないかと、そう思った。
そう伝えると、海は目を丸くして隼は顔をほころばせた。
「僕と海は一緒なんだね。おじいちゃん同士の夫婦なんて面白いな」
「いや、夫婦とは言ってないぞ?!」
「ううん。隼の言う通り。おじいちゃんの夫婦だよ」
「ほら。観念して認めなよ、かぁい」
本当はそこまで考えていなかったけれど、隼の言葉に合わせてみれば海は顔を真っ赤にしてうんうん唸っている。可愛い、と小さく呟いた隼の顔は甘くとろけてしまいそうだ。
真っ赤な顔をした海が紅茶を飲み、時計を見る。「あ」と声を漏らしたと思ったら、突然すごい勢いで立ち上がった。
「やべっ、隼っ! そろそろ迎え来る頃だぞ!」
「え~。まだ涙とお喋りしてたいなぁ~」
「ダメだ。兄貴に迷惑かかるだろ、ほら」
海が手を伸ばし、隼がその手を取る。そして勢いよく引っ張ったかと思えば、慌ただしく共有ルームから出て行った。
遠くのほうで足音が聞こえる。大きい音は海、少しおとなしめの音は隼だ。小さくなっていく足音を雨音と合わせながら、頭でリズムを奏でる。そのうちに足音は聞こえなくなって、雨音だけ響くのが少し寂しい。
空っぽになったティーカップをぼんやりと見つめていると、また足音が遠くのほうから聞こえてくる。隼と海とは違う、この音の持ち主は……
「たっだいま~」
「おかえり、陽、夜」
「あ、涙。ただいま」
足音で判断したとおり、共有ルームにやってきたのは陽と夜だった。陽は豪快なようで繊細な音で、夜は静かだけどしっかりとした音。まだ帰ってこないだろうけど、いっくんは明るくて元気になれる音だ。
「涙、お前一人?」
「うん。さっきまで隼と海がいたけど」
「あぁ、そういえば俺たちと入れ替わりだったね」
「なるほどな。じゃ、その紅茶は海がいれたやつか」
陽が机の上のティーポットを指さす。僕が頷くと、「俺も飲もうかな~」と食器棚の方へ向かって行った。夜は手に持っていた袋を机の上に置き、ティーポットの中身を覗く。
「これ、ピーチティーだね」
香りを嗅いで夜が中身を当てる。
「海が隼に頼まれて作ったんだって」
「え、作ったの?! すごい」
「はぁー相変わらず海は隼に甘すぎだろ」
陽が二人分のティーカップを持って戻ってくる。海が隼に甘いというなら陽は夜に甘いと思う。口には出さないけど。
ティーカップを受け取った夜は、ティーポットを持ち自分の分と陽の分を入れる。「涙のも入れようか?」と言ってくれたので素直に頷いた。
「そういえば、おやつ買ってきたんだよ。プリン、食べる?」
「……! 食べる」
夜はふふっと笑って、先程置いた袋を自分の手元に引き寄せた。中から出てきたのは白い箱で、店名らしきロゴが書かれている。それを開けると、中から6個のプリンが出てきた。
「この間テレビでやってたお店覚えてる? 今日ロケがたまたまその近くで、せっかくだから買ってきたんだ」
一週間ほど前だろうか。夜と隼と一緒に見たお昼の番組でスイーツ特集をしていた。そこで美味しそうなプリンが取り上げられていて、食べてみたいねと三人で話していた。それを夜が覚えてくれていたのだ。
目の前のプリンはガラスの瓶に入っていて、黄金色と少しの焦げ茶色が層をなしている。プラスチックの蓋を開けると甘い香りが一気に鼻まで届いた。
「美味しそう。食べていい?」
「ていうかもう食べるだろ、それ」
「いいよ」
夜からの許可が出たので、スプーンを手に取って中身をすくう。口に入れた瞬間広がる濃厚な甘みは想像以上だ。
「美味しい」
「ほんと、美味しいそうに食うな。夜、俺の分も取って」
夜が陽にもプリンを渡して、僕と同じように陽もプリンを口にする。「お、マジで美味いなこれ」と陽にも僕の感動が伝わったようだ。
美味しいプリンと、海が作ってくれた紅茶と。さっきまでの寂しい気持ちはどこかへ消えていった。幸せな音楽が頭の中に流れる。
あぁ、そうだ。隼と海にした話を陽と夜にもしてみよう。
「ねぇ」
「何、どした?」
「家族の話、覚えてる?」
言葉足らずだったからか、二人は首を傾げる。ゆっくりゆっくり、急がなくていいから言葉を紡ごう。
「プロセラは家族みたいだねって話したの覚えてる? 海がお父さんで夜がお母さん、陽がお兄ちゃん」
「あ~それか」
陽が納得したように頷く。
「それでね、僕なりにもう一回考えてみたんだ」
「ん? 役割を変えてみたってことか?」
「そう」
「へぇ~。面白そうじゃん」
「俺、ついにお母さんじゃなくなるんだね!」
「ううん。夜はお母さんのままだよ」
僕がそう言うと夜はがっくりと肩を落とした。その横で陽はけらけらと笑っている。
だって、変えようがないのだ。夜は優しくて気遣い屋さんで、けど頑固なとこもあって。皆を見守るお母さんってポジションは夜にしか務まらない。
「けど、お父さんは変わったよ」
「誰?」
「陽」
「俺か」
陽はびっくりした顔をして「何で海じゃなくなったんだ?」と問う。それの答えは簡単だ。
夜がお母さんから変わらないと決まった時、その隣に居るお父さんは自然と陽しかいなかった。ただ、それだけだ。お父さんみたいと言うなら、きっと陽より海の方がそれっぽいのだろう。だけど、陽も案外面倒見がよく、周りをよく見ている。そして、お母さんの夜を支えられるのは陽しかいない。
そう僕が答えると、陽も夜も顔を真っ赤にしていた。
「涙、お前そんな風に思ってたんか……」
「恥ずかしい……」
顔を真っ赤にしたまま二人同時にピーチティーを飲む姿はやっぱり夫婦だ。隼と海もそうだけど、陽と夜も正反対なようでどこか似てる部分がある。
僕といっくんはどうなんだろうか。自分たちのことは考えても答えは出そうにない。
「あ、じゃあ、隼と海はどうなったんだ?」
照れを隠すように陽は話題を変える。あの二人はおじいちゃんだと伝えると、陽は目を丸くした後噴き出した。
「ふはっ、あいつらおじいちゃんって」
「陽笑いすぎ」
「だ、だって」
笑い過ぎて涙を流す陽の背中を、夜が呆れた表情でぱしんと叩く。優しいその音は愛に溢れていた。
甘い。ピーチティーよりもプリンよりもずっと甘い。隼も海も陽も夜も、甘い空気を出していて、幸せで素敵なメロディーを奏でている。
それが、なんだか羨ましいなと思ってしまうのは、きっと隣にいっくんがいないからだ。
「早く、帰ってこないかな」
誰にも聞こえないような小さな声で呟いたはずなのに、向かいに座る陽と夜は僕を見て微笑んでいた。
自分の部屋でヤマトと遊んでいると、元気のいい足音が聞こえる。にゃあと鳴くヤマトを置いて部屋から出ると、ちょうどいっくんが自分の部屋の扉まで戻ってきたところだった。
「いっくん、おかえり」
「涙。ただいま」
部活をして疲れているはずなのに、いっくんの笑顔はいつも輝いている。「ちょっと待ってて」といっくんは自分の部屋に戻り、そして荷物を置いてすぐに出てきた。
「ねぇ、涙の部屋行ってもいい?」
きっといっくんには分かるのだ。僕が今日の出来事を話したがっているんだってこと。
僕が頷くと、いっくんの笑顔がまた輝く。それが嬉しくて、でもちょっとだけ恥ずかしい。そんなことを思いながら部屋の扉を開ける。
扉を開けてすぐのところにヤマトがいて、またにゃあと鳴いた。
「ヤマト、ただいま。涙と一緒に遊んで楽しかったかー?」
いっくんの問いに返事するようにヤマトがいっくんにすり寄る。その体を撫でて、いっくんは僕のほうを見た。
「涙は今日どんなことしてたの?」
「えっとね、」
ベッドに座って今日の出来事を話す。短いながらも曲ができたこと、隼と海とピーチティーを飲んだこと、陽と夜とプリンを食べたこと、そして家族の話。
いっくんはヤマトを撫でながら僕の話を聞いてくれる。時折入ってくる相槌が心地いい。
「へぇ~なるほどな。確かにおじいちゃんはわかるかも!」
「陽にすっごく笑われたけどね」
「あ~あいつは笑いそう。で夜さんに怒られるっていうパターンな」
「さすが夫婦だな」なんていっくんは笑う。あぁ、きっと今ここの空気はあの時のみんなと同じくらい甘いのだろう。これが今日ずっと欲しかった甘さだ。
「で、俺たちは今まで通りなの?」
「それを迷ってるんだ。自分たちのことは、難しくて」
「確かになぁ。双子のままでもいいけど……」
いっくんの大きな目が僕を捉える。にこり、笑った顔はいつになくかっこいい。
「俺も、涙と夫婦になりたいな?」
ぎゅっと僕の手を握り、僕の目を見つめて言ういっくんのかっこよさにくらくらしそうになる。
いっくんがかっこいいのは知ってるのに好きっていう気持ちが重なると、もっともっとかっこよく見えてしまうからいっくんはずるい。
「……僕も、そう思ってた」
僕がそう言うといっくんは、大きな目をさらに大きく見開く。そして手を離し、腕を広げて僕のことを抱きしめた。
「両想いだね、俺たち」
「うん」
「へへっ。これからもよろしくね、涙」
「よろしく、いっくん」
甘くて優しい、幸せなメロディーがまた頭の中に流れる。この曲は僕の中だけで味わう甘さだ。きっと他の人が聞けば、甘くて胸焼けしてしまう。
いっくんの背中に手を回せば、さらにいっくんは僕を強く抱きしめる。
大好きな旦那さんと、大好きなお父さんお母さんと、大好きなおじいちゃん二人と、これが僕の考えた家族の話。
1/1ページ