22日目:君が笑うなら、僕が泣くよ。(隼海)

 海は深海の中を一人で歩いていた。
 海の中なのに普通に歩けるし、呼吸もできる。嗚呼これは夢なのだと海はすぐに気づいた。
 目的も無くただ歩き続けていると、海以外の人間の姿を見つけた。その人はこちらに向かってきている。
 遠くてぼんやりとしか分からなかった姿がだんだんはっきり見えてくる。

「あ……」

 死んだはずのあの子が、海の目の前にいる。夢だから現実に起きないことが起きるのは当然のはずなのに、海は酷く動揺した。
 彼女は海の前で立ち止まり、何か口を動かす。しかし海の耳には聞き取れない。
 海が聞き返そうとすると、彼女の腕が海の方へと伸びてきた。

「っ、ぐぁ」

 彼女の白く細い手が海の首を絞める。
 息が、上手くできない。苦しいのに海は彼女の手を止めようとはしなかった。

(俺の、せいだ)

 あの日自分が病院から連れ出さなければ。もしかしたら彼女は、生きていたかもしれないのに。
 そんなことは無いと海自身も分かっている、だけど海はされるがまま彼女の行為を受け入れている。
 夢の中でも死んだりするのだろうか。遠のく意識の中海がそんな風に考えていると、海の背後から白い腕が伸びてきた。
 その腕は彼女の手を外し、そのまま海を彼女から引きはがす。
 息が楽になる。海を救ったその人の姿を見ようとしたけれど、振り向いても誰もいなかった。



 海の意識が夢の中から現実へ、ゆっくりと浮上する。
 目を開くと、隼が海をまっすぐ見つめていた。

「やっと、目が覚めたんだね」

 隼の言葉に海は首を傾げる。

「俺、そんなに寝てたのか?」
「ううん。そうじゃないよ」

 隼の意味深長な言葉に海は起き上がってその真意を尋ねる。
 隼は恐ろしいほど綺麗な真顔で口を開いた。

「海はね、寝ている間魘されていたんだ」
「……」
「ねぇ、どんな夢を見ていたの?」

 夢、それは間違いなく先程まで海が見ていたあの深海の中だ。
 ただ、それを隼に話すのを海は躊躇った。代わりに笑って誤魔化そうとする。
 しかし隼は尚も笑わない。

「“俺のせいだ”」
「っ、」
「海はそう言ってた。俺のせい、ってどういうこと?」
「それ、は……」

 どうやらあの時海が心の中で呟いた言葉は、現実の世界では声になっていたようだ。
 これ以上誤魔化すのは無理だと判断した海は夢の事を話し始める。

「あの子に首を締められる夢を見たんだ」
「あの子というのは、初恋の姫君のことだね?」
「ああ。……違うって分かってるんだけどさ、あの子はもっと生きたかったはずなのに、俺のせいでその寿命を縮めてしまったんじゃないかなって」

 海は無理矢理に口角を上げて話した。そうでもしないと泣いてしまう気がした。
 そんな海の姿に気づいている隼は、その美しい顔を顰めた。

「海、無理して笑わなくていいよ」

 隼は海の手を掴み、自分の手に指を絡ませた。互いのぬくもりが手を介してひとつに交じる。

「それでも笑うなら、僕が泣くから」

 そう言って微笑む隼に、泣いたのは海の方だった。
 ぽとりぽとりと海の目から雫がこぼれ落ちていく。そのうちに溢れ出してきて、海は俯いて小さく嗚咽を漏らし始めた。
 隼は海の手を握ったまま、髪の毛にキスを落とす。

「ここには僕しかいないから、強がらないで」
「っふ、んっく」
「海。もう一人でどこかに行こうとしないでね」

 海は泣いているまま、小さく縦に頷く。
 それを見た隼は、海の頬に伝う涙を舌ですくい、今度はその首筋に唇を近づけた。
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