21日目:君の代わりに、泣いてあげる(春海)

 ちょっとコンビニに行こうなんて考えて一階まで降りると、丁度海が仕事から帰ってきたところだった。
 俺の姿に気づいていないのか、俯いたまま寮の中に入った海はとても苦しそうな様子だった。

「海、お帰り」

 俺が声をかけると、ようやく気付いたのか海は顔をあげて「ただいま」と笑顔を見せた。
 このままではいけないと頭の中で警鐘が聞こえる。
 俺の横を通り過ぎようとする海の腕を掴んだのは、ほぼ反射的に体が動いたせいだ。
 腕を突然掴まれた海は目を丸くして固まる。

「……春?」
「ちょっと、来て」

 掴んだ腕をさらに強く握って、来た道を引き返す。海は現状をよく理解していないまま俺に引っ張られる。

「春、どっか行くとこじゃなかったのか?」
「コンビニだよ。別に急ぎの用事じゃないし」
「でも、」
「いいから」

 何か言いたさげな海を無視して、自分の部屋へと向かう。
 海を部屋に連れ込んだところで掴んだ腕を離し、すかさず部屋の鍵を閉める。内側から開けられるから意味は無いけれど、逃がさないという牽制にはなるだろう。
俺のことを不安そうに見つめる海に近づく。

「何かあったでしょ」

 問いかけではなく確認のように言うと、海が少し反応した。図星だ。
 しかし何も言おうとしない海にさらに近づく。あと少しで触れてしまいそうな距離で海は俺から目をそらした。

「ちょっと、な」
「それは俺にも話せないこと?」
「いや……そんなことは無いけど……」

 目をそらしたまま言いづらそうにする海。きっと本当は誰にも話すつもりはなかったのだろう。でも俺も退くつもりはなかった。
 やがて海は一つため息をつき、呟くように話し始めた。

「たまたまだったんだけどさ、」

 そう前置きをして海は今日起きた出来事を俺に話してくれた。
 バラエティー番組に出演した海は関西人らしくトークはしっかりとこなし、番組自体も大いに盛り上がったという。スタッフ、出演者一人一人に挨拶をして楽屋に帰ろうとした海の耳に、同じ番組に出演していた芸人さんの話し声が聞こえてきた。
 曰く「アイドルがこっちの畑に来ないでほしい」と。「あいつらのせいで出番がなくなる」と。

「悔しかった……俺たちだって頑張ってるし芸人さんの邪魔をするつもりなんて無いのに」
「それ、本人に言ったの?」
「ううん。言えなかった」

 へらりと笑う海は苦しそうだった。何かを溜め込んだような笑顔、俺の一番嫌いな海の表情だ。
 ぐっと奥歯を噛み締める。そして海の頬を自分の両手で挟んだ。

「なんで笑うの」
「へ」
「笑わなくていいよ。悔しかったんでしょ? それなら泣いたり怒りぶつけたりしていいのに」

 自分も長男だからわかる。すぐ溜め込む癖がついてしまっているのだ。
 ましてや海は弟妹が沢山いる。きっと子供の頃から悔しいことがあっても我慢して笑ってきたのだろう。
 でも俺の前では我慢しないでほしい。だって、

「俺は海の恋人だよ?」

 複雑な感情を抑え込むことが出来ず、目から涙がこぼれる。
 頬に伝っていくそれを海が右手で拭った。

「何で、春が泣いてるんだよ」
「海の代わりに泣いてあげてるの」
「ははっ、そっか」

 海の頬から手を離し、今度はぎゅっと抱きしめる。
 俺の首筋に落ちた雫と微かに震える体に気付かないふりをして、海の背中を優しくさすった。
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