おまけ

 隼は海を探していた。彼女が待ち合わせの時間に来なかったからだ。
 春と始に会いに行ってから隼たちと合流する約束をしていたのに、海は現れなかったどころかメッセージに既読すらついていなかった。
 嫌な予感がする。そんな隼の予感はすぐに当たることになる。

「……あ、」

 人気のない廊下の片隅、うずくまる女性の姿が見える。あれは、海だ。
 隼は声をかけるかどうか少し考え、結果声をかけることにした。

「かぁい」

 わざと明るく、空気の読めないやつのように隼はふるまう。
 海は泣いたまま、顔をあげ隼を見た。その顔は涙でぐちゃぐちゃになっていてせっかくのお洒落が台無しだ。けれども隼はそんな海を見て、綺麗だと思った。

「……しゅん」

 海に名前を呼ばれ、隼は海の元に近づく。
 海は多少よろけながら立ち上がり、そして隼の方に歩いてくる。ふらふらと歩く海は慣れないハイヒールのせいか、軽くつまずき隼の方に倒れかかってきた。
 隼はそんな海を抱きとめる。ふわり、隼の鼻に届く香りは海のシャンプーのものだ。

「隼……フラれちゃった……」

 あぁやっぱり、と隼は思った。
 海が始の事を好きだというのを隼は海から知らされていた。隼が常より「始LOVE」を公言していたからだという。
 隼にとっては始はあくまでも友愛、どちらかといえば崇拝のようなものなのだが、本命の前ではそんなことも言えず優しい人を演じて海の相談に乗っていた。
 しかし、隼は始の好きな人を知っていた。そしてそれは隼だけでなく、海も同じだ。だからこうして二人とも正装をして彼らの結婚式に来ているわけで。
 二人が付き合い始めてからは、海の相談はもはや愚痴に近かった。それでも好きな気持ちを隠して二人を応援する海を、隼はずっと近くで見てきた。

(そういえば、一度も泣いたことなかったな)

 隼が相談を聞いていたこの数年間、海はお酒が入っていても決して泣いたりはしなかった。
 こちらが見ているのがつらくなるぐらい、笑っていた。だから隼が海の泣き顔を見たのはこれが初めてだ。
 つまり、やっと海の長い片思いが終焉したということになる。

「よく頑張ったね、海」

 隼は海の頭を撫でようとして、その手を海の背中に回した。今は、それが最良な気がした。
 幼子をあやすように背中をぽんぽんと優しく叩くと、海は堰を切ったように涙を溢れさせた。嗚咽交じりで隼の胸に顔をうずめたまま泣いている。
 海の目から落ちる滴が隼の服について染みを作る。隼はその様子をただじっと見つめていた。
 どのくらいの時間そうしていたのだろう。涙が枯れたのか、ようやく海は顔を上げた。
 さっきまで泣いていた海の顔は、目元が赤くなっていてファンデーションが落ちたところが綺麗に涙の通り道になっていた。

「あ~泣きすぎた。顔ボロボロだな」

 取り繕うように笑う海を見て、隼は胸を痛めた。
 かける言葉を探しているその間に隼は自分の指で海の涙の跡をなぞる。

「……海は綺麗だよ」

 それは隼の心からの言葉だった。本当に、どんな姿をしていても海は綺麗だと思っている。

「でもそのままだとみんなに心配されちゃいそうだからメイク直しておいで」
「そうだな。……ありがとう、隼」
「ふふふ、どういたしまして。海が帰ってくるまでここで待ってるよ」

 隼の言葉を聞いて、海は向かいにある化粧室へと駆け込んでいった。
 一人残った隼は小さくため息をつく。

「僕を、好きになってくれたらいいのにね」

 海は知らない。ずっと近くで支えてきた男の下心を。
 隼にとって海は唯一無二の存在だ。変わり者の自分を受け入れ、そして一緒に楽しんでくれる存在。海みたいな女性に出会えたことは隼の人生で一番の喜びだ。
 そんな女性を自分のものにしたいと思うのは当然の欲で、けれど無理矢理に海を自分の手中に収めることはしたくなかった。

「結構、最低な人間だなぁ」

 くすりと隼は笑う。酷い独り言は誰の耳にも届いていない。
 たとえどれだけ最低な自分に気づいても、隼が海を好きな気持ちは変わらない。それどころか、もっと最低な考えをしてしまう。
 今なら、海を振り向かせられるのではないかと。

 ほどなくしてメイクを直した海が戻ってくる。もうその顔に泣いていた跡は見られない。

「おかえり」
「待たせたな」
「ううん。……じゃあ、戻ろうか」

 隼は自然に海の手を引っ張る。そのまま手を繋いで二人は他の参加者のところへと戻って行った。


*****


「僕、海のことが好きなんだ」

 始と春の結婚式から二日後の仕事で海は隼に告白された。
 突然の言葉にフリーズした海に、隼は悲しそうに笑った。

「なんて、やっぱり困らせちゃったか」
「そりゃ困るってかびっくりした……えっと、本気、だよな?」
「うん。もちろん」

 いつも人をからかって遊ぶのが大好きな隼だが、その目からはふざけた様子は一切感じ取れない。そこから隼がどれだけ本気なのかが伝わって来て海は戸惑った。
 海が始を好きということを唯一相談していたのが隼だ。まさかその隼が海のことを好きだったなんて。
 動揺する海に、隼はまた悲しそうに笑う。

「返事しなくてもいいよ。海がまだ始のこと好きなの、分かってるし」
「けど、」
「大丈夫。その代わり、なんて言ったらちょっとずるいけど」

 隼は海の頭へと手を伸ばす。そして短い海の髪を優しく撫でた。

「これから、海に好きになってもらえるようにアピールするから」

 口元は笑っているが、隼の目は真剣そのものだ。海はただ縦に頷くことしかできなかった。

 その日から、隼のアピール作戦は実行された。
 どんなことをされるのか少し不安だった海に対して隼がとった行動は意外にも普通だった。どんなことがあっても真っ先に海に声をかける。何か嬉しいことがあったら海に抱き着く。今までの隼と何ら変わりはない。
 唯一違う点を挙げるとするならば、他人の目があるところでも隼が海を抱きしめるところだ。隼と海の関係を知らない他のメンバーの前でも隼は平気で海を抱きしめ、冗談めいた調子で「海は僕のものだから」と言う。

 そんな不安定で不思議な関係が一週間ほど続いたある日、海はスタジオで偶然にも始に遭遇した。

「海。久しぶりだな」
「久しぶり、始。春とは仲良くやってる?」
「ああ。今更何か変わるわけでもないけどな」

 幸せそうな表情をする始に海はショックを受ける、はずだった。
 しかし海の心は傷ついていないし、結婚式のあの日とは違い心の底から幸せそうでよかったと思える。あんなにずっと思い焦がれ続けた恋が、こんなにも早く風化してしまうとは。
 ようやく綺麗に終わったことに安堵しながら海は始に笑いかける。

「また今度年長組でご飯とか行きたいな」
「あぁ、それはいいな。春に言っておく」

 和やかに話す二人を邪魔するように、撮影を終えた隼が背後から海に抱き着く。
 突然の重さに海はぐえっと潰れたカエルのような声を出した。

「海、大丈夫か?」
「うん、平気……」
「二人でずいぶんと楽しそうだったね」

 後ろから抱き着かれているため、海に隼の顔は見えない。だが、海を抱きしめる隼の腕はとても優しかった。

「ねぇ、始」
「なんだ?」
「海は僕のものだから、変なちょっかい出さないでね?」
「ちょ、隼?!」

 最近よく言う隼の言葉だが、まさか始の前でも言うとは思わず海は狼狽える。始の様子が気になり、海は上目遣いで始の方を見る。
 始は目を丸くした後、くすりと笑った。

「そうか。……幸せそうでよかった」

 始の笑顔はとても美しかった。友を祝う心からの笑顔だ。
 すぐにスタッフが始を呼ぶ声が聞こえ、始は「またな」と言って声のするほうへと向かっていった。
 始が見えなくなって、隼は海の上から退く。海の体は重みから解放された。
 解放された海が振り向くと、隼は何故か苦しそうな表情をしていた。

「ごめんね、海」
「へ?」
「始に海を取られるのが怖くて……ちゃんと誤解は解いておくから」

 申し訳なさそうにする隼に対し、海は首を傾げた。
 隼の奇行は今に始まったことではない。海に告白してからは『好きになってもらうようにアピールする』という名目のもと誰の前でも海に密着していた。
 それを海は嫌だと一度も思ったことはないし、先程も突然のことで驚いただけで嫌だったわけではないのだ。

(あれ……?)

 それは確実に海が心境の変化を実感した瞬間だった。

「……いい」
「? 今、海何て……」
「誤解、解かなくていい」

 海は真っすぐな目で隼を見つめる。名前の様に美しい青い目が隼の姿だけを映していた。
 隼は瞬きをして海を見つめ返す。

「海、いいの? 始に誤解されたままで」
「誤解じゃなくせばいいんじゃないか?」

 海はふふっと可愛らしく笑う。
 その言葉の意味を理解できないほど隼も鈍感ではない。大きく息を吸って、隼は言葉を吐きだした。

「……海の事が好きです。僕の恋人になってください」
「はい」
「っ、海」

 隼が勢いよく海を抱きしめる。柔らかい感触と海のシャンプーの香りが隼を優しく包んだ。
 もうあの日泣いていた海はここにいない。これからは自分がずっと隣に居るのだと隼は心の中で決意して、海の体をさらにぎゅっと抱きしめた。
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