雪の日
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*要side*
「初めまして、要くん。今日から宜しくね」
小学3年生の時、俺に7つ上の姉が出来た。
聖華女学院の制服を着てニッコリ笑う女性に、俺は恥ずかしさからサッと母の後ろに隠れた。
「ごめんね。普段はこの子やんちゃなんだけど、綺麗なお姉さんだから恥ずかしいのかしら?」
「いえいえーっでも要くんこそ綺麗。ねぇ、今度絵のモデルになってくれる?」
要「絵……?」
その言葉にひょっこり顔を覗かせた俺に、その女性は優しく微笑んだ。
要「待ってお姉ちゃん…!!」
「こっちよー要!」
普段は同い年の友達としか遊ばない俺に、姉貴は色んな初めてを教えてくれた。
空は色んな色が重なって青くなること。
雲、星、月の動き。季節によって変わる空気の匂い。道端に咲く花の香り。
耳を澄ますと…鳥の囀りや雨の音が心地良いということ。
要「お姉ちゃんのパレットって、何でいつもそんなにいっぱい色使うの?」
「はっはっはー良く気付いたな弟よ!色は1つじゃないの。世界はね、色んな色で溢れてるからよ」
「要にも色んな色があるのよ」そう言って俺にペン先を向け始めた姉に、「!やめろよ勝手に描くの…!」と慌てて顔を背けた。
「いーじゃん!可愛いんだからちょっとは描かせてよ〜」とじゃれてくる姉に「やーめーろー!///」と必死で抵抗する。
「もーいーよーだっほんと子供なんだから」
要「どっちが子供だよ!」
不貞腐れて口を尖らせる姿はとても年上とは思えない。
姉は諦めたように青い空を仰ぎ、自分の指で四角いカメラを作ってその隙間を覗いた。
風に乗ってなびく長い栗色の髪がキラキラと輝いて見えて、俺は目を見開いた。
要「(…………すごい、綺麗)」
あの高揚感は、今でも良く覚えている。
それを恋と呼んで良いのか、何て言葉に当てはめたら正解なのかわからなくて。
ただ、あの頃から俺の心を動かすのは……姉の存在だけだった。
俺が小学生の高学年になると、母親と父親の喧嘩が絶えなくなった。
結果…母は不倫をして、離婚することに決まった。
県外の美大に通っていた姉は一人暮らしをしていたが、この日は丁度実家に帰って来ていた。
姉はやたら勘が良いので、もしかしたらこうなることを予想していたのかもしれない。
要「待ってよお母さん…!!」
ロングコートを着て大きな鞄を持つ母を引き留めようと、必死に叫ぶ。
外は雪が降っていて、コートを着ていない俺はその寒さに凍えそうだった。
「ごめんね、要……」
要「っ何で、俺も連れて行ってくれないのっ?」
「要!お母さん…!」と姉が慌てたように外に出て、俺の肩にコートを掛けた。
反射的に姉にくっ付くと、母の申し訳なさそうにしていた顔に嫉妬の色が見えた気がした。
「……ずっと、嫌だったの。要が"お姉ちゃんお姉ちゃん"って懐いてるのが……あの人は仕事で殆ど家にいなくて、私には要だけだったのに……」
要「え……?」
ふっとその顔に影を落として、母は白く積もった雪に足跡を残して去っていった。
俺がどんなに叫んでも一度も振り返らず、その背中を追い掛けようとする俺を姉が抱き止めた。
要「………っお母さんが出て行ったのは、俺のせいなの?」
雪の中、声を上げて泣きじゃくる俺に、姉は「そんなわけない」と何度も言っていた。
幼い俺でも、あれは母の本心だったのだと、姉の優しい嘘だったのだと、何となく気付いていた。
そして……姉を好きでいることは、誰かを不幸にするのだと思い知った。
父も次第に、母の顔に良く似た俺を遠ざけるようになり、余所余所しくなっていった。
ー世界はね、色んな色で溢れてるからよ
ー要にも色んな色があるのよ
要「……何処がだよ、真っ黒じゃねーか」
俺の世界に、色はなくなっていた。
***
中学生になると、授業はサボるは煙草は吸うは、夜中に高校生と一緒にバイクに乗るは……と、わかりやすいほど俺は荒れていた。
先輩達に紛れて喧嘩をしていたらやたらと強くなってしまい、気付いたら学校内だけでなく、他校からも恐れられる存在になっていた。(何処かのヤンキー漫画か?)
「要ー!あんたまた喧嘩したって聞いたけど!?」
バタバタと階段を上がって来て豪快に部屋のドアを開けた姉に、俺は特に驚かなかった。
驚いたのは俺の上に跨っていた女で、裸同然だった体を「な、何この人…!?」と慌てて隠す。
要「はい、終了ー」
「え、何が…?」
要「あんたとの時間終了。さっさと出てってくれる?」
笑顔で残酷なことを告げると、「〜〜っ最低!!」と顔を真っ赤にしながら女が出て行った。
固まって動かない姉にわざとぶつかっていたのを見逃さなかった俺は、後で殺すか…と心に決める。
要「で?何だよ姉貴、また帰ってきたの?」
「…………お姉ちゃんは、あの天使の笑みの要が恋しいっ!!」
要「…は?天使?」
しくしくと泣き真似をする姉貴に呆れながら、俺は煙草に火を付ける。
だが、それは目をカッと開いた姉に勢い良く取り上げられた。
「良い?未成年は煙草禁止なの!しかもそんな若い内から吸ってたら病気になるわよ〜」
要「うるせーよ。別に皆吸ってんだからいいだろ」
「皆って誰?幼馴染のあっくん?さっちゃん?ほーらどーせ2、3人じゃないの」
要「勝手に話進めんな!」
幼馴染の2人を勝手に悪友にするなと思いながら、煙草は諦めて部屋から出て行こうとした。
「待ちなさい」と姉に両頬を包まれて、ドキッと鼓動が波打つ。
「…………良かった、怪我してなくて」
要「…………っ」
カァッと急速に熱くなっていく頬を感じながら、「やめろよ」と何とかその手を振り払う。
姉に気にした様子はなく、「うん。やっぱり私実家に帰ってくる!」と1人で意気込んでいた。
要「は?ここから姉貴の大学まで何時間かかると思ってんだよ」
「別に平気よーそんなことより、要のことが心配なの」
「すっごいつまんなそうな顔してる。遊ぶならもっと楽しまないと」と滅茶苦茶なことを言い出す姉の横を通り過ぎ、俺は「意味わかんねぇよ」と階段を降りて行った。
「何よ?要だってお姉ちゃんがいた方が嬉しいくせに」
本当は、大学で忙しい姉が俺を忘れないで、こうして心配してくれることが嬉しかった。
けれど…素直にそれを認めてしまえば、姉を失ってしまう気がして怖かった。
あの雪の日から、母に告げられた言葉が棘のように刺さって抜けてくれない。
要「…嬉しいわけねぇだろ。姉貴がいなくなってせいせいしてんだから」
「大嫌いだ」そう言い放った俺に、姉貴は何も言わなかった。
ただ……悲しんだ顔をしていても、興味がない顔をしていても傷付く気がして、振り返ることが出来なかった。
「…………ということで、早速帰って来ました!」
要「どういうことだよ!?」
玄関先で大きな荷物を抱える姉に、盛大にツッコミを入れてしまった。
「俺の話聞いてたのか?」と呆れていると、「要、暇ならお姉ちゃんの荷物運ぶの手伝って〜」と両手を合わせて懇願される。
バイクで遊びに行こうとしていた俺はしぶしぶ荷解きに付き合わされ、気付いたら何故か芝生の上で寝転んでいた。
要「(………俺何してんだよ……)」
そういや自然と触れ合うの、何年ぶりだ?
煙草を吸おうにも部屋に置いてきてしまった為、手持ち無沙汰になって瞳を閉じた。
何処かで流れる水の音や鳥の鳴き声が心地良くて、眠りそうになりながらも、ここへ連れて来た元凶に目を向ける。
その姉は少し離れたところで絵を描いていた。
要「(……本当に変わってない)」
パレットにたくさんの色を並べて、壮大な青い空を描いているところも。
太陽の光よりもキラキラと輝く姿に、俺が目を逸らせなくなるところも。
それからは、姉が行きたいと言う度に自然の中に連れて行かれ、俺は中学を卒業する頃には荒れる生活にも飽きてしまっていた。
喧嘩や女遊びをするよりも、姉のたくさん使う色の中から1つの絵が生み出されるのを眺める方が……比べものにならないくらい、楽しかったから。
「要、聞いてよ!今日生徒に告白されちゃってさ〜」
要「(またノックもせずに…)へー良かったな」
「ちゃんと聞いてよ」と部屋に入ってきては頬を膨らませる姉に、思わず笑ってしまう。
要「それ犯罪じゃん。姉貴が逮捕されたら1回くらい面会に行ってやるよ」
「何それ?手紙じゃなくて会いに来てくれるとか優しすぎるんだけど…」
要「何で喜んでんだよ!」
薄々気付いていたが、姉貴は相当な弟馬鹿だ。
呆れながらも机に向かっていると、「何々?勉強?」と姉が興味深そうに覗き込んだ。
「何この難しい本!?化学の数式?」
要「まぁな。難しいって…仮にも教職員だろ」
母校の聖華女学院で美術を教えている姉にも、この本は難解らしい。
だが、化学物質にはたくさんの色があり、違う色に変化していく。
それは俺の興味を掻き立てるには十分で、学べば学ぶほどのめり込んでいった。
もう何回開いたかわからない本を読み進めていると、「…良かった。楽しそうな顔してる」と姉がボソリと呟いた。
「もーお姉ちゃん本当に安心したっ」
要「?何が「私ね……今度結婚しようかと思って」
いきなりすぎる話に、頭が追い付かなかった。
そうだ…姉はいつも大事なことは、後になって話すのだ。
「すごく真面目で優しい人でねーあ、同じ大学だったんだけど、今はその人研究員で…」
恥ずかしそうに話す姉を見つめながら、俺は心底安心していた。
怒りや悲しいといった感情ではなく、自然に嬉しいと思えた自分に。
幼い頃から誰よりも特別な立ち位置にいた姉に、この感情は抱いていて良かったのだと……認められた気がしたから。
高校2年生の冬、俺はその婚約者の顔を思い切り殴っていた。
「きゃああ!誰か!」
「やめなさい要…!!」
また殴りかかろうとする俺を、父親が体を張って止めてくる。
婚約者の男は情けなく座り込み、その母親は甲高い声を上げて戸惑っていた。
要「っお前……姉貴のこと好きなんじゃなかったのか?病気がなんだってんだ……姉貴はお前のこと本気で愛してたんだよ!!」
騒ぎに駆け付けた先生や看護師にも止められ、俺はまだ殴り足りない拳を握り締めるしかなかった。
姉貴は………余命半年の膵臓癌だと宣告された。
病気が見付かった時にはもう手遅れで、治療で治ることはないと。
俺が大学の帰りに見舞いに行くと、この婚約者と母親が先に病室を訪れていた。
「ごめんなさいね。私もあなた達の結婚を楽しみにしていたけど…この子はまだ若いし、将来を大事にしたいの」
「………………ごめん」
"将来を大事にしたい"
まだ若いのに余命宣告された姉に、どの口が言ってんだと俺は部屋の前で怒りを抑えながら聞いていた。
婚約者の男は、姉に一度だけ紹介されたことがある。
母親の言いなりになっている様子を見て、俺の中から良い印象は一瞬の内に消えていた。
要「お前に、姉貴は勿体ねぇよ」
俺が姉貴を守る。
赤くなった拳を血が滲むまで握り締めると、目の前で倒れていた婚約者は黙って俯いた。
この件はすぐに姉に知られることになり……後日、改めて見舞いに行った俺を姉は盛大に笑い飛ばした。
「あーもーほんと可笑しい……ぷぷ、はっはっは!」
要「〜〜〜っ笑いすぎだろ(一体誰の為だと…)」
くっくっと苦しそうにお腹を抑えている姉を睨み付けると、「ごめんごめん」と謝られる。
「だってまさか殴るなんて……ふっお父さんに感謝しなさいよ?あれから謝って大事にならないで済んだんだから………ふふ、」
要「(まだ笑ってんな…)親父が?何でそんなこと、」
「要のこと、本当はずっと心配してんだから。ただ不器用なだけで……だって、"あいつが殴らなかったら俺が殴ってた。良くやった"って言ってたもん」
俺は姉の話を聞きながら、まさかあの人が…?と信じられないと目を丸くした。
「ま、私も指輪返してやったけど」と、姉はベッドに寝そべりながら自分の掌を開いて見つめた。
その細い薬指には……もう光るものはなくなっていた。
「あの人の気持ちもわかるから。だって婚約者が不治の病なんて可哀想だもんー」
要「は?怒るとこだろ」
「怒れないよ」と微かに笑った姉は、何故かとても小さく見えた。
「でも要が殴ってくれたからすっきりした!ありがとう〜愛しの弟よ!」
要「やめろ…っ頭撫でんなって!」
「素直じゃないな〜私、要が本当はお姉ちゃんのこと大好きなの知ってるんだからね?」
要「!」
鈍感だと思っていた姉に悟られていたとは思わず、一瞬ドクンと鼓動が大きな音を立てた。
「私もブラコンだってあっくんとさっちゃんにも言われたけど〜」と姉は幼馴染の名前を出しながら、ケロッとしていた。
「……嘘。私がお姉ちゃんっこにしたの。一生懸命ついてくる要が可愛くてさ………それで、要からお母さんを奪ってしまった」
「本当にごめんね」と、真剣な表情で姉は俺を見据えた。
ー………っお母さんが出て行ったのは、俺のせいなの?
あの雪の日。俺を抱き締めてあやしていた姉も、震えていた。
俺は自分だけ被害者面して、世の中に反抗することで悲しみをなかったことにしたかった。
それでも……姉はいつも変わらずに明るかった。
要「……ありがとう。俺がガキだったから、頑張ってくれてたんだよな。姉貴に…2度も母親を失わせてごめん」
あの日の姉に、今の俺だったら何て言ってやれるだろう。
上手い言葉が見付からなくても、その震えた身体に傘をさしてやるくらいは出来たんじゃないか。
俺の言葉を静かに聞いていた姉の頬を、透明の涙がゆっくり伝っていた。
要「姉貴………?」
「あれ?ごめん。何でだろ……要が急に大人になったみたい、」
自分でもわからない涙を拭う姉が、俺にはとても綺麗に見えた。
触れようと伸ばした手を、躊躇うようにそっと戻す。
母親を失っても、病が発覚しても、婚約者が去っていっても…………姉は人前で泣かなかった。
そんな姉が俺の言葉で涙を流してくれることが、嬉しかった。
俺は時間が許す限り姉の見舞いに行き、受験勉強も病室でしていた。
姉もベッドの上で絵を描きながら、勉強を教えてくれた。
一分一秒でも長く、姉と一緒にいたかった。
そんな俺の願いが届くように、俺が大学を受験する日も姉は明るく送り出してくれた。
要「はー…何か緊張してきた」
「頑張れ!要は絶対いい先生になれるよ」
「だって私の自慢の弟だからっ!」と太陽のように明るい笑顔が、俺を励ましてくれた。
また「おかえり」と、きっと姉が迎えてくれる。
そう思えたら不思議と力が抜けて、受験に挑むことが出来た。
それなのに………俺が早足で病室を訪れると、父や医師の先生が姉のベッドを囲んでいた。
その日は一段と寒く、パラパラと降り積もる白い雪が窓の外に見えた。
「……………姉貴………?」
ドクドクと心臓が飛び出そうなほど、鼓動が鳴り続ける。
ベッドには青白い顔をした姉がいて、ただ静かに眠っているように見えた。
要「………っ何でだよ、今朝はあんなに元気だったじゃねーか…………」
俺は嘘だと思いたくて、初めて姉の手に触れた。
痩せ細ったそれはまだ温かくて、俺は瞬間的に姉の顔を覗く。
薄っすらと瞼を開けた姉と目が合い、何か言いたそうにして………その口元が少しだけ緩んだ。
温かかった体温が、だんだんと冷たくなっていく。
白い雪が透明になるように、命が、消えていく。
ー初めまして、要くん。今日から宜しくね
ー素直じゃないな〜私、要が本当はお姉ちゃんのこと大好きなの知ってるんだからね?
ー頑張れ!要は絶対いい先生になれるよ
姉貴は俺の、一番大切な人だった。
それがどんな形をしているのか、どんな色をしているのかはわからない。
ただ、ずっと、愛していたんだ。
