睡眠時間はきちんと取りましょう

 今日も相変わらず、江戸の街では猛暑が続いている。
「あ゛〜……クソ、あっぢいなオイ……」
 かぶき町一番街。天候のせいかいつもよりも人通りがまばらなその道にて、坂田銀時は恨めしげな声を出しながら、ダラダラと一人万事屋への帰路を歩いていた。
「いや何なの、この暑さ。拷問の一種? 地球って実は自分のことオーブンか何かと勘違いしてたりする? んなこと誰も望んじゃいねーからねホント。人間には適正温度ってモンがあんだからさあ」
 口をついて出るのは文句ばかりだ。すぐそばでジジジッとセミが飛んでいった音にさえ、「五月蝿えよ! あんまり口煩い男はアレだよお前、嫌われるよ!?」と、思わず意味もなく八つ当たりをする始末である。
 今日も今日とて依頼なんてものは無く、良く言えば〝他人より時間に余裕がある〟この男が、いつものようにひと儲けでもしようと画策し意気揚々とパチンコ屋まで向かったのは今から少し前のこと。マしかし案の定大負けし、ジャンプを買う三百円すら宇宙の彼方へ消えていってしまい。にっちもさっちもいかなくなってしょんぼり肩を落としながら店を出たところ……なんてこったい、自動ドアの向こうに広がる先ほどまで曇っていたはずの空模様はいつの間にか、突き抜けるような青空を覗かせていたのである。いやでも暑さを痛感させられるカンカン照りだった。おかげで万事屋までの道のりは、数時間前までよりも明らかに眩さを増していた。
「たでーまぁ」
 はてさてそんな地獄を乗り越え、銀時は数分後ようやっと万事屋に到着した。エアコンなんてものとは無縁の、相変わらず蒸し暑い我が家に顔を顰めた彼は、けれどブーツを脱ぐとふと顔を上げ。直後、ん? と僅かに首を傾げた。
「……アリ? んだよ、誰もいねーの?」
 万事屋は静まり返っていた。確かに今日神楽と定春は遊びに出掛ける予定で、新八は今日はお妙と日帰り旅行に行くとかで休みを取ってはいるが。しかしここに住んでいるもう一人の娘、小春は休みだったはずだ。
 けれど普段ならひょこりと顔を覗かせて「おかえりなさい」と出迎えてくれる彼女は、今日はどの部屋からも出てくる気配が一切なかった。アイツ、買い物でも行った? 何か用事あるとか言ってたっけ。銀時はそんなことを考えながら、ひとまず家の中に足を踏み入れた。ギシギシと僅かに軋む縁甲板の音をBGMに台所に向かうと、脱水症状を起こす前にと冷蔵庫からいちご牛乳のパックを取り出してグラスに注ぐ。こうも暑いときは、キンキンに冷えたいちご牛乳をガブ飲みしつつ思いっ切り扇風機の風を浴びるに限るのだ。ゴクゴクと一気に半分ほど飲み干してから、彼は居間に向かう——と。
「うお」
 銀時は動きを止めた。
 というのも、すっかりこの場にはいないものだと思っていた小春が居間にいたのだ。普段依頼人と向かい合わせで座るソファーの片方。その端の席で扇風機に吹かれつつ、背凭れに凭れかかるようにして腰掛けているちいちゃな背中が、ふと彼の視界に映ったのである。ジャスタウェイの形をした風鈴が窓際でそよいで音を奏で、首振り扇風機が小春のほうを向くたび。死角にならずに僅かに見えている彼女の特徴的な髪が控えめに、けれどふわふわと踊るように揺れているのが見て取れた。
「ア? なに、いんじゃねーか」銀時はその光景を一瞥してから、ガシガシ後頭部を掻きつつ居間に足を踏み入れた。回り込んでグラスをテーブルに置くと、「ちょっと、小春ちゃあん?」と冗談めかして言う。
「ったく、いるならちょっとくらい反応してくれても良くねえ? 完全スルーとかさあ、銀さんだって流石にちょっと寂しくなっちゃうんです、けど——、」
 しかし小春の顔を覗き込むなり、銀時の言葉は不自然に止まった。赤い瞳を僅かに見開いてから、彼はまじまじと目の前の光景を見つめる。
 小春は目を瞑っていたのだ。すやすやと小さな寝息を立てながら、それに連動するように胸が上下している。机の上には大江戸マートのレシートが置かれていて、彼女の膝の上にはエコバッグが置かれていた。どう見ても、今の今まで買い物に行っていたと思われる風貌である。
「……え。寝てんの?」
 銀時は呆気にとられる。小春は銀時とは違い、普段あまり昼寝をするようなタイプではないからだ。放っておくと自分を顧みることなくいつまででも働き続け、普段から仕事を三つほど掛け持ちしているくらいだし。〝零か百か、極端な奴しかいないのかい? 銀時にアンタの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだよ〟——以前お登勢がそう呆れたように言っていたこともあるくらい、とにかく真面目な性格だし。つまり、真っ昼間に寝落ちしているなんて今の事態はかなり珍しいといえた。
「おい、小春」
「……」
「小春チャン?」
「……ん、……」
 声を掛けてみても、小春が起きる気配は一向になかった。僅かに身動ぎだけした娘を、銀時は眉を下げて見下ろす。そのまま数秒後、やおらよっこらせと彼女の前に屈み込んだ。
 コイツもしかして熱あんじゃねーの。前述したような性格なので、彼女は放っておくと無理をしすぎる気(け)がある。銀時は段々心配になって、大きな手を色白の額に当てた。が、どうやら熱はなさそうだ。ということは、単なる疲労や寝不足による寝落ちか。ひとまず安心して肩を竦めると、膝の上で頬杖をつく。彼女の目の下にすっすらと浮かぶくまを見てから、大きく溜息を吐いた。
「ったく……頑張りすぎだっつーの」
 小春は本当によく眠っていた。コツンと額を指先で軽く小突いてみたが、起きる気配がない。扇風機の風によって定期的に揺れている綺麗な髪、くるんとカールしている豊満な睫毛、ダボついたシャツの隙間から見える柔肌——それらをしばらくじっと見てから、銀時は平べったい目をする。
「……」
 ……なんというか、あまりにも無防備すぎやしないか。
「小春」
 改めて声を掛けた。返事が無いのを一瞥すると、溜息を吐きながら「……お前さんさあ」と抑揚のない声で言う。柔い頬に触れると、スリスリと撫でながら続けた。
「なーんでんな可愛い顔して寝てんの? 銀さんのこと生殺しにすんのやめてくんない?」
「……」
「……」
「……」
「……。…………銀さんに何されても文句言えねーかんねこれ」
 銀時はジッと小春を見つめてから、そのままソファーの背凭れに手をついて、流れるように小春の額にキスを落とした。それから一拍置いて、ふと(いや俺何やってんの?)と我に返る。寝ている恋人の額にキスなんて、どこの少女漫画だ。こちとら良い年した大人同士だというのに。
(あー、くそ。こうなったら次抱くときドロッドロにしてやるかんなコノヤロー)
 銀時は小春の首元近くの背凭れに顔をつけて、勝手に決めたそんな邪な目標を脳内で宣言した。それから身を起こしてガシガシと直後後頭部を掻くと、懐手をしながら大袈裟に溜息を吐いて立ち上がる。ブランケットってどこにあったっけ。和室のほうまで行って探し回ったのち、しばらくしてようやっと見つけたそれを掴んで居間に戻った。適当なサイズに折りたたみ、小春の膝に掛けようとして——けれどその時、はたと動きを止める。
 ふと、先ほどまで眠っていたはずの小春と目が合ったのだ。銀時は目をぱちくり瞬くと、「お。おはよーさん」と言葉を掛ける。
「おはよう」小春は寝起きらしい掠れた声で言った。「ごめんね。私、いつの間に寝て……」
「別に謝るこたぁねーよ」先ほど理不尽に色々言っていたことは全て棚に上げて、格好付けて言う。「すげー寝てたしさあ、疲れてんじゃねーの」
「そんなことは——ないと、思うけど……」
「嘘吐け。今だってどう見ても眠そうじゃねーか」
 銀時は呆れたような顔をして小春を見た。冗談は置いておいて、明らかに彼女はまだ疲れが取れているように見えなかった。彼は溜息を吐いて、改めてブランケットを掛けてやりながら言う。
「お前さあ、もしあれならもう一回寝とけば」
「え」
「たまにはグータラする日があったって良いんじゃねーの。依頼はねーし、新八が土産渡しに来んの夜って言ってたし。今日は神楽友達と食べて帰るって言ってたから、大人二人なら夕飯昨日の残りモンでなんかテキトーに作っといてやるから」
「……」
「小春?」
 どういう訳かフリーズしていた小春に声を掛けると、彼女はハッとして曖昧な返事をした。まさか本当に体調が良くないのか。思いのほか素直に返事をした彼女の様子に僅かに眉を顰めた銀時は、良いから黙って寝とけと声を掛けるとテーブルのいちご牛乳の入ったグラスを手に取る。
 先ほどからすっかり飲むのを忘れていたのだ。温くなって不味くなる前に飲まなければと、彼は水滴の付いたそれを見てぼんやり思った。するとその向こうから、「ねえ、銀さん」と控えめな声が聞こえてくる。
「んー?」
「あ、あのね」
「ん」
「銀さんの言うことは最もだなって思った。また寝落ちして迷惑掛けてもいけないし、風邪なんか引くわけにはいかないし」
「おう」
「だけどね。その……私が寝たら、……またキス、されるの……?」
「ゴフッ」
「そ、それは困るっていうか……落ち着かなくて寝られないというか……」
 口に含んだいちご牛乳を吹きそうになって、銀時は慌てて口元を押さえた。なんとかすべて飲み込むと、何度かげっほげっほと咳き込んでから小春を見やる。……彼女はあからさまに頬を染めていた。銀時と視線が交錯すると、生娘のように目を逸らす。
「げほ……え? 何お前さん、さっき起きてたわけ?」
「……あ。えっ、と、起きてたっていうか、途中で目が覚めたの」
「どこから?」
「その。き、……キス、された辺りから……」
「マジ? それで反応おかしかったわけ?」
「……ぅ」
 ぽぽぽと赤くなる頬。それはどんな返事なんかよりも分かりやすい返答だった。そんな彼女をじっと見ているうちに、銀時の心の中ではドSの血がむくむくと大きくなっていく。いやほんと可愛いな。マジで何なのコイツ。
 彼は相変わらず困惑している様子の小春を見て、それから息を吐いた。落ち着け俺。大人としてなんとか理性を保ち、安心させるようにぽんと頭を撫でると、ややあって「小春がちゃんと寝るっていうんならもうしねーよ」と微笑みかけた。
「う、うん。そうだよね」
 小春はそれを聞いて、あからさまにホッとしたような顔をした。キスしないって言ってその顔されんの、銀さんなんかちょっと複雑なんですけど。そんなに落ち着かねーの? 銀時はそんなことを思ってちょっぴり不貞腐れたような顔をして、おもむろに小春の髪を一房手に取ってクルクル指先で弄ぶ。毛先に向かうにつれて色素の抜けている、特徴的な彼女の髪をひとしきり触り倒してから、「つーかさあ」と彼女の名前を呼んだ。黒曜と真紅の瞳がかち合ってから、銀時は少し口角を上げて言う。
「もういっそのこと、このまま一緒に寝る?」
「……へ」
「どうせお前のことだから、一人で寝ると気が引けるとかなんとか思ってんだろ? どうせ新八も神楽もまだ帰ってこねーし、飯作んのももうちょい後で良いし。だから銀さんが添い寝して共犯になってやろうか」
 目を白黒させている小春を見て、銀時はどーよ? と問うた。
「あ、えっと……添い寝……」
 もちろん冗談である。少し揶揄いたくなっただけで、別に今やましいことをするつもりなんてないのだ。そりゃあ、本音を言ってしまえばいくらでも抱いてしまいたいけれど。一緒に寝るというのを口実に、あわよくば流れるようになし崩してあれやこれやしたいという気持ちは、それはもう無茶苦茶あるけれど。けれど疲れている様子の彼女を寝かせてやりたいのは本心で、それは一番大事なことだった。だからややあって口を開く。
「なーんて、な——」
「わ、分かった」
「…………は?」
「ちゃんと寝るなら、その——勝手にキスとかはもうしないんでしょ? あと一時間くらいなら絶対新八くんたちも帰ってこないと思うし。それに一人で寝るのは、何となく気が引けるから……」
 小春はちらりと銀時を見上げた。ブランケットを退かすと、どうぞと言わんばかりにスペースを空ける。
「銀さん。一緒に寝よ?」


「……つまり」
 新八は眼鏡を押し上げ、呆れたような顔で銀髪を見下ろした。ソファーの上の銀髪は横になっているにも拘わらず酷く疲れた様子で、諦め切ったように己の顔の上に手を当てている。その胸の辺りでは小春が安心したようにすやすや眠っていて、いま話にあった『一時間』をとっくに超えているこの時間まで、一度も起きることはなかったらしい。本当に、相当疲れていたようだ。
 新八は隣に立っている神楽と目配せをしてから、少し控えめな声量で言葉を続ける。
「冗談で添い寝するって言ったら小春さん真に受けて寝ちゃって、言い出したはずのアンタはどうすれば良いのか分からなくなったってことですか」
「そんで天パは眠れなくなって、一人でこの数時間、ずっと悶々してたアルか」
「…………そーだよ。悪い?」
「悪いっていうか、馬鹿ネ」
「うん。馬鹿ですね」
「〜〜っ、うっせー!!!」
 チリン、と遠くで風鈴が鳴る。
 今日も今日とて、万事屋は平和である。
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