ケーキを配達するだけの簡単なおしごと
「ねえ、おねーさん。そんな悩んでないで大人しくおれたちについてきなって。迷子なんでしょ? あとで目的地まで連れて行ってあげるからさぁ、その代わり一緒にご飯食べようよ。おれらの店近いからさ」
「……結構です。迷子じゃないので」
「えー、どう見ても迷子でしょ。こんな場所 に来ちゃってさ。そんな警戒しなくて良いって。取り敢えずそんな難しい顔してないで、おれたちと一緒に来てよ。ねっ?」
「お断りします」
「えー? あ、お前の顔が怖いから怖がられてるんじゃね?」
「ハア? そういうお前の方こそイカつい服装で怖がらせてんじゃねーの」
「何言ってんだし。自分の格好鏡で見てから言え!」
「そりゃあこっちのセリフだっつーの!」
「……」
目の前に立ちはだかったままわざとらしい言い争いを始めた男たちを見上げて、私は思わず眉をしかめた。この人たちはどうやらホストクラブの客引きらしいけど……とにかく強引で諦めが悪い。今の彼らが普通の客引きよりも明らかにしつこい(まあ普通の客引きはされたことがないから知らないんだけど)その理由に今の私は心当たりがありすぎるので、彼らの派手な服装から目を逸らしつつ、とにかくいかにここから無事に脱出するかを考える。
というのも彼らはついさっきまで、ここにいたもう一人の男に殴る蹴るの暴行を加えていたのだ。血だらけになって悪態をつきながら逃げて行ったその人は同じような服装をしていたから、きっと同業者なんだろうけど——明らかにタイミング悪くこの裏路地に迷い込んで喧嘩中の修羅場にうっかり顔を覗かせてしまい、その人を逃がすきっかけを作ってしまった私は、この二人に完全に怒らせてロックオンされてしまったらしい。見なかったことにして逃げようとした行く手を阻まれて、おねーさん名前なんて言うの? だとか、これから時間ある? だとか、先程からしつこくしつこく聞かれて。無視しようにもどうにか躱そうにもあまりにしつこく付き纏って話し掛けてくるものだから、今もまさにどうしたものかと内心焦り始めているところだ。……何というか、運が悪すぎる。
打開策として多分一番良いのは、この裏路地をどうにかして抜け出して人の沢山いるであろう大通りに出ること。それでさっき通り掛かった駄菓子屋さんの前にでも戻って、店先に座っていた店主のおじさんとかにでも道を聞くこと。
……よし。
未だに揉めている二人の前で、私は心の中で深呼吸をする。まるでゾンビみたいに何度でも立ち塞がる彼らから逃げるには、きっと二人の注意が私から逸れている今が一番のチャンスだ。私は覚悟を決めると、心臓をバクバク鳴らしながら心の中でカウントダウンをした。三、二、一……よし、走る! ザッと靴を踏みしめて、勢い良く踵を返して。思いっきりふくらはぎに力を込めて、背後から聞こえる怒号に構わず一生懸命走る。待てと言われて待つものか。あの人たちは怖いけど、いま逃げられなくてもしこのままどこかに連れて行かれたらもっと怖いし。それにそもそも今の私は、こんなところで油を売っている時間なんてないのだ。
——この商品をね、地図のこの場所まで届けて欲しいのよ。頼めるかしらねぇ。
私が住み込みで働いている〝万事屋銀ちゃん〟。そこに近所のケーキ屋さんのおばあちゃんからそんな依頼が舞い込んできたのは、今から少し前のことだった。知らないうちに別の依頼を受けたらしくどこかへ出かけて行った銀さんと、定春と遊びに出かけた神楽ちゃんは不在。だからその場に居合わせた私と新八くんで詳しく話を聞いてみると、おばあちゃんからの依頼内容はこうだった。
『街の向こうに住むタナカさんってお宅がね、毎年一人娘の誕生日ケーキを一か月前に予約してくれるんだけどねえ。だから今年も、満を持して作ったケーキを配達に行こうと思ったんだけども——これが困ったことに、いつも配達に行ってる息子がさっき突然ギックリ腰になっちまってさ。ウチの店には従業員は他にいないし、アタシゃ運転免許を持ってないし、かと言って歩いて配達しようにもこの通り足が悪いもんで、着く頃には日が暮れちまう。そんな時にアンタらのこと思い出してねぇ、どれひとつ頼んでみようかと思って来たのさ。なに、そんなに遠い距離じゃないさ。良ければ届けてやってくれないかい? もちろん報酬はちゃんと払うよ』
『新八くん、どうする? 銀さん今いないけど……私たちだけで勝手に受けちゃっても良いかな?』
『良いと思いますよ! あ、でもあの人案外寂しがり屋だから、出掛けるときに一応書き置きだけ残しておきましょうか』
『あはは、賛成』
報酬が貰えるのなら、万年金欠の万事屋としては断らない手はない。少しはお登勢さんに払う家賃の足しになるかもしれないし、食費の足しになるかもしれないし。そんな訳で私たちは少しだけ話し合いをして依頼を受けることに決めると、ふたつ返事でおばあちゃんが持ってきていた大事なケーキを預かった。更には話をするうちに、私より力のある新八くんはおばあちゃんを家まで送って、ついでにギックリ腰になったという息子さんの様子を一度見に行くという追加の仕事も請け負うことになって。だからケーキをタナカさん宅に運ぶという大役は必然的に私が務めることになり、私はおばあちゃんから手渡された地図とケーキを持って、意気揚々と万事屋を飛び出した——ところまでは順調に進んだんだけど。
……悲しいかな。そこまで遠くない距離だから大丈夫だと思っていたのに、私が見事に方向音痴を発揮してしまったのは万事屋を出てから割とすぐのことだった。どう考えたって地図とは見当違いなところにいる気がしたけれど、それでも取り敢えず気合いで辺りを歩いてみると……気が付いた時にはいつの間にかさらに奥の、よく分からない裏路地にまで入り込んでいて。そして何故だかこの人たちの暴力事件に遭遇してしまい——気が付いたらこんな訳の分からない、ケーキを運ぶ幸せなお仕事とは真逆の状況に巻き込まれていたのである。
——閑話休題。
不本意ながら、我ながら某小学生探偵のようにトラブルに巻き込まれることが多い自覚はある。とはいえ、何だかんだいつも最終的には何とかなっているのもまた事実。だから今回も気合いでどうにかなるだろうと覚悟を決めて、私はとにかく思いっ切り走った。けれどしばらく進んで角を曲がろうとしたところで、突然背後から腕を掴まれて後ろに引っ張られる。
「っ!?」
当然走り続けることはできなくて、私は立ち止まると反射的に振り返った。不意打ちのつもりだったけど全然撒くことはできなかったみたいで、そこに立っていたのはやっぱりあの男たち。二人とも笑顔を浮かべているけど、一方で二人とも目が笑っていなかった。しかも一人は容赦なく私の腕を掴んできたものだから、逃げようにも逃げられなくて流石に少し焦りが募る。
「チッ、手間掛けさせやがって」
「は、離してください!」
「えー? だっておねーさん、つれないんだもん。勝手に立ち去るのは酷くない? おれらにあんまり恥かかせないでよ」
「そーそー、ここを通り掛かったのも何かの縁だよ。おれら今ムシャクシャしてるからさあ、ちょっとくらい付き合ってくれても良いんじゃない? 店行ったらさあ、いっぱいもてなしてあげるよ」
「間に合ってます!」
ひとまず一旦『もてなす』の意味を辞書で引いてから出直して欲しい。客に来店を強要する飲食店なんて、どう考えてもおかしいでしょ。でも叫んでも暴れても、腕を掴む手は離れるどころか力が弱まることすらなかった。どうにかして他に逃げる方法を探さなきゃ。必死に考えていると、「君めちゃくちゃ暴れるけどさあ、これがどうなっても良い感じ?」と突然もう片方の手で持っていた紙袋を奪い取られる。
「!」
それはもちろん、タナカさん宅に配達予定のケーキが入った紙袋だった。さっきから走るときも暴れるときも、それだけはなるべく揺らさないように必死に守ってきたその袋を、男は乱雑に持ち上げ今にも落としますと言わんばかりに高く掲げる。ぶんぶんと目の前で左右に振られて、ざあっと血の気が引いた。
「! ちょっ、」
「やめてほしい? やめてほしいよねー。なんか知らないけどおねーさん、さっきからすっごいこれ大事に守ってるもんね」男がニンマリ笑って私に顔を近付ける。「分かってよ。こっちだって商売かかってるからさぁ、ね? おねーさんには見られちゃまずいもん見られちゃったから、ちゃんと店で話し合いしないと」
「大事なんでしょ、それ今日何かの記念日なのかな? おねーさんが嫌だって言ったらこいつ、うっかりこれ落としちゃうかもよ〜」
「やっ、やめて、」
「なら良いから黙って一緒に来なって」
「あんまり調子乗ってないでさあ、自分の今の立場考えなよ」
「……っ、」
強く腕を掴まれて骨が軋む感覚に顔を顰めながら、私は今にも地面に落とされてしまいそうな紙袋を見た。
あれは私が配達を任された大事な商品なのだ。もし万が一ケーキを届けられないようなことがあったら、丹精込めて作ったケーキの配達を藁にもすがる思いで依頼してくれたおばあちゃんにも、配達されるのをきっと楽しみに待っているタナカさんにも申し訳が立たないし、それに大好きな万事屋の看板にも傷が付いちゃう。よく分からないお店に連れて行かれるのは怖いけれど、そんなことは絶対に避けたかった。万事屋のみんなみたいに誰かを守れるほど強くはないけど、私だってケーキの一つくらい守りたい。
「……本当に、大人しく従ったらそれ返してくれるんですか」
「うんうん、返してあげる」
「今日中に返すって約束してください」
「君が素直に話し合いに応じてくれればすぐ済むさ」
「…………」
黙った私を見て、男たちはニヤリと笑った。肯定の意だと受け取ったのだろう。抵抗をやめたからかほんの少しだけ、腕を掴む力が緩む。
「はは、そうそう。最初からそうやって大人しく従っとけば良かったんだよ。じゃあ行こっか。ほんと、店すぐそこだからさ——」
有無を言わさぬ力で引っ張られて重心が傾いた。男たちと歩幅が違うせいで足が縺れて、ぐきりと変な方向に曲がった足首に顔を顰める。震えそうになる身体になんとか喝を入れて唇を噛んだ、そのとき。
「ぐああッ!?」
先頭を歩いていた男が、瞬きのうちに突然吹っ飛んだ。かと思えば私の腕を掴んでいた男も、断末魔を上げて地面にめり込むみたいにして沈む。一瞬のことで何が起きたのか分からなかった。思わずぽかんとしていると、「……ったくよォ」と目の前で怠そうな声が一つ。
「こーんな細っこい女一人に、野郎二人で寄ってたかって迫りやがって」
「!」
私はハッとして顔を上げた。耳に届いたのは聞き慣れた低い声だ。次いで視界に映ったのは、見慣れた着流しに青みがかった髪——……。
「テメーらは一人じゃ恥ずかしくて告白しに行けない女子中学生ですかーコノヤロー」
「銀さん!」
はたして、銀さんは男たちを見下ろしつついつの間にかそこに立っていた。「ッてめえ何者だ!」よろよろと起き上がって殴りかかろうとする男たちをいとも簡単にねじ伏せると、ついと視線を私へと移す。乱雑にポケットに手を突っ込むと、靴音を立てながらこっちに近付いてきた。吊り目がちの瞳と目が合う。
「よォ、小春チャン。お前さん、なーに道草食ってんの?」
「み、道草食うつもりはなかったんだけど……」
「おーおー、そりゃ結構。んで怪我は?」
「大丈夫だよ。助けてくれてありがとう」
「……大丈夫、ねぇ。その庇ってる足と赤くなってる手首は痛くねーわけ?」
「!」
銀さんはじっと私のことを見下ろすと、呆れたように私の腕や足を見た。ば、バレてる……! 思わず視線を逸らすと、彼は溜息を吐きながらみょーんと私の頬を抓る。
「おい小春、あんま無茶すんなって銀さんいつも言ってるでしょーが」
「ぅ。ごめんらひゃい……」
パッと離された頬を撫でる。ちょっと痛い。そう思ってから、あれ? と顔を上げた。
「そういえば銀さんはどうしてここに? なんか別の依頼があったんじゃ」
「どうしてって、あのなぁ……」
銀さんは呆れたような目で私を見た。えっ、なに? きょとんと首を傾げると、彼はガシガシ後頭部を掻きながら言う。
「別の依頼が片付いたから万事屋帰ったら、誰も居ねえし? んで置いてあった置き手紙読んだら〝新八くんはケーキ屋のおばあちゃんちに、私は向こうの街までケーキの配達に行ってきます〟だァ? 小春チャンよー。お前さんとんでもねー方向音痴なんだから一人でフラフラどっか行くなーって、前に銀さん言わなかったっけ?」
「あ……。えへ……」
「えへ……じゃねーっつーの! ったく、新八にも言っとくんだった。あいつも神楽も、お前さんが引くほど方向音痴なこと知らねーもんなぁ」
「そんな、大丈夫だもん」
「いやどっから来んだよその自信! さっき完全に迷子になってたのどこの誰ですかァ!?」
クワッと目をかっ開いた銀さんを見て苦笑した私は、けれどその時ふと何か大事なことを忘れている気がして固まった。ん? 置き手紙……? 一瞬考えて、直後我に返ってはっとする。真っ青になりながら倒れている男たちを見た。
「っそうだ、ケーキ! どうしよう銀さん! タナカさんちに届けるケーキ、どこかに落ちて——」
ずい、と目の前に何かが突き出されたのはその時だった。「え、」呟きながら目を瞬くと、それはすっかり見慣れた、まさしくさっきまで私が抱えていたケーキの入った袋だった。「ほら、んな顔すんな」彼はそう言って、私の手に紙袋を押し付けてくる。
「い、いつの間に取り返してくれたの……?」
「さっき倒す直前に取り返しただけだから、流石に中身が完全に無事かどうかまでは分かんねえけどな。ま、あそこのばあさんのケーキ美味いし、味は平気大丈夫だろうけど、……小春?」
「……っ、よかった、」
本当に良かった。箱ごとぐちゃぐちゃにされる前に取り返せた。私は心底ほっとして、紙袋の取っ手をぎゅうと握り締めた。それから顔を上げると、銀さんに笑顔を向ける。心の底からの想いを込めて、感謝を伝えた。「ありがとう、銀さん」
「……——、」
「……? あれ、銀さん?」
銀さんは何故か突然少しだけ顔を背けてフリーズすると、そのまま暫く動かなかった。それに心無しかちょっと顔が赤い気がする。どうしたんだろう。そう思って首を傾げると、もぞもぞと口元が動いた気がした。
「いや、いやいや……俺は良い歳こいてなに男子高生みたいな反応してんだぁオイ……」
「え?」
何か言ったみたいだけど、上手く聞き取れなかった。もしかして体調悪い? 心配になって名前を呼ぶと、「〜〜ッアー……クソ、」と銀さんは突然天を仰ぐ。直後突然浮遊感がしたかと思えば、グンッと私の視界が高くなった。
「うわあっ!?」
横抱きにされていると気付いたのは直後のことだ。えっなに!? なんで!? 思わず目を白黒させていると、「ほら。お前が身体張って守ったもん、さっさと配達すんぞー」と頭上から銀さんの声がする。
「タナカさんだっけ? そいつの家、この地図の丸付いてるとこ?」
「そ、そうだけど……」
「あそー。つーか逆にこの地図でここまで来れたの奇跡じゃねーの、お前。ほら、うっかり落とさないようにこの紙袋ちゃんと持ってろよー」
「それは勿論持つけど——待って、何で抱っこされてるの私!」
「んあ?」
銀さんはケーキを私に手渡すと、スタスタと歩き始めた。落っこちるんじゃないかと反射的に彼の着物を掴むと、「落としゃしねーよ」と返ってくるのは呆れたような溜息。
「あのなあ。怪我してる女歩かせるほど銀さん甲斐性無しじゃねぇからね? それにここで放って帰ったら、お前さん迷子になって一生万事屋に帰って来られないでしょーが。それとも何? 小春チャンは俺のこと、そんな薄情なヤツだと思ってたわけ?」
「ち、がうけど……」
「だろ? ならさっさとこの仕事終わらせて、今日の報酬で美味いもん買って帰ろうや」
「……」
私はきょとんとして、それからふっと笑った。銀さんの胸に頭を擦り付けると、「うん」と返事をする。
「えへへ、ありがとう。銀さんだいすき」
「……へーへー」
だからズルいんだっつーの、クソ。
銀さんがよく分からないことを呟いたけど、何がどうズルいのか私にはよく分からなくて。取り敢えず帰りに買って帰れそうな、銀さんの好きそうな甘いもののお店を頭の中でピックアップしながら、私は大事なケーキの入った紙袋を抱え直した。
「……結構です。迷子じゃないので」
「えー、どう見ても迷子でしょ。
「お断りします」
「えー? あ、お前の顔が怖いから怖がられてるんじゃね?」
「ハア? そういうお前の方こそイカつい服装で怖がらせてんじゃねーの」
「何言ってんだし。自分の格好鏡で見てから言え!」
「そりゃあこっちのセリフだっつーの!」
「……」
目の前に立ちはだかったままわざとらしい言い争いを始めた男たちを見上げて、私は思わず眉をしかめた。この人たちはどうやらホストクラブの客引きらしいけど……とにかく強引で諦めが悪い。今の彼らが普通の客引きよりも明らかにしつこい(まあ普通の客引きはされたことがないから知らないんだけど)その理由に今の私は心当たりがありすぎるので、彼らの派手な服装から目を逸らしつつ、とにかくいかにここから無事に脱出するかを考える。
というのも彼らはついさっきまで、ここにいたもう一人の男に殴る蹴るの暴行を加えていたのだ。血だらけになって悪態をつきながら逃げて行ったその人は同じような服装をしていたから、きっと同業者なんだろうけど——明らかにタイミング悪くこの裏路地に迷い込んで喧嘩中の修羅場にうっかり顔を覗かせてしまい、その人を逃がすきっかけを作ってしまった私は、この二人に完全に怒らせてロックオンされてしまったらしい。見なかったことにして逃げようとした行く手を阻まれて、おねーさん名前なんて言うの? だとか、これから時間ある? だとか、先程からしつこくしつこく聞かれて。無視しようにもどうにか躱そうにもあまりにしつこく付き纏って話し掛けてくるものだから、今もまさにどうしたものかと内心焦り始めているところだ。……何というか、運が悪すぎる。
打開策として多分一番良いのは、この裏路地をどうにかして抜け出して人の沢山いるであろう大通りに出ること。それでさっき通り掛かった駄菓子屋さんの前にでも戻って、店先に座っていた店主のおじさんとかにでも道を聞くこと。
……よし。
未だに揉めている二人の前で、私は心の中で深呼吸をする。まるでゾンビみたいに何度でも立ち塞がる彼らから逃げるには、きっと二人の注意が私から逸れている今が一番のチャンスだ。私は覚悟を決めると、心臓をバクバク鳴らしながら心の中でカウントダウンをした。三、二、一……よし、走る! ザッと靴を踏みしめて、勢い良く踵を返して。思いっきりふくらはぎに力を込めて、背後から聞こえる怒号に構わず一生懸命走る。待てと言われて待つものか。あの人たちは怖いけど、いま逃げられなくてもしこのままどこかに連れて行かれたらもっと怖いし。それにそもそも今の私は、こんなところで油を売っている時間なんてないのだ。
——この商品をね、地図のこの場所まで届けて欲しいのよ。頼めるかしらねぇ。
私が住み込みで働いている〝万事屋銀ちゃん〟。そこに近所のケーキ屋さんのおばあちゃんからそんな依頼が舞い込んできたのは、今から少し前のことだった。知らないうちに別の依頼を受けたらしくどこかへ出かけて行った銀さんと、定春と遊びに出かけた神楽ちゃんは不在。だからその場に居合わせた私と新八くんで詳しく話を聞いてみると、おばあちゃんからの依頼内容はこうだった。
『街の向こうに住むタナカさんってお宅がね、毎年一人娘の誕生日ケーキを一か月前に予約してくれるんだけどねえ。だから今年も、満を持して作ったケーキを配達に行こうと思ったんだけども——これが困ったことに、いつも配達に行ってる息子がさっき突然ギックリ腰になっちまってさ。ウチの店には従業員は他にいないし、アタシゃ運転免許を持ってないし、かと言って歩いて配達しようにもこの通り足が悪いもんで、着く頃には日が暮れちまう。そんな時にアンタらのこと思い出してねぇ、どれひとつ頼んでみようかと思って来たのさ。なに、そんなに遠い距離じゃないさ。良ければ届けてやってくれないかい? もちろん報酬はちゃんと払うよ』
『新八くん、どうする? 銀さん今いないけど……私たちだけで勝手に受けちゃっても良いかな?』
『良いと思いますよ! あ、でもあの人案外寂しがり屋だから、出掛けるときに一応書き置きだけ残しておきましょうか』
『あはは、賛成』
報酬が貰えるのなら、万年金欠の万事屋としては断らない手はない。少しはお登勢さんに払う家賃の足しになるかもしれないし、食費の足しになるかもしれないし。そんな訳で私たちは少しだけ話し合いをして依頼を受けることに決めると、ふたつ返事でおばあちゃんが持ってきていた大事なケーキを預かった。更には話をするうちに、私より力のある新八くんはおばあちゃんを家まで送って、ついでにギックリ腰になったという息子さんの様子を一度見に行くという追加の仕事も請け負うことになって。だからケーキをタナカさん宅に運ぶという大役は必然的に私が務めることになり、私はおばあちゃんから手渡された地図とケーキを持って、意気揚々と万事屋を飛び出した——ところまでは順調に進んだんだけど。
……悲しいかな。そこまで遠くない距離だから大丈夫だと思っていたのに、私が見事に方向音痴を発揮してしまったのは万事屋を出てから割とすぐのことだった。どう考えたって地図とは見当違いなところにいる気がしたけれど、それでも取り敢えず気合いで辺りを歩いてみると……気が付いた時にはいつの間にかさらに奥の、よく分からない裏路地にまで入り込んでいて。そして何故だかこの人たちの暴力事件に遭遇してしまい——気が付いたらこんな訳の分からない、ケーキを運ぶ幸せなお仕事とは真逆の状況に巻き込まれていたのである。
——閑話休題。
不本意ながら、我ながら某小学生探偵のようにトラブルに巻き込まれることが多い自覚はある。とはいえ、何だかんだいつも最終的には何とかなっているのもまた事実。だから今回も気合いでどうにかなるだろうと覚悟を決めて、私はとにかく思いっ切り走った。けれどしばらく進んで角を曲がろうとしたところで、突然背後から腕を掴まれて後ろに引っ張られる。
「っ!?」
当然走り続けることはできなくて、私は立ち止まると反射的に振り返った。不意打ちのつもりだったけど全然撒くことはできなかったみたいで、そこに立っていたのはやっぱりあの男たち。二人とも笑顔を浮かべているけど、一方で二人とも目が笑っていなかった。しかも一人は容赦なく私の腕を掴んできたものだから、逃げようにも逃げられなくて流石に少し焦りが募る。
「チッ、手間掛けさせやがって」
「は、離してください!」
「えー? だっておねーさん、つれないんだもん。勝手に立ち去るのは酷くない? おれらにあんまり恥かかせないでよ」
「そーそー、ここを通り掛かったのも何かの縁だよ。おれら今ムシャクシャしてるからさあ、ちょっとくらい付き合ってくれても良いんじゃない? 店行ったらさあ、いっぱいもてなしてあげるよ」
「間に合ってます!」
ひとまず一旦『もてなす』の意味を辞書で引いてから出直して欲しい。客に来店を強要する飲食店なんて、どう考えてもおかしいでしょ。でも叫んでも暴れても、腕を掴む手は離れるどころか力が弱まることすらなかった。どうにかして他に逃げる方法を探さなきゃ。必死に考えていると、「君めちゃくちゃ暴れるけどさあ、これがどうなっても良い感じ?」と突然もう片方の手で持っていた紙袋を奪い取られる。
「!」
それはもちろん、タナカさん宅に配達予定のケーキが入った紙袋だった。さっきから走るときも暴れるときも、それだけはなるべく揺らさないように必死に守ってきたその袋を、男は乱雑に持ち上げ今にも落としますと言わんばかりに高く掲げる。ぶんぶんと目の前で左右に振られて、ざあっと血の気が引いた。
「! ちょっ、」
「やめてほしい? やめてほしいよねー。なんか知らないけどおねーさん、さっきからすっごいこれ大事に守ってるもんね」男がニンマリ笑って私に顔を近付ける。「分かってよ。こっちだって商売かかってるからさぁ、ね? おねーさんには見られちゃまずいもん見られちゃったから、ちゃんと店で話し合いしないと」
「大事なんでしょ、それ今日何かの記念日なのかな? おねーさんが嫌だって言ったらこいつ、うっかりこれ落としちゃうかもよ〜」
「やっ、やめて、」
「なら良いから黙って一緒に来なって」
「あんまり調子乗ってないでさあ、自分の今の立場考えなよ」
「……っ、」
強く腕を掴まれて骨が軋む感覚に顔を顰めながら、私は今にも地面に落とされてしまいそうな紙袋を見た。
あれは私が配達を任された大事な商品なのだ。もし万が一ケーキを届けられないようなことがあったら、丹精込めて作ったケーキの配達を藁にもすがる思いで依頼してくれたおばあちゃんにも、配達されるのをきっと楽しみに待っているタナカさんにも申し訳が立たないし、それに大好きな万事屋の看板にも傷が付いちゃう。よく分からないお店に連れて行かれるのは怖いけれど、そんなことは絶対に避けたかった。万事屋のみんなみたいに誰かを守れるほど強くはないけど、私だってケーキの一つくらい守りたい。
「……本当に、大人しく従ったらそれ返してくれるんですか」
「うんうん、返してあげる」
「今日中に返すって約束してください」
「君が素直に話し合いに応じてくれればすぐ済むさ」
「…………」
黙った私を見て、男たちはニヤリと笑った。肯定の意だと受け取ったのだろう。抵抗をやめたからかほんの少しだけ、腕を掴む力が緩む。
「はは、そうそう。最初からそうやって大人しく従っとけば良かったんだよ。じゃあ行こっか。ほんと、店すぐそこだからさ——」
有無を言わさぬ力で引っ張られて重心が傾いた。男たちと歩幅が違うせいで足が縺れて、ぐきりと変な方向に曲がった足首に顔を顰める。震えそうになる身体になんとか喝を入れて唇を噛んだ、そのとき。
「ぐああッ!?」
先頭を歩いていた男が、瞬きのうちに突然吹っ飛んだ。かと思えば私の腕を掴んでいた男も、断末魔を上げて地面にめり込むみたいにして沈む。一瞬のことで何が起きたのか分からなかった。思わずぽかんとしていると、「……ったくよォ」と目の前で怠そうな声が一つ。
「こーんな細っこい女一人に、野郎二人で寄ってたかって迫りやがって」
「!」
私はハッとして顔を上げた。耳に届いたのは聞き慣れた低い声だ。次いで視界に映ったのは、見慣れた着流しに青みがかった髪——……。
「テメーらは一人じゃ恥ずかしくて告白しに行けない女子中学生ですかーコノヤロー」
「銀さん!」
はたして、銀さんは男たちを見下ろしつついつの間にかそこに立っていた。「ッてめえ何者だ!」よろよろと起き上がって殴りかかろうとする男たちをいとも簡単にねじ伏せると、ついと視線を私へと移す。乱雑にポケットに手を突っ込むと、靴音を立てながらこっちに近付いてきた。吊り目がちの瞳と目が合う。
「よォ、小春チャン。お前さん、なーに道草食ってんの?」
「み、道草食うつもりはなかったんだけど……」
「おーおー、そりゃ結構。んで怪我は?」
「大丈夫だよ。助けてくれてありがとう」
「……大丈夫、ねぇ。その庇ってる足と赤くなってる手首は痛くねーわけ?」
「!」
銀さんはじっと私のことを見下ろすと、呆れたように私の腕や足を見た。ば、バレてる……! 思わず視線を逸らすと、彼は溜息を吐きながらみょーんと私の頬を抓る。
「おい小春、あんま無茶すんなって銀さんいつも言ってるでしょーが」
「ぅ。ごめんらひゃい……」
パッと離された頬を撫でる。ちょっと痛い。そう思ってから、あれ? と顔を上げた。
「そういえば銀さんはどうしてここに? なんか別の依頼があったんじゃ」
「どうしてって、あのなぁ……」
銀さんは呆れたような目で私を見た。えっ、なに? きょとんと首を傾げると、彼はガシガシ後頭部を掻きながら言う。
「別の依頼が片付いたから万事屋帰ったら、誰も居ねえし? んで置いてあった置き手紙読んだら〝新八くんはケーキ屋のおばあちゃんちに、私は向こうの街までケーキの配達に行ってきます〟だァ? 小春チャンよー。お前さんとんでもねー方向音痴なんだから一人でフラフラどっか行くなーって、前に銀さん言わなかったっけ?」
「あ……。えへ……」
「えへ……じゃねーっつーの! ったく、新八にも言っとくんだった。あいつも神楽も、お前さんが引くほど方向音痴なこと知らねーもんなぁ」
「そんな、大丈夫だもん」
「いやどっから来んだよその自信! さっき完全に迷子になってたのどこの誰ですかァ!?」
クワッと目をかっ開いた銀さんを見て苦笑した私は、けれどその時ふと何か大事なことを忘れている気がして固まった。ん? 置き手紙……? 一瞬考えて、直後我に返ってはっとする。真っ青になりながら倒れている男たちを見た。
「っそうだ、ケーキ! どうしよう銀さん! タナカさんちに届けるケーキ、どこかに落ちて——」
ずい、と目の前に何かが突き出されたのはその時だった。「え、」呟きながら目を瞬くと、それはすっかり見慣れた、まさしくさっきまで私が抱えていたケーキの入った袋だった。「ほら、んな顔すんな」彼はそう言って、私の手に紙袋を押し付けてくる。
「い、いつの間に取り返してくれたの……?」
「さっき倒す直前に取り返しただけだから、流石に中身が完全に無事かどうかまでは分かんねえけどな。ま、あそこのばあさんのケーキ美味いし、味は平気大丈夫だろうけど、……小春?」
「……っ、よかった、」
本当に良かった。箱ごとぐちゃぐちゃにされる前に取り返せた。私は心底ほっとして、紙袋の取っ手をぎゅうと握り締めた。それから顔を上げると、銀さんに笑顔を向ける。心の底からの想いを込めて、感謝を伝えた。「ありがとう、銀さん」
「……——、」
「……? あれ、銀さん?」
銀さんは何故か突然少しだけ顔を背けてフリーズすると、そのまま暫く動かなかった。それに心無しかちょっと顔が赤い気がする。どうしたんだろう。そう思って首を傾げると、もぞもぞと口元が動いた気がした。
「いや、いやいや……俺は良い歳こいてなに男子高生みたいな反応してんだぁオイ……」
「え?」
何か言ったみたいだけど、上手く聞き取れなかった。もしかして体調悪い? 心配になって名前を呼ぶと、「〜〜ッアー……クソ、」と銀さんは突然天を仰ぐ。直後突然浮遊感がしたかと思えば、グンッと私の視界が高くなった。
「うわあっ!?」
横抱きにされていると気付いたのは直後のことだ。えっなに!? なんで!? 思わず目を白黒させていると、「ほら。お前が身体張って守ったもん、さっさと配達すんぞー」と頭上から銀さんの声がする。
「タナカさんだっけ? そいつの家、この地図の丸付いてるとこ?」
「そ、そうだけど……」
「あそー。つーか逆にこの地図でここまで来れたの奇跡じゃねーの、お前。ほら、うっかり落とさないようにこの紙袋ちゃんと持ってろよー」
「それは勿論持つけど——待って、何で抱っこされてるの私!」
「んあ?」
銀さんはケーキを私に手渡すと、スタスタと歩き始めた。落っこちるんじゃないかと反射的に彼の着物を掴むと、「落としゃしねーよ」と返ってくるのは呆れたような溜息。
「あのなあ。怪我してる女歩かせるほど銀さん甲斐性無しじゃねぇからね? それにここで放って帰ったら、お前さん迷子になって一生万事屋に帰って来られないでしょーが。それとも何? 小春チャンは俺のこと、そんな薄情なヤツだと思ってたわけ?」
「ち、がうけど……」
「だろ? ならさっさとこの仕事終わらせて、今日の報酬で美味いもん買って帰ろうや」
「……」
私はきょとんとして、それからふっと笑った。銀さんの胸に頭を擦り付けると、「うん」と返事をする。
「えへへ、ありがとう。銀さんだいすき」
「……へーへー」
だからズルいんだっつーの、クソ。
銀さんがよく分からないことを呟いたけど、何がどうズルいのか私にはよく分からなくて。取り敢えず帰りに買って帰れそうな、銀さんの好きそうな甘いもののお店を頭の中でピックアップしながら、私は大事なケーキの入った紙袋を抱え直した。
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