Ⅲ. 逢瀬
フロイドと契約してから一週間が経過した。高校二年生としての生活もすっかり中盤だ。あっという間に秋へと片足を突っ込み始めている街々は、空気が少しだけ冷え込む日が増えてきている。
ユウが覚悟していたより、今までの日常がそれ程大きくガラリと変わる訳ではなく。生活の一部にフロイドが時折入り込む形で、二人の契約は続いている。
というのも、『別にオレ魔法使えなくても良いけど』——フロイドが最初にそうのたまっていたことは、強がりなどではなく本心だったようで。彼が真っ黒に染まった腕輪を引っ提げてユウのアパートを訪れるのは、数日に一度だったり毎日だったりと不定期なのだ。
——やっほー、小エビちゃん。
チャイムが鳴ったのち、扉を開けると立っている長駆。毎回ユウの予定に合わせてタイミングよく現れるこの男には、一体どこまで個人情報を把握されているのだろうか。深く考えてはいけない気がして、ユウは気にしないことにしている。
彼の行動パターンとしては、気まぐれにふらっと姿を現したかと思えば数時間滞在するというスタイルが最も多く、魔力が回復した後はしばらくすると帰っていくことが多い。夜ご飯を食べてから帰る場合もあるし、しばらく仮眠を取ってから帰る場合もあるし、時にはなんと、ユウが課題で分からない問題があると教えてくれることもあるし(しかも結構教え方が上手い)。とにかく行動全てがその時の気分次第だった。ジェットコースターみたいに気分屋なひとだよなぁと、ユウは密かに思っている。山の天気よりも気分が変わりやすい。まるで気まぐれな野良猫に懐かれたみたいだ。マアその正体はそんなに可愛らしいものではなく、〝今はたまたま利害関係が一致しているだけの怖いマフィアのお兄さん〟ただそれだけなのだけれど。
……そう、ただそれだけの筈なんだけど。
「……——」
キーンコーンカーンコーンと、背後で聞き慣れたチャイムの音が響いている。生徒たちにとって、待ちに待った放課後だ。各々部活へ向かったり帰宅したりと、学び舎という箱庭を飛び出し自分の時間を過ごすために動き出す。
そんな中、ユウは現在ひとけのないハイスクールの裏門近くに立っていた。大きな木の向こう——視界の先にいるのは、すっかり見慣れたとにかく背の高い男だ。腕を組んで壁に凭れていた彼は、ユウに気付くとひらひらと手を振る。
「小エビちゃあん。ガッコーお疲れぇ」
「……本当に来たんですね」
「来るよ。言ったじゃん」
じゃ、行こっかあ。フロイドはにんまり笑うと、踵を返して歩いていく。裏門を出たユウも後に続けば、ややあってフロイド越しに見えてきたのは、路肩に停めてあった明らかに高級そうな黒塗りの車。
長い脚は助手席横で立ち止まった。彼はそのままスーツに包まれた腕を伸ばすと、慣れた手つきで助手席の扉を開く。ニイ。映画スター顔負けの美しい顔で背後にいるユウに笑い掛けると、柔らかい声でのたまった。
「どうぞ、乗って?」
「……」
……ああこれ、完全に楽しんでるな。
ユウは平べったい目をしつつ良い香りのする車に乗り込みながら、お邪魔しますと律儀にそう返し。シートベルトを締めながら、ことの発端となった会話を回顧した。
それは昨晩、すっかり恒例となりつつあるフロイドとドラマ鑑賞会の最中のことだった。
ユウの最近の楽しみは、フロイドと手を繋ぎながら観る、ネットフリックスの恋愛ドラマ。サブスクなんて
ハイスクールの先輩と後輩が繰り広げる、ピュアピュアなラブストーリー。友人のアーネが以前ハマっていると言っていたドラマはそれはそれは面白く、適当に観始めたはずのユウはあっという間に虜になっていった。マフィアとひとつ屋根の下で何てモノを観ているんだという自覚はあったが、面白いのだから仕方がない。
『フロイドさん。あ、あの……今日もドラマの続き観て良いですか』
『えー。またアレ観んの? 小エビちゃんよく飽きないね』
『だって! 楽しいんですもん』
フロイドは第一話を観たときから心底つまらなそうな顔をしていたが、どうせ観たいモン無いし好きにすればー? と、思いの外あっさり折れた。彼曰く、『ドラマよりもそれを観てる小エビちゃんの百面相見てるほうが楽しいから、別に構わない』のだそうだ。それを聞いたユウが微妙な顔をしたのは言うまでもない。
さて。そういう訳でユウは、その日もフロイドの隣で恋愛ドラマを視聴していた。後になって知ったことだが、この日観た回は放送当時、ファンの間でも「神回」と話題になっていた超胸キュン回だったらしい。教室で繰り広げられる甘酸っぱい会話から始まり、デートの約束、校門での待ち合わせ、それから手を繋いでのショッピングデート……。それらはどれもキラキラ輝いて見え、ユウは次回予告が終わった後になっても思いを巡らせ続けた。ハア、と羨望の溜息を吐く。
「良いなぁ、羨ましいなあ」
自分もこんなドキドキを体験してみたいものだ。マフィアが家にやって来ることに対する恐怖のドキドキとかじゃなくて、胸キュンな方のドキドキ。
「なーに小エビちゃん。ああいうのに憧れてんの?」
「憧れまてます!」
「スゲー食い気味じゃんウケる」
「そりゃあフロイドさんはモテそうですし、女性には事欠かなそうですけど……私はそうじゃないですもん」ユウはフロイドの容姿を一瞥したのち、僅かに不貞腐れたような顔をした。ドラマの興奮が冷めやらないおかげでテンションが上がっていたので、普段よりも僅かに高い声で続ける。「学校でも、彼氏がいる子のデート話とかよく聞くんです。実際どんな感じなんだろうって、羨ましくて……」
「ふーん。じゃあオレとデートする? ショッピングデート」
「だから私もいつか——、……え?」
「明日バイト入ってないてしょ。ちょうど良くね」
まるでご飯食べに行く? みたいな軽いノリでそうサラリとのたまったフロイドに対し、会話を続けていたユウは時が止まったかのように固まった。ややあったのち、「え?!」と改めて素っ頓狂な声を上げる。
「な、ななな何故?」
「え、何故? ずっとこの家居んの、飽きてきたしさァ」
「飽き……?」
「それに、なにも毎回律儀にここで手繋がなきゃいけないって決まってるワケじゃねーし」
「それは……そうですけど……」
飽きるとデートするの? ぽかんとするユウを一瞥したフロイドは、ゆっくりと顔を近付けた。
「あと、このドラマみたいにデートごっこしたらさあ。小エビちゃんの百面相もっと見れて楽しそうじゃん?」
いや私、百面相をしているつもりはないんですけど……? そう言ったものの、「ア? 何言ってんの? そんなことあるケド」と謎に一蹴されて終わる。フロイドは何も返せずにいるユウの瞳を見つめると、「デート、してみたいんじゃねーの?」と尋ねた。
「そ、りゃあ……」
「ン」
「して……みたい……です、けど……」
悲しいかな、好奇心というのは恐ろしいものである。ユウとて年頃の女の子。昔からデートというものに憧れはあったし、ドラマを観たあとの高揚感でそれが更に強まっていた一七歳の少女にとって、この提案は心を揺らがせるには十分な誘惑だった。しかし一方で、心の中の理性がやめておけと囁いているのも事実。なんたって相手は、彼氏でも何でもない男。ましてや一般人ですらない、マフィアな訳で。
しかし真剣に悩むユウの横で、フロイドは口角を上げた。鋭利な歯列を覗かせると、あはっと笑う。
「ねえ、小エビちゃん」
彼は黒のメッシュを揺らしながら眦を眇めると、追い打ちをかけるように口を開いた。
「このドラマみたいに女の子扱いしてあげるからさぁ、デートしようよ。だから小エビちゃんも、オレのコト楽しませて?」
結局その言葉が決め手となり。フロイドとユウの奇妙な〝デートごっこ〟は、こうして開催が決定したのであった。
❖
頭上からは賑やかな館内放送が流れている。見渡す限りに広がるのは、とにかく沢山の店だ。服屋、雑貨屋、ケーキ屋……。人々はそれぞれ談笑しながら歩いており、子供連れも多くいる。
「わあ……」
ユウは制服のスカートを握りしめると、ぐるりと周囲を見た。目を輝かせながら、「すごーい……!」と小さな子供みたいに言う。
フロイドの車に揺られること三十分。到着したのは、最近オープンしたと風の噂に聞いていた、とにかく広くて大きいと話題のショッピングセンターだった。映画館からゲームセンター、楽器屋さんに本屋、スーパーマーケットから車屋まで……ここに来れば大抵のものは何でも揃っているというのを売りにしている商業施設である。
「小エビちゃあん。あんまり余所見してると転ぶよ」
「は、はい」
「え、こういうトコ来るのいつ以来な訳?」
「半年前……くらいですかね? 友人と一度——あ。確か一年生の頃に、駅前のモールに行きました」
「ハ? それ半年どころか、ほぼ一年前みたいなものじゃん。マジで言ってる?」
「あはは……お恥ずかしながら」
ユウは苦笑いした。お洒落なデパートやアウトレットなどといった大型商業施設というのは、まるで魔法のように、訪れるだけでワクワク感と購買意欲が高まってしまうものである。故にユウは普段から、節約のためにこういう店には立ち寄らないようにしているのが常であった。基本的には近所の小さな複合型のショッピングモールで全て事足りていたし、そもそも基本的に、普段は学校とアルバイト先を往復するだけの日々だ。遊びに出掛けることはそう多くないので、着る服はそこまで多くなくても何とかなっていたのである。
「それで、今日はどこに行くんですか?」
「んー。昨日のドラマのデートシーンさ、一緒に服見てゲーセン行って、そんでクレープ食べてたじゃん?」
「はい」
意外とちゃんと観てたんだな。ユウがそんなことを考えつつ相槌を打っていると、じゃあそれ全部行こ、と彼は言った。服屋はもちろん、ここにはゲームセンターもクレープ屋もあるのだそうだ。
「それで良い? じゃ、決まりね」
フロイドはユウの頭をポンと撫でると、いきなり手を取って勝手に長い指を絡め、恋人繋ぎをした。反射的にユウはギョッとする。手を繋ぐことにはだいぶ慣れつつあったが、恋人繋ぎなんてされたことがない。
「え、これ、あの、」
混乱するユウに対し、けれどフロイドは何も言わずに口角を上げてさっさと歩き出すだけだ。そうすると必然的に、手が繋がっているユウも引っ張られる形になるわけで。しかし慌てて隣に並べば、隣の長駆は案外紳士的に、ユウに歩調を合わせてくれているようだった。思わず呆けながらフロイドを見つめ続けていればその視線がこちらを向き、「見すぎ」と揶揄うように細められる。ユウはびっくりして、反射的に視線を逸らした。なんだかうっかりドキドキしてしまいそうだった。
——女の子扱いしてあげる。
先程のフロイドの言葉を思い返す。なるほどこれがデートというものなのか。ドラマのワンシーンを思い返して、ユウはヒロインの気持ちを想像した。そうしてしばらく黙り込んだのち、一度深呼吸をする。
「ふふ。小エビちゃん真っ赤。今日家に帰るまでに、赤くなりすぎて溶けちゃわないと良いねえ」
「……」
ユウは明らかに自分を揶揄って楽しんでいるフロイドを見上げた。平べったい目をして「溶けませんよ」と言ったのち、ムウと唇を尖らせる。毎回こうだ。いつもいつもいつの間にか、フロイドのペースに乗せられている。彼女はそう思い返して、少しだけ思案した。ややあって、真剣な顔をして言葉を続ける。
「……私、決めました」
「んえ。何を」
「せっかくだし、こうなったら誰にも負けないくらいデートをとことん楽しんでみせます」
「ふうん?」
「だから、どこからでもかかってきて下さい。受けて立ちます」
「……」
フロイドは緩慢な動きで瞬きをする。けれどややあったのち、堪えきれないといったふうに、ぶはっと大きな肩を震わせた。この娘、デートを戦闘か何かと勘違いしているのではなかろうか。受けて立つ? デートで??
「ックク……はー、オモシロ」
真剣に意気込む様子が面白くて、フロイドは笑いのツボから脱するのにしばらく時間を要した。加えて何故笑われているのか心底分からないといったような様子のユウの顔も、更に笑いを助長する原因だったりする。
フロイドは
「えっ」
「——誰よりもデートを楽しむ、だっけ」フロイドはニイと口角を上げた。「あは。小エビちゃんスゲー気合い入ってんじゃん。期待してるね」
「ぅあ……」
大きな目を真ん丸に見開いて固まっている少女を、彼は面白そうに数秒見やる。ややあって顔を上げると、そのまろい頭をポンと撫でてから一つの服屋に目を付けた。一連のそれは物凄くスマートで、慣れた所作で。
「ア、あそこの店入ろ〜」
ずんずん進んでいく大男に手を引かれる。呆けたままのユウが我に返ったのは結局、店に入って服を見始めてからのことだった。
❖
——確かにとことん楽しむとは言った。言ったけれども!
「……」
ユウははむ、とクレープの皮を齧った。彼女にとって、これは普段滅多に食べることのできない高級品。いちごとバナナの果肉とチョコソース、ホイップクリームがキラキラ輝く天国みたいなデザートを真剣に味わいながらも、しかし悶々とした表情で目の前の席に座る男を見やる。
時間というものはあっという間で、ここに来てからすっかり二時間ほどが経過していた。
ユウはフロイドに連れられ、それはもう、とにかく色々な店を見て回った。素人目から見てもファッションセンスが抜群に良いフロイドは、良いと思ったものに対して金銭を支払うことを惜しまないタイプらしい。彼の収入源が何なのかを考え始めると怖いので考えないことにしたが、兎にも角にも幾つかの店でそれなりの買い物をしていた。
もちろん、そこまでは良い。ユウだってなんだかんだ店を見て回るのは凄く楽しかったし、新鮮だったし、息抜きになったし……それにフロイドが居なければまず入らないような高級店に入れたことも、貴重な経験になった。
だからそのことについて不満はないのだ。ないのだが——問題は彼の本日の購入対象が自分のものだけではなく、ユウのものにまで及んだことだった。
『いやいやいや、流石に買って頂く訳には……!』
『ア? 何ごちゃごちゃ言ってんの。良いから取り敢えず試着してきてよ』
『えええ……』
流石に支払ってもらうわけにはいかない、対価も怖いからと必死に断ろうとしたユウの努力も虚しく、フロイドはあちこちの店で少女をフィッティングルームに突っ込んでは、店員とあれこれ話したり悩んだりしたのだ。着せ替え人形と化した彼女は慣れないことにいっぱいいっぱいになってしまい、最終的には諦めてされるがままになり……そうしてようやく買い物が終わって、現在に至る訳である。
「小エビちゃーん。そろそろ機嫌直しなって」
「……別に機嫌が悪い訳じゃないです。買って貰ってばかりで落ち着かないだけで……」
「ふうん。でもさあ、小エビちゃんもその服気に入ったんでしょ? ならそれで良くね?」
「そ、れは……」
オレなんか小エビちゃんの服選びたい気分だったからさぁ。呑気にそうのたまうフロイドの正面で、ユウはクレープを咀嚼しながら、改めてちらりと己の格好へと視線を向けた。
今着ているのは、白いブラウスとブラウンのサロペットドレスだ。サロペットはフロント部分にいくつかボタンが付いており、その上のウエスト部分は付属のベルトで締められている。さらに足元は、すっかり履き古していた今までの安物コインローファーではなく、見違えるほど磨き上げられたタッセルローファーに様変わりしていた。
『小エビちゃんどうせそんなに靴持ってないんでしょ。オレもタッセル系は持ってねーけどぉ、これならクラシカルで可愛いし、カジュアルでもフォーマルでも使えるからどこでも履けるし良いと思って』
ペラペラと喋りながらユウを座らせ、あっという間に靴を履き替えさせたのは服を購入したのち——着用していた制服類を全て紙袋に詰められたあと、靴屋でのことだ。
——かわいい。
実際、自分が身につけている靴や服を見て、ユウがそう思ったのは事実だ。店に置かれていた全身鏡で自分の姿を見るなり、嬉しくなってこっそり少しだけ鏡の前でクルクル回ってみたりしたくらいだし。
つい三十分ほど前の、己のそんな行動をそこまで思い返して、ユウは息を吐いた。小エビちゃんもその服気に入ったんでしょ? 再び先程の問いかけを反芻して、小さく頷く。
「……その、凄く気に入ってます。本当にかわいいです。ありがとうございます」
「ン」
「でも、次からは自分で払いますから」
「小エビちゃんって結構頑固だよね」
つーか真面目だねぇ。フロイドは気にした様子もなくケラケラ笑った。
それから二人は、クレープを食べ終るなりゲームセンターに向かった。ゲームセンターは何度かエスカレーターを乗り継いだ先の、更に少し先の奥まった場所に広々とあるらしい。賑やかなそこに辿り着いたのは、数分歩いてからのことだった。
「オレUFOキャッチャーやりたい気分〜」
「良いですね。ふふ、頑張ってください」
「ア? 小エビちゃんはやらないの?」
「あー……、やりたいのはやまやまなんですけど、ほら、私お金無いので……」
遠慮がちに笑うユウに、フロイドは「ていうか、そもそもやったことある?」と尋ねる。
「あります。さっき言った、前に一度ショッピングに来た時に、友達と少しだけ」
「ふーん」
フロイドは軽く返事をした。その間もジャンジャカと流れ続ける機械の賑やかな音を聞き流しながら、ユウは周囲を見渡してみる。お菓子、ぬいぐるみ、見たことがあるアニメーションのフィギュア……なんとヘッドフォンやスマートウォッチのようなものまであった。景品の種類の多さに驚く。これを少ない金額で取れる人っているのだろうか。
「あは。じゃあ、どっちが先に取れるか勝負ね」
「え。いや、だから、」
ぼんやりそんなことを考えているのと、フロイドがそうのたまったのは同時だった。話聞いてた?! ぎょっとするユウの言葉に被せるように、フロイドはにこーっと、恐ろしいくらいに満面の笑顔を浮かべながら口を開く。
「良いからやれって言ってんの♡」
「ひゃい……」
周囲に客はほとんど居なかったので、二人は横並びに並んだ二つのマシンの前にそれぞれ立った。フロイドは巨大なお菓子が所狭しと並べられているマシン、対するユウは小さなマスコットストラップが積み重なっているマシン。同じタイミングでスタートしたその勝負は——驚くことに、僅か一分経つ頃には勝敗がつくこととなった。
「小エビちゃーん。取れたよ」
「えッ、もうですか?!」
「あはあ、小エビちゃん全然まだじゃん」
フロイドはとにかく器用だった。物凄く久々にやると言う割にあっさり機械に慣れたらしい彼は、いとも簡単に戦利品のせんべいを手に入れ。オレの勝ち〜と言いながら、未だ必死にUFOキャッチャーのレバーを握りしめるユウの方へ歩いてきたのだ。
「何回で取ったんですか」
「んえ? んーとね、二回」
「二、回……??」
「小エビちゃん?」
「……。……」
ユウはチラと、自分の渾名を呼んだフロイドを見た。そして視線を僅かに落としてせんべいを見やり、次にフロイドの操作した機械を見やり、最後に自分の手元のUFOキャッチャーを見やる。
二回? 何で二回で取れるの?
頭の中に浮かぶのは沢山のはてなマークだ。そして段々とジワジワ押し寄せてくるのは、あっさり勝負に負けたことに対する悔しさ。
「っあー……待って下さいなんか悔しすぎるのでまだやっても良いですか。私も取りたいです」
「んっふ、急にやる気じゃん。お金無いんじゃねーの」
「無いです」即答である。ユウは真剣な顔のまま、でも、と言葉を続けた。「なんか吹っ切れました。あと数回くらいなら何とかギリギリ今月の予算内なので!」
ユウは案外負けず嫌いなのである(マア実際のところ、もう勝負には負けているのだが)。こうなったら絶対取ってみせますと宣言すると、彼女は喧しいゲームセンター内でちいちゃな力こぶを振り上げた。
❖
ピコピコと、脳天気な機械音が響いている。動いているのは無骨なアームだ。角度や進み具合を確認しながら少しずつ動かして、下に敷き詰められているぬいぐるみストラップの真上に来るようにと調整していく。
UFOキャッチャーを始めて数分。ユウは相変わらず、戦利品をゲットすべくマシンと向き合っていた。金欠のため回数を多くこなせないぶん、一回一回の操作が真剣そのものだ。あれこれ試行錯誤しながら、目当ての商品をどうにか取れないものか格闘している。
『小エビちゃん長そうだから、オレちょっと向こう見てくるー』
はじめは面白そうに動画を撮っていたフロイドがそう言うなりどこかへ行ってしまったのは、割と早い段階のことだった。彼が飽き性なのは今に始まったことではないし、ずっと見られているのも落ち着かない。そういう訳でユウは分かりましたとだけ返事をして、一人機械との真剣勝負中である。
あとちょっとで取れそうなんだけど……。
数回の挑戦の後。そう思いながら額をウィンドウにくっつけんばかりの近さで覗いていると、頭上に影がさした。フロイドが戻ってきたのだろうと思って肩越しに振り返ったが、しかしそこに立っていたのは強面の男だった。
「よう、お嬢ちゃん」
「……? あの、何か……?」
「ハッ。何かって、そりゃ無いだろ。お袋さんの借金も返せない癖に、ゲーセンで楽しく散財か? 良いご身分だなぁ。アァ?」
「え、」
——取り立て屋だ。
どくんと心臓が跳ねて、しばらく平和ボケしていた頭が一気に覚醒する。無意識に一歩下がろうとするものの、背中に機械が当たる感覚がした。まずい、まずすぎる。恐怖から息がどんどん上がっていく。
「たまたま買い出しに来たモールでアンタ見かけて、こうして仕事する羽目になるこっちの身にもなれってんだ。オラ、さっさと有り金出しな」
「痛っ。は、離して!」
「離す訳ねーだろ。恨むんなら自分の運の無さとお前の母親を恨むんだな」
ニタニタと笑いながら腕を掴まれ関節が痛む。僅かに身体が浮くのを感じた。音の多いゲームセンターでも聞こえるような大声を上げる男は更に迫力がある。
「金が無いなら俺と遊ぶか? アンタ可愛い顔してっし、遊んでくれたら少しくらい減額してやっても良いぜ」
「っ、やです!」
「やです、だあ? 生意気言ってんじゃねーぞコラ」
——ダメだ怯むな、取り敢えず逃げなきゃ。
ユウは必死に頭の中で考えた。とにかく何でも良い。殴るなり何なりして、ここではないどこかへ逃げる隙を作らなくては。そう考えて、脚を思いっきり振り上げ男の股間を蹴り上げる。
「〜〜ッ、何すんだてめぇ!」
男の野太い悲鳴が響いて、ユウの腕は解放された。内心ごめんなさいと思いつつ、けれどそんなことも言っていられないので、なんとかふらついた身体を持ち堪えてそのままがむしゃらに駆け出す。
背後から聞こえる怒号に焦りが増した。マシンとマシンの間を駆け抜け、プリクラの機械が立ち並ぶ場所を抜け、太鼓の達人の横を通り抜ける。入ってきた時から思っていたが、このショッピングセンターはゲームセンターもとにかく広かった。ゆえに方向音痴のユウは悲しいかな、走って走って走り続けた結果、最終的に自分が今どこを走っているのか分からなくなっていた。出口ってどこ? 焦りが募ってばかりの、そんな時である。
ドンッと顔面から何か壁のようなものに突っ込み、嗅ぎなれた良い香りが鼻孔をくすぐった。呼吸を荒げたまま反射的に顔を上げると、そこに立っていたのはフロイドだった。ユウを正面から抱き寄せるような形で見下ろしていて、ようやく彼の胸に突っ込んだのだと理解する。
「あは。なーにしてんの、小エビちゃん」
「ぁ、……」
「オレがちょっとぶらついてる間にさあ、楽しそうなコトしてんじゃん?」
「全然……楽しくないです……」
「えー? そお?」
フロイドはくすくす笑うと、視線を前から走ってくる男へ滑らせ「助けて欲しい?」と問い掛けた。ユウが必死にコクコク頷くと、薄い唇がニイと持ち上がる。
「あは、おっけえ」フロイドは大きな手でユウの頭をぐしゃりと撫でた。少女の痩躯を、己の背後に押しやって言う。「小エビちゃんとの契約はちゃーんと守るから、安心しな」
「何だ、てめえ!」
「この子のツレだけど」
追い付いた男の怒号に呼応したフロイドの声は、久々に威圧感のあるそれだった。ユウは大きな肩を見上げる。三連のピアスがしゃらりと揺れて、フロイドがニタリと楽しそうに笑ったのが分かった。
「ねえ、お前さあ。喧嘩売りに来たなら、オレのことちょっとは楽しませてね」
そこからはあっという間だった。
襲い掛かってきた男をものともせず、フロイドはあっという間にその体躯を蹴り飛ばしたのだ。ユウが気が付いたときには男は床に転がっていて、フロイドだけが眉を下げてつまらなそうな顔をしていた。
「ハァ? これで終わり? 弱すぎじゃん」
「ッグア……」
「ねえ、もっと抵抗してよ〜。つまんね」
フロイドは崩れ落ちた男の横に屈み込むと、溜息を吐きながらその腕を捻り上げた。ぎゃあ! 鈍い音と共に悲鳴が上がり、脂汗をかきながら真っ青な顔をした男がぶるぶると震える。その濁った瞳が大きく見開かれたのは、その直後のことだった。
「そのピアス……お、お前ッ」
「ア?」
「ま、さか、フロイド・リーチか?!
「あは、そうだよぉ。ようやく気付いたの? お前バカだねえ」
それを聞いて「えっ」と小さく声を上げたのはユウだ。カポ・レジームって——幹部ってこと?! 驚いている間に、フロイドは男の前髪を掴んで顔を寄せる。
「お前んトコのボスに言っときな。この子はオレらオクタヴィネルの獲物だから手ェ出すなって。金せびんならこの子のママだけにしとかないと、オレがギューって絞めちゃうよ?」
「ヒッ……分かった、分かったから!」
先ほどまでの威勢の良さはどこへやら、男は半泣きでコクコク頷いた。フロイドはその様子をしばらくジッと見ていたが、ややあって鼻を鳴らすと飽きたかのように離す。べしゃり。解放された男は、脱兎のごとくその場から逃げ出した。ユウがポカンとその背中を眺めていると、「小エビちゃん」と声が掛かる。
「大丈夫?」
「は、はい……」
「オレが散歩してる間に追い掛けっこ始まってんの、すげーウケた。しかも小エビちゃん、急に金蹴りして逃げてるし……ックク……」
「なっ……! え、待って下さいそこから見てたんですか?!」
ならもっと早く助けに来て欲しかった。ムウと口を膨らませるユウに対し、フロイドは「だって小エビちゃん急に全力ダッシュとか始めるから、見てて面白かったんだもん」とケラケラ笑う。ユウはそんな彼の様子を見て一人平べったい目をしたあと、ぼんやりと先程の取り立て屋の男を思い出した。
何はともあれ。マア正直結果から言えば、これほど味方になってくれて心強いひとは居ない。居ないが——。
「……はあ」
ユウは密かに息を吐いて、頭の中でぼんやりと母親の顔を思い浮かべた。
そもそもの話だ。
「あ、そうだ。ねえ小エビちゃん。このお菓子、いる?」
「お菓子ですか?」
「ウン」
フロイドの会話がコロコロ変わるのはいつものことだ。考え込んでいたユウは顔を上げると、フロイドが肩から下ろしたビニール袋を見てぎょっとした。「えっ」
そこに入っていたのは、フロイドがUFOキャッチャーで獲得したと思われる大量のお菓子だった。ゲームセンターのロゴが入ったビニール袋。その中に、これでもかというほど大小様々なパッケージが詰め込まれている。
「す、すごい量……。流石にこの量は食べられないです」
「やっぱり?」
ユウは、ビニール袋に詰められた大量の菓子を横目に首を振った。逆にフロイドさんは食べられるんですか? そう尋ねれば、「食べれねーことは無いけどぉ、途中で飽きそう」と返事が返ってくる。
「ええ……。じゃあどうするんですか、これ」
「んー。マア、多分ジェイドにあげればすぐ無くなるから大丈夫じゃね」
「ジェイドさん」
またマフィアの誰かだろうか。『きのこの山』のパッケージを手に取っているフロイドの言葉を対し反復しながら考えていれば、「そー」とフロイドは言った。
「オレのきょうだい。アイツの胃袋、ブラックホールだからさあ」
「ご兄弟いらっしゃるんですね」
「いるよぉ」
フロイドは袋の中からビスコッティの箱を一個取り出すと、遠慮無くパッケージを開けて中身を一枚取り出した。鋭利な歯列を覗かせて一口で噛み砕くと、もう一枚を「はい、あーん」と次いでユウの口元へ近付ける。唇に押し当てるような形で無理やり押し込まれれば、ユウに食べる以外に選択肢は無かった。薄く開いた口の中に突っ込まれたそれをむぐむぐ食べると、口内に甘じょっぱさが広がった。
フロイドは咀嚼したのち唇の端を舐める。ふと、思い出したようにユウの頭の天辺からつま先まで見やった。
「そういえば、小エビちゃんは取れたの?」
「へ?」
「あれ、かけっこしたら忘れちゃった? さっき真剣に取ってた、お目当ての景品のコト」フロイドは続ける。「オレはこんだけ取れたけど、小エビちゃんは何も持ってないじゃん」
ユウはぽかんとした。考えるより先にするりと言葉が飛び出す。「アッ」
「あは、やっぱり忘れてたんだ。取れなかったの?」
「う……取れませんでした」ユウは苦虫を噛み潰したような顔をした。「私気付いたんですけど、取れる人のほうがおかしいと思います。あれ」
沈黙が落ちる。
ややおいて、フロイドはククッと笑った。
「それさあ、オレもおかしいってコトじゃん」
「いやおかしいですよ、フロイドさんのその量は確実に」
「んっふ。小エビちゃんさあ、オレに対して結構色々言うようになったよね」
ホントおもしれ。フロイドはそう言いながらユウの手を掴むと、おもむろにスタスタと歩き出した。数メートル進んで辿り着いた先は、つい先ほどまで彼女が戦っていたUFOキャッチャーの前だ。散々聞いていたマシンのBGMが、耳に再び入り込む。
フロイドはマシンの両端に手を置き、ゴールドとオリーブの双眸でジッと中を覗き込んだ。さっきまでどれ狙ってたの? 視線はそのままに声だけで問われたので、ユウはあれですと素直に返す。
「ね。金まだある?」
「え? あ、はい。あと一回分くらいなら」
「オッケー、上等」
「……?」
「小エビちゃん、こっちおいで」
マシンの前、先ほどまでにらめっこを繰り返していた位置に招かれる。雀の涙ほどしか入っていない財布から一回分の小銭が抜かれたかと思えば、あとはもう使わねーから仕舞っときなと財布が返された。
「え、まさか取るつもりですか?」
「取るよぉ。ほら、手ェ出して」爽やかな香水が香る。背後から腕が伸びてきたかと思えば、ユウにレバーを握らせた手のその上から、突然大きな手に握られた。「コレさあ、コツがいるんだよ。こうやって……」
——そうだ。今これ一応、〝デートごっこ〟っていう名目なんだった。
顔の横からユウと目線を合わせるようにしてマシンを覗き込むフロイドを横目に、ふと突然そんなことを思い出してユウは何だか今更ドギマギする。チラと一瞬だけフロイドを一瞥すると、思ったより真剣な横顔が視界に入った。
「ここにアームを引っ掛けるの意識して……そうそう」
フロイドさんの真剣な表情を見るの、もしかして初めてかも。
ユウはフロイドの説明に対し相槌を繰り返しつつ、重ねられた手を操作されながらそんなことをふと思った。
というか思い返せば、今日は彼について初めて知ること尽くしだ。つくづく自分はフロイドのことを知らず、反対にフロイドにばかり自分のことを知られているのだと知覚する。
「はい、あとはここでこうすれば——」
と、最後のボタンが俊敏に押された。テンテロリンと能天気で軽快な音楽と共にアームが動き、ぬいぐるみストラップをわしづかむ。やおらゆっくりと浮上したそれは、今までとは違ってストラップを三体掴み、途中で一体は落としたものの最終的に二体を運んで、終着点の穴へと落とした。成功である。
「わ! わあっ! フロイドさん凄い! 取れたっ!」
「スゲー喜ぶじゃん。良かったねえ」
ユウはぴょんぴょん飛び跳ねた。慌てたようにしゃがみ込んで取り出し口から念願のそれらを取り出すと。まるきり子供の喜び方で、にへ、とフロイドにぬいぐるみを見せた。
「てかさぁ。これ何なの? 何かのゆるキャラ?」
「〝たこやきクン〟です。最近若者の間で、SNSで流行ってるんですよ」
「ア? たこ焼き?」
「そうです。ほら、頭にあおさがかけられていて、串が刺さっているでしょう?」
「へえ」
しげしげと覗き込む様子が新鮮で、ユウはよく見えるようにとフロイドの方へ僅かにぬいぐるみを寄せた。たこ焼き好きなんですか? 問えば、「好きー。オレね、陸の食べ物でたこ焼きが一番好きなの」と返ってくる。またフロイドについて知らなかったことを一つ知った。
「じゃあ、これ一つあげます」
「んえ?」
「今日のお礼に。そもそもこれ、フロイドさんに取って頂いたみたいなものですし、折角だから。それに、」
ドラマの中で二人も、デートの時お揃いのストラップ買っていたでしょう?
フロイドはニコニコとそう述べたユウをぽかんと見つめ、ややあってぬいぐるみに視線を落とした。もう一度ユウを見やると、フと唇の端を上げる。
「えー。小エビちゃん、さっきまでドラマと同じコトするだけで毎回ソワソワしちゃってたのに、急にそれっぽいこと言うじゃん」
「成長したって言ってください」
「んはは、ナマイキ」
じゃあ貰おっと。ストラップを受け取った長い指が、高価そうな鞄にいっとう似合わぬそれを躊躇なく括りつける。フロイドはゆらゆら揺れるそのストラップをジッと見てから、何かを思い出したかのように顔を上げた。色の違う両目でユウを見て、一拍。首を傾げるユウの後頭部に手を添えたかと思えばグイと引き寄せ——おもむろに額に触れる、何か柔らかい感覚。
「……へ?」
キスを、された。
ユウがそのことに気付いたのは、たっぷり三秒経ってからのことだった。彼女はぽかんとして、目を瞬いて。そうして自分を覗き込んでいるフロイドを何度か見つめたのち、ボンッと頬を赤らめる。
「な、なっ……!」
「あは。小エビちゃん、
陸に打ち上げられた魚よろしく口を震わせるユウにフロイドは言う。意地の悪い笑みを浮かべて、彼は慣れた手つきで少女の顎をくいと持ち上げた。
「ねえ。この間のドラマのラストシーンもさ、試しに再現してみる?」
ユウは反射的に脳内でラストシーンを回顧した。結ばれた二人は確か、手を繋いで、見つめ合って、それで——……。
「〜〜っ。し、しませんっ!」
「えー?」
真っ赤な顔で抗議する小エビと、ケラケラ笑う男の声。賑やかな施設内に溶けていく声のそばで、揃いのストラップがゆうらりと揺れていた。
