Ⅱ. 契約
フロイドは二十歳とまだまだ若者であるが、裏社会ではそれなりに名の知れたマフィアだ。魔法とイマジネーションに溢れる街・ツイステッドワンダーランド。その裏社会に彗星の如く現れ、瞬く間にヒエラルキーの上位層へとのし上がったオクタヴィネル・ファミリー。そこのボスであるアズール・アーシェングロットの腰巾着として、双子のきょうだいであるジェイドと共に恐れられている。
ところで彼は数日前、とあるマフィアの連中とちょっとした抗争を繰り広げた。理由は、最近オクタヴィネルのシマできな臭い動きをしている彼らの行為が、あまりにも目に余るから。元々オクタヴィネルの美学に反する傍若無人な組織ではあったので、ちょうど良いから忠告の意味も込めて相手して来いとアズールが指示を出し。その時たまたま手の空いていたフロイドが、構成員が潜伏しているアジトを壊滅させてこいと、その仕事を仰せつかったのである。
さて。全ての発端は、そんなアジトでのことだった。フロイドがそこにいたマフィアを一掃したのち、彼らが今までに集めていたという骨董品や魔法具のコレクションを適当に見ていたとき。
『うーわ、何このシュミの悪いコレクション』
と、たまたま触れた石製の腕輪が突然腕に嵌って取れなくなったのだ。ちょうど彼の気分が乗らなかったことと、マア実害も無いしそのうちはずれるだろうという至極テキトウな判断のもと、その時のフロイドは特に気にせず仕事を済ませた……のだが。
事態が変化したのはそれから数日後——ちょうどユウの家で夜ご飯を食した日の、アパートを後にしたのちのことだった。簡単な魔法を使おうと、いつもみたいに魔法石の嵌められた指輪を一振りした際。彼はその時、ようやく気が付いたのだ。
『……んあ、?』
自分がいつの間にか、魔法を使えなくなっていることに。
❖
さて。二人の契約が成立したのち、フロイドがまずユウに指示したことは〝母親への連絡〟だった。
母親の行方を探し当てて取り立てることは、オクタヴィネル・ファミリー——ひいてはこの件の取り立てを担当しているらしいフロイドの管轄であるため、彼とその部下たちが日々街中隅々まで目を光らせている。そのため、彼女がまだこの街にいることだけは確認済みだった。
しかし、せっかく目の前にその女の娘がいるのだから使わない手はない。だから取り敢えずと思い、ユウに帰宅の催促をするメッセージをそれとなく送るように指示したのだ。
「一応言っておくけど小エビちゃん、今後お前のママが帰って来た時に、オレに帰って来てないって誤魔化そうとしたり庇おうとしたりしてもさあ。すぐバレるからね」
気配とかって、一度家に入ると結構残るモンだからさ。フロイドは部屋を軽く見渡しながら言う。そうして緩やかな中にどこか鋭い声色を混ぜながら、脅しのような文言を降り注いだ。
「そういうコトしたらぁ、承知しねえから」
「はい」
「ン。あとこのメッセもそう。暗号とかで逃げるよう伝えるのナシだかんな」
「……そんな高度な技使う人いるんですか」
「いるよぉ。マア全然高度じゃないからすぐ分かったし、ソイツには暗くて寒い場所でオヤスミしてもらったケド♡」
「……」
暗くて寒い場所。雪山だか海底だか地下室だかに捨てられたのだろうか。
ユウは聞かなかったことにして、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。お世辞にも新しいとはいえない、少し傷の多い端末で、母親へのメッセージを入力する。
「書けた?」
「はい——わ、」
「見して」
いつの間に立ち上がっていたらしいフロイドは、ユウの手から端末を取り上げメッセージを読むと、僅かに視線を鋭くした。何度か液晶に指を滑らせたのち、端末を返す。
「ん、良いんじゃね」
フロイドはそうのたまうと、ユウに背を向けて再びスタスタ歩いて行った。拳銃の置かれたちゃぶ台の前で腰を下ろすと、小エビちゃん、と口を開く。
「そんなトコ立ってないでさあ、取り敢えず座ったら? 取り引きの内容説明すっから」
そのセリフをBGMにスマートフォンを改めて見る。先ほど母親に宛てて入力した文字は、いつの間にか勝手に送信されていた。
「小エビちゃんさあ。『死の轍』って聞いたことある?」
マア確かに、流石にずっと立っている訳にはいかない。ユウはフロイドに促されるまま、けれどいつでも立ち上がれるようにと警戒しつつ、なるべく玄関に近い場所に座ることにした。イヤ、というかここそもそも私の家なんだけど……? そう我に返りながら腰を下ろし、しかし一拍置いて、今しがた目の前の男が発した言葉に顔を上げた。「しのわだち……?」
「そ。聞いたことある?」
「無いです」
「だよねえ、オレも昨日アズールに聞いて初めて知った」
「アズール、さん」
「あー、アズールってのはぁ、オレのファミリーのボスね。……んっふ、小エビちゃんウケる。スゲー分かりやすく嫌そうなカオすんじゃん」
「……」
フロイドの所属するファミリーのボス。それ即ち、母親が金を借りたマフィアのボスというわけで。嫌すぎるその響きに思わず顔を顰めたユウを見て、フロイドはケラケラ笑った。そのまま己の右腕に手を伸ばすと、布の擦れる音を響かせながらスーツの袖を捲る。
「——そんで、」つられるようにそちらへ視線を移したユウは、ぱち、と目を瞬いた。「これが、死の轍」
男らしく逞しい腕。その手首に、幅三センチメートルほどの黒い腕輪のようなものが着けられていた。装飾はあまり付いておらず、シンプルなつくりだ。陶器のようにつるりとした見た目をしていて、しかしひとつだけ嵌め込まれている、黒々とした大きな黒い石がいやに目を引く。確かに、轍と言われればそれっぽさがある。
ユウはしばらくそれを見つめると、きょとんと顔を上げた。
「ブレスレット……ですか?」
「ブレスレットって言えば聞こえは良いけどぉ、んー、簡単に言うと——呪具?」
「じゅぐ……呪具?!」
「そ。それも超とびきり古代の魔法道具なんだってサ。言っとくけど間違ってもオレのシュミじゃねーよ、こんなの」
フロイドの爪先がコツコツと腕輪を突く。室内に乾いた音が響いた。
「なんかね、これ着けてるだけで魔力吸い取られるんだって」
「吸い取られる」
「ウン。で、そのまま一日放置すっと魔法が使えなくなる。——ほら、今この魔法石黒いじゃん?」
そう言ってフロイドが指したのは、腕輪に嵌め込まれた黒い石だ。こくりと頷くユウに、これはもともと透明だったんだよねーと、彼は続けて説明する。一日——つまり二十四時間装着し続けるにつれ、次第に魔法士がオーバーブロットする時みたいに真っ黒に染まり。一筋の光も見えなくなった頃には、魔法が完全に使えなくなってしまうらしい。だから、この腕輪を嵌められた魔法士が魔法を使う為には、一日に一度浄化をすることが必要なのだ、と。
魔法士にとって、魔法が使えないのは死活問題。それゆえ、死の轍という名が付いているそうだ。
「流石にこれずーっと外せないのはウゼーってなるし、飽きるし、別にオレ魔法使えなくても良いけど、あんま魔法使えないと仕事に支障が出るからアズールにも怒られっし……でもコレ一応、紛いなりにも呪具だからさあ。オレだけじゃコレの浄化出来ねーし、外せないの」
「どうやったら外れるんですか」
「毎日浄化し続けてたらそのうち取れるんだって」
「そのうち」
「そー、そのうち」
それっていつまで掛かるんだろう。そう考えていると、彼は言葉を続ける。「だから、小エビちゃんに浄化手伝って貰おうと思って。それがバイト」
「…………」
ユウはぱかんと口を開けた。腕輪を見て、再び顔を上げる。そしてフロイドを見ると、ぶんぶんと首を横に振った。
「いや、いやいやいや。無理です」
「ア? なに、イヤなの?」刹那、フロイドの声が低くなる。明らかに凄みのある笑顔を向けられた。「えー。今さら断ろうとするとかさあ、度胸あんじゃん?」
「ち、違います! そうじゃなくて、浄化って言われても……私そもそも魔法使えないですし」
少女はぎゅう、と膝の上の両手を強く握った。詳しくは知らないけれど、魔法が使えなければきっと、呪いを解くなんて大役務まらない気がする。ということはつまり、このバイトをこなすのは不可能なわけで。やっぱり甘い話には落とし穴がつきものだ。人生そう上手くはいかない。
「? ああ。別にオレ、小エビちゃんが魔法使えなさそうだなーってのは知ってたよ」
けれどフロイドは、あっけらかんとそう言った。ユウは一拍固まって、はたと顔を上げる。「へ」
「だってこの家からも小エビちゃんの身体からも、魔力の匂いも気配も全然しないし。たぶん魔力量すげー少ねえんだろうなって思ってた」
魔法士って、そんなことも分かるものなのか。
ぽかんとしつつ純粋に感心しそうになった少女は、ややあって我に返る。エッ。じゃあ、私は何をどうする為の要員なの……? その顔が言わんとすることが手に取るように分かったらしい男は、フと笑った。
「浄化の方法はさあ、〝一日一時間、死の轍を身に着けた者と純潔の乙女が、継続して肌を直接触れ合わせること〟なんだって」
「一日一時間、直接肌を……」
「そー。探せば居るんだろうけど、その条件満たしてる奴って多分オレの周りにはあんま居ねーし」
「そうなんですか?」
要は女の子なら誰でも良いということではないのか。ユウはきょとんとした顔でそう思ってから、ふと今しがたフロイドが説明していた条件の内容を回顧した。
——純潔。乙女。
「……。……」
ぱちぱちと目を瞬いた彼女は、唐突に目を大きく見開いてフロイドを見る。含みのある笑みを浮かべ、こてんと小首を傾げた大男が視界に入った。言わんとすることを理解した柔い頬は、ボッと真っ赤に染まる。
「〜〜ッッ!」
「あは。意味、分かった?」そんなユウの様子を、フロイドは楽しそうに眺めながら言葉を続ける。「小エビちゃんならさあ、
「さ、最低!」
「あれ、じゃあ違う?」
「ち、がくはない……ですけど……っ!」
「んふふ、顔真っ赤」
揶揄われている。そう分かっていても、赤くなった顔はなかなか収まらない。ユウは陸に打ち上げられた魚のように口を開閉して、フロイドを睨みつけた。しかし彼はそんなこと気にも留めず、ケタケタ笑うのみだ。
「マア、それにさ——」
と。ひとまわり大きな手が、おもむろにユウの手へと伸びた。びくりと分かりやすく反応した白い手の形を確かめるように、男のそれがすっぽりと包み込む。「小エビちゃん、おもしれーんだもん。見てて飽きないし」
「……別に、そういうつもりは無いんですけど」
「えー? じゃあそれ才能じゃね」
「う、嬉しくない……」
「んはは——ア。ねえ小エビちゃん、見て」
「?」
パチン。フロイドが指を鳴らした瞬間、キラキラと光の粒が舞った。魔法だ。
「わ……!」
間近で見る機会なんてめったにない。目の前で起こった奇跡に思わず魅入った少女の横で、「ちょっともう浄化されてるみたい。凄くね?」とフロイドが言った。ユウははっと我に返って、こくこくと頷く。
「凄いです! なんか、スマホの充電みたいですね」
「何その例え、ウケんね」
フロイドは空いているほうの手を伸ばした。スマートフォンをタップして、アラームアプリを立ち上げる。
「んー。じゃあ試しに一時間、手繋いでてみよ」
「えっ。あ、早速……」
「? どしたの小エビちゃん」
「……い、いえ」
カチコチに固まったユウを覗き込む端正な顔。未だに慣れないその美丈夫にうぐ、と息を詰めた少女は、「……緊張してるだけなので大丈夫です」と素直に返す。
「んえ、緊張?」
「…………そ、その。男の人と手繋ぐの、エレメンタリースクールの運動会以来、なので……」
「……」
「……」
「……ぶはっ」
静寂を切り裂き、先に吹き出したのはフロイドだった。痩躯を跳ね上げた少女の横で、フロイドはクツクツと肩を揺らす。「ほんっと、面白いねえ」言いながら、敢えてユウの手の形を確かめるように柔くニギニギ握り込んでくるものだから、言わなきゃ良かったとユウは密かに後悔した。
「はー、笑った……小エビちゃん、一時間何か映画かドラマでも観る? オレ、ネトフリとアマプラ入ってるから色々観れるよ。好きなの観たら?」
「……観ます」
「おっけー。んふふ、んな緊張すんなって。先は長いんだからさ」
一時間。セットされたタイマーのスタートボタンが押されるのが視界の端に映る。善処します、そう辛うじて返事をしながら、ユウはちらりとフロイドを一瞥した。
——本当に、何でトントン拍子にマフィアとこんなことになってるの……?
取り敢えず落ち着かない気持ちを紛らわそう。手を繋いでいるという事実をなるべく意識しないよう、ユウは己の手をなるべく見ないようにと視線を逸らした。
