Ⅰ. Once Upon A Time


 ユウの初恋は、絵本の中の王子様だった。
 幼い頃のことだ。普段娘を放置したまま夜はほとんど家に帰って来ない母親が、ある日唐突に持って帰ってきた絵本。これでも読んでなさい。そう言って何かをプレゼントされたのは後にも先にもこの時だけであったが、ユウはそれが本当に嬉しかったのを覚えている。
〝むかしむかし、あるところに〟
 どんな素敵な恋愛も冒険も、この言葉からスタートするのが定石だ。いつだって表紙を開けばたちまち広がる、夢に満ちたおとぎの世界。
 継母に虐められていたお姫様が、ひょんなことから隣国の王子様に助けられ、恋に落ち。そうして最終的に、晴れて結ばれて幸せになるまでのおはなし。
 ——とにかくキラキラ輝いて見えるそんな輝かしきワンダーランドは、ボロアパートで一人母親の帰りを待つ幼子の心を魅了して離さなかった。
『おうじさま、かっこいい……』
 ターコイズブルーの髪をした、背が高くて優しい王子様。柔らかいタッチで絵描かれていた、白馬に乗って颯爽と姫の元に現れる王子の挿絵を見て、ユウは日々夢見たものだ。
 もし、家の玄関を開けた先にこんな運命の人が待っていたのなら。
 『こんにちは。お迎えに参りました』なんて言って、ユウの元へ会いに来てくれたのなら。
 かっこよく微笑んで、手を差し伸べてくれたのなら。
 それはどんなに素敵なことだろうか、と。

   ❖ ❖ ❖

 少し遠くでザザンと波の音がした。
 思わず見惚れてしまうような真ん丸な月が、透き通るような夜空にぽっかりと浮かんでいる。大通りから外れた靉靆あいたいたるこの裏通りでは、より一層その輝きが増して見える気がした。もともと静かでひとけがない道だ。歩を進めるたび、コツコツとローファーの音がよく響く。
「ふぁ……」
 いつも通りの単調な道を進みながら、誰も見ていないのを良いことにあくびをひとつ。ユウは眠気を噛み締めつつ、左右の肩にそれぞれ掛けている、スクールバッグとエコバッグを背負い直した。教科書が多い日にスーパーマーケットの特売が重なると、どうしても大荷物になってしまうのだ。買う量を減らせば良いことは頭では分かっているのだが、悲しいかな……万年金欠の身からすると、やはりどうしても安さの誘惑には勝てないものである。
 電車で数駅進んだ先にある、ハイスクール近くのファミレスでのアルバイト帰りだ。授業が終わった後に働いて、そのままスーパーに寄って買い物をして。そうして本日もなんとか、怒涛の一日をようやく終えたところである。狭い道を進み、暫くしてようやく見えてきたのはユウの住んでいるオンボロアパート。段差の大きな白い石階段に脚を乗せる前に息を吸い込めば、ふと潮の香りがした。なんとなく振り返って、大海原を一望できる方角へと視線を向ける。
 美しい青碧の海が観光名所として有名なこの街では、今日も今日とて海の香りが濃い。暗がりの中、月明かりが巨大な水面に光の道を作っているのが見えた。ザザンと聞こえてくる潮鳴りが心地良くて、ほう、と小さく息を吐く。
「……あっ」
 そうしてしばらく眺めたのち、ユウは漸くハッと我に返った。今日はいつもよりも時間が押しているのだ。のんびりしている場合ではないと慌てて踵を返し、階段を駆け上がる。
 普段はもう少し早く帰宅しているはずが、本日いつもより一時間ほど遅くなってしまったのは、電車で明日の小テスト勉強をしながらうっかり寝落ちしてしまい、最寄り駅で降り損ねたからであった。かなりガッツリ眠って、夢まで見てしまい。ふと目が覚めたときには見知らぬ駅。慌てて降りて、乗り換えて。そうしてなんとか、無事に最寄り駅に戻ってきたのが数分前のこと。終電を逃さなかったことだけが救いだ。
 ——ターコイズブルーの王子様。
 ユウは階段を上りながらぼんやりと、電車の中で見た夢に出てきた人物を回顧した。
 ユウの初恋の人、絵本に出てきた王子様。なんだか随分と懐かしい夢を見たものだ。もしかしたら家の前に立っているかも、自分のことを迎えに来てくれるかも……なんて、当時はそう思ってたんだっけ。
 今よりずうっと夢見がちだった幼女時代を思い返して、ユウはふふと薄く笑った。あれから十二年ほど経過した。エレメンタリースクールを卒業して、ミドルスクールを卒業して。思い返せば、ここに至るまでに本当に色々あったものだ。そのほとんどを、自分の力で乗り越えてきた。
 誰かが迎えに来るのをただ待つだけでは生きていけない。人生は自力だ。それが、これまでの人生で得た学びである。
「ん……?」
 自宅があるのは二階だ。バチバチと音を立てている切れかかった電球と、月明かりによって辛うじて明るさを保っている、各家々の玄関前。それを全て通り抜けた先……最も端の部屋だ。けれど二階に上がった途端、ユウは僅かに目を見開いて立ち止まった。
「え、」
 何故なら、視界の先に広がる光景がいつもと違ったからだ。
 正面に見える自宅前。そこには棒キャンディを咥えている、ターコイズブルーの髪をした男が屈んでいた。一度見たら忘れられないような、あの絵本に出てきた王子様のような。目が覚めんばかりの、美しいターコイズブルーだ。
 ——しん、と。まるで世界中の音が一瞬、息を潜めたかのような心地がした。雑踏も喧騒も、はじめからそこに無かったかのように。照明が絞られた神聖な舞台上で、パッとそこにだけスポットライトが当たっているかのように。ユウは思わず見惚れそうになって、ぼうっとその姿を見つめた。
 にゃーお。
 と、どこかで野良猫が鳴いたのはその時だ。それを聞いて、彼女はようやく我に返る。違う、放心している場合じゃない。これは多分きっと、だいぶまずい、、、。直感的にそう感じて、バレる前に一旦退却しようと踵を返し、——。
「んあ、」
 しかしその瞬間、男はついと顔を上げた。端正な顔が廊下の向こうにいるユウを見上げ、僅かに顔をもたげ。そして、よく通る間延びした声が廊下に響く。
「あは、やーっと帰ってきた」
 金と琥珀の色違いの瞳が、柔らかく揺れる一房の黒い髪の下でギラリと光った。男は無遠慮にジイッとユウを見上げたかと思うと、ややあっておもむろに立ち上がる。そうしていかにも高価そうなスーツのポケットに両手を突っ込みながらコツコツと靴音を鳴らすと、立ち竦むユウの前までやって来た。
 とにかく縦に長い男だった。ユウが想像していたよりもずうっと背が高い。まるでぬりかべみたいなその巨躯を、少女は見上げるようにして少しだけ後ずさった。男らしいガタイの良さから滲み出る迫力に気圧される。
 そんなユウの様子を見て、男は背中を丸めて彼女の顔を覗き込んだ。肩を揺らしながら、ニンマリと笑みを浮かべて口を開く。
「どーもぉ、お邪魔してまぁす」
 ——拝啓、幼い頃の自分へ。
 冷や汗が流れるのを感じる。ユウは頭の中で、夢見がちだった過去の自分を改めて思い浮かべた。
 ——十二年後、あなたの自宅前に現れる〝憧れのターコイズブルーの人〟は。
 残念ながら王子様じゃなくて……我が家に取り立てに来た、正真正銘のマフィアです。

   ❖

 そもそもの話。ユウの母親がどういう訳かマフィアと関わりを持ち、家にも借金取りが現れるようになったのは……ユウがハイスクールに入学したあと、割と最近になってからのことであった。元々普段からあまり家に帰って来ない、基本的に音信不通がデフォルトの母親。悲しいかな、それよりもマフィアのお兄さんたちのほうが、アパートを訪れる回数が多い週もあったほどである。
 ——こんにちはァ。ねえ、居るんでしょ?
 ——貸したモンは返してくれなきゃ困るんだよ。
 ——おいクズ、いい加減にしろよ。
 ——金返せって言ってんだろ!
 マフィアが訪ねてくる日はいつも、家の外は野太い声で賑やかだ。追い返すことが出来れば一番良いのだが、生憎一介の貧乏女子高生であるユウが彼らに支払える金などタカが知れている。結果、普段は居留守を使ったり部屋の電気を消したり、布団を被ってみたり。そうしてなんとか、根比べでやり過ごすことが多くなった。運が良いのか悪いのか、それで今までほとんど取り立て屋と遭遇することなく、辛うじて無事に生活していたのである。

 普段は何とも感じない家の廊下が、その男が通るだけで少し窮屈そうに映る。まるでトリックアートを見ているかのようだった。とにかく天井スレスレなのだ。うっかり額をぶつけてしまわないか、なんだか見ているこちらがヒヤヒヤしそうになる。
 玄関前にいた男は、フロイド・リーチと名乗った。
 よろしくねえ。第二ボタンまで大きく開いたシャツの隙間から、たくましい肉体を覗かせつつそうのたまった男が、ユウに鍵を開けるよう促し勝手に家へと乗り込んだのは数分前。特に物を壊すでもなく、何かを差し押さえるわけでもなく。取り敢えず一通り狭い家の内部を確認して回った彼は、最終的に部屋の真ん中でポケットに手を突っ込んだまま立ち止まった。
「ねえ」
 フロイドは不意に振り返る。それに従うように、耳元で揺れていた三連のピアスがチャリリと乾いた音を立てた。
「お前のパパとママさあ、どこ?」
「へっ」
 緊張でガチガチに固まっていたユウは、思わず素っ頓狂な声を上げる。ややあって、慌てて言葉を続けた。
「あ……父は、その。顔も分かりません。私も会ったことがなくて。母は——最近は帰ってきていません。音信不通で、どこに行ったかよく分からなくて、」
「へえ、いねーんだ。どんくらい帰ってきてねーの?」
「さ、三か月くらい……です」
「ふうん」フロイドは気怠げに呟いた。「三か月ねえ」
 ユウは息をつめた。
 外音の響かぬ室内。密室のこの空間で発生する静けさは、ユウにとって気まずさしかない。緊張と不安で心が押しつぶされそうだった。バクバクと恐怖で心臓が鳴るのを感じながら、震える手をギュッと握り込む。
 ——殺される。臓器とか売られちゃう。
 部屋の隅で縮こまりながら思うことは、とにかくその一点だ。フロイドに出て行って貰うにはもちろん金を返すのが一番だろうが、そんな余裕があったら最初から苦労はしていない。
 生きていくには何かとお金が掛かるものである。特にここ数年は、今まで以上に碌に帰って来る気配の無くなった母親が家庭に金を入れてくれる訳もなく。結果、ユウは全ての生活費をアルバイト代で賄わなければならない状態だった。それでも就学中の未成年が稼げる額には限度があるし、大半は生活費に消えるのが現実である。
 どうしよう、どうしよう。
 ユウは必死に、頭の中でグルグル考えた。今までの人生でもかなり色々あったが、普通に考えて今の状況は、その中でも最もピンチな状況の一つな気がした。どうすれば良いのだろう。この人を刺激することなく、かつ私が五体満足のまま穏便に帰って貰うには——。
「あ、あの。フロイド、さん」
 閑静とした室内にか細い声が響いた。ガラガロと棒キャンディを舌上で転がしていたフロイドが、「ア? なーに」と短く返事をする。ユウは薄い唇を引き結ぶと、覚悟を決めて小さく息を吸い込んだ。ええい、ままよ。背中を向けたままのフロイドに、覚悟を決めて告げる。
「お金、なんですけど、今ちょっとしか無くて。お夕飯作るくらいしか出来ないので……その、今日はそれで勘弁して頂けませんか」
 室内に沈黙が落ちる。
 瞬間、フロイドはぴたりと動きを止めた。つい、とユウのほうへと視線をすべらせる。部屋の照明に近付いたことで、顔の輪郭がいっそう濃く浮かび上がって見えた。
「……ハ?」フロイドはきょとんとした。「え、なに。夕飯?」
「はい。大したものは作れないんですけど……」
「イヤそーじゃなくて。オレにメシ作ってくれんの?」
「あっ。嫌だったら全然断って頂いて構わなくて、」
 しどろもどろになりながらあーだこーだ宣う少女を、フロイドはただひたすら、ポカンとした顔で見やった。ここに来てから一番間抜けな顔だ。コイツ何言ってんの?? 思わず目を丸めてパチパチと瞬く。
 確かに、少女の白くて細い腕にはエコバッグが提げられていて、傍目にも今しがたスーパーに寄っていたのだろうということには最初から気付いていた。けれどだからと言って、普通押し掛けてきたマフィアに料理を振る舞おうなんて考えるだろうか。
 コミュニケーションを大切にするお仕事、、、、、、、、、、、、、、、、、、をしているフロイドにとって、相手の意図を読み解くのは得意な方だ。今のこれは、何か虚仮威こけおどししの一種だろうか。そう勘繰ったものの、どうにもそういう風には見えなかった。それどころか寧ろ、悪意さえ今ひとつ感じられない。相変わらずぶるぶる震えている制服姿の少女は、嘘を吐く余裕があるようには見えないのだ。
 え、てことは冗談とかじゃねーの?
 そう彼がそう思ったのと、ユウの口が小さく動いたのは同時だった。先程の言葉に付け加えるように、小さな声が「今日はカレーです……」と呟く。
「……——」
 刹那、部屋に沈黙が落ちる。
「……ふは、」
 やがて、耐え切れなくなったのはフロイドの方だった。彼は大きく肩を震わせると、驚いた様子で顔を上げたユウを見て、更にケラケラと笑う。
 ナニその顔。マジで本気で言ってたワケ?
「やば、アハハッ。小エビちゃんって面白いねえ。気に入った!」
「こ、こえび……?」
「そ。ビクッてしておもしれーから小エビ」
「はあ」
 ぽかんとした様子のユウの頭に、フロイドは大きな手を伸ばした。びくり。顔を強張らせ、反射的に肩を竦めた少女のまろい頭を、構わずポンと優しく撫でる。
「料理かぁ。小エビちゃん、料理得意なの?」
「ゔ。あんまり得意って訳では……ない、んですけど」
「それ素直にそう言っちゃうのもウケんね」
「……??」
 先程までの剣呑さが嘘のようである。緊張と混乱故に、何故笑われているのかあまりよく分からず目を白黒させているユウを見ながら、フロイドはガリッと棒キャンディを噛み砕いた。薄く開いた唇の下から、のこぎり型の歯列が覗く。気分はすっかり上機嫌だった。
「あは、おもしれーから良いよぉ。カレーだっけ。今日はそれで勘弁したげる」
「! 本当ですか」
「ウン。でもぉ——」
 フロイドは背中を丸めた。身長を合わせるようにして、ゆっくり眦を眇める。黒のメッシュが、遅れて一房頬を伝った。
「不味いモン作ったら承知しねーから」
 ユウの真ん丸な目がきょとんと瞬かれた。次いでようやく、言葉を思い出したかのように発せられる声。
「が、がんばります……」
「ウン、頑張ってねえ♡」
 月明かりが窓枠を縁取る。フロイドの大きな手に頭をワシャワシャ撫でられながら、どうか未来の自分が無事でありますように、と。ユウは心の中でそう祈った。

   ❖

 結論から言うと、『未来の自分』は無事だった。
 料理を作ると口火を切ったのは良いものの、ユウは正直本当に、フロイドに述べた通り料理がそこまで得意ではないのだ。なので作ったカレーをフロイドがカレーを完食した際は、奇跡だと思った。
「ごちそうさまぁ。じゃあね、小エビちゃん」
「え、あ。はい……お粗末さまでした」
 メシ作って貰ったしー、と。まるでマフィアとは思えないセリフを吐きながら台所の食器洗いを全て手際良く済ませてくれたフロイドが、そう言ってアパートをあとにしたのち。
 ——もう関わりありませんように。家に来ませんように。
 大きな背中が立ち去ったあとの、閉じられた扉をぼんやり眺めながら。ユウはそんなことを強く願いつつ、取り敢えず明日の小テストをどうにか倒さなければとテキストを開いた。

 ……それが、昨晩のこと。
「あ。おかえり、小エビちゃん。やっと帰って来たァ」
 学校帰りである。玄関扉を開けた先。躊躇なく部屋の端に置かれた椅子に腰掛けながら、まるで自宅にいるみたいなノリでひらひら手を振っている巨大な男を、彼女は狐につままれたかのような顔でポカンと眺めた。
「……。……え?」
「もうさあ。全然帰って来ねえから、ガッコウに電話掛けて小エビちゃん居ますかーって聞こうかと思った」
 それは絶対にやめてくれ。マフィアがそんなことしたら、うっかりマジカルフォースに通報されかねない。……そう突っ込みそうになって、いやその前に何故彼がここに? とか、どうして家の中にいるの? とか。あれこれ疑問が浮かんでは頭の中でこんがらがっていく。どんなに忙しくても、戸締りをしっかりすることだけは徹底しているのだ。なのでユウの過失ではなく、この男の不法侵入であることだけは確実だった。
「フロイドさん。昨日、ご飯食べて満足して帰りましたよね……?」
「ンー? ウン。味はまあまあだったケド」
「なら、えっと——どうしてここに……?」
「んえ? あは、小エビちゃんっておバカで可愛いねえ」フロイドはクスクス笑った。「オレ昨日言ったじゃん、今日は、、、それで勘弁してあげる、って。オレ小エビちゃんママとおはなし、、、、する為にここに居んの。忘れてた?」
「!」
「図星ってカオしてる。んふふ、忘れてたんだねえ」
 ユウは黙り込んで、すべらせるようにして視線を落とす。木目調の床をじっと見つめると、視界の端に男の大きな体躯が映り込んだ。ユウはそちらに一瞬視線を向け、無意識にギクリと肩をこわばらせる。拳銃だ。鈍く黒光りしている、重厚感のある本物の拳銃が、ユウの家——ちゃぶ台の上に、当たり前のように置かれていた。
 ……今度こそもうダメかもしれない。
 ユウは脳内で、猫ミームの猫ちゃんみたいに頭を抱えた。どうして彼が再び我が家に来たのかなんて、そんなの理由は一つしかない。ないが、残念ながら一日経って貯金額が突然増える訳でもなく。殺されちゃうのかな。売り飛ばされちゃうのかな。もう一回ご飯食べますかって誘って時間稼ぐべき? 流石に通じない? 絶望を悟ってドクドクと心臓が鳴った。
 立ち上がった巨躯が少女の眼前に立ちはだかって影ができる。もはや逃げ場の無くなった哀れな小エビを眺める目をして、男は薄く嗤い——しかし次の瞬間、思ってもみなかったことを口にした。
「ねえ小エビちゃん。ちょっと相談があんだけどさあ、オレと取り引きしない?」
「……へ?」
「別にそんなに堅苦しいモンじゃなくて、バイトみたいなもん。未経験者大歓迎、小エビ優遇。もし引き受けてくれたら、小エビちゃんに絡んでくるうるせー雑魚マフィアども蹴散らしてあげる」
「バイ、ト」
 一体何をさせられるの? 怪訝そうに顔を上げたユウの純粋な視線と、いたずらっぽく片目を瞑ったフロイドと目が合った。
 ユウはしばらく黙ったまま、唇を引き結んでいた。そしてややあったのち、警戒するようにフロイドの様子を伺う。
「……。……あの。何をするのか分かりませんけど、は、犯罪紛いのバイトには手を貸せません」
「えー。健全なオシゴトだよ?」
「私にできることなんて限られてます。それに、今やっているアルバイトもあるから、そんなに時間は取れません」
「……」フロイドはチラとユウのつむじを見下ろした。この娘、追い詰められても案外自分の意見を言うタイプらしい。意外そうに、形の良い片眉を僅かに上げる。「小エビちゃんナマイキ。出来るか出来ないかじゃなくてー、やるかやらないか聞いてんの」
 コツコツと靴音を鳴らしながら、ゆらりと体躯が近付いてくる。後退った背中に硬いものが当たって、ユウはようやく背後が壁だということに気がついた。追い詰められた。そう気付いた時には所謂壁ドンのような状況になっていて、けれど巷の壁ドンと違うのは、単純に逃げ道を塞ぐだけの手段として使われているということ。
「ね。どお?」
 妖しい笑顔に射竦められ、混乱が更に深まった。というか、選択肢を提示されているようでいて、実のところ背中に銃口を突き付けられているかのような緊迫感が拭えないのだ。ユウを母親の代わりに働かせて金を回収しようとでも考えているのだろうか。断らせてくれる雰囲気ではないのが正直なところである。
「——……」
 ユウは口を噤んだ。ややあって俯くと、ボソボソと言葉を発する。
「……本当に、犯罪紛いなことはしないんですか」
「? ウン。そう言ってんじゃん」
「……なら、やります」
「オ」
 どうせ逃げ道が無いのなら、生き延びる為にも腹を括るしかない。
 虚勢を張りつつも声の先端がだんだん細っていくのを感じながら、ユウは必死にフロイドの目を見て返事をする。フロイドはじっとそれを聞いたのち、クククと肩を揺らした。たぶん、強がっているはバレているのだろう。
「オーケー」男は嗤った。「じゃ、決まりね」
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