茨の檻
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足を肩幅に広げて立ち、息を吐きながら肩の力を抜く。少女の周囲にはいくつもの気配が蠢いていて、獲物を喰らうタイミングを待ちわびているようだった。
腕を下げたまま両手をゆっくりと開閉させる。閉じて開いてを繰り返していく内に、こちらを狙っている魔獣達もリズムを取り始めた。拳の開閉に合わせて呼吸をし、
「っ!」
手を開いたタイミングを狙って魔獣達が一斉に飛びかかってきた。結理は慌てることなく一体目の攻撃を跳び上がってかわし、黒のコートを翻すように体を回転させて地面に押しつけるような蹴り足を振り下ろす。床にめり込んだ魔獣を早々に視界から外して、同時に飛びかかってきた二体目と三体目の下を抜けて両者をぶつけ合った。上から押し潰すように降ってきた四体目は飛び退くことでかわし、タイミングをずらして突進してきた五体目と六体目は勢いを利用して軽く触れて吹っ飛ばす。
一歩飛び退いた結理はグローブをはめた両手を柏手のように打ちつけた。グローブに仕込まれている刃が皮膚を破り、溢れた血が形を作り出す。
「『血術─ブラッド・クラフト─』……『棘鞭─エッジ・ウィップ─』!」
振るわれた赤い茨の鞭は、起き上がろうとしていた魔獣達をまとめて斬り裂いた。ぶつ切りになった魔獣達は小さな悲鳴を上げた後、塵になって消える。
「……ふう……」
「コラーーーーっ!!」
「わ!」
魔獣が復活する気配がないことを確認してから一息ついた直後、少し離れた所から叫ばれた。思わず肩を跳ねさせた結理は、若干嫌そうな表情で振り向く。
「まーた君は全部斬り刻んで!僕は魔獣の世話を依頼したんであって駆除しろなんて言ってないぞ!」
「だってこの後街に放流する気だったでしょ?どうせ駆除されるんだからいつぶった斬っても一緒じゃないですか」
「全っ然違う!」
ずかずか歩み寄ってきながら抗議する堕落王に、結理はしれっと返した。
これは匿ってもらうことが決まった日から一週間経っても繰り返されているやり取りだ。結理も最初はそれなりに真面目に魔獣の世話をしようとしたのだが、もれなく最終的に襲いかかってきたので駆除にシフトせざるを得なくなった。そもそも魔獣はヘルサレムズ・ロットに解き放つ予定があるのでその阻止も兼ねるようになった為、その度に堕落王とは軽い口論になっている。
ただ、結理が魔獣を駆除して口論になるのも堕落王は織り込み済みで楽しんでいるのだろうことは、なんとなく察していた。なんやかんやで面白がられてるなと思ったが、それも匿ってもらう対価だと結理も受け入れている。
「今回はかなり強度を重視したというのに豆腐みたいにぶった斬られたら立つ瀬がない!」
「立つ瀬がある程の傑作だったんですか?」
「いいや?ベーコンエッグを焼く片手間で作った」
尋ねると、嘆き倒していた堕落王は途端にいつもの調子に戻った。本当に茶番だと結理は半眼になるが、その視線を向けられている堕落王は特に気にした様子もなく「それより」と続ける。
「随分調子がいいようだね?」
「あー……はい、まあ……」
問われた結理は戸惑い気味に返した。確かに、連日吸血されて常時貧血だった状況から脱出できて以降、体の調子はいい。よすぎるくらいだ。
「ふむ……いつからか巡りは善くなっていたけれど……一段階、まではいかないな。壁が薄れたといった感じかな?」
「壁……」
無遠慮に首元を触診しながら分析する堕落王の言葉に一抹の不安を覚えた結理は、緊張しながら問いかけていた。
「それって、人間としての壁ですか?」
「そんな単純なものじゃないよ」
「じゃあ血界の眷属に近付いてるんですか?」
「それも違う。壁というよりはつっかえだね。人間の部分とそれ以外の部分との噛み合わせが悪かったんだが、それが解消されつつある。最近は変なタイミングで倒れることも減ったろう?」
「そういえば……そうですね」
言われてみればと思い返す。以前はどれだけペース配分に気を付けても何の前触れもなく動けなくなることがあったが、最近はそれがなくなっている。もちろん無理をすれば今まで通り貧血で倒れるが無理をしたと自覚がある時だけで、理由の分からない不調は大分減った気がした。
「血の巡り、魔力の流れ、気の脈動、それらが整っているとでも言ったらいいかな?」
「……それって、血界の眷属の血を取り込んだから、ですか?」
「どうだろうねえ……」
もしそうならば手放しでは喜べない事態かもしれないと恐る恐る尋ねるが、堕落王の返答は曖昧なものだった。
「どちらにしろ悪い変化ではないよ。君にとっては、だが。僕としては当たり障りのない変化でつまらないけどね」
「成程」
堕落王がつまらないと言うのなら逆に信頼できるかもしれないと、知らず強張っていた肩から力を抜いた。転化や暴走に繋がるような兆候でないのなら、ひとまずは気にしなくていいだろう。
「…………って、いつまで触ってんですか!」
動物でもあやすように首や頬を撫でだした堕落王の手から逃れながら、結理は言われたことを思案する。以前より力の流れがスムーズになっている感覚は確かにあった。だとすれば今までは制限があって使いにくかった術も使えるのでは?とひらめく。
「……それなら……」
『交渉?』
「はい。やってみたいんですけどいいですか?」
色々と試行錯誤した後、結理はクラウスとスティーブンにそう持ちかけていた。
『勝算は?』
「初手でハッタリばらまいて四割、フックかけられれば多く見積もって五、六割くらい、ですかね?奴等がまだわたしに気があればの話ですけど」
『…………タイクーンブラザーズ相手なら勝算はある方か。だが前提が引っ繰り返ってたらどうしようもないだろう?』
「そこなんですよねえ……」
尤もな点を指摘されて、結理も顔をしかめる。彼等が少女に何も思うことがなくなっていて、ただ報復にやってきたとしたら戦う以外の選択肢は全てなくなってしまう。
「でも皆の所に襲撃の類がないってことは、興味がなくなったか報復以外でわたしを探してるかだと思いますし、一応手はあります」
そう言って結理は、考えている交渉の内容ともしもの際の対処法を全て話した。クラウスとスティーブンは難しげな顔で聞いていて、途中でやってきたチェインも加わる。
「……って感じで、密封程じゃないけど一時的には凌げると思います」
『うーん……交渉の内容は承認できるけど……どうする?クラウス』
『…………私は、承服しかねる』
スティーブンが尋ねると、クラウスはこれ以上にない程の渋面で重々しく拒否を返した。予想していたようなしてなかったような返答に、結理は一応理由を問う。
「どうしてです?」
『交渉そのものは問題ない。だが君一人を彼等と対峙させるのは危険過ぎる』
「いやでも、皆でぞろぞろ行って戦う気があるって思われたら交渉どころじゃなくなっちゃいますし」
『ならばせめて私に立ち会わせて欲しい』
「クラウスさんは一番立ち会っちゃいけない人だと思うんですけど!?ねえスティーブンさん?」
『え!?あー……まあ、クラウスがこっちの主力で密封の鍵なのは奴等も分かってるだろうし、立ち会うのは逆にリスクが高くなりかねないな』
『むう…………』
スティーブンも巻き込んで反論すると、クラウスは更に渋い顔になった。泣く子の息も止まりそうな強面を見せているが、怒っているわけではないのは経験上分かっている。監禁相手、もっと言うならば最強格の血界の眷属な上に、どんな行動に出るか分からない相手と一人で対峙させることが心配なのだろう。その方向で渋られることは予測していたが、本当に渋られると説得するのはかなりの難関だ。
『……私が立ち会うのはどうでしょう?』
どう切り崩すかと悩んでいると、黙って話を聞いていたチェインが静かに挙手をした。
『私なら直接的な戦力としては見ないだろうし、いざとなったらすぐに離脱して合図を送れます。結理も、全部自分で片付けるから事務所で待機してろって言いたいわけじゃないよね?』
「それはもちろん。戦闘は想定に入れてますし、奴等の目の前にいるのはまずいんじゃないかってだけなんで、すぐ駆けつけられる地点にいてくれるとありがたいです」
返答した結理はクラウスを見た。スティーブンとチェインも自然と視線を移し、注目の的になったクラウスは居心地が悪そうに背中を丸める。
許可を出したくないが、大体の事態を想定した手が打たれているので拒否をしにくい。だがやはり心配が勝つから出来れば許可をしたくないのだが、これは駄々を捏ねているのと変わらないと顔に書いてあり、きりきりと胃が痛む音も聞こえてきそうだ。
「……クラウスさん」
そんな、どこまでもこちらを気にかけてくれる姿にこぼれかけた苦笑を奥にしまい込んで、結理は静かに語りかけた。
「心配してくれてるのは分かりますし、それが嫌ってわけじゃないです。相手が相手ですし、どれだけ想定して手を打っても足りないくらいだと思います。けど、わたしはいつまでもここにこもっているわけにはいかないです」
確かに今からしようとしていることは果てしなく危険度が高い。だが危険を理由にいつまでも逃げ続けられるわけでもない。いずれは反撃に出なければならないのは、ここにいる誰もが分かっていることだ。
「わたしを、信じてくれませんか?」
『む、う………………』
(あのお嬢さんがクラウスをやり込めてる)
(すごいレアだ)
『……………………………分かった』
スティーブンとチェインが滅多に見られない光景を珍しがれる程度の沈黙の後、苦渋を前面に出した声と顔でクラウスは頷いた。
『タイクーンブラザーズとの交渉を結理に一任する。だがくれぐれも気を付けてくれ。少しでも不穏な動きがあればすぐに撤退してほしい』
「分かりました。それとお願いが……」
ひとまず第一関門は突破できたと思いながら、結理は準備の為の相談を始めた。
(あとは……)
「……とゆうわけで、明日の昼にはここを出たいです」
「うん、いいよ」
難航すると予想していた堕落王へのお願いは、そんな二つ返事であっさりと承諾されてしまった。最後まで何か後出しで要求されるのでは?と疑っていた結理だったが、堕落王がそんな素振りを見せることはなかった。少なくとも事態が収まるまでは何もしないのだろうと無理矢理自分を納得させることにして、本来臨むことに集中する。
正直な所不安しかない。だが考え得る策は全て講じたし、勝算の低い戦いに挑むなどいつものことだ。
何より、これを乗り越えなければずっと逃げて隠れ続けなければならないなど、断固として受け入れられない。
「最悪総力戦かあ……」
仲間達を巻き込んでしまうのが申し訳ないなと、少女は苦い顔で呻いた。
そして当日、
「……あ、」
「どうしたんだい?」
「言い忘れてました」
用意された扉を潜る直前、結理は思い出したことがあって堕落王に向き直った。
「匿ってくれてありがとうございました。最初拉致られた時はマジふざけんなって思いましたけど、結果的にはあんたのおかげで色々助かりました。ご飯おいしかったです」
お礼を言ってから軽く頭を下げると、堕落王はあんぐりと口を開いて絶句した。そんなに驚かなくてもいいのにと思いつつ数秒待つ。あと三秒固まっていたら無視して行こうと決めた二秒後に、堕落王は長い長いため息をついてうなだれた。
「君本当にそういう所だよ?」
「お世話になったんだからお礼は言いますよ。じゃ、行きますね」
どういう所なのかと思ったが時間をかけたくなかったので、締めくくって今度こそ扉を潜る。外に出る直前、いつものように空中に放り出されるんじゃないかと肝が冷えかけたが、扉を抜けた先は普通の地面で仲間達に指定した公園の広場だった。
「……あ!チェインさおぉぉぉ…?!」
ひとまず即座にタイクーンブラザーズが襲来しそうな気配もなく、多少の準備時間はありそうだと安堵していると知った気配を捉えた。すぐに気配の方向を見て表情を輝かせた結理だったが、思い切り抱きつかれて笑顔が困惑に変わった。痛いほど少女を抱き締めるチェインは、小さく鼻を鳴らしてから不服そうに唸る。
「……知らないニオイが沢山する」
「あはは……一ヶ月以上いつもと違うとこにいましたからねえ……」
苦笑しながらチェインを抱き締め返す。彼女がここまで直接的な行動に出るのはそれなりに珍しい。心配させてしまったなと、結理は苦笑を深める。
「生きててよかった」
「ご心配かけました」
短いやり取りをして離れた後、チェインは懐から二枚の紙を取り出して少女に渡した。
「これ、頼まれてたやつ」
「ありがとうございます」
「……本当にいけるの?」
「まあ、なるようになれで……っ……」
尋ねるチェインに答えかけた結理はわずかに表情を強張らせて言葉を止めた。その変化で気付いたらしいチェインも警戒に表情を変えて周囲を見る。
「チェインさん、ちょっと下がっててください」
言いながら結理は渡された紙……彼女の血で『彼等』の諱名の書かれた札を持って探知感度を広げた。彼等のことは既に捕捉している。あとはタイミングだけだと、慎重に構えた。
やがて、頭上に強い気配が収束した。結理は焦らずにギリギリまで引きつけ、扉が開いた音と同時に飛び退きながら札を握り潰した拳を突きつける。
「血創術……『拘束─ばく─』」
展開した術は血脈門から飛び出して地面に着地したタイクーンブラザーズの動きをまとめて封じた。
まるで彼等の周囲だけ重力が増したように膝をついたタイクーンブラザーズを見て、拘束の術が効いたことを内心歓喜しつつ、結理は前置き抜きで言い放つ。
「今日は交渉に来た」
「交渉…?」
「そう」
辛うじてといった様子で顔を上げたイングウェイに頷いた結理は、彼等が何かを言う前に続けた。
「その前に聞きたいんだけど、何しに来たの?」
「君を連れ戻しに来た」
「じゃあやっぱり交渉しよう」
即答に即答を返して、結理は淡々と告げる。
「あんた達がわたしを監禁したり無理矢理そっち(異界側)に連れて行こうとするのをやめてくれたら、知り合いくらいの距離感ならなってもいい」
「……それを承諾するメリットは少ないと思うけど?」
「いやめちゃくちゃあるでしょ!無理矢理監禁してずっと敵意剥き出しでいられるより断然よくない!?」
「だが」
「監禁してないと敵同士になっちゃうってやつでしょ?こっちの要求のんでくれたら街中で見かけてもいきなり戦いを仕掛けないし、仕事がかち合ってなかったら怪しいとこにいてもスルーする。もちろん仕事で鉢合わせたり、誰かを襲って吸血とかしてたら見逃せないけど、それ以外なら必要以上に干渉しない。これは仲間達にも了承してもらってるから彼等も同じ対応をする。どう?」
こちらの手札を切ると、イングウェイとマクシミリアンは互いに目配せをした。結理はそれを黙って眺める。
何でもないように二体の血界の眷属を拘束している風を装っているが、内心では必死に術を制御していた。現状は動きを止めようとする結理と、拘束を破ろうとする彼等とで押し合っている状態だ。ギリギリのせめぎ合いをしていると露呈したら、あっという間に引っくり返されてしまうだろう。
「……我々を同時に封印する手法は確立されていない。ということか」
地面に膝をついたまま投げられた言葉に、結理は僅かに眉を寄せた。それを肯定と捉えたのか、イングウェイは射るような視線で少女を見据える。
「君達にとって我々は脅威のはずだ。排除できるのならそれに越したことはない。だというのに交渉を提案してくるということは、現時点ではそれしか手段がないって証明だろ?」
「あー……そう解釈するんだ」
「違うとでも?」
「あんた達封印するのが一番手っ取り早いって意見は出てたし決まりかけてたよ。でもわたしが交渉したいってお願いしたの。義理もあったしね」
「義理……」
「そこはおいといて、どうする?あと四、五分は余裕で縛れるから、動けない間にあんた達封印してもいいんだけど」
「義理って?」
「ここで言うことじゃないよ」
尋ねるマクシミリアンに答えると、タイクーンブラザーズは考えるように沈黙した。早く引き下がれと胸中で焦れる結理だが、表情には一切出さずに拘束の術を制御しながら返答を待つ。
術を支えている手が軋み始め、腕にも伝わってきている。四、五分拘束できるなどハッタリだ。本当はあと一分持つかも怪しい。
だがここで焦りを見せれば優位性は崩れ去る。拘束術の札は自分でも作ったので術自体は破られても再度使えるが、かけ直す前に彼等の手が届いてしまうだろう。
賭けに出るかと、結理は息をついた。言葉を重ね過ぎると焦燥がバレてしまうかもしれないが、こちらからもう一石投じなければ動きそうにない気がした。
「前に、言ってたよね。もしもあんた達が初手で拉致監禁しなかったらどうなってたかって」
これで彼等が動かなければ限界だ。戦闘に入る確率が跳ね上がる。密かにチェインに合図を送りながら結理は慎重に続ける。
「そのもしもをやり直せたらってちょっとでも思ってるとしたら、あんた達にも悪い話じゃないと思う。まあ、わたしの意思なんか関係なく閉じ込めてお人形にしたいんなら、話はここで終わりだけど」
「それは、僕達を許すということ?」
「許すわけないでしょ」
尋ねるマクシミリアンに結理はぴしゃりと即答した。
「あんた達がわたしにしたことは許さないし忘れない。でもそれはひとまず置いておくってこと」
「……イングウェイ」
「ああ」
促すように呼ぶマクシミリアンに頷きを返してから、イングウェイは結理を見た。先程の射るようなそれではなく、監禁中に何度も向けられた視線だ。
この視線に乗っている感情を、少女は未だに言語化できていない。
「条件を呑もう。拘束を解いて欲しい」
「……解いた途端、とかしないよね?」
「しない。牙狩りも待機してるんだろう?」
(流石に気付いてるか……)
「そこまで無防備には出られないからね」
胸中でぼやきながら拘束の術を解除した。打ち破られたのではなく自分で解いたという体裁をなんとか保てたことに、こっそり安堵する。
が、気が付いた時には両者から手を引かれていた。結理はしまったと顔色を変え、チェインが思わずといった様子で手を伸ばす。遥か後方ではクラウス達が動く気配がした。結理も即座に反撃しようとしたが、爆発しかけた戦闘の空気は他ならぬタイクーンブラザーズの行動で霧散する。
少女の手を取ったイングウェイとマクシミリアンは、それぞれ持ち上げた手の甲に口づけを落とした。
「……………………え?」
予想外過ぎる行動に目撃した誰もが固まっている間に、タイクーンブラザーズは目的は済んだといった様子で結理から離れると血脈門を開く。
「君の誠意に応える意味も兼ねて、今日は引き下がることにする」
「また日を改めて会いに来るよ」
言いたいことだけ言い置いて、タイクーンブラザーズは返答も聞かずに扉の向こうへと消えていった。残された結理が呆然と立ち尽くしていると、隣にやってきたチェインが少女と似たような表情でポツリと呟く。
「…………一目惚れって、本当だったんだ…?」
「……やっぱ信じたくないです……」
「結理!」
嫌そうな表情で返答した直後、待機していたクラウス達が駆け寄ってきた。先頭のクラウスは心配を前面に出した顔をしているが、後方にいる残りの男性陣は何と言っていいか分からない微妙な表情でいる。それはそうだろうと思いつつ、ひとまず黙殺してクラウスに向き直った。
「あー、っと……なんとかなりました」
「何事もなく彼等が退いてよかった」
(何事もなかったかなあ…!?)
「……はい、戦闘が避けられたのはラッキーでした」
「ユーリ!!」
「どぅはっ!?け、K.Kさん……」
胸中で首を傾げつつクラウスと言葉を交わしていると、真横から衝撃を受けた。思わず悲鳴交じりの息が漏れた結理に構わず、少女に抱きついたK.Kはわしわしと肩や背中を撫でさする。
「もおおおおおお!!ほんっっとーーーーに!心配したのよ!?あの化物共相手によく無事でいてくれたわホント!!」
「わ、わ、ま、まあ運が良かったとゆうかなんと言うか……ご心配かけました……」
「一目惚れってマジだったのな」
「はあ!?一目惚れぇ!!?」
「ザップ……!」
「……スンマセン」
「スカーフェイス!あんた知っててアタシに隠してたわね!?」
「いや、だって、ほら、知ってたら君速攻で奴等を蜂の巣にしようとしただろ?」
「それぐらいの分別はつけるっつの!あんたアタシのこと何だと思ってんのよ!」
余計なことをこぼしたザップがスティーブンに睨まれ、そのスティーブンはK.Kに詰め寄られてたじたじになる。それを他の面々は止めるか迷ったり困ったように眺めたりと、それぞれの反応を見せた。
賑やかないつもの光景が、目の前で繰り広げられている。
ずっと遠くに感じていた日常の中に戻ってこられたのだと実感できた直後、
「……結理?」
込み上げてきたものを堪えられず、ぽろりと涙がこぼれていた。気付いた仲間達に驚愕の表情を向けられ、結理は慌てて言い繕う。
「あああああ違うんです待ってください怖かったとか辛かったとかそうゆうんじゃなくて!いや全然ないって言ったら嘘になるけどとにかくそれと違くて!なんか気が抜けちゃったってゆうかホッとしちゃったってゆうかでしてちょっと涙腺が緩んだとゆうかなんとゆうかで全然大丈夫でぅわ…!」
長々と言葉を並べていると、K.Kとチェインに両側から抱きしめられた。ああこれはまずいぞと再度言い繕おうとしたが、それよりも早く頭を撫でられる。
「あ、あの……」
「よく頑張ったわね」
「……っ……!」
優しい声音に、触れる温もりに、繕おうとしていた全てが崩れ去った。込み上げて溢れ返る安堵が止められない。もう堪えようがないし、堪える必要もないのだとずっと強張っていた肩から力を抜いた。
「う……えぇぇぇぇん!!やっと帰れたあぁぁぁぁぁぁ…!!」
抱きしめるK.Kとチェインの腕に縋るようにしがみつきながら、少女は声を上げて泣いた。スティーブンとザップがやれやれと言いたげに、レオとツェッドは安堵した笑顔で、そんな結理の頭を撫でていく。
最後にクラウスが結理と目線を合わながら溢れる涙を拭った。
「よく戦い抜いた。結理」
「うう……超頑張りました…!」
「積もる話もあるだろうけれど、ひとまずは帰ろうか」
「……はい!」
場を締めくくるようにスティーブンが提案し、促された少女は涙に濡れた満面の笑顔で応えた。
こうして日常は戻り、世界は今日もつつがなく、時々危機に陥りながらも回る。
そして、
「…………日を改めるの早すぎない?」
「本当は昨日の内に出直すつもりだったんだが、君が一人になるタイミングがなかったので諦めた」
タイクーンブラザーズが訪れたのは、交渉を終えた次の日の夕方だった。半顔で呻く結理に、血脈門を潜って目の前に現れたイングウェイはさらりと答える。確かに昨日は仲間達がおかえりパーティと称して慰労会を開いてくれて、その後は事務所に泊まってそのまま業務に入ったので一人になるタイミングがほぼなかった。問答無用で連れ去らないという約束は一応守ってくれるらしい。
「で、何の用?」
「聞きたいことがあって」
問いに答えたのはマクシミリアンだった。
「義理って何?」
「……あー、それ……」
「もしかして、ただのハッタリだった?」
「違うよ」
即答しながら、結理はコートの襟に触れる。
「コート」
「?」
「このコート、わたしが大事にしてるって知ったら、捨ても破きも盾にしようともしないでくれてたでしょ?その分の義理は返したいなって思ったの」
「……それだけ…?」
「あんた達にとってはそれだけかもしれないけど、わたしにとっては大事なことだから」
肩透かしをくらったような雰囲気を出すマクシミリアンに当然のように答えてから、結理は僅かに苦笑を見せた。
「まあ、仲間達にもちょっと言いづらかったから、あの時は誤魔化したけどね」
「……そうか」
「用はそれだけ?」
「いや」
ならば帰ると言う前に、イングウェイが当然のように結理の手を取った。距離感は変わらないのか……と顔をしかめつつ、結理も続きを待つ。
「食事の誘いに来た」
「君が好みそうな店を見つけたんだ」
「あー……うん、いいよ」
断る理由もないので頷く。これでいいのだろうかと今更ながらよぎるが、拉致監禁されるよりはずっとマシかと思い直した。
この関係は薄氷の上で成り立っている。それはきっと向こうも気付いているだろう。いつかどこかで、自分達は敵同士に戻る。
けれど、そのいつかが来るまではただの知り合いでいようと、結理は胸中で密かに決めた。
……が、
「……ところで」
「何?」
「我々の関係は今のところ友人、ということでいいのか?」
「ちげえわ。ただの知り合いだよ。いや、顔見知りくらい…?」
「まだ、ということだろ?」
「それならまずは伴侶を目指そう」
「すっ飛びすぎじゃない!?」
どこまでもマイペースな吸血鬼達に反射的にツッコミながら、やっぱり駄目だったかもしれないと小さな後悔がよぎった。
了
