茨の檻
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「んぎゃああああああああああああ!!!!」
謎の魔法陣に引きずり込まれた結理は、触手に絡みつかれたままどこかへ運ばれていた。
正確には触手の本体の所まで引っ張られているのだろう。一体何なんだと思うと同時に、嫌な予感もしていた。
捕まった瞬間に見えた魔法陣には見覚えがあった。出来れば気のせいであってほしい。全く関係のない、ついでに今の自分でも簡単にぶっ飛ばせる第三者の気まぐれな介入であって欲しい。間違ってもこの先に知った顔がいないで欲しい。そう願ったがこういった時の悪い予感は大抵当たる。
というより、魔法陣と触手の形状に心当たりがある時点で、もう予感ですらないのだ。
やがて終点に着いたらしく、触手は放り捨てるように少女を解放した。絨毯の床を数度転がって止まり、うつ伏せに倒れたまま小さく呻く。取り込んだ血の効果も消えかかっていてこのまま心が折れてしまいそうだが、そうはいかないと奮起して、状況を探ろうと仰向けに転がる。
「……………………………………」
「やあ、一之瀬結理」
視界に入ったのは今現在最も、ある意味タイクーンブラザーズよりも見たくなかった顔だった。こちらを覗き込んで朗らかに挨拶をしてきた仮面に向かって飛び起きる勢いを乗せた蹴りを放つが、例によって煙のように消えられて攻撃は届かなかった。
絶対的中して欲しくなかった嫌な予感が的中して、結理は遠慮なく怒声を飛ばした。
「なん……ちゅうことしてくれてんですかこのバカ堕落王空気読め!!!!」
「何を言うんだ!この上ないいいタイミングだっただろう?」
「最悪のタイミングだわ!!」
殺気全開の怒声をぶつけられてもどこ吹く風といった様子で、堕落王フェムトはご機嫌そうに笑いながら結理に問いを投げかける。
「しかし君、しばらく姿が見えなくなったと思ったら血界の眷属と鬼ごっこしてるとか、どうしてそんな楽しいことになってるんだい?」
「楽しいわけあるかあああ!!こっちは一ヶ月近く毎日死にかけ、て……っ……ぁ……」
いちいちこちらの逆鱗の上でスキップする堕落王に苛立ちを抑えられない結理は腹の底から怒鳴り散らそうとしたが、急に体から力が抜けて目の前が眩んだ。ああまずいと思っても抗えず、重力に引っ張られるように床に倒れる。
取り込んだ血の効果が切れたことで、身体が限界を超えてしまったのだ。遠のいていく意識を繋ぎ止めることもできない。
「おや?よく見たらどこもかしこもボロボロじゃないか。こんな状態でよく動いていたものだ」
近くで堕落王の声が聞こえたが、返事をできるだけの力も残っていない。それでもとなんとか答えようとするより早く、体が宙に浮く感覚がした。
「まずはゆっくり休み給えよ。話はそれから聞こう」
彼にしては相当珍しい労うような柔らかな声音が安堵を生み、意識が沈んでいく。もういいやと半ばやけくそ気味に諦めて、結理は抱え上げた腕に身を委ねて目を閉じた。
次に目を覚ました時、最初に視界に入ったのは不本意ながら見慣れた天井だった。ここは堕落王の住処に連行されて泊まる羽目になった時によく使う客間だ。
タイクーンブラザーズからは逃げられたが、クラウスとの合流を堕落王に阻まれたのが夢でなかったことに舌打ちしてから、結理は慎重に身を起こした。目眩はないが体のあちこち、特に足全体が軋むように痛む。血界の眷属の血を取り込んだ状態で限界以上に動いて、立て続けに技を行使した反動だろう。ついでに服は以前偏執王に押しつけられたもののどうにも自分の趣味でなかったのでクローゼットにしまいこんだフリルのネグリジェに着替えさせられていた。
部屋の中を見渡すと、コートハンガーに愛用のコートがかけられていて、ご丁寧にクリーニングもされている。ベッドから降りてコートを着込み、勝手知ったるといった足取りで部屋を出る。
ぺたぺたとスリッパの音を響かせてダイニングに入ると、堕落王がキッチンに立っていた。堕落王は結理が来たことに気付いてすぐに顔を上げる。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「あの後どうなりました?どうせ見てたんでしょ?」
「……クラウス・V・ラインヘルツと血界の眷属達は、睨み合いはしてたがそのまま交戦せず退いたよ」
「そうですか」
よかったと、結理は安堵の息をつく。当事者である自分が不在の中でクラウスとタイクーンブラザーズが戦っていたら申し訳が立たない。ひとまず最悪の事態は回避できていたのは幸いだ。
「ついでに君は約一日寝ていた」
返答に付け加えてそう言った堕落王は、フライ返しを片手に続けた。
「これからブランチだけど、リクエストはあるかい?」
「…………あったかいお味噌汁と白いご飯が食べたいです」
「それで一ヶ月近く奴等に監禁されて、愛玩動物にされていたと」
「否定しきれないけど言い方!」
自分の身に降りかかった災難を堕落王に話しながら、結理は出されたおかずを次々と平らげていった。おひつは早々に茶碗代わりになり、豚汁(豚肉かどうかは不明だが)の碗もどんぶりサイズで提供されている。
「しかし何だって血界の眷属が君に狙いを定めたんだい?」
「一目惚れだそうです」
「あっはっはっはっ!!一目惚れ!一目惚れか!それはまた凡庸な理由だ!!」
「笑い事じゃねえですよ…!」
何が楽しいのか腹を抱えて笑い出した堕落王に言い返して、一見シシャモっぽい魚の干物を頭からかじる。端から見れば笑い話に見えたとしても、こちらはそのせいで一ヶ月近く監禁された上に好き勝手に弄ばれて、最終的には命がけの逃走劇を繰り広げる羽目になったのだから笑えるわけがない。
「本当に意味が分かんないですよ。最初敵対してたんですよ?いや今も普通に敵ですけど」
「君は魑魅魍魎をやたらと引き寄せるからねえ……」
「その筆頭があんたなの忘れないでくださいね」
しみじみと息をつく稀代の怪人にじろりと半眼を向けながら、食パンにキャベツらしき千切りサラダと焼いたハムを乗せて挟んだ簡易サンドイッチを頬張る。
時折思うが、堕落王がこちらを面白がってやたらとちょっかいをかけてくる理由も、何度言語化されてもいまいち分からない。異界側から何を言われようとやっぱり自分の感性は人類寄りだと再認識して、芋の煮っころがしに箸を伸ばした。
「ただ、俗に言う一目惚れだとしたら、君にとっては厄介だろうね」
「……そうですね」
陰鬱げに呻いてからよそった芋の煮っころがしに(多分)ほうれん草のおひたしを乗せて、ひとかたまりを丸ごと口に運ぶ。もしゃもしゃと咀嚼している間に、おひつのおかわりが置かれた。口の中のものを一度牛乳で流し込み、一息ついてから豚汁(のようなもの)をおかずに今抱えているおひつのご飯を消化していく。
「理由が一目惚れじゃ、拒否はできても否定はできないですもん」
これは本人達とも散々問答をしたので嫌になるほど痛感している。
一目惚れに理由をつけるのは難しい。イングウェイにもマクシミリアンにも何度か言われた理由は、言葉自体には不本意ながら頷くしかなかった。だからといって受け入れるわけではないが……
そう考えながらご飯と味噌汁はまだ残っているだろうかと視線を向けると、給仕をしてくれていたイヴとオッドが空になった寸胴鍋と業務用炊飯器を無言で掲げていた。これで打ち止めだ。残りのおかずと豚汁(仮)を白米と一緒に食べ切り、最後に牛乳を一気に飲み干してから「ごちそうさまでした」と手を合わせて、長く長く息を吐く。
「はーーーー…………ひっさしぶりにご飯食べたー……」
「監禁中も食事は提供されていたんだろう?」
「生命維持の栄養補給と気兼ねなくおいしいご飯を食べるのは別物です」
即答しながら食後の紅茶に手を付けて、もう一度ため息をつく。何も気にせず満腹まで食事ができたのは本当に久しぶりで、充実感と満足感でこのまま眠ってしまいたいと思う程だ。
「それで、これからどうするんだい?」
「そりゃひとまず帰りま……帰りたい、です、けど……」
問いに答えた結理だったが、その途中で気付いたことがあって、言葉が尻すぼみになる。そんな少女を眺めながら、堕落王は問いを重ねた。
「本当に、このまま帰れるとでも?」
「……やっぱまずいですよね?」
「連日彼等に血を吸われていたんだろう?だとしたら今、君と彼等は深い所で繋がっている」
言いながら堕落王は、結理にすっと指を突きつけて、なぞるように下に降ろす。
「胎(はら)にも、随分注がれたようだ」
「っ!!」
「今外に出ればたちどころに捕捉されてしまうだろうね」
言わんとすることを察した結理は思わず顔色を変えて堕落王を睨む。だが彼の表情に揶揄の色はなく、純粋に事実を指摘しただけの様子で続けるので、息をついて感情を霧散させた。
「つまり今のわたしは、あいつら専用の高精度GPSが取付けられてる状態ってことですか……」
なんとも厄介だと顔をしかめた結理は、ふと気になったことが浮かんで恐る恐る尋ねる。
「…………ここが見つかったりはしないですよね?」
「え?ここが突き止められるかって?」
「そうですねそんなわけないですね愚問でしたね!」
心底不思議そうに聞き返す堕落王に慌てて返して、誤魔化すように紅茶に口をつけた。自分で思っているよりも本調子でないようだ。あの堕落王フェムトが自身の居処を掴まれるなどあり得るわけがない。
それにしてもと、考えを戻す。彼等が容易くこちらを捕捉できる状態なら、今外に出るのはあまりにもリスクが高い。ライブラに戻るにしろ他の協力者に匿ってもらうにしろ一度HLに出て移動しなければならないし、彼等が結理を捕捉すると同時に血脈門を使ったらまず逃げられない。この逃走劇が全て振り出しに戻るどころか今度こそ帰ることが不可能になるだろう。
「そうなると……うーん…………」
「……しばらくここにいたらどうだい?」
「え?」
どうするかと頭を悩ませていると、堕落王がそう提案してきた。予想外の提案に結理は驚いて目を丸くしてから、すぐに疑わしげに眉を寄せる。
「何のつもりですか?」
「だって、その執着みたいなマーキングが消えるなり薄れるなりしないと外に出られないだろう?」
「……ちなみに消えるまでどんぐらいかかります?」
「一日二日でないことは確かだね。一週間か……二週間か、あるいはそれ以上か……」
「それって監禁先が奴等からあんたに変わるだけなんじゃ……」
「ここなら通信用の電波も通せるからお仲間と連絡も可能だよ?」
「…………マジで何企んでるんですか…?」
堕落王の真意が読めず、結理は警戒を強めながら疑惑の眼差しを向けた。堕落王の提案にしては結理に都合がよすぎる。普段の彼の突拍子のなさからかけ離れた言動は、何が裏があるとしか思えない。
「あんたが協力するメリットがないでしょ」
「大切な友人の為にひと肌脱いであげようじゃないか!という話さ」
「嘘つくならもっとマシな嘘ついてください。つかきしょい」
「あながち嘘でもないんだけど……じゃあこうしよう。ここにいる間魔獣達の世話や家事の手伝いをする。これなら双方にメリットがあるだろう?」
「それでも大分破格の待遇なんですけど……何で協力してくれようとするんですか?」
条件を提示されてもまだ疑いは晴れず、結理は警戒を隠さずに再度尋ねた。匿う交換条件も堕落王にしては大分軽い。魔獣の世話が一筋縄では行かない可能性が高いが、それ以外にもまだ何か別の条件を隠している気がしてならなかった。
疑いの眼差しを向ける少女に堕落王はふむと考えるように顎に手を当てながら宙を見て、数瞬黙ってから視線を戻す。
「やはりつまらないからだね」
「つまらない……」
「君に興味を持つ有象無象共はどいつもこいつも君の在り方を理解せず、すぐ閉じ込めて囲おうとする。そりゃ一時的にならいいさ。それも閑話だ。僕だってお泊り会に招待することもあるしね。けれど長く、ましてや永遠に閉じ込めるなんて無理解の極みだ。君があの異界都市で奔走するからこそ世界が予想の外へ転がるというのに、平俗の檻の中に押し込めてつまらない停滞ばかり求めようとする。そんなのははっきり言ってナンセンスだ」
「…………つまりHLで右往左往してるわたしを見て楽しみたいから監禁させたくないと」
「端的に言えばそうだね」
「ああ一番納得いく理由ですね…!」
「大体君は僕の玩具なんだから他者が勝手にどうこうしていいわけないだろう」
「誰が誰の玩具だクソ堕落王」
いつも通りの評価に反射的に唸り返してから、今度は結理が考える為に黙る。要するに目の前の怪人は自分以外が結理をどうこうするのが気に食わないから、比較的軽い条件で手を貸してくれると言っているのだ。一応納得はできる。だがこの提案を受け入れていいのかという疑念は拭いきれない。
「……忘れた頃になんか要求したりしませんよね?」
「しないよ」
念の為尋ねると即答された。これが嘘なのか推し量ることはできないが、どちらにしろ結理の選択肢は少ない。どんな裏があれ、堕落王の提案を飲むのが現時点で一番確実な安全策であることも分かっている。
同じ何を考えているか分からない相手なら、問答無用で転化させようとしてきた吸血鬼より、はた迷惑で愉快犯だがある程度人柄を知っている顔見知りの怪人の方がずっとマシかと、結理は腹を括った。
「……じゃあ…………しばらく匿ってほしい……です」
「決まりだ」
少女の答えに、堕落王は含みなく満足げに笑った。
緊張に少し震える指で、ビデオ通話のボタンを押す。気持ちを整えるように深呼吸をしていると、相手は三コールで通話に出た。
「……結理です」
『ユーリ!』
『結理!!』
『ようやく繋がっ……』
『結理さん!無事で……』
『おうおう死んだ詐欺が今まで……』
『結理、今どこに…………』
「ぅゎ圧すご……っ?」
画面の向こうには端末の持ち主であるクラウスの他にレオ、チェイン、スティーブンと斗流の二人の姿もあった。彼等は詰め寄るように画面に向かって集まって口々に言葉を投げようとしたが、何故か一斉に虚を突かれたように固まった。
「……あの、どうかしました?」
その固まりようが不可解で、結理は思わず尋ねる。まさか自分の見えないどこかに傷でもあるのか、あるいは自分で思っているより顔色が悪いのかと思って、慌てて言葉を繕った。
「あ!無事です!超無事です!!もう全然元気で貧血でもないです!嘘じゃないですよ!?お腹いっぱいご飯食べたんで絶好調です!!」
『……あー、お嬢さん?』
言い繕ってもなお固まったままの面々を代表するように、スティーブンが恐る恐るといった様子で口を開く。
『君は今、堕落王の住処にいる。ということで合ってるかな?』
「え?!あ、はい、でも何で……で!?」
ズバリ言い当てられた結理は戸惑いながら何ともなしに振り向き、ぎょっとして顔を引きつらせた。少し離れた後方で何故か当たり前のように堕落王が立っていて、通話を覗き込んでいる。
「何でいるんですか!!?今通話中なんだからあっち行って!!ちょっと!!手ぇ振らない!テレビ中継の野次馬か!ちょっともおおおっ!!」
一分後、
「すいません失礼しました。話の腰が初っ端からバッキバキですけど、色々あって今は堕落王の所で匿ってもらってます」
どうにか堕落王を画面の外に追い出した結理は、精神的な疲労に若干息を切らせてうなだれながら現状を報告した。
『……結理』
「……はい」
どこから説明したものかと思いつつ詳しく話そうとしたが、それよりも先にクラウスが神妙な面持ちで切り出した。結理は居住まいを正してクラウスと向き合う。
『君はタイクーンブラザーズに誘拐され、監禁されていたのだね?』
「……はい」
『噛まれたのか?』
「それは大丈夫です」
問いには即答した。少しでも揺らげば見抜かれてしまうと、極力平静を保って続ける。
「ただ、逃げてもすぐに捕捉できるマーキングはつけられてるみたいで、それが消えるなり薄れるなりするまでは、堕落王邸(ここ)から出るのは難しいです」
『マーキング……』
「原理はわたしもよく分かんないです。堕落王にこれ以上借りを作ると後が怖いんで詳しくは聞けませんけど、一応時間経過で薄れて消えるみたいです。だから自然に消えるかわたしの方で解除できそうだったらしようと思ってます」
『それまでは外に出られないと』
「はい」
『堕落王の協力を得るにあたって何か取引をしたのかね?』
「あー……家事の手伝いをするくらい、ですかね。なんかわたしが監禁されるのが気に食わないみたいで、比較的軽い条件で匿ってくれるそうです」
『……そうか』
そう言ったきり、クラウスは難しい表情で黙り込んだ。他の面々も似たような顔をしている。信用できないのも当然だろうと結理も考える。親しいという表現とは大分ずれるがそれなりに知った関係とはいえ、HLを好き放題に実験場にする稀代の怪人に預けるのは不安要素が多い。何か裏があると疑うのが普通だ。
「まあ……タイクーンブラザーズに追いかけ回されるよりは大分マシだと思います。堕落王は無理難題をふっかけてきても必ずクリアできる隙間を用意しますし、いつもの気まぐれがたまたまこっちに都合のいい方に向いてるってことでいいんじゃないですかね…?」
フォローのような言葉を投げてからふと、結理は気がかりなことがよぎって表情を強張らせた。
「あの、クラウスさん……タイクーンブラザーズと戦ってはいませんよね?」
『……ああ。彼等は君が連れ去られたことに我々が関与していないと分かると、すぐに立ち去ってしまった』
「ならいいです。念の為に言いますけど、奴等とは今は事を構えないで欲しいです」
『君を自由にするには奴等を密封するのが一番手っ取り早いと思うけど?』
「手っ取り早くないのはスティーブンさんも分かってるでしょ?」
本気ではないが冗談というわけでもないであろう提案に即答すると、スティーブンは渋い表情を見せた。確かに元凶をなくしてしまうのが最速の解決方法だ。だがそれが出来るのならば、先日のオークションの事件で激戦を繰り広げることもなく事態は速やかに終息できていただろう。
「今、誰も襲撃を受けてないってことは、奴等も皆さんと事を構えるつもりはないってことです。だとしたら無駄な争いは避けるべきです」
『…………現状はそれが無難、か……』
『すまない結理。君に潜伏を強いることになる』
「クラウスさんが謝ることじゃないですよ。元々はあいつらが好き勝手してくるからこんなことになってるんですし。元凶は全部あいつらです」
『そもそも、タイクーンブラザーズはどうして君を拐ったんだ?何か理由は聞けたのかい?』
「…………………………あー……っと……そのぉ……」
スティーブンの問いに、結理は気まずいと複雑とその他諸々の感情で顔を引きつらせた。途端に歯切れの悪くなった少女を怪訝に思った面々の視線を受けながら伝え方をしばらく葛藤し、仕方がないと諦めの気持ちも混ぜて返答をする。
「あの……信じられないと思いますし信じなくてもいいとゆうかわたしも信じきれてないとゆうかなんですけど……」
『?』
「えーっと…………奴等曰く……この間のオークションの時にわたしを見て気になって……とりあえず拐って…………」
『拐って?』
「…………一目惚れ……らしいです……」
『……………………………………………………』
「ああ!そうですよね!何言ってんだこいつって思いますよね!わたしも全っ然!信じてないんですけど言われたのは本当だしそれで敵同士になりたくないからわたしがうんって言うまで監禁しときたい的なこと言ってたようなそうでないようなでしてね!?マジで永遠に閉じ込めてきそうだったんでこのまま飼い殺されるのなんて真っ平ごめんと思ってどうにか逃げ出したんです!」
通話の最初と同じように呆然と固まった仲間達に、結理は慌てて言い繕う。だが彼等は呆然とした表情のまま何故か無言でザップを見やり、注目の的になってるザップも信じがたいものを見てしまったように唖然とした顔をしている。
誰も何も言わない(正確には言えないのかもしれない)長い沈黙が流れて、しばらくの間場が静まり返った。
『……………………ま、まあとにかく』
永遠に続いてしまいそうだった沈黙を気まずげに破ったのはスティーブンだった。
『どんな理由であれ奴等がお嬢さんをつけ狙ってるのは確かだ。こっちとしても何かしらの手を打たないとだな』
「お手数かけます……」
『気に病むことはない。君が言った通り元凶は彼等であり、結理は巻き込まれた被害者に過ぎない』
「クラウスさん……ありがとうございます」
労いの言葉を返されて、結理は思わず頬を緩ませる。気遣われることが申し訳なくもあり嬉しくもあり、自分は彼等と共にいてもいいのだという安堵でもあった。そして自分もその気遣いに応えなければと、表情を引き締める。
「わたしの方でも出来ることとか解決方法を考えてみます。このままやられっぱなしでもいられないですし」
出来ることは必ずあるはずだ。今のところ時間はあるのだから、確実に見つけなければならない。
「必ず、戻ります」
全ては戻るべき場所と日常を取り戻す為だと、結理は決意を新たにした。
電波状況の確認も兼ねてメッセージを送ってから数分後に、着信はきた。ビデオ通話での着信を確認した結理は、また堕落王が映り込みはしないかと周囲を威嚇するように見回してから、通話に出る。
「結理です」
『……今度は堕落王同伴じゃないね?』
「はい。スティーブンさんも今一人ですか?」
『ああ』
答えながらスティーブンはカメラを室内に向けた。どこかの小部屋のようで、人の姿はない。事務所にこんな部屋あったっけ…?と思いつつ、結理も「確認しました」と返す。
『さて、二人きりで話したいとメッセージをくれたわけだけど……』
始めはいつも通りの表情で切り出したスティーブンだったが、すぐに真剣な面持ちになると斬りつけるように問いかけた。
『噛まれたのか?』
「噛まれました。それも一回二回じゃないです」
問いに即答すると、スティーブンはわずかに表情を歪める。端末越しでも殺気立ったのが伝わってきて、結理は苦笑しないように表情を繕いながらもすぐに続けた。
「でも転化はしてませんし、兆候もありません。確認したかったら全身見せますけど」
『いや、いい』
「……そうですか」
実際に見てもらった方がいいと思ったのだが、食い気味にきっぱりと断られた結理は素直に引き下がった。
『じゃあマーキングというのは』
「連日喰われてたのと、逃げる時にわたしも奴等の片方から血を吸ったせいで双方向の繋がりができちゃったからだと思います。血を取り込んで信じられないくらい強化できましたけど、一時的だったしやっぱり転化の兆候は出ませんでした」
『君が以前言っていた通りか……』
「はい。吸血鬼との混血は転化能力を持たないし転化されることもない。それが適応されてるっぽいです。でもまだどうなるか分からないんで、しばらく様子見させてほしいです」
『分かった。どっちにしろ連中との繋がりを少しでも薄めないとならないし、丁度いいだろう』
息をついてから、スティーブンは若干迷うように視線を外して、すぐに戻す。
『……結理』
「なんでしょう?」
『大丈夫かい?』
「え?あ、はい。何ですか急に?」
『……クラウスが心配していたよ。橋の上で見た君が何かに怯えているようだったってね』
「……っ……」
『噛まれただけでなく、それ以外にも奴等に何かをされたのか?』
問われた結理は少しの間黙ってしまった。沈黙を肯定と捉えられかねないが、それでもすぐには言葉を出せなかった。陵辱されたことや、彼等に飼い殺されていれば仲間達に害が及ばないのではないかと考えてしまったことは墓の下まで持っていくとして、そんなことを考えてしまった理由を話すことに迷いが生じている。
言葉にしていいのか。言語化して、表に出してしまったら、自分の中で何かが焼きついてしまうのではないかと、そんな懸念が浮かんだ。
「……しいて言うなら、」
けれどずっと黙っているわけにもいかないと言葉を選びながら、結理は静かに口を開いた。
「長老級血界の眷属を間近で見過ぎた。といった感じですかね」
『…………』
「あいつらは、本当に強いです。生物としての質が違うって、嫌でも見せつけられました。正直なところ逃げられたのも運が良かっただけです」
何度心が折れそうになったかは分からない。一度でも折れきっていたらあの陸橋で引き返していたか、逃げること自体を諦めていたかもしれないと、今なら確信できる。
「…………スティーブンさん」
『ん?』
「前に教えたわたしの『名』は、覚えてますよね?」
尋ねると、スティーブン数瞬凍りついたように止まったが、すぐに少し硬い声で「……ああ」と頷く。我ながら嫌な言葉を投げると顔をしかめたかったが、ここで尻込みするわけにはいかない。
「大丈夫だとは思います。けど、まだどうなるか分かりません。もしも最悪の事態になったら、その時はお願いします」
『そんな事態にならないことを願うよ』
「わたしもです」
願望のこもった言葉に同意した結理は不敵に笑ってみせた。
「このまま隠れ続ける気も、逃げる気もありませんから」
『……君らしいな』
最悪の事態は想定すべきだが、まだそうなると決まったわけではない。希望的観測が混じっていてもきっと何とかなると、不穏を払拭するように笑い合ってから、スティーブンが微妙な表情で「しかし……」と尋ねる。
『一目惚れって本当なのかい?』
「わたしも信じたくないけど本当っぽいです。そのおかげで噛まれる以外は割とよくしてくれたし逃げる隙も作れたんで、結果オーライといえばそうですけど」
『ザップの懸念が当たりとはなあ……』
「何ピンポイントで当ててんですかあの人」
それで全員がザップに注目したのかと半顔で呻く。こっちが生き死にで奔走している時に何を考えているのかと思ったが、同時に堕落王に負けず劣らず(は流石に大袈裟だが)素っ頓狂な発想をかっ飛ばすSSな先輩だから仕方がないと思い直した。
『……ところでお嬢さん』
「なんでしょう?」
『君がいない間にまあまあな量の仕事が溜まってるんだけど、テレワークとかできないか?』
「難しいですね」
『く…!そうか……』
即答すると、スティーブンは今日一番なのではと思う程分かりやすく悔しげに唸った。そんなに仕事が溜まってるのかと思いつつ、懐かしさすら感じるいつも通りの会話に思わず噴き出してからフォローの言葉を投げる。
「帰ったら徹夜してでも片付けますよ」
『……クラウスに叱られない程度にな』
「スティーブンさんこそ、わたしがいないからっていらん徹夜しちゃだめですよ?」
「……あ、」
『どうした?』
「いっこ思い出したことがありまして……」
『何だい?』
「逃げる時に異界とHLの境界のトンネル崩落させちゃったんで、もしバレたらフォローお願いします」
『…………………………もしバレたら帰った後に徹夜してでも処理してくれ』
「頑張ります……」
