茨の檻
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ベッドに体を沈めて目を閉じたまま、全身に血を巡らせるイメージをする。
意識を限界まで研ぎ澄ませ、瞬時に技を発動できるように体に覚え込ませる。それを何度も繰り返した。
始めは体を寝かせている状態でも難しかった。精度の高い研鑽は体調が万全でも恐ろしく神経を使う。ましてや今現在で横たわっている状態の時は、大抵は疲弊しきっているか貧血の状態のどちらかかその両方だ。
けれど、だからこそ動けない時は技と意識の研鑽に割り当てた。体調が万全でない時にある程度形を作れれば、通常の時ならば更に精度を増せるだろうという考えだ。
それは正解だったようで、徐々にではあるが起き上がっている時でも雑談に応じている時でも、意識の片隅で集中することが出来るようになってきていた。まだまだ研鑽は必要だが、体調が万全でなくてもある程度は動けるだろう。
それ以外は特に変わらない。彼等は相変わらず少女を閉じ込め、外に出ることを許さない。挑めば一分と保たずにねじ伏せられ、拒絶も抵抗も難なく押し切られて喰い散らされる。変わったことをしいてあげるならば、食事のリクエストを三回に一回くらいの割合で聞いてくるようになったくらいだろうか。
彼等は変わらずに、手に入れた少女を容易く御せる存在だと認識していて、抵抗は子犬がライオンに立ち向かっているようなものと難なくあしらっている。その認識自体は間違ってはいないだろう。どれだけ研鑽を重ねても真正面から彼等を相手取れる気はしないし、彼等もそれを客観的事実として認識している。
だが、子犬にも肉を裂く牙があることに意識は向いていなかった。
「っ!」
不意に気配を捉えた結理は、目を開けながら反射的に手を振るってしまった。ぱしっと音を立てて手を振り払われ、その手を伸ばしたマクシミリアンではなく振り払った結理の方が驚いて目を丸くする。
「あ……」
「……おはよう結理」
「何か用?」
「用というか……君に触れたくなった」
「昨夜も散々好き勝手触っといて?」
「愛しいものにはいくらでも触れたい」
「どこの小説の引用だよ……」
「君がそうさせた」
「そっちが勝手に思っただけでしょうが」
嫌悪も混ぜて刺々しく返すと、マクシミリアンは息をついてからベッドの縁に腰かけた。そんな相手を睨みながら、結理は慎重に起き上がる。疲労は抜けきっていないが、全く動けないというほどではない。
「本を読んで台詞回しを学んでみたけど、駄目だったかな」
「……ちなみに何読んだの?」
「本屋で平積みになっていた恋愛小説を」
「ああゆうのは大体誇張してて現実と乖離してるから参考にしない方がいいよ」
「……そうか」
思わず投げてしまった真面目なアドバイスに短く返したマクシミリアンは、どこか残念そうに見えた。色々と言いたいことが浮かんだ結理だったが、ややこしくなっても困るので言葉はしまっておく。
「どうすれば、君は僕達に心を向けてくれる?」
「大人しく密封されてくれれば」
「それ以外の方法で」
いつかと同じ問いに即答すれば更に即答された。結理は考える為に沈黙をおき、マクシミリアンは答えを待っている。
「……どう転んでも無理だと思う」
「どうして?」
「まず初手で拉致監禁してる時点で好感度はどん底だし、無理矢理犯すし血も吸うしで好きになれる所ができても全部帳消しどころかマイナスに突き進み続けてるから」
「……好きになれる所はできたの?」
「ポジティブなとこだけ拾わねえでもらえます…!?」
やっぱり会話が成り立たないと、結理は遠慮なく嫌そうに顔をしかめた。恐らくそもそもの価値観が違うので、どれだけ対話を重ねても平行線にしかならないだろう。
そんなことを考えていると、マクシミリアンが「そういえば」と切り出す。
「敵対したことについては、君は何も言わないね」
「……あー……まあ、あんた達は仕事だったし、こっちも任務だったし、敵対したこと自体には好感度は絡まないかな?仲間達傷つけたことは百回殺しても許さないけど、状況そのものは必然だからそこは重視してないよ」
「…………君の基準がよく分からない」
「それはお互い様じゃない?わたしにピンポイントで興味持ったの意味分かんなすぎるし」
息をつくと、沈黙が流れた。何かを考え込んでいるように見えたので何も言ってこないことは特に気にならないが、少し喋りすぎただろうかと内心思いながら膝を抱えて座り直す。
対話が平行線にしかならないとは思いつつも、マクシミリアンとはつい会話を続けてしまう。イングウェイが断定的な物言いが多くすぐに会話が終了に向かってしまうことが多いからというのもあるが、マクシミリアンは結理との会話に気を使っている節が見られた。こちらから色々と聞き出したいのかただ会話を楽しみたいのかは定かでない。もしかしたら飼い慣らそうとしている一貫なのかもしれないが、真意はやはり読み取れなかった。
(よく考えたら、これもある意味心を向けてるよね……)
好意とはかけ離れているが、監禁されてから一日のほとんどは彼等のことを考えている。それに気付かれたらどうなるのだろうかと小さな疑問がよぎった。どちらにしろいい方に捉えられて事態が悪化しそうな予感がするが……
こんなことに思考を割きたくないなと胸中でぼやいていると、長考が終わったらしいマクシミリアンはうつむき気味だった顔を上げた。
「……一目惚れに理由をつけるのは、難しいと思う」
「結局そこに戻ってくるんだ……」
「ただ純粋に僕達は……僕は君を側に置きたい」
「お人形として?それともただの食料?」
「どちらでもない……多分」
「惜しい」
「偽ってはいけないと思った」
「そこだけ誠実でもなあ……」
真っ直ぐにこちらを見つめたまま言い切るマクシミリアンに、結理は思わず苦笑を返す。
認めたくはないが、小さな言葉遊びを交わせる程度には距離は縮まっている。四六時中顔を突き合わせていれば気が緩んでしまうのも仕方がないと内心嘆息するが、これ以上を許すわけにはいかない。
「でも、だめだよ。どうあったってわたしはあんた達には応えられない」
「どうして?」
「初手で問答無用で拉致監禁して無理矢理噛んだから」
「………………………………」
覆せない事実に基づいた拒絶を改めて突きつけると、恐らく普通の人類ならば渋い顔をしたであろう空気をまとったマクシミリアンは黙り込んだ。取り返しのつかないことをしたのだと自覚してほしいが、自覚したところで事態が好転する気はしない。
「例えば、」
声は正面でなく別の方向からかけられた。見るとブルーノを連れたイングウェイが立っていて、少女を見つめている。
「我々が君を連れ去らずに、真っ向から想いを告げていたらどうなっていた?」
「うーん……一応話は聞くと思うけど、それでも警戒はしたかな?一回戦ってるし。わたしに興味があるって言われても信じられないし」
問われた結理は正直に答えた。先程口にした通り対峙したのはお互い仕事の上でだったし、問答無用で連れ去り吸血をしなければ話し合いの余地はあったかもしれない。だがやはり、一度敵対した血界の眷属に急に好意があると告げられれば警戒の方が勝つだろう。
「なんにしろ、もう全部もしもの話なんだから、考えるだけ無駄だよ。あんた達は、唯一うまくいったかもしれない選択肢を自分の手で潰した」
「……そうか」
「あ、そうだせっかくだから」
言うなり結理は跳ね上がるようにベッドから飛び出してイングウェイに殴りかかる。
「わ!?」
正確には殴りかかろうとしたが、それよりも早く後ろから捕まえられ、そのままベッドに沈められた。結理はぱちくりと瞬きをしてから、驚きを隠さずに沈めた相手を見上げる。
「……え、珍しい……」
「妨害してはいけないとは言ってないだろう?」
「まあ、そこは別にいいけど……」
感情の読めない顔でそう言って見下ろすマクシミリアンを見つめて、結理は気になったことを尋ねた。
「でも何で急に?」
「…………なんとなく、かな」
「はあ……」
曖昧な返答をされて、結理も曖昧な息をついた。それから妨害された方はどう思ったのだろうかと視線を向けるが、当のイングウェイは特に気にした様子もなくベッドの縁に腰かけていつものように感情の見えない目で少女を見下ろす。そんなイングウェイに結理は問いかける。
「……あんたはわたしをどう思うの?」
「……こちら側に引き入れたいと考えている」
「そうじゃなくて」
「?」
「それは手段でしょ?その手段をとる目的をわたしは聞いてるの」
「目的……」
呟いたきりイングウェイが黙る。その間に結理が起き上がった直後、膝の上にブルーノが乗ってきた。毛並みを整えるように背中を撫でてやると、ブルーノはリラックスしたように少女の膝の上で寝そべる。倣うようにマクシミリアンもブルーノの頭を撫でる。
「……今を、」
そうして二人でブルーノと戯れていると、イングウェイが口を開いた。
「今あるこの瞬間を、日常にしたい」
「どうして?」
「君に一目惚れをしたからだ」
「結局それかあ……」
「恐らく、これ以上の言語化は難しい。だからこそ」
「?うわ…!?」
言いながらイングウェイはブルーノを抱き上げてマクシミリアンに渡してから、結理をベッドに押し倒した。いつものように押さえつけるのではなく促すように軽く押した程度で、行動の不可解さに不快よりも疑問が勝った結理は特に抵抗はせずにイングウェイを見上げる。
「君を手放したくない。ここから出せば、我々は敵同士に戻るだけだ」
じっと見下ろす感情の映らない目も表情も、淡々と紡ぐ言葉もいつもと変わらない。
「……私はそれを望まない」
それなのに、今はまるで懇願しているように感じてしまった。
(そんなわけないのに……)
自分に言い聞かせるように、湧き出かけた何かに蓋をするように、結理は胸中でそう独りごちた。
「……だったら」
それからもう一度、もう何度目になるか分からなくなってきた断絶の言葉を投げかけようと口を開く。
が、告げようとした言葉を盛大に鳴った腹の虫が遮った。
「…………」
「…………」
「…………!!」
イングウェイと、ブルーノを撫でながら黙ってやり取りを見ていたマクシミリアンも予想外だったように目を丸くする。何より腹を鳴らした結理本人が盛大に顔を引きつらせて、誰も何も言わない気まずい沈黙が流れた。
「……………………聞かなかったことにしてぇ…!!」
数秒程経ってから、真っ赤になった顔を両手で覆った結理が泣きそうな声で呟いた。捕らえられてから今まで一回も思わなかった願望が衝動的によぎる。
(死にたい…!!)
空腹を知らせて空気を壊すなど恥の極致だ。ましてやいくら長期に差しかかり始めたとはいえ、監禁されているというのに緊張感がなさすぎる。
「……そうはいかない」
いっそ殺してくれと泣きたくなっていると、イングウェイが離れた気配がした。恐る恐る手を退けて見るといつもと変わらない無表情と目が合う。
「食事にしよう」
それから羞恥でふて寝をしたりマクシミリアンやブルーノから慰めらしき構われ方をされている内に時間は経ち、
「いただきます」
いつものように手を合わせて出された食事に手をつける。前日に聞かれてリクエストしたものがあることをそれとなく確認しながら、大きめのハムたまごサンドにかぶりついた。
「そういえば、君が最初にリクエストしてくれたラップサンドのキッチンワゴンは閉店したそうだ」
「え、そうなんだ」
スティーブンの指示かと思いながら相槌を打つ。プリシラは直接イングウェイと接している。彼女と取り決めている符牒は第一報用なので、長居をして辿られるのを避ける為だろう。
「あまり残念そうじゃないね」
「そうでもないけど、HL(ここ)じゃよくあることだし」
さらりと答えて食事に戻る。尋ねたマクシミリアンも疑問に思わなかったようで、それ以上詮索してくることはなかった。
それからは食べることに集中した。雑談を振られれば答えるが、食事中は沈黙が流れることも少なくはないので特に怪しむ様子もない。唯一言葉を発しているラジオからは軽快なトーク番組が流れていて、間もなく正午を告げようとしていた。
「……ねえ」
そんな中、結理は食べながら壁の向こうを見るように顔を上げた。
「なんか向こうの方で音がしなかった?」
「……何も聞こえなかったが」
「いや、やっぱり変な音がしてるよ。"キッチンかな?様子見に行きなよ"」
「……確認してこよう」
怪訝そうな空気を出しつつ、イングウェイが立ち上がって部屋を出た。それを見送りながら、結理は残っていたサンドイッチを一口で頬張って水で流し込む。
「僕にも何も聞こえなかった」
「えー?そう?」
訝しげな呟きに適当に答えながら結理は立ち上がった。小さく深呼吸をして、軽く伸びをしてから少女の動作を何ともなしに眺めていたマクシミリアンに向き直る。
「…………"マクシミリアン"」
「……!!」
名前を呼ぶと、マクシミリアンは驚愕に目を見開いた。椅子に座ったまま固まっている彼に歩み寄り、至近距離で真っ直ぐに目を見て告げる。
「"抵抗しないで"」
意識誘導の術に効果があることは何度も試して実証済みだ。長時間の拘束や完全に操ることが出来るわけではないが、事を成すには十分な時間を稼げる。
そうしてようやく作れた大きな隙をついて、食い千切らんばかりの勢いでマクシミリアンの首に噛みついた。短く吐かれた息ごと飲み込むように口内に溢れた血を啜り上げ、体に取り込んでいく。
直後に異変を察知したらしいイングウェイが、珍しくバタバタと足音を立てて戻ってくる気配がした。その足音で距離を測り、彼が姿を見せるタイミングでマクシミリアンを押し飛ばしぶつける。咄嗟に受け止めて視線を向けてくる頃には既に、結理は術を放っていた。
「『血術─ブラッド・クラフト─』……『杭─パイル─』!!」
放たれた血の杭は、二体の吸血鬼の心臓をまとめて貫くと同時に刺の枝を伸ばすように広がっていった。結理は彼等から目を離さずに壁に向かって飛び退き、かけられていたコートを引っ掴む。
刺の枝に貫かれてなお、イングウェイが少女を止めようと手を伸ばそうとする。気付いた結理は即座に鋭く叫んだ。
「"止まれ"!!」
意識誘導の力を乗せた言葉が刺さり、電気を流されたようにビクリと身じろいで手が止まる。コートを回収した結理は更に術を放った。
「『炎血術─フレア・ブラッド─』!!」
放たれた炎は部屋ごとタイクーンブラザーズを焼く。結理は結果を見ずに踵を返すと窓を蹴破ってバルコニーに飛び出し、欄干を飛び越えて空中に身を躍らせた。落下が始まる前に血の縄を飛ばして手近なビルの壁に絡ませて、振り子の要領で宙を舞いながら限界まで飛ぶ。縄が途切れたら落下しながら次のビルに新たな縄を飛ばして、落下と前進を同時に行なって距離を稼いだ。
さながら某蜘蛛のヒーローのごとく異界の摩天楼を進んでいく結理は、眼下の幹線道路を走る巨大なトレーラーを見つけた。すぐさま狙いを定めてバンの上部に飛び降り、しっかり抱えていたコートを着るとポケットから携帯端末とモバイルバッテリーを取り出して繋ぐ。数秒して充電が開始されたのを確認してから電源を入れて、GPSをオンにした。これでHLの市街地に近付けばライブラの誰かが位置情報を拾ってくれる。
近々事を起こすという符牒は前日のリクエストに紛れ込ませていた。チャンスはこの時だと判断した結理は決行を今日に定め、揃い始めていた手札を一気に切った。そうして脱出には成功したが、まだ始まったばかりだ。ここからは一瞬たりとも気は抜けない。
探知感度を最大にしたまま気配を探ると、彼等はまだマンションにいるようだった。再生に手間取っているのか他に理由があるのかは定かでないが、追跡がまだ始まらないのなら好都合だ。このままトレーラーがHL方面に向かってくれればもっと都合がいいなと思いつつ、結理は呼吸と血の巡りを整えた。
一方その頃、燃え盛るマンションの一室では、二つの影が動いていた。
「……してやられたな」
「うん」
言葉を交わしながら、タイクーンブラザーズは重なったままゆっくりと起き上がる。イングウェイが彼等を縫いまとめていた血の杭を掴んで引き抜き、棘の端まで身体から離れると役目を終えた茨の杭は形を失って血液に戻った。拘束が消えた直後、均衡が破れたように炎に焼かれていた体が再生していく。
「動けるか?」
「もう少ししたら」
イングウェイの問いに答えたマクシミリアンは自身の首元に触れた。噛みつかれた傷はとっくに塞がっていて、服にシミを残しているだけだ。
「……血の術を絡めた炎か」
牙狩りの戦法と同じく、血を取り込もうとする吸血鬼の性質を逆手に取って害する類の術だ。呟きながら立ち上がったイングウェイは、まとわりついてくる炎を軽く払いながら少女が飛び出していった窓に向かう。少し遅れてマクシミリアンも後を追い、二人でバルコニーに出た。火災の報は既に通達されているらしく、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
「向かうとすれば市街地の方だろうけど……」
「ああ」
「血脈門で行く?」
「恐らくそれも何かしらの対策を講じているだろう。使えば逆に時間を稼がれる可能性が高い」
「じゃあ」
言い合い、二体の血界の眷属は玄関を出るような足取りで欄干を越えて、躊躇なく高層マンションの最上階から飛び降りた。
「っ!!」
(来た…!)
タイクーンブラザーズが動いた気配を察知した結理はすぐさま身構えた。どうやら血脈門は使わずに直接追いかけてくる気らしい。そう思わせて一気に距離を詰めてくる可能性も警戒しながら前を向く。
その途端、トレーラーが右折車線に入った。このままでは異界側のどこかに向かってしまうことに気付き、トレーラーから飛び降りる。ここからは自力でHLの市街地に向かわなければならない。裸足であることに若干の不安はあるものの、どれくらいで距離を詰められるか分からないので止まっている暇はない。
「……お?」
ひとまず移動しなくてはと走り出したが、前方にたむろしていた異界系の男達が少女の存在に気付いて声を上げた。
「なあ、あいつレオとよくいるお嬢ちゃんだろ」
「何でこんなとこ(異界側)にいんだ?」
「まあ何でもいいだろ」
「オイ嬢ちゃん!丁度いいから金目のモンか内臓」
彼等のことは結理にも見覚えがあった。時折レオにカツアゲ目的で近付くチンピラ達だ。丁度いいと、結理は一切速度を落とさずに接近してボスらしき一番体格のある異界系の顔面に飛び膝蹴りを叩き込んだ。
「っ!?」
「あ、アニキ!!」
そのまま動揺に身じろぐ子分達も全員叩き伏せ、その中で一番小柄な一人から靴を拝借する。目一杯紐を締めても多少緩いが、ないよりはマシと割り切って進行方向を向いた。靴の具合を確かめるように何度か足踏みをしてから軽く体勢を落として足に力をこめ、鋭く息をつくと同時に全力で地を蹴った。
長老級の血界の眷属の血を取り込んだ効果は予想をはるかに上回っていて、普段ならば即座に筋繊維が切れてしまいそうな力を出しても軽く走っているのと変わらない感覚で動けている。少女が駆け抜けた後に突風が吹き、立て看板やチラシが吹っ飛んで住人達が何事かと目を向けた。
自分でも驚く程の速さで駆けているが、それでも稲妻のような速度で追いかけてくるタイクーンブラザーズとの距離は少しずつ縮まっていた。まだ多少の余裕はあるがものの、追いつかれるのも時間の問題だろう。
どうすればと考えているところで、前方にトンネルが見えてきた。あのトンネルを抜ければヘルサレムズ・ロットの市街地に出られる。同時にトンネルの中から巨大な鉄骨を乗せたトラックが姿を見せた。即座に決断した結理は胸中で全力の謝罪をしつつ、念動力で鉄骨を固定しているワイヤーの金具を吹っ飛ばした。大きな音を立てて崩れ落ちる鉄骨の一本を念動力で操ってトンネルの上部に思い切りぶつけて、走る速度を更に上げる。
悲鳴と怒号と破砕音が響く中、結理は降ってくる瓦礫を潜り抜けてトンネルを突っ切った。直後にトンネルの入口が崩落する。
(これバレたらどこに請求来るんだろう!!つか怪我人が出てませんように!!)
そもそもバレませんように!と罪悪感と申し訳なさでいっぱいになりながらも、走る速度は落とさない。こちらも命がけなのだ。許せとは言わないが今だけは見逃して欲しい。
願いやら謝罪やらを独りごちながら長いトンネルを走り抜けると、やがて前方にトンネル内を照らすオレンジ灯でない光が見えた。もう少しだと光に向かっていく最中、後方から破壊音が聞こえてきた。
(やっぱ速い!!)
せめてトンネルは抜けたいと縋るような思いで出口に向かうが、到達するよりも早く殺気が飛んできた。
「『血術─ブラッド・クラフト─』……『爪─クロウ─』!!」
足元を狙う気配を咄嗟に跳んで避けながら、周囲を塞ごうとした鋼線を斬り裂いたが、着地地点を狙って飛んできた赤い棘が地面を砕いてバランスを崩される。
転倒は避けられなかったがどうにか受け身を取って転がり、即座に起き上がって殺気の飛んできた方を睨みやる。止まったことで思い出したように息が切れて、どっと汗が噴き出した。
トンネルの出口までは約二メートル。
そして、悠然と歩いてきたタイクーンブラザーズは、少女から十メートル弱といった距離で足を止めた。
「気は済んだか?」
いつでも放てるようにか赤い棘を手に持ったイングウェイが、静かにそう尋ねる。結理は答えずに(正確には息を整えていて答えられなかったのだが)無言でイングウェイを睨む。
「気が済んだのなら帰ろう。少し遠くに来すぎた」
「……はっ!」
吐き捨てるように息をついた結理は、皮肉げに口の端を持ち上げて告げた。
「帰るって何?今まさに帰ろうとしてたのを、あんた達が妨害してくれたんだけど?」
「そちらではない。こちらにだ」
「戻るわけないでしょ」
「人界側(向こう)に君の居場所はない」
「勝手に決めん」
「君の本質は異界(こちら)側だろう?」
「…………」
断言された結理は放ちかけた否定を思わず中断した。沈黙を肯定と受け取ったらしいイングウェイは、少女を真っ直ぐに見たまま続ける。
「これだけ血を喰らえば分かる。異世界から来た存在というだけではなく、そもそもの君の本質は我々に近い。生まれつきなのか後天的になのかは定かでないが、少なくともこの世界の人類や牙狩り達とは一線を画している」
「……だったら、なんだっての?」
問いかけながら結理は思考の片隅で集中した。イングウェイの後ろに控えているマクシミリアンの動きを探り、こちらの次の動きを悟られないように、あくまで会話をしながら警戒している風を装う。
「いずれ牙狩りは君を持て余す。今はまだ取り繕えても、異質さが明確に露呈すれば排除に動くだろう。君がどれだけ人類を愛そうとも、彼等は同じ思いを抱かない」
事実の羅列だと言わんばかりに、イングウェイは淡々と告げる。彼にとってはきっとそうなのだろう。少女の本質が人類側でないことを見抜き、人界とはいずれ明確な溝ができると考えている。
いつもならば、あるいは簡単に制圧できる相手なら、結理はその論を即答で否定しただろう。イングウェイの言葉は彼にその気がなくとも少女が大切にしているものの侮辱に他ならない。
けれど今は否定しない。感情に任せていい場面ではないからだ。
「戻ろう、結理」
静かに前に出たマクシミリアンが、促すように少女に手を差し出す。
「僕達ならば、君を一人にはしない」
「………………」
数秒の沈黙が流れた。タイクーンブラザーズは少女の返答を待っている。この距離ならば結理から攻撃を仕掛けることはできないし、逃げてもすぐに捕まえられる。そう思っているのだろう。
奥底で燻っている感情や湧き始めている疲労を霧散させるように少し長いため息をついてから、結理は二体の吸血鬼を見やった。
「……そういえば、異世界から来た以外でわたしのことちゃんと話したことなかったね」
駆け引きはまだ終わっていない。手札はまだ残っているし、相手はそれに気付いていない。
「せっかくだから話すよ。"最後まで大人しく聞いて"」
言葉に力を乗せて宣言してから、結理は続けた。
「お察しの通り、わたしは人間よりも人外の方に近い。わたしには人間と、吸血鬼と、それ以外の人外の血が流れてるから」
「吸血鬼……か」
「血界の眷属(あんた達)ほどでたらめに強くはないけどね」
「それで、逃げるにあたって僕の血を取り込んで強化したと」
「そうだよ。で、わたしのいた世界では吸血鬼は七つの血統に分かれていてね、それぞれに特性があるの。その中でも家の血統は大分異端だった」
彼等の反応を慎重に探りながら、結理はこっそりと術を紡いだ。気付いている様子はない。意識誘導の術は効いている。だが油断はできない。そしてチャンスは一度きりだ。失敗すればもう二度と逃げられない。
莫大なプレッシャーに精神が押し潰されそうになりながらも、それを一切表に出さずに駒を進めていく。
「わたし達の血統の通り名は、『同族殺し』」
「同族殺し……」
「分かりやすいでしょ?吸血鬼を殺す吸血鬼の血がわたしの本質の一つ」
「…………」
「あんた達は、そんなわたしの血を喰らいすぎた」
彼等が『同族殺し』の血を取り込み続けたからこそ、気付かれることなく意識誘導の術が効いている。
そして、
「隙だらけだよ」
「まさか…!」
「"動くな"!!!!」
ようやく気付いて動こうとするよりも早く、結理は鋭く叫んだ。身じろいで止まった瞬間にこっそり張り巡らせていた血の鋼線を引き絞って、二体の血界の眷属を出来得る限り細切れにする。細切れにした端から再生しようとするが、それは折り込み済みだ。更に斬り刻んで再生が始まる前に術を重ねる。
「『氷血術─アイス・ブラッド─』!!」
氷の魔術を上乗せした血術は、細切れになった彼等をまとめて氷塊に閉じ込めた。これも時間稼ぎにしかならないが、元から戦って勝つ気などない。即座に身を翻した結理は再び全力で走り出した。
トンネルを抜けると見慣れた街並みが視界に入った。それだけで泣きたくなったが堪えて、走りながら現在地を確認する。
(ここなら『箱庭屋』に近い!)
「ぃよしっ!」
小さな歓声を上げながら頭の中でルートを組み立てた。馴染みの店に駆け込んでうまく匿ってもらえれば、しばらくは彼等の追跡から逃れられる。そうすればライブラとも連絡が取れるし対策を練る時間も確保できる。
(まずはマダム・アイリーンの所に!)
「結理!!」
「っ!?」
そう考えながら陸橋を渡り始めた直後、下から声をかけられた。思わず足を止めて橋の下を覗き込むと、そこにはまるで何年も会えなかったかのような懐かしさと、ようやく戻れたのだという安堵を感じられる相手がいた。
「クラウスさん…!!」
ずっと会いたかった姿に涙が溢れそうになるが、まだ何も終わっていない。ひとまずクラウスと合流できれば逃走も潜伏も更にスムーズに行える。そう判断した結理は陸橋の欄干に手をかけた。
「クラウスさん!今そっちに……」
─人界側(向こう)に君の居場所はない─
─君の本質は異界(こちら)側だろう?─
「……!」
言いながら飛び越えようとして、ふいに先程投げられた言葉がよぎって飛ぼうとした体を止めてしまった。
分かっている。分かっているのだ。クラウスやライブラの面々が、少女の本質がどうであろうと受け入れてくれることなど。
けれど、今結理を追っている彼等もまた、その本質を理由に少女を自分達の方へ引き入れようとする。そして一番の目的は結理自身なので今逃げおおせてもきっとまた追ってくるし、今度は明確に仲間達に殺意を向けるかもしれない。そう考えてしまった。
タイクーンブラザーズの同時密封の方法は恐らくまだ確立されていない。今ぶつかり合えばきっと誰も無事では済まない。初めて邂逅した時に虫を払うかのように一撃で沈められた記憶と、成す術もなく拐われて噛まれた記憶。そして彼等の技を受けて次々と倒れていく仲間達の姿がフラッシュバックする。
自分は本当に戻っていいのかと、疑問がよぎってしまった。タイクーンブラザーズの力は圧倒的だ。監禁されて身近で接したきたからこそ、余計に実感している。
だったら、仲間達を危機に晒すのなら、彼等に囚われたままの方が……
「結理!!」
「っ!!」
出かけた結論を遮るように、落雷のような声が少女の名を呼び打ちつけた。恐る恐る見ると、クラウスは真っ直ぐに結理を見つめて両手を伸ばす。
結理にとってそれはまるで、迷いも恐怖も何もかもを受け止めると宣言しているように見えた。
「……こちらへ」
「……はい!」
その一言で、迷いは消えた。
吸血鬼と戦うのが『同族殺し』だ。囚われることをよしとするなど戦士の、己の血の矜持にかけて許されない。それは血界の眷属と戦う牙狩りも同じはずだ。
今までも、これからも、共に戦うと決めたのだ。
結理が欄干を飛び越えた直後、遠くの方で何かが砕ける音がした。タイクーンブラザーズが再生を終えて術を打ち破った音だろうが、彼等が追いつくよりもクラウスの元へ着地する方が早い。
問題ないと、そう思った次の瞬間だった。
「!?」
突如として結理の真横が光り輝いた。何事かと見やると光の正体は魔法陣で、中から伸びてきた植物の蔦のような軟体動物の触手のような何かがあっという間に少女の身体を絡め取った。
「は!?」
予想外過ぎて思わず固まっている間に、触手は少女を魔法陣の中に引きずり込み始める。
「え!?ちょ、待っ……あ、クラウスさん!!」
脱出は不可能だと察した結理は呆気にとられた様子のクラウスに告げる。
「必ず戻ります!!だから心配しないで!!」
大丈夫であることがどうにか伝わっていて欲しいと願った少女の姿は、魔法陣の向こうへと消えていった。
