茨の檻
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「食事のリクエストはあるか?」
「……え?」
そう聞かれたのは、殴りかからせて欲しいとお願いしてから十数度目の決着の後だった。床に押し付けられた状態のまま、結理は驚いて声を上げる。
ちなみにではあるが、挑んだ結果は今のところ結理の全戦全敗である。元々お互い本気ではないが、結理がどれだけ隙をついても、あるいはあえて真正面から殴りかかってもイングウェイは簡単に受け流して少女を組み伏せる。時々そのまま吸血に移行されたりもするが、結理はめげることなくイングウェイに挑み続けていた。
ついでにいつもそれを眺めているマクシミリアン曰く、
「本当に子犬がじゃれついてるみたいでちょっと面白い」
とのことで、言われた結理は渋い表情になるしかなかった。
それはさておき、
「え……食事のリクエストって……いいの?」
確かに食べた時の反応やちょっとした雑談から察して好みのメニューを用意されたことはあるが、明確にリクエストを聞かれたのは初めてだ。思わず尋ねるとイングウェイは何でもないように「ああ」と頷く。
「内容によっては応えられないかもしれないが、聞くだけは聞こう」
答えながら、イングウェイは少女を解放した。すぐさま起き上がった結理は、そわそわと身じろぎながら少しだけ表情を緩ませる。
「ど、どうしようかな……この間作ってもらったホットサンドとピザトーストもおいしかったけど……待って悩ませて。えっと、えーっと……」
「……この間の、気に入ったの?」
「だって、普通においしかったよ。どっちも」
意外そうに尋ねてくるマクシミリアンに即答すると、何故かどちらも黙り込んで少女から視線を逸らした。おいしかったと答えるのがそんなにおかしいのかと思いながら、結理は眉間にしわを寄せる。またとない機会に素直に悩んでいるように、床に座ったまま腕組みをして唸った。
「うーーーん…………」
「どうせなら店舗の商品を」
「…………じゃあ、」
恐る恐るといった風に、少女はリクエストを口にした。小さく復唱してから、イングウェイは「承った」と頷いてから部屋を出ていく。
「……君のことが少し分かってきた気がする」
「え?」
マクシミリアンが口を開いたのはそれからすぐ後だった。丁度ベッドに腰かけた結理は、怪訝そうな視線を向ける。
「食事と、戦いが好き。そうだろう?」
「それは否定しないけど……戦いが好きは何でそう思ったの?」
「趣味と実益を兼ねていなければ憂さ晴らしに殴らせろなんて提案はしないだろう」
「成程」
「それに、イングウェイに挑みかかる君は楽しそうだ」
「いやこっちは真剣に……でも、そっか……まあ、そっちも否定はできないかな…?」
「命のやりとりの中にいないと息ができない類かい?」
「そんな人をトリガーハッピーみたいに……」
思わず半眼になるが、否定しきれずに言葉を濁す。戦闘にのめり込んでしまうきらいがあるのは一応自覚していたが、本気でないやり取りの中でそれを見抜かれた気がしてなんとなく気まずくなった。
「……力が欲しいのなら、こちら側に来ればいい」
静かに、マクシミリアンはそう言った。結理は目を丸くして数瞬沈黙するが、すぐに力を抜くように息をついて顔をしかめる。
「でもどうやっても転化させられないじゃん」
「もっと深い所まで行けば方法があるかもしれない」
「それでもいらないよ」
「どうして?」
「そりゃ好きなだけ殴り合えるくらい強ければ嬉しいけど、何もかもを捨てて得る力に価値なんてないよ」
答えると、マクシミリアンはよく分からないと言いたげに少女を見た。強大過ぎる力を持つ者特有の不理解に苛立ちはせず、結理は続ける。
「力だけ求めたら、何にも守れない化物に成り下がるだけだから」
「……そうか」
理解したのかは分からないが、マクシミリアンは反論することなく頷いた。
「とても人類的な信条だ」
「幻滅した?」
「いいや」
幻滅して興味を無くして解放してくれればいいのにという微かな願望も込めて問うと、返ってきたのは否定だった。
「だからこそ、僕達は君に惹かれたのかもしれない」
そう答えた顔に相変わらず表情はなかったが、そこに何かの感情が乗っていたことだけは感じ取れた。
「だぁーから!トンガリマダラトビネズミは実在するんだっつの!!秘境じゃ貴重なタンパク源なんだよ!」
「それはゲームの話でしょうが!!」
「僕も聞いたことないですよ」
「アアン?ジジイがデタラメ言ったってのかよ!?」
「どう考えても聞き違いですって……」
ライブラ事務所ではザップ、レオ、ツェッドの三人がいつものように雑談に興じていた。今日は大きな騒動も世界の危機もなく、事務所内はどこか穏やかな空気が流れている。
そんな空気をぶち破るかのように、突如として黒い影が横切った。影は談笑していた三人、特にザップの顔面に痛烈な膝蹴りを入れる形でぶつかり、レオとツェッドや側にあったテーブルまで巻き込んで転倒させる。珍しいと言えば珍しい光景に、植物に水をやっていたクラウスや書類仕事をしていたスティーブンも驚いた様子で顔を上げた。
「……どうしたチェイン?」
「てめえ犬女……着地失敗がダイナミックすぎんだろ……」
目を丸くして尋ねるスティーブンにも、当たりどころが悪かったらしく弱々しい抗議を投げるザップにも構わず、起き上がったチェインは足をもつれさせながらもデスクに向かい、両手を叩きつけると息を切らせながら切り出した。
「……結理の生存が……確認されました」
「!!」
「結理は……生きてます…!」
その報告に、全員の顔が一斉に強張った。倒れていた三人もバタバタと起き上がってチェインに駆け寄り、彼女を取り囲むように立つ。
「……チェイン、詳細を」
「はい」
クラウスに促されたチェインは自分を落ち着けるように一つ深呼吸をしてから、持ち帰った情報の説明を始めた。
「今から一時間ほど前に、フロントパークのプリシラのキッチンカーに結理の符牒を注文した男が現れたそうです。その符牒は彼女が失踪した当日に更新されたもので、プリシラ以外は誰も知りえていないので結理本人からの発信で間違いないと思われます。内容としては現在二人に監禁されていて、脱出の機会をうかがっているとのことです」
「やはり拐われていたのか」
「符牒を送れたということは犯人と一定の信頼関係を築けたか、内通者にできたということか…?男の特徴は?」
「人類型の成人男性だそうです」
そこまで報告したチェインは一旦言葉を切った。怪訝そうな視線が集まる中、複雑に表情をしかめて数瞬躊躇うような間をおいてから、意を決したように続ける。
「黒髪に、赤いスーツの長身の男で…………監視カメラに映っていなかったそうです」
「なんだって…!?」
チェインから告げられた覚えのありすぎる特徴に、全員に緊張が走った。誘拐されれば自分で犯人を制圧して帰ってくるような少女が連絡すらできなかったことから、何かしらの事情があるか相手が只者でないことは予想していた。だがその相手はあまりにも予想外だった。
赤いスーツを着たカメラに映らない黒髪の男など、心当たりは一人……いや一体しかいない。
「まさか、結理は……」
「待て待て待て!結理を拐ったのが『奴等』だとしたら、目的は何だ?」
「確かにそこは気になりますね。牙狩りの戦士を殺すのではなく拐って、二週間以上監禁している必要性は何なのでしょう?」
スティーブンの疑問にツェッドが頷く。牙狩りの精鋭を簡単に退ける存在が、その場で殺すでもなく連れ去った目的が見えてこない。結理が抵抗したにしても生かしておく理由などないはずだ。
「牙狩りの情報を得る為か?だがそんな回りくどいことをするとは思えない」
「まさか……あいつに惚れたとかないすよね?」
「「「「……………………」」」」
真面目な顔で発せられたザップの言葉に、場が数秒程沈黙する。こんな状況で出てくる見解がそれかと、諌めるなり叱るなり蔑むなりしないととそれぞれが思いつつ、出てきたのは歯切れの悪い返答だけだった。
「流石にそれは……あー……」
「いくらなんでも……うーん……」
「……ないと言い切れないのが、なあ……」
「怪人ホイホイですからね、結理……」
「とにかく」
各々意見を述べる面々に、クラウスが静かに告げた。短い一言で空気が引き締まり、全員が自然と居住まいを正す。
「結理が生きているのなら、近い内にもう一度コンタクトを図るか或いは自ら脱出するだろう。皆はその際に即時動けるように注意を払ってくれたまえ」
クラウスが強く強く拳を握りしめていることには全員が気付いていた。
「結理は、必ず戻って来る」
「わあ…!」
イングウェイが軽く掲げたカラフルな紙袋を見た結理は、目を丸くして驚き混じりの小さな歓声を上げた。
「本当に買ってきてくれたんだ…!?」
「購入しても問題ないと判断した」
「よかった、考えたかいあった」
嬉しさを抑えきれずに笑みをこぼした結理は、紙袋を受け取って早速開封した。中身は片手で持てないほど大ぶりのラップサンドで、ソースで味付けされた二種類の肉がこれでもかと巻かれている。
「えへへー噂通りだあ……買ってきてくれてありがとう…………何?二人して」
お礼を言いながら顔を上げた結理は、タイクーンブラザーズが目を瞠って固まっているのに気付いて怪訝そうに眉を寄せた。
「……そんな顔で笑えるんだね」
「普段よりずっと愛らしい」
「え……あ…!」
指摘された結理は一度瞬きをしてから、しまったといった様子で盛大に顔を引きつらせた。気が緩んでしくじったといった風に顔を逸らし、ついでに片手で隠す。
「いや、その……食べたかったのを食べられるのが嬉しくて……つい……」
「どうして隠すの?」
「……恥ずかしいと思ってる顔を見られるのが恥ずかしい……」
「……裸だって見てるのに?」
「今更じゃないか?」
「ほんっっとそーゆーとこだよあんた達!!いただきます!!」
しれっと言い放つ二人にすぐさま怒声を飛ばして、けれど食前の挨拶は忘れずに、結理はやけくそ気味に包みを開けてラップサンドにかぶりついた。濃いめの味付けが分厚く切られた肉に程よく馴染んでいてとても美味しい。期待していた通りの味に頬を緩めてから、相変わらずこちらをじっと見つめる二人に半眼を向ける。
「……あのさ、仕事してるんならもうちょっとデリカシーとか対人コミュニケーションとか学んだ方がいいんじゃない?そんなんでクライアントに怒られたりしないの?」
「……時々機嫌を損ねられる」
「なので必要以上に話さないようにはしている」
「そうゆう方向で空気読むんだ……」
返答には呆れ混じりの感想を返しておいた。何を考えているのか未だに分からないが、もしかしたらただの天然なんじゃないかと時々思うようになってしまったのは、彼等の機敏を察することができるようになったからなのか、まだまだ見誤っているのかは正直な所判断しかねていた。
ただ、彼等は感情のない兵器でも意思疎通のできない化物でもないことは、近くで過ごす日数を重ねたことで実感している。出会い方が違えば、あるいは問答無用で拉致監禁されて噛まれていなければ、もう少しいい関係を築けたかもしれないという思考がよぎったが、それは流石に否定しておく。
高名な血界の眷属と牙狩りという前提がなければ、彼等と結理は出会うことすらない。全ては夢物語だ。
そう考えている内に、ラップサンドは食べ切ってしまった。
「……おいしいものって何ですぐなくなっちゃうんだろう……」
「食べるからじゃないかな?」
「それはそうなんだけど……」
真面目な返答に気まずげな表情を見せてから、結理は気を取り直して「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
「……今日は仕掛けないの?」
「……あー……流石にリクエストに応えてくれた日に殴りかかるのはちょっと……さっき仕掛けたばっかだし」
一息ついているとそう尋ねられ、結理は答えてから水を飲む。食後に仕掛けるのがルーティンになってしまっているなと、少しだけ顔をしかめた。なるべく不定期にと思っているが、動ける時をと考えるとどうしても食後が増えてしまう。
「それなら今日はもう動かないね」
「え?わ、ちょ、や…!!」
なんとかルーティンを変えるか、逆にルーティン化させた方がいいのかどっちがいいのだろうと思案していると、マクシミリアンが手を伸ばしてきた。この近付き方は吸血の合図だと察した結理は慌てて椅子から立って逃げようとするが、あっさり肩を掴まれてしまう。押し退けようと伸ばした手はいつの間にか背後に回ったイングウェイが捕まえて、引き寄せた少女を膝の上に乗せる形でベッドに座った。
「ちょ、やめ……は、な、し、て…!!」
「そろそろ、抵抗が無意味だと理解してほしい」
「無意味じゃ……ない…!」
心なしか呆れたように告げるイングウェイに、結理は身をよじってなんとか抵抗を続けながら即答する。
「あんた達に迎合しないって……意思表示だから…っ!!」
「……結果は関係ない、ということか」
「……っあ…!」
抵抗虚しくマクシミリアンの牙が少女の首筋に突き立てられた。同時にルームウェアの裾から入った手が宥めるように腹を撫でる。背後のイングウェイは片手で結理の両手を拘束したまま、空いた手で内腿に触れて指を滑らせた。
「っ!」
「意思が折れない所は好ましいと思う。それに身体はこうして反応してくれるのだから、今はこれでよしとしよう」
「なんも、よくな……ぅぁっ…!」
反論を封じるように背後からも牙が食い込んできて、言葉が短い悲鳴に変わる。ほどなくして身体が抵抗を諦め、ぐったりと体重を預けてしまった。血を吸われることで襲いくる脱力感に慣れてきてしまったのはいかがなものかと、頭の片隅の冷静な部分がぼやいた。
抵抗は続ける。拒絶の意思も見せる。だが同時に、それらが無駄に終わってもいいと考えている。
手札は少しずつだが着実に増えている。
もう少しだと、囚われの少女は歯を食いしばって今を耐えた。
