茨の檻
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「現時刻を以て、結理の捜索を打ち切る」
重々しい声音で発せられた言葉は、執務室内の空気を淀ませるには十分な決定事項だった。
「それって……ユーリのことは諦めろってことですか」
「……それは」
「優先順位を下げるって意味だ」
唸るように問いかけるレオに答えようとしたクラウスを遮る形で、返答を引き受けたのはスティーブンだ。いくつもの刺すような視線をどうとでもなさそうに受け止めながら、淡々と続ける。
「お嬢さんが行方不明になってもう一週間だ。ほうぼうを探し回ったが消えた痕跡すら追えなかった。君の『義眼』でも追跡できなかったんだろう?」
「……はい」
「その『眼』で見つけられないんじゃ、僕らで彼女の行方を追うのは非常に困難だと結論付けた。これ以上他の案件を後回しにもしていられない。彼女を探すのを諦めろとは言わないが、優先順位は変えざるを得ない」
「でも!」
「一つ、聞いてイイっすか?」
なおも食い下がろうとするレオをザップが遮った。スティーブンが視線だけで促すと、ザップは真正面から問いかける。
「スティーブンさんは、あいつが死んだと思ってるんすか?」
「…………いいや」
「……そすか」
短い返答に短く返したザップは、踵を返すとレオの服の襟首を捕まえて引っ張りながら出入口へと向かった。抗議の声を上げるレオを無視して扉を潜り、それを皮切りに他の面々も複雑に曇らせた表情のまま、何も言わずに各々執務室を後にした。
場に残ったのは、クラウスとスティーブンの二人だけだ。
「……スティーブン」
「気にするなクラウス。僕が君の口から言わせたくなかっただけさ」
うつむいて言いかけたクラウスに、スティーブンは苦笑混じりにそう答えた。
構成員がある日突然消えることは然程珍しいことではない。何とも思わないわけではないが、どんな精鋭でも一瞬で命を刈り取られる危険性がそこかしこに転がっているのがこの異界都市だ。ある程度の覚悟はしている。
だが、
「皆が割り切れないのは当然だ。なにせあの結理だからな」
「…………」
「黙って出ていった、なんてことはないよな」
「それはあり得ない」
いっそその方がまだいいかもしれないと口にしてしまった可能性に、クラウスが即座に否定を返した。
結理が誰にも何も言わず、自身の痕跡も消してこの街を立ち去るなど、少女の性格を考えればそんな不誠実な立ち去り方をするなどあり得ないと、彼女を知る者なら誰でもそう思うだろう。
「だよなあ……堕落王に拉致された時でさえ連絡してくるようなお嬢さんだ。無言の家出は考えづらいよなあ……」
「結理が誰にも何も告げずに姿を消したとすれば、それは彼女の身に何かがあった時だけだ」
だとすれば何があったのか。考えたくはないが最悪の事態も考えなければならない。
「人知が及ばない『何か』に拉致された、あるいは巻き込まれたと考えるのが妥当だけど……その場合」
「結理は生きている」
「根拠は?」
「私はそう信じている」
「あ、そうくるか」
それはつまるところ明確な根拠に沿った見解でなく、今まで少女と接してきた時間が積み上げた信頼だ。手放しで肯定はできないが、否定もできない。
「君もそうだろう?スティーブン」
「…………ああ」
真っ直ぐに問いかけられ、スティーブンは複雑そうな表情で数秒黙ってから観念して息をついた。彼女が既にこの世にいない可能性も視野には入れているが、先程のザップへの返答は気休めからではない。
「そうだな、僕もお嬢さんは死んだとは思っていない。思えない、と言った方が正しいかな?まあそう考えてるのは君と僕だけじゃないだろうが」
答えながらスティーブンはふいと窓の外を見た。人界と異界の交わったこの街は今日も霧に覆われていて、視界を薄く遮っている。
「……本当に、一体何処へ消えてしまったんだ……お嬢さん」
薄暗い部屋の中で、か細く断続的な悲鳴がこぼれ落ちていた。
二カ所を同時に噛まれて血を啜られる悍ましさと虚脱感に、結理は必死で耐えている。監禁されてからおよそ一週間、タイクーンブラザーズは毎日のように少女の血を吸っていた。結理もただでは喰らわせまいと抵抗はするが、簡単に組み伏せられて思い思いの場所に牙を立てられる。建前だとイングウェイは言ったが、本当に生きた食料扱いだ。
力が抜け、視界がぐらぐらと揺れる中で積み上がっていくのは、無力な自身への不甲斐なさと好き勝手に蹂躙されていることへの怒りだ。その怒りが、折れてしまいそうな心を支えている。
やがて、喰い込んでいた牙が静かに抜かれ、噛まれた場所に口づけを落とされてから解放された。力なく身体をベッドに沈めた結理は、消えてしまいそうな意識をどうにか繋ぎ止めて二体の吸血鬼を睨みやる。殺気混じりの視線をぶつけられても特に気にした風もなく、イングウェイが労うように少女の頭を撫でた。嫌悪に顔をしかめるが、動くことも億劫で仕方なしにされるがままでいる。
「少し休んだら食事にしよう」
「……またサンドイッチ…?」
「今日はライスボールも用意する」
言い置いたイングウェイが退出し、マクシミリアンは椅子を引いてベッドの側に座った。
「……あんたも出てって……」
「一応、見張りは立てるよ」
「どうせ動けないよ……」
唸るようにそれだけ呟いてから、結理はため息をついて目を閉じ、貧血でも唯一問題なく使える探知能力の感度を広げた。監禁された一週間で建物の構造と周辺の道は概ね把握している。
異界側に位置するタワーマンション最上階の2LDK。結理にあてがわれているのはゲストルームのようで、部屋を出てすぐに専用のバスルームとトイレが備え付けられている。閉め切られたカーテンの向こうにはバルコニーがあり、玄関はリビングを通った先にあるので逃走するとしたらバルコニーから出るしかないだろう。マンションを出た先の広めの路地を抜けるとヘルサレムズ・ロットの市街地に出られる幹線道路がある。逃走のシミュレートをするのは、動けない時のルーティンになった。
周辺を把握した以外の状況は好転も悪化もしていない。強いて言うならリビングに続く廊下とバルコニーに近付かなければベッドを降りることを許されているのと、ラジオを提供されたおかげで日付の感覚を失わずに済んでいることぐらいだろう。未だに手札は少なく、逆転の切り札どころか隙も機会も見当たらない。
状況を頭の中で一通り整理してからもう一度ため息をついて、結理は目を開けた。
「そんな見てて飽きない?」
「今の所は」
相も変わらずじっと見つめてくる視線を受けながら、呆れ混じりに問いかける。マクシミリアンは視線も表情も変えずに答えてから、少女の髪を指でそっとかき分けて、なぞるように項に触れた。
「やはり、何度噛んでも転化はしない……か」
「おかげで生きた餌になってもう一週間だよ」
陰鬱げに呻きながら、結理は緩慢な動きで手を伸ばしてサイドボードに乗ったラジオをつけた。昼過ぎのラジオからは少し落ち着いたトーンのトーク番組が流れる。ほぼ異界側のはずなのに問題なく電波が届くことが疑問だったが、マンションの仕様で人界側の電波も届くようになっているらしい。
「……何でそんなにわたしのこと転化させたいの?」
ふと気になったことを、結理は聞いてみた。問われたマクシミリアンは予想外だったのかほんの僅かに目を丸くしてから、思案するようにうつむく。顔はいいんだけどなあと場違いな感想を胸中で抱いていると、マクシミリアンはうつむき気味のまま口を開いた。
「簡単に言えば君を手放したくない」
「だからそっち側に引き込みたい」
「そう」
「親には絶対服従になるから?」
「そういうわけじゃないけど、少なくとも牙狩りには戻れないだろう?」
「どうだろうね。案外いい戦力になるって受け入れてくれるかもよ」
「あの男……ラインヘルツならそう言うと?」
「あー……うん。言うかも」
結理が正気かつ無差別に他者を手にかけていなければ、恐らくクラウスは受け入れてくれるだろう。そう考えると戦力の増強という意味合いでは転化も悪くないのではと一瞬考えたが、すぐに打ち消す。異世界の存在であるというだけで各方面と揉めたのだから、血界の眷属を受け入れるとなったらクラウスやライブラの立場が悪くなる可能性は高い。
何より、転化させられればきっと自分は自分でなくなる。
「だからって転化していいってわけじゃないよ」
軽率なことを考えた自分への戒めもこめて、結理はマクシミリアンを睨みやった。
「……君、」
そんな敵意の視線をどうとでもなさそうに受け止めながら、今度はマクシミリアンが何かを思いついたように口を開く。
「吸血鬼に対して好意的な所が見えるけど、身近にいたのかい?」
「別に好意的じゃないよ。ただ、人類だろうが異界側だろうが誰も害さずに平穏に生きたい人はいるし救いようのない馬鹿もいるのを知ってるだけ」
「種族という括りで敵対を決めるわけではないと」
「そんなとこ」
「それなら」
「あんた達とは明確に敵対したでしょうが」
「けれど仕事の上でだった」
「めげないなあ…!!」
思わず力強く返してしまった直後に、強烈な目眩に襲われて枕に顔を伏せた。よく言えばポジティブ、悪く言えば執念深い思考に根負けしてしまいそうだと弱気な声が頭の中をよぎる。
「何でそんなにわたしに執着するの…?」
「……こんなにも心が動いたのは初めてだった」
(心なんてあるんだ……)
思わずこぼれ出た問いへの返答を聞いてそう思った結理だったが、流石に侮辱が過ぎると判断して声には出さなかった。
「少なくとも僕は一目惚れという表現が最も当てはまると考えている」
言いながらマクシミリアンは少女の頬に触れた。遠慮なく敵意の視線を向ける結理に不快感を見せることもなく、温度を確かめるように指で撫でる。ラジオからはリスナーのリクエストで流行りのバラードが流れだした。
「……向こうも同じこと考えてるって?」
「どうだろう。君を手放したくないという思考は一致してるけど、細かな所はきっと違う。正直なところ、僕もイングウェイも自身の思考を……感情を持て余している」
頬に触れていた手が首に移る。ほんの少し力を込めれば簡単に少女の命を奪える指にまだ少し血の滲む噛み跡を触れられ、結理は思わず身を強張らせる。
「だからこそ、君の全てを知りたい」
「知ったら……どうなるの?」
「多分その時に分かる」
「……分かるかなあ…?」
「何かしらの解は出るさ」
締めくくるようにそう言ったマクシミリアンが離れた直後、結理の視界の端を蝙蝠が横切った。蝙蝠は次々と数を増やして一箇所に集まっていき、やがて扉を形作る。
「おかえり、イングウェイ」
「ああ」
血脈門の扉を潜って部屋に入ってきたイングウェイは、少し大きめのビニール袋を提げていた。普段は紙袋なのに珍しいと思っていると、袋を軽く漁って中身を取り出す。
「うわ……」
それは成人男性の掌にも収まらない巨大なおにぎりだった。色々な意味で予想外のものを出された結理は思わず声を上げる。
「『TAGOSAKU』のおにぎりじゃん……わざわざリトルアキバの一番奥まで行ったの?」
「入口付近でおすすめを聞いたら案内された」
さらりと答えながらイングウェイは調達した食事をテーブルに並べていった。慎重に起き上がりながらラインナップを眺めていた結理は、あることに気付く。
(いつもより多い……)
「ここ数日観測していて、君はこちらの想定よりも多く食べると判断した」
「……え、わざと少なめにしてたんじゃないの?」
視線に気付いたのか声に出す前に答えられ、内容に引っかかりを覚えた結理はそう尋ねていた。てっきり万全の状態にしない為に意図的に食事の量を減らされていたのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
「それも多少はあるが、三食分を一食で消費されれば修正はする。足りなすぎたんだろう?」
「……………………」
「どうした?」
「……なんでもない……」
今更認識のズレに気付いてしまった結理は思わず俯いて深いため息をついてしまった。自分の食事量が一般からかけ離れている自覚はあったが、まさか相手の意図に反していたとは思っていなかった。落ち度と言うほどではないが、この勘違いはそれなりに恥ずかしい。
「……好まないものなら」
「いや大丈夫。食べる」
少女の嘆息を不満と捉えたらしいイングウェイに即答しつつベッドを降りて、いつものように席に着いた。相変わらず道具を使わずに食べられるメニューばかりだが、少しずつ好みのものが増えている。それは彼等が察したからでもあり、尋ねられた結理が正直に答えたからでもある。警戒も敵意も解いていないが頑なになりすぎて機嫌を損ねられてもよろしくないという判断で、ちょっとした雑談や問いかけには答えることにした結果だ。
「……いただきます」
手を合わせてから、とりあえずひときわ目立つ巨大なおにぎりを両手で持った。少女の顔ほどある米の塊にかぶりついて、こっそり頬を緩ませる。
食べながらふと、これでいいのかという疑念がよぎった。少しずつではあるが自分のことを相手に知られつつある。もちろん牙狩りやライブラの機密は漏らしていないし彼等もそこには興味がないようで触れてこないが、飼い慣らされてきているのではないかという不安は時折よぎる。
このまま緩やかに牙を削がれて、逃げることを忘れてしまったら、ある意味自分は死ぬのだろう。そんな死に方は嫌だなあと胸中でぼやいて、思わず小さなため息がこぼれた。
「……口に合わない?」
「え、何で?おいしいよ?」
「ずっと思い悩んだ顔をしている」
「ぁ……えっと…………そりゃ、」
指摘されてようやく表情に出してしまっていたことに気付き、結理は内心の焦りを宥めつつ半眼で答える。
「一週間も監禁されてればいい加減嫌気もさしてくるよ」
「くれるご飯はおいしいけどね」と続けて、大きめの一口でおにぎりをかじる。ようやくたどり着いた具は鮭フレークのマヨネーズ和えだった。ランダムで入れられる変則変わり種でなくてよかったと安堵しながら咀嚼して飲み込んで、相も変わらずじっと見つめてくる二対の瞳を見やる。
「わたしに執着してもいいことないよ」
「善し悪しを決めるのは我々だ」
「まあそうなんだけど……」
「それにこの拮抗は君が我々に応えてくれれば終わる」
「嫌だよ」
反射的に即答してしまってから、結理は若干気まずげに顔を引きつらせてから続けた。
「……正直、監禁して血を吸う以外は丁重にしてもらってるし、あんた達が理由はどうあれわたしを大事にしたいって考えてるのは分かった。でもわたしはあんた達に応えてはあげられない。敵同士だし、出会い方もあんなだったし、問答無用で拉致監禁するし無理矢理血も吸うし。何よりわたしは人類の味方で在りたいから」
「平行線は変わらずか」
「そうだね」
平坦な声で頷いてから結理はおにぎりの消化に取りかかった。室内の音はしばらくラジオから流れる音楽とトークだけになり、誰も何も言葉を発しない。最後の一口を放り込みながら、結理は相手が何を考えているのだろうと思案する。こちらに都合のいいことを考えていないのは確かだろう。
頑なな少女をどう言いくるめるか、あるいは……
「……ならば、」
沈黙を破ったのはイングウェイだった。次のサンドイッチに伸ばそうとした少女の腕を掴み、少なくとも彼にとってはほんの少し力を込める。骨の軋む音がして、腕を折られるかもしれないという緊張を極力表に出さないように努めながら、結理は静かにイングウェイを見やる。
「些か乱暴に扱えば考え方を変えるか?」
「それでわたしが変わってあんたは満足するの?」
脅しの含まれた問いかけに間髪入れずに問い返すと、イングウェイは考えるように黙り込んだ。意外な沈黙だと、結理はわずかに驚く。現時点で丁重に扱っていても必要とあらば即座に暴力に切り替えてくるだろうと考えていたので、今の問いにも即答と共に行動に移されるかと思っていたが、考える間を置かれたのは予想外だった。
「……僕個人はそれはちょっと違うと思う」
数秒にも満たない沈黙の後、先に口を開いたのは傍観していたマクシミリアンだった。
「この一週間で君の頑固さは十分目の当たりにしたし、暴力や脅しは君を傷つけこそすれ根本的な効果は薄いだろう。徒労に終わる、とまではいかないけどあまり意味はない」
考えながらといった風に、マクシミリアンはイングウェイと結理の両方に答えるように自身の意見を述べる。
「それに、恐怖と保身で媚びる君は求めていない。イングウェイもそうだろう?」
「それには同意するが、結理が受け入れてくれなければ永久に平行線のままだ」
「……いいんじゃないかな。永久なら僕達の方に分があるし」
「結局力押しじゃん!」
「成程」
「あんたも納得するんだ…!?」
さらりと言い切ったマクシミリアンと頷いてあっさり手を離したイングウェイの両方に思わずツッコミを入れて、結理は渋い顔で掴まれていた腕を軽くさすった。手の形に痣になっているが、すぐに消えるだろう。
(どうあってもわたしに不利、か……)
目をつけられた時点で詰みだったのだと、改めて思う。受け入れたところで自由になるわけではなく、正面から戦って勝てる相手でもない。だからといって諦めたくはない。
「長丁場になりそうだなあ……」
「我々にとっては取るに足らない時間だ」
「だろうね……」
差し出されたサンドイッチを受け取りながら、結理は嫌そうにため息をついた。
