茨の檻
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遠い記憶を夢に見た。
幼い自分が何度も何度も祖父に挑んでは難なく転がされた、日常の記憶だ。
祖父はいつでも楽しそうだった。勝てずに悔しがって何度も手合わせをせがむ自分を見ては、満足そうに笑っていたのを覚えている。
「どんだけ格上相手でも絶対諦めねえのはお前の美徳だな」
「びとく?」
「いいところってことだ。だがな結理、その負けん気をいつでもどこでも誰彼構わず見せんなよ?潜めて潜めて潜めまくって、ここぞという時に爆発させる方がいい時もある」
要するに牙を研ぐ時間だという言葉を妙に気に入ったのを、今でも覚えている。
何故急にこんな夢を見たのだろう…?
「………………」
意識が浮上して目蓋を持ち上げると、見たことのない天井が視界に入った。
横になっていても分かるほどの目眩が貧血の状態だと伝えてくる。寝かされているのはかなり質のいいベッドのようで、マットも布団もとてもいい触り心地で枕も程よくふかふかだ。その心地よさに任せてもう一度眠ってしまいそうな頭を無理矢理起こすように、何故こんな状態になっているのかと記憶を辿り、意識を失う前の出来事を思い出した結理は飛び起きそうになったが、鉛のように重い体は身じろぐ程度にしか動かなかった。
起き上がることは一旦諦めて布団の下でゆっくり拳を握って開き、深く呼吸をする。痛みも、どこかが欠けていることもない。拘束もなくひとまず五体満足であることを確認してから目線だけで周囲を見ると、カーテンの閉め切られた窓と壁に備え付けられたハンガーフックにかけられた黒のコートが目に入った。貧血以外は無傷であることとコートが無事であることに、安堵の息をつく。
「…………生きてる……」
「言っただろう」
思わずこぼれ出た呟きに返答がきて、緩慢な動作で声の方を見ると、見たくなかった姿を視界が捉えて思わず顔をしかめる。
「殺すつもりはないよ」
最初に見た窓の反対側に位置するドアの側で椅子に座った相手、マクシミリアンは無表情で少女を見つめていた。
「……死ぬ寸前まで血を吸っといて?」
「それに関してはちょっと申し訳ないと思ってる」
(どこがだ……)
表情一つ変えずに即答したマクシミリアンを恨みがましげに睨むが、気付いていないのか気にしていないのか彼は結理をじっと見つめながら続ける。
「僕達が君に惹かれる理由の一端に、君の血があるみたいだ」
「血って……とってもおいしい、的な…?」
「有り体に言うとそう」
「食料扱いじゃん……」
「僕達の性質上人類に対してその視点が入ってしまうのは致し方無いよ」
「そこは……否定しないけど……」
例えるなら肉食獣が好みの獲物を見つけたといった感覚なのだろう。否定はしないと言ったが食料扱いされるのはいい気分ではない。その気持ちを隠さずに言い放つ。
「非常食が欲しいんなら他をあたってよ。つか、何で平然と飲んでんの……」
牙狩りの戦士の血には吸血鬼の細胞にダメージを与える効果があるはずだ。特に結理の血にはその効果が高く、今まで直接血を飲んだり浴びたりした血界の眷属達で無事だったものはいない。高位の眷属であろうと動きを止めることくらいはできた。
だというのに、こちらが死の危機を直感した程血を喰らったはずの吸血鬼にダメージが残っている様子はない。
「確かに、舌が焼けるような感覚はあった。イングウェの方が量を飲んだから、彼は内蔵まで焼けていたみたいだったね」
「だったら」
「けれど問題なく再生できたし、人間が好んで食べてる激辛料理とやらみたいなものだと思えば悪くない刺激だったよ」
「珍味かよ…!」
体調が万全だったら怒鳴っていたが、話すだけで疲労がかさむ今現在ではため息混じりに唸ることしかできなかった。
「……血界の眷属に噛まれて屍喰らいにならなかった者が牙狩りになる、という話を聞いたことがある。だとすれば君も、いくら噛んでもこちら側には来ないのかもしれない」
「だったら何?この先餌として飼っていこうって?」
「叶うならパートナーとして扱いたい」
「無理だよ」
「何故?」
「初手で問答無用で拉致監禁して喰い殺しかけてきた相手と仲良くできると思ってんの?」
「……道理ではあるね」
「その辺りは理解できるようで何より」
話しながら結理はこっそりと探知感度を広げた。部屋の構造、現在地、マクシミリアン以外の気配と、情報が多ければその分逃走の経路も確保しやすくなる。
「わたしを解放する気は……ないよね?」
「今帰したらまた敵同士に戻ってしまう。それは避けたい」
「今現在も敵同士だっての…!」
「こちらにいる以上は敵ではないよ」
「なんの理論なのそれ……」
(場所は……異界側……それも結構深い……というかここタワマン…?あーそういえば異界側でタワマン建つとか広告あった気がする……ライブラの事務所は……結構……いやかなり遠い……)
だとすれば今すぐ脱出して逃げおおせるのはほぼ不可能だろう。今は隙を伺うタイミングを見つけることと体力の回復に努めるしかない。
「今君は、僕達の元から離れることはできない」
「まあ……実際動けないしね」
「だとすれば敵対者として対峙することも出来ないだろう?」
「それって屁理屈じゃないかなあ…?」
「かもしれないね」
相変わらず声音は淡々としているが、会話を楽しんでいるのだろうかと、結理はふと疑問に思った。こちらとしては言葉など交わしたくもないが、無視をして機嫌を損ねられても色々と面倒なことになりそうなのと、会話をすることで何かしらの情報を得られるかもしれないと割り切る。
「……結理」
「………………なに」
名前を呼ばれることに多大な抵抗感がありつつも返事をすると、マクシミリアンは椅子から立ち上がるとベッドの縁に腰掛けた。それから手を伸ばして労わるように、慈しむように少女の頰に触れる。
「君のことをもっと知りたい。何を好み何を厭うのか」
「厭うのは人間と敵対する血界の眷属だけど?」
「好むものはまだ聞いていない」
「……あんた達の断末魔、とか?」
「それは聞かせられそうにない」
「あんた……ジョークが通じなくてつまんないとか言われたことない?」
「……何度か」
数瞬の間をおいてから答えたマクシミリアンは、温度のない指で結理の頰をなぞった。結理は遠慮なく嫌悪に顔をしかめるが抵抗はしない。満足に動けないからというのもあるが、好きにさせていたらどうするのだろうという好奇心がほんの少しだけ勝った。
「どうすれば、君は僕達に心を向けてくれる?」
「あんた達が大人しく密封されてくれれば」
「それはできない」
「だろうね」
真っ直ぐに覗き込んでくる無機質な瞳を真正面から見つめ返して、結理は淡々と続ける。
「どうあってもわたし達(牙狩り)とあんた達(血界の眷属)が相容れることはないよ。殺し合わない術はあるかもしれないけど、それも簡単な話じゃない」
「その牙狩りを……君の仲間を全滅させればどうかな?」
「そんなことをしてみろ…!」
告げられた言葉に全身の血が沸騰したようにざわめいた。考えるよりも先に頬に触れていた手を払いのけ、煮えたぎる殺気を隠さずに告げる。
「わたしはあんた達を絶対に許さない。例え敵わなくても、バラバラにされようと関係ない。わたしの全てをかけて、殺してやる…!!」
「……君は」
音がする程の力で払われ、空気が軋む程の殺気をぶつけられても気にした風もなく、マクシミリアンは素直に少女から離れた。
「自分よりも自分が心を傾けた他者を気にするんだね。あのコートも、触れられることを酷く嫌がった。それは、君が大切にしている誰かから贈られたものだから」
「だったら何?破く?捨てる?それでわたしがあんたの想いに応えると思う?」
「……いいや、やめておく」
マクシミリアンは壁にかけられたコートを一瞥してから息をつき、少女に視線を戻す。結理に触れようとはしなかったが、横たわったまま殺気立つ少女をまたじっと見つめた。
「それが悪手であることは理解した。けれど、君が激情を見せてくれたのは僥倖だったよ」
「……最悪」
相手から視線を外しながら思わず吐き捨てた言葉は自身に対してもだった。沸き上がった激情を抑えきれずに噴出させてしまった。媚びる気はさらさらないが、指一本で簡単にこちらを殺せるような相手に殺意をぶつけて無事でいられたのは偶々だ。逆鱗に触れられたとしても、余りにも軽率な行動だった。
「……おかえり、イングウェイ」
胸中で猛省していると、ふいにマクシミリアンが扉の方を見てそう言った。結理も気配は察知していた相手、イングウェイは静かに扉を開けて入ってくる。
「入ってきてもよかったのに」
「歓談が盛り上がっていたようなので様子を見ていた」
「盛り上がってないし歓談でもないから」
「そうか」
結理の即答に感情のない声音で短く返しながら、イングウェイは抱えていた紙袋をテーブルに置くと中身を取り出し始めた。
「目が覚めたのなら食事にしよう。昨晩は少し喰らいすぎた。このまま死なれてしまうのは本意でない」
「いらないって言ったら?」
「無理矢理にでも詰め込ませてもらう」
「……自分で食べる」
なんとなく予想していた回答を寄越された結理は、ため息をついてから慎重に起き上がる。側にいたマクシミリアンが支えようとした手を邪険にならない程度にやんわりと退け、ベッドから降りてもう一度息をついた。目眩はするが全く動けないというほどではない。ゆっくりならば立って歩くことができる。
今更気付いたが、捕らえられた時と服が変わっていた。量販店のシンプルなシャツとショートパンツではなく、お洒落には無頓着な方である結理でも知っている高級寝具店のルームウェアに着替えさせられている。色々と言いたいことや思うところはあったが、何を言っても疲労がかさむような返答をされる気しかしなかったので言葉に出すことはやめた。
「君くらいの年代が好みそうなものを選んだつもりだけど、どうかな?」
だが、相手の方から話題を振ってきた。結理は何とも言えない表情で数瞬黙ってから、特に問題はないかと判断して正直に答える。
「……こうゆうの普段着ないから、よく分かんない」
「では次から色の好みは聞くよ」
「お人形扱いかよ……」
呟きながら席についた結理は、テーブルに並べられた食事を見て表情には出さずに驚いた。イングウェイが調達してきたのは様々な種類のサンドイッチで、どれも道具を使わずに手で食べられるものばかりだった。
(意外……ちゃんと警戒してる……)
牙狩りの戦士であるという認識はあり、不意打ちとはいえ二度も斬り刻まれたことで戦闘力はあると判断されたのだろう。自害を防ぎたい、あるいは難なく抑え込めるにしても抵抗は最小限にしたいという思惑が見て取れた。
「……いただきます」
習慣できちんと手を合わせてから、ひとまず柔らかそうなサンドイッチに手を伸ばした。レタスとタマゴサラダが挟まれている白パンを控えめにかじる。いつものように食欲のままに貪るのではなく、食べながら回復できるようにできるだけゆっくり咀嚼して体に取り入れていく。
(こんな状況じゃなかったら、素直においしいって思えるんだけどなあ……)
食べながら他のサンドイッチを見ると、何度か通ったことのある店や雑誌で紹介されていて目をつけていた店舗のものもあった。これが自分で購入して事務所で食べていたら、例え山のような書類処理をしながらだったとしても晴れやかに楽しく食事ができていた。
美味しいとは感じるが、回復の為だけの食事は酷く味気ない。そして……
「……あんまジロジロ見ないでくれる?」
食べ終わった包み紙を丁寧に畳みながら、結理は対面に座って凝視してくるタイクーンブラザーズを睨みやった。瞬き一つせずに見られるのもそうだが、何を考えているか分からない無表情を向けられるのは居心地が悪い。
「我々はまだ君のことをよく知らない」
「うん、さっき聞いた」
「君のことをもっと知りたい」
「プロフィールくらいは調べたんでしょ?」
「……一之瀬結理。12月31日生まれ22歳。国籍は日本。血縁者はなく天涯孤独。現在は大崩落後に制定された特別就労ビザを取得して広告代理店に勤める傍ら大道芸人として活動中。週に三日ほどフロントパークで興行をしていることから『フロントパークの舞姫』という通称がついている」
「そこまで知ってれば十分でしょ」
「だがこれらは全て表向きのものだ。確かに大道芸人として活動はしているが、残りの経歴は作られたものだ」
「一応概ね嘘はついてないんだけど……」
「君の本来の所属は牙狩りであり、堕落王フェムトによってヘルサレムズ・ロットに召喚された異次元の存在だ」
「うん、そう」
堕落王に召喚されたというのは厳密には違うのだが、わざわざ訂正することでもないのでしれっと頷いておいた。それにもしかしたら前の世界から飛ぶ時に何らかの介入をされた可能性を疑っているので、堕落王に召喚されたという解釈も案外間違っていないのではとも思っている。
「否定しないんだね」
「いや、牙狩りなのはとっくに知ってるだろうし、この世界の存在じゃないってのもさっき……昨夜だっけ?にもう言っちゃったし、別に隠すことでもないから」
確認のように尋ねてくるマクシミリアンに返して、結理は二つ目のサンドイッチに手を伸ばした。目眩は大分良くなってきているので、食べ応えのありそうな分厚いチーズとハムが挟まれたバゲットサンドを選ぶ。
「あれだけ大々的に放送されてたら、何年経っても覚えてる人もいるだろうしね」
今度は先程よりも大きめの一口でバゲットサンドにかぶりつく。ハムとチーズの組み合わせは何故こんなにも最高なんだろうと脱線した思考をすぐに戻して、相変わらずじっと見つめてくる二対の目を見返した。
「で、そこまで知っててそれ以上知りたいことなんてあるの?」
「星の数ほどある」
「それは流石に多すぎない…?」
「経歴が偽りならば尚更知りたい。君の生い立ち、好むもの、厭うもの。叶うのならパートナーとして」
「無理だよ」
「血界の眷属と牙狩りだから、か」
「それ以外にも商売敵っぽいし」
「平行線か」
「そうだね」
「……では」
「力ずくで手籠めにする?」
「吝かではない」
「……ははっ!」
即答された結理は思わず失笑をこぼしてしまった。怪訝そうな気配を滲み出す人の形をしたもの達に、蔑んだ目を向ける。
「結局、一目惚れだなんだ言ってもあんた達が欲しいのはパートナーじゃなくてペットってことじゃん」
「それ程君を手放したくないと理解して欲しい」
「理解できたって納得できるわけないでしょうが」
息をついてからバゲットサンドをかじり、咀嚼しながら思考を巡らせる。
あえて冷たい態度を取り、挑発めいた言葉を投げているが、どちらも気分を害した様子は見られない。苛立ちを隠している様子もない。多少の反抗的な態度は意に介さないのだろう。一線を越えれば分からないが、恐らく会話は許される。聞き入れてくれるかは別問題ではあるが。
「無理矢理拐って、こっちの了承もなく転化させようとして、それでパートナーにしたいは無茶苦茶だよ」
「我々に心を向ける気はないと?」
「無理だね」
「そうか……」
「……殺す?」
「いいや」
挑発ではない問いには即答された。残りの一欠を頬張りながら、結理はますます不可解に顔をしかめる。この人外達は、何故こんなにも自分に執着するのだろうという疑問が尽きない。当人達もまだ明確には分かっていないようだが、問答無用で拉致監禁する程の何かが自分にあるとは思えないと結理は考えていた。
「ならば建前をつける」
「建前?」
「どうやら我々は、君の血にも惹かれているようだ」
「うん、さっき聞いた。なんかおいしいんでしょ?」
「我々が君に抱く感情を明確に言語化できるまでは、君の血を理由にここにいてもらう」
「結局食料扱いってことかー……」
遠慮なく嫌悪に表情を歪めて、結理は三つ目のサンドイッチに手を伸ばした。今度は馴染みのサンドイッチ店のBLTサンドだ。
「そんな建前つけられてはいそうですかって受け入れると思う?」
「君に拒否権はない」
「そこは強引なんだ……」
「接する時間が長くなれば、君の心もこちらに傾く可能性もある」
「ないよ」
「それはこれから次第だ」
「…………何にしろ、わたしを帰す気はないと」
「そうだ」
「……はーーーー……」
即答された結理は長い長いため息をついた。
相手は知名度も脅威度も抜群の長老級血界の眷属二体。一対一でも勝てる見込みは絶望的で、今現在の自分のコンディションは最悪。戦うどころか逃げることすら適わない。雑談には応じてくれるが交渉は恐らく困難。対抗できる手札は現時点ではゼロだ。
「…………分かった」
陰鬱げに肩を落として、結理は二体を睨みやる。
今出来ることは相手を知って隙を伺うことだけだ。その為には抵抗を最低限に抑えるしかない。
今は、牙を研ぐ時間だ。
「とりあえず、逃げないし暴れない。文句は言うかもだけど。逃げても暴れても無意味だって分かってるからね。けどそれはあんた達に心を向けたわけじゃないしこれからも向ける気はない。それだけは、忘れないで」
「ひとまずはそれでいい」
「これから宜しく。結理」
「……………………」
かけられた言葉に返事はせず、囚われの少女は手に持ったサンドイッチにかぶりついた。
