それからとこれから
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時刻は午前七時。霧の隙間からこぼれ出る薄日が通る車の増え始めた道路や、通学や通勤その他諸々に行き交う人々を照らし、街に朝をもたらしている。
「おはようございまーす!」
そんな、街と同じく朝の空気に満ちたライブラ事務所に、結理が元気な挨拶と一緒に顔を出した。デスクの側に立ってニュースの流れるモニターを眺めながらコーヒーを飲んでいたスティーブンが今日も元気な少女に笑顔を向ける。
「おはようお嬢さん……って、君今日は非番じゃなかったか?」
「はい!今日はツェッド君とデートなんです!」
「ああ成程。ツェッドならそろそろ……」
スティーブンが言いかけたところで扉が開いた。姿を見せたのは予想していた通りにツェッドで、彼は結理の姿を見つけると少しだけ表情を綻ばせる。
「おはようございます、結理さん」
「おはようツェッド君!じゃ行こっか」
「しかし、デートにしては随分早いな。まだどこの店も開いてないだろうに」
「準備は万端に、ですよ。何せ、今日は戦場に行くんですから!」
「……はあ?」
「アクロストリートモール内で行われてるフードフェスティバルに行くんです」
おおよそデートとはかけ離れた単語を聞き咎めて思わず片眉を跳ね上げると、ツェッドがすかさずフォローを入れた。未確認生物の情報でも聞いたような顔をする副官の反応は予測済みらしいツェッドは淡々と続ける。
「何でも、開店前から行列ができるそうで」
「……そうか……まあ、頑張れ」
「はい!いってきまーす!!」
主にツェッドに向けたつもりの言葉に元気に頷いた結理がさっさと出入口に向かい、ツェッドも軽く会釈をしてから後を追う。扉を潜る直前、二人はごく自然に手を繋いで顔を見合わせると、どちらともなしに笑い合った。仲良しを絵に描いたような若い恋人達の姿に、スティーブンの頬も思わず緩んでしまう。
「青春ってやつか……いいなあ」
そう独りごちてからすすったコーヒーは冷めかけていた。
「結理さん?モールに行くには少し遠回りでは?」
「あ、ごめん、モール行く前にちょっと寄りたくて……ここ!」
「ここは……」
訝しげに尋ねるツェッドに答えた少女が指差した先にあったのはラーメン屋だった。まだ早朝に近い時間にもかかわらず開店しているらしく、軒先には”あじらく”と書かれたのれんがかかっている。
「…………フードフェスティバルに行くんですよね?」
「うん。その前にエンジンかけないとね。おはよーございまーす!」
「エンジン……」
顔中に疑問符を浮かべるツェッドをよそに、結理はごく普通にのれんを潜った。店内にはまばらながら客の姿があり、カウンター越しに見える厨房では異界系の店員達が動き回っている。
「いらっしゃ……うげっ!ユーリ…!!」
「朝ラー始めたって聞いたんで来ちゃいました!」
「お前今日あっちのイベントに行くはずじゃ……」
「その前に朝食がてらと思いまして!」
その中の一人、店主らしき男が結理の姿を認めるなり嫌そうに顔をしかめた。対する結理は何でもなさそうに男に笑いかける。にこにこ笑う少女に、嫌そうな顔はそのままで店主は告げる。
「……特盛チャレンジはなしだぞ。というか朝っぱらからやっちゃいねえ」
「もちろんです。いつも通り正規料金で。あ、ツェッド君も食べる?」
「……せっかくなので」
「……あの、これとさっきのエンジンの話はどう関係してくるんですか?」
店主の密かな気遣いによる小盛りのラーメンを食べ終えたツェッドは、ふと気になったことを結理に尋ねた。スープを飲み干した直後の結理は怪訝そうに丸い目を瞬かせながらどんぶりを置いてから、「ああ…」と思い出した様子で答える。
「車って、いきなりアクセル踏んでもトップスピードは出ないしむしろ空回っちゃうでしょ?エンジンかけてギア入れて、それからアクセル踏んで少しずつ速度出していくのが手順で、お腹もそれと同じって話」
「はあ……」
「お腹空ききってるとこにいきなり食べてもいつもみたいに入らないから、こうやって軽く食べてから本番に臨もうってこと」
「軽く……」
「そ、そこは流してよ!!」
視線に気付いて隠すように大盛り用のどんぶりを抱えた少女を眺めつつ、ツェッドは「つまり」と納得したように頷いた。
「胃の準備運動と考えればいいんですね」
「そうそうそんな感じ!」
「食べる為に食べるという発想はちょっと理解しかねますが、言いたいことは分かりました」
「まあ……わたしもこれが一般論とは思ってないよ。じゃ、準備運動も終わったしそろそろ本番に行こうか」
苦笑混じりに返しながら立ち上がり、少女は店主に向かって「ごちそうさまでしたー!」と声をかけた。
「おい兄ちゃん」
「はい?」
うきうきと店を出る結理に続こうとしたツェッドが呼び止められて振り向くと、声をかけた店主は複雑そうな面持ちでため息をつく。
「あいつに付き合うのは大変だろ」
「……そうですね」
店主の言葉に、ツェッドは数瞬間をおいてから肯定を返し、「でも、」と続ける。
「言うほど苦ではありません」
「あー……ああそうか、そうかい、そういうことか」
回答を聞いた店主は少し驚いたようなため息をついてから、何やら納得したといった様子で息をついて顔の触手を撫でつけた。店を出たすぐ先で怪訝そうな顔で待っている結理を一瞥して、うんうんと頷いてからツェッドに快活な笑みを向ける。
「そりゃヤブヘビだったな。まあ、また来てくんな!大食いチャレンジ以外のメニューもあるからよ!」
「ありがとうございます」
アクロストリートモールで開催されているフードフェスティバルは今回で三回目らしい。同時に複数開催されているイベントの中でも特に人気らしく、開店前から行列を作っていた客だけでなく過去二回で手応えを感じた開催側もやる気と期待に満ち溢れているといった様子だった。
異界人界問わず各国各地域から選りすぐられ、知らぬ者はいない最上級レストラン、モルツォグァッツァにも劣らない高級店から場末の屋台のB級グルメに至るまで様々な店舗が出店している、混沌の街ヘルサレムズ・ロットを表現しているようなイベントだとも密かに言われているとか……
ツェッドがその解説を少女から聞いたのはイベントが開場してから約一時間後、ブースを半分ほど制覇して休憩スペースで落ち着いてからだった。
「流石にモルツォグァッツァにオファーはしなかったらしいけど、結構な高級店も宣伝目的で出店してるから普段そうゆうお店と縁のない人でも触れられるって毎回賑わってるの」
「成程」
頷いたツェッドは軽く周囲を見て、列に割り込みしたのしないのでもめている人類と異界人が殴り合いに発展していく様子は見なかったことにして、ご満悦そうに謎肉の串焼きを頬張っている結理に視線を戻した。開場前はこれから殺し合いの場にでも向かうのかと思うほど真剣な表情で地図を睨みつけていた少女は、今はにこにこと笑いながら食事を楽しんでいる。
可愛いなあ……と声には出さずに呟いた直後、眺められているのに気付いたらしい結理がツェッドの方を向いた。目が合うと、少女は口に入っていたものを飲み込んでからバツが悪そうな気まずそうな何とも言えない表情を見せて、もう何も刺さっていない串をゴミ箱に放った。放物線を描いて飛んだ串は、箱に被さったゴミ袋の中に外れることなく吸い込まれる。
「どうかしましたか?」
「……あー、っと……ツェッド君、退屈じゃない?」
「どうしてそう思うんですか?」
「だってほら……屋台巡りの食い倒れツアーなんてわたしだけが楽しい系統じゃないかなあって思って……すごい今更だけど」
「そんなことありませんよ」
即答したツェッドはベンチに備え付けられている紙ナプキンを取ると結理の頬についていたソースを拭う。ごく自然な動作に面食らって丸い目を更に丸くしている少女を真っ直ぐに見つめ、思っていたことを素直に口にした。
「結理さんが楽しんでいる姿を見ているのは僕も楽しいですし、食べている時の結理さんはとても可愛らしいのでずっと見ていられます」
「ひょわ!?」
あまりにも直球過ぎる言葉に結理が短く奇声をあげて赤面するが、気付いていないツェッドは入り口で配られていたフロアマップを広げて続ける。
「それにこのイベント自体も興味深いですよ。人界側でも聞いたことのない地域から来た見たことのない料理も多数ありますし。ほら、以前食べ損ねたゲロ丼とグラムギュホウテ(略)のお店も出店しています!」
「……………………」
嬉々としてマップを見せたツェッドを、結理は丸い目を更に丸くしてしばらく呆然とした様子で見つめた。
「……ぶはっ!!」
それから堪えきれなくなったように噴き出すと上体を曲げてくっくと笑う。
「?どうしました?」
「あーもー……ツェッド君のそうゆうとこ大好き…!!」
「え…!?」
恋人からの真っ直ぐな好意の言葉に今度はツェッドが赤面する。驚きと照れを前面に出すツェッドには気付いているが笑いは納められない結理は、ひとしきり肩を震わせてから笑みは引っ込めずに顔を上げる。
「じゃあこの後も引っ張り回していいの?」
「勿論。初めからそのつもりでしたし」
「でも後半はツェッド君が気になったお店中心に回ろうか」
「いいんですか?」
「勿論。初めからそのつもりだったし」
言葉をそっくりそのまま返されたツェッドは思わず笑みをこぼした。結理も笑みを返してベンチから降りるとツェッドの前に立って手を差し出す。立ち上がりながら手を取るツェッドに少女は楽しげに尋ねる。
「まずはどこ行こうか?」
「ではお言葉に甘えて、ゲロ丼を」
「…………うん、それは……見守ってるね」
それから二人は、マップを見ながら様々な出店を回った。食いついたのはほとんど結理だったが、ツェッドも興味を惹かれたブースで足を止めて少女を呼んでいた。二人で一つの品を分け合ったりそれぞれが注文してシェアしたりと、仲睦まじいカップルの姿を見た周囲が思わず暖かであったりやさぐれていたりといった視線を向ける。
そんな視線をものともせず、というよりは気付いていなかったツェッドと結理はイベントを満喫して閉場より少し前に会場を出た。
「あーーー楽しかったーーー!!」
繋いだ手をいつもより少しだけ強く振りながら、結理が満面の笑顔と一緒に元気よく感想を声に出した。ツェッドもうきうきとした少女につられたように弾んだ声を返す。
「はい。食べるだけでなくアトラクション要素もあるというのは確かに楽しかったですね」
「異界マンドラゴラ擬きの引っこ抜き大会はすごかったねえ…!奇声で参加者みんなやられちゃって、最後は判定員の人まで気絶しちゃってドローになったけど、まさか味噌汁にして飲めるとは思わなかったよ!」
「ウロメナバサジア丼も斬新でしたね。調理の手伝いをすることになったのは驚きましたが」
「分かる。見た目は人界の魚なのに空飛ぶしミサイルみたいに突っ込んでくるし思ってたより強いしで本気出すとこだった……そういえばあれ生だったのにツェッド君大丈夫だった?」
「はい。不思議と食べられましたね」
「次の開催も楽しみだなあ……フードファイトが今回で終わりなのはちょっと残念だけど」
「リアルファイトに発展した上にブースが更地になっちゃいましたからね……」
「あれで出てくる変わり種パン結構好きだったのに……パン自体はまた出店して欲しいなあ……あ、ツェッド君、もう一軒寄っていいかな?」
「え…?」
提案されたツェッドは思わず表情を強張らせる。彼の変化に気付いた結理は怪訝そうに瞬きをするがすぐに合点がいったようで「あ、そうじゃなくて!」と言葉を続ける。
「食べるとこじゃないよ!?いや、カフェも併設されてるしテイクアウトメニューもあるからそこは覗きたいけど……メインはそっちじゃないよ!」
「買い物ですか?」
「そうだけど、そうじゃないとゆうか……ほら、あそこのお店!」
そう言って結理が指差した先にはこぢんまりとした白い建物があった。遠目からだとカフェか雑貨屋に見えて、少女が言った通りその両方を経営している店なのだろう。
「あのお店ね……」
嬉々とした表情で言いかけた結理だったが、それは空を切るような飛行音にかき消された。一体何事かと音を聴いた全員が訝しむ間もなく、少女が指差したままだった白い店に飛行音の持ち主であるミサイルが降ってきて周辺の建物も巻き込んだ爆発を起こす。
「………………」
「………………」
数秒ほど時間が止まったように乾いた沈黙が流れた。ミサイル着弾の瞬間を思い切り見てしまったツェッドは呆然とした様子で絶句し、ツェッドの方を向いていた結理は爆発音に一瞬肩を跳ねさせたがすぐに爆心地の方を見てやはり絶句する。爆発の余波をくらって負傷した住人達の呻き声やサイレンの音がけたましく鳴り響く中、二人の間にだけ何とも言えない沈黙が流れ続けていた。
『審判の時は来た!!』
やがて、そんな文句と一緒に混乱と動揺にざわめいている雑踏を掻き分けて前に出てくる集団があった。全員揃って目の部分だけ見えるように切り抜いた赤い円錐のような先の尖った布を被り、プラカードを掲げる者や拡声器を持つ者、あるいは農具らしい長物やロケットランチャーといった武器に至るまで何かしらを手に持った赤い集団は周囲の様々な視線をものともせずに演説を続ける。
『この腐りきった無秩序な街を今こそリセットする時である!!我等が神、コニカルレッド様は間もなく降臨される!!』
兄弟子がいれば「何だあのカラーコーン集団は」くらいは言っただろうが、ツェッドにはそんな感想を思いつく余裕もなくこれはどうすればいいのかと思案するだけで精一杯だった。明らかにテロリスト集団だが、ライブラとして出張るべきかと問われると微妙なところだ。
「……随分と個性的な集団ですね。結理さん、これは……」
自衛と周辺被害を食い止めるくらいはすべきであると思いつつ、捻り出せた所感をこぼしながら判断を聞こうと結理を見やる。少女は相変わらず呆然と瓦礫の山になった元店を見つめていて、演説を続けている赤い集団には気付いていないようだった。
「……結理さん?」
ツェッドが呼びかけても返事はせずに、少女はようやく瓦礫の山から目を離してそれを成した元凶達の方を向く。
「………………」
「っ!!」
それからきっちり五秒後、結理の顔から全ての表情が消えた。この表情は知っている。普段の彼女は(主にザップや堕落王に対して)小型犬が吠えるかのようにきゃんきゃんと元気に怒るが、心底から本気で怒った時は一転してゾッとするほど静かになる。その時の顔だ。
そしてこの怒りを顕にした時は、大体の確率で狂戦士の如く敵と認識したものを殲滅するまで止まらない。
「結理さ……」
慌てて手を引いて止めようとしたツェッドだったが、その時にはライブラ内でも一、二位を争う敏捷さを持つ結理は既に赤い集団に肉薄していた。気付かずに拡声器でがなっていた先頭の赤円錐を、加速の勢いを乗せた拳で殴り飛ばす。
「ど、同志レッドコーンアルファーーー!!!!」
「貴様何者だ!?」
「まさかその黒いコートは……コニカルブラックの…!!」
「そんなことはどうでもいい」
同志が盛大に吹っ飛ばされたことで色めき立った集団に、結理は殺気と闘気を十分すぎるほど込めた地を這うような声で低く唸る。
「全員ぶっ殺す」
かくして、赤い集団にとっては演説の場であり決意表明の場であったそこは戦場……あるいは殺戮の場へと変貌した。
「…………えっと……」
完全に置いてけぼりをくらっているツェッドは呆然と立ち尽くしていた。結理を止めないといけないのは確かなのだが、ああなった少女は簡単には止まらない。それこそこちらも殺す気で挑むくらいの心構えがなければ下手をすると現在次々と数を減らされていっている赤い集団と同じ末路を辿る。
覚悟を決めるべきかと息をつこうとした瞬間、着信が入った。ディスプレイには副官の名前が表示されている。
「……はい」
『あー、ツェッド?君達今アクロストリートモールから二、三本離れた通りにいるかい?』
「はい。赤い円錐のようなマントを被った集団と交戦中です。結理さんが」
『そいつらは手配中の宗教法人テロリストのレッドコニカルという連中だ。近々大規模なデモと召喚儀式を行う可能性があるとマークしていたんだが…………結理が交戦中だって?』
「はい。行こうとしていたお店を彼等に爆破されて怒り狂っています」
『…………………………あー……』
簡潔な説明で全てを察して疲れきった声音を聞いたツェッドは、電話の向こうのスティーブンが頭を抱えて項垂れている姿を見た気がした。それは多分、見当外れの想像ではないのだろう。
『…………一応聞くが、止めるのは』
「難しいです」
『そうか……そうだよなあ……出来れば全員生け捕りって話だったんだけど……術者辺り……いや一人でも生き残ればいいかなあ……』
はあああ……と盛大なため息をついて少しの間沈黙したスティーブンは、気を取り直したように指示を飛ばした。
『とりあえず事後処理には俺が向かうから、ツェッドはお嬢さんの頭が冷え始めた頃を見計らって捕獲の後離脱してくれ。報告の類は後日にして、今日は直帰でいい』
「捕獲……努力します」
『まあ……その、何だ……頑張れ』
「…………善処します」
『君も大変だな』
「スティーブンさんこそ」
『……はは……』
言い合い、男達は同時にため息をついた。
余談ではあるが、事後処理に出向いたスティーブンが「あの愚かな黒い子供が邪魔などしなければ我々の正義が遂行されたのだ!!」と喚いて抵抗を続けようとした残党の一人とその近辺にいた赤円錐の数人を「邪魔をしたのはどっちだ」という言葉と共に勢い余って氷漬けにしてしまうのだが、それが他者の耳に入ることはなかったとか……
「うええええええええええええええええん…!!!」
「結理さん、もう泣かないでください。ほら、着きましたよ」
「だっで、だっでえええぇぇぇぇ…!!」
「いらっしゃい!って……どうしたんさユーリ!?」
入ってくるなり大泣きしている常連客を目の当たりにしたビビアンはぎょっとして少女に駆け寄った。声をかけてもツェッドに手を引かれてダイナーに入ってきた結理が泣き止む気配はなく、滅多に見ない少女の姿に他の常連達も幽霊に遭遇したかのような顔で視線を向けている。
「あーあーこんな泣いて……彼氏にでもフラれたか?」
「フった覚えはありませんが」
「まあいいや。注文は?」
「……ミニバーガーとコーラを」
「W大チーズバーガーとカルボナーラWと大ミルクうぅぅぅ…!!!」
「そんだけ食える元気があれば大丈夫だね。あっちの奥のボックス席が空いてるからそこ使いな」
「ありがとうございます」
「うええええええええええええええええん…!!」
べそべそと泣き続けている結理はツェッドに手を引かれたまま席に座り、そのままテーブルに突っ伏してぐすぐすとしゃっくりをあげる。何を言っても泣き止んでくれない恋人にほとほと困り果てているツェッドだが、どうにか落ち着かせようと慎重に彼女の背中をさすった。今更ながら事務所に連れていって慰めた方がよかったのでは?と思ったが、暴れ尽くした結理が盛大に腹の虫を鳴かせたのでつい行きつけのダイナーを選んでしまった。
結理がここまで泣くというのは相当珍しい。副官共々事務処理に追われて泣きそうな顔をしているのはそれなりに見かけるし涙を流すのも見たことはあるが、人目を憚らずに大泣きしている姿を見るのは初めてだった。それは周囲も同じようで、顔馴染みがカンパのようにポテトフライを置いていって「まあ……元気出せよ」といった類の心からの慰めの言葉をかけていく。
恋人が老若男女問わずに好かれている姿を少しだけ微笑ましく思いつつ、ツェッドは大分嗚咽の小さくなってきた結理を見下ろした。
「余程大切なお店だったんですね」
物騒が日常のHLでは建物の倒壊や店の爆破はほとんど日常茶飯事だ。そういったものと比較的縁の薄い42番街近辺ですら最低でも月に一、二度は爆発音が響く。結理もそんな日常には慣れっこで、お気に入りの店が消滅しても落ち込みはするもののここまでダメージを受けているのは見たことがなかった。
「……それだけじゃないの……」
それほどまでに思い入れのある場所だったのだろうと思っていると、ぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔を上げた結理からようやくまともな返答が来た。
「最後のあのお店……ずっとツェッド君を連れていきたかったお店だったの……」
「え…?」
「大道芸の小道具に使えそうな雑貨とかもいっぱいあって……雰囲気もよかったし……今日はわたしが連れ回しちゃうから……最後はツェッド君が喜んでくれそうな所をって思ってたのに……なのに……なのにあいつらぁぁぁぁ…!!!」
嘆きから怨嗟の呻きに変わった結理がコートの袖で乱暴に目元を拭うが、ツェッドはそれらにリアクションを返すことが出来なかった。
つまるところ少女は、ずっと恋人の為に怒り、嘆いていたということになる。言われてみると、今日の彼女が最も楽しそうだったのは食べている時よりも最後の店に案内しようとしている時だった。
「…………ツェッド君…?」
「……すみません……今ちょっと……」
理解してしまうと赤面するのを止められなかった。不自然な沈黙に気付いて怪訝そうに呼ぶ結理から視線を外し、手で顔を覆う。少女もツェッドの変化に気付いて「え……え?何で?」と戸惑ったような声を上げた。
「あの……不謹慎だとは思うのですが……結理さんがそんなにも僕を思って怒ったり泣いたりしてくれていたのが嬉しくて……」
「…………っ!!あ、いや、その……えっと……だ、だって……好きな人の、喜ぶ顔は見たいし、それが邪魔されたら、その……腹だって……立つよ」
ツェッドの言葉に結理も赤面しながらぽそぽそと返す。お互いそれ以上言葉を発することが出来ずに、湯気が出そうなほど顔を赤くして黙り込んでしまった。
「ハイおまたせ!ユーリは泣き止んだかー?」
「っ!ビビアン!!あ、うん!ごめん、もう大丈夫!ありがとう!!」
少々気まずい沈黙が流れる中、それを破るようにビビアンが料理を運んできた。結理が慌てて顔を上げて皿を受け取り、そこでようやくテーブルの上に小さな山になったポテトフライが盛られた皿があるのに気付いて怪訝そうに首を傾げながら受け取った料理を置く。「じゃ、ごゆっくり」と何でもないように言い置いて、店主の娘は調理場に戻っていった。
「……食べよっか」
「はい……」
「若いなあ……」
「青春よ青春」
「あの跳ねっ返りが可愛らしくなってまあ……」
赤面したまま食事を始めた恋人達をこっそり見守っていた常連達は、事態が収まったのを見届けて暖かな面持ちで頷いていた。
2026/05/03 再掲
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