デートのススメ再び
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「それじゃあ次に行こうか、レディ」
光が登りきって少ししてから、フェムトはそう言って少女を促した。
「あの……さっきからレディって何なんですか?」
「さあ、何だと思う?」
気になっていたことを尋ねると、面白がるような微笑を浮かべながら尋ね返された。何か試されているらしいことを察した結理は目隠し布の下でむっと眉を寄せるが、文句は言わずに問いの意味を考えてみる。
デートだからいつもと違う呼び方をということだろうかと思ったが、それにしては呼称がありきたりすぎるのですぐに却下する。個性的なあだ名をつけられても反応に困るのでレディと呼ばれるのは別に構わないのだが、問いに対するはぐらかし方から察するに一応何かしらの意味はあるのだろう。
「おお!マスクじゃないか!」
何の意味だろうかと考えていると、屋台の一角から声がかかった。大きな瓶詰めを並べている男に気付いたフェムトがすぐさま笑顔を返す。
「なーんだ今日はここにいたのか!探す手間が省けたよ!」
「くじで当たってな!おーいリラ!アレ出してくれ!」
「はあ?アレって何の……あらハンサムじゃないの!ちょっと待っててね?すぐ持ってくるから!」
「……ん?おや?その子は?」
「僕の連れさ。今日はデートなんだ」
「あっはっはっはっは!!アンタもそんな冗談言うんだな!!」
おかしそうに笑った男は、やり取りを黙って見ていた結理に笑いかける。
「それにしても可愛い子だなあ。お嬢ちゃん、お名前は?」
「コラ、僕のだと言っただろう」
「アンタのなら躾もしっかりできてるんだろう?いや利発そうな子だ!」
快活に笑って針のような髭を撫で付ける店主に、結理はおずおずと会釈だけを返す。数分にも満たないやり取りで察したことがあって念の為声を出すのを避けたが、店主は気分を害した風もなくフェムトとの会話を続けた。
「そういえば今期の収穫はどうだい?芳しくないと聞いたんだが」
「ああ、まあ前期に比べればなあ……けど必要分は確保できてるよ」
「ガッグ!箱の整頓しといてって言っただろ!探すの手間取ったじゃないか!」
「あー悪い!今日は時間がなくてな!」
「まったく…!はいハンサム。注文の品ですよ!」
(……やっぱり、そういうことかな…?)
黙って会話を聞きながら、先程投げられた問いかけの解を察した結理は無意識に腕にしがみついている手に力をこめた。
「余所者が名を知られてはいけない町、ですね。Mr.マスク」
「……少し簡単すぎたかな?」
マルシェから離れ、灯りの落ちた繁華街のような通りを歩きながら、結理は前を向いたまま解を口にした。フェムトはおかしそうな苦笑をこぼして肯定を返す。
「ここに留まりたい、留めたい、ここを支配したい、支配されたい。思惑こそ住民の数だけあるがここで来訪者の名を握ることは命や存在そのものを握ることに等しい」
「真名の秘匿はどこも共通なんですね。じゃあもしかして、屋台の人達は元は外から来たんですか?」
「そう思った根拠は?」
「荷物に旅道具一式があったんです。キャラバンかな?って思ったけど、会話の内容的に住人ぽかったから変だなあと思いまして。住人になったとはいえ、外から来た人は建物での商売や居住は許されてない、とか」
「……どーしてこれで自分が魔導に明るくないとか思うんだろうなあ……」
「何ですかいきなり」
「おっと着いたよ」
何故か呆れたようなため息をつかれた結理は馬鹿にされたと感じて顔をしかめるが、フェムトは一切気にした風もなく前方を指差した。いつの間にか薄暗い繁華街を抜けて、夜光虫ではなく設置された街灯に煌々と照らされる開けた場所に出ていた。その先には石造りらしい荘厳な建物がある。
「……博物館、ですか?」
「美術館だよ」
「いやどっちでもいいですけど」
「よくないだろう!大分違うぞ!?」
「そうではなく、つまりここが目的地ですか?」
「丁度チケットが手に入ってね。こういう時に使ってこそだと思わないかい?」
「確かにデートっぽいですね。じゃあドレスコードもここの為だったんですね」
「いいや?服は僕の趣向だ」
「……は?」
さらりと即答された内容に、思わず一文字で聞き返していた。唖然とした様子の少女に気付いているのかいないのか、フェムトは特に気にした風もなく続ける。
「相手を着飾るのもデートの一貫だってアリギュラちゃんに力説されてね」
「…………それを鵜呑みにしたと?」
「何が面白いのかと思ったけど、中々悪くない。定期的に仕立てようか」
「全力でお断りします。ほら行きましょ?」
どこか満足げに笑った堕落王に即答で拒否をして、結理は彼の腕を引いた。これ以上服の話題を長引かせたら本当に定期的に送りつけてくるか、いちいち拐われて仕立て屋に連れていかれかねない。
興味を別へ向けさせようと一歩踏み出した、次の瞬間、
「……!?」
唐突に景色が変わった。
「…………え?」
そこは最初に降り立ったマルシェでも、道の先にある美術館でもない全く別の場所だった。視界に広がるのは公園のような広場で、中心には噴水が据えられていて石畳と森の境には小さな時計塔が建てられている。周囲を見回すと森の向こうに先程正面から見た美術館の屋根がわずかに見えた。どうやら美術館の裏手に飛ばされてしまったらしい。
そこまで把握してからようやく、結理はつい今まで手を繋いでいた堕落王が隣にいないことに気付いてゾッと総毛立った。
自分から離した覚えはない。断じてないと言い切れる。だとすれば向こうから手を離したか、誰かか何かの現象によって引き離されたかのどちらかだが、最初に離れないようにと警告した以上彼が手を離したとは考えづらいので後者の可能性が非常に高い。
どちらにしろ、
(これ、ヤバいかもしれない……)
衝動的に走り出しかけた体を落ち着かせるように拳を握り、一度静かに深く呼吸をする。こういった時に動揺を外に見せるのが悪手なのは片手の指で足りない程度には経験済みだ。幸い広場にいる住民達は異邦者の乱入に気付いた様子はない。夜光虫の集まりの薄い場所だというのも幸いしているようだ。
大丈夫だと胸中で言い聞かせながら散歩のような足取りで時計塔まで行き、レンガ造りらしい壁に寄りかかった。こういった時には下手に動かず迎えを待った方がいい。試しに探知感度を広げてみるが、やはり堕落王の気配は捉えられなかった。
(まあ、向こうから放り出したんじゃなかったら、すぐに来ると思うけど)
自分を落ち着かせる気持ちも半分でそう結論付けて、結理は改めて広場全体に目をやった。
噴水の回りをはしゃぎながら駆け回る子供達。赤子を抱きながら友人と談笑する母親。ベンチに座って軽食をとっている若者であろう二人組。難しげに顔をしかめながら手に持った紙に何かを書き込んでいる(恐らく)男。楽器らしき棒で音を奏でている(多分)女。
姿かたちこそ人類とは違うが、そこにあるのは彼らの日常だった。人界でも異界でも住民達の営みはそう大差ない。そう思わせてくれる光景だ。
(平和だなあ……)
「……っ?」
探知能力が何かの気配を捉えたのは、穏やかな光景に思わず頬を緩めた直後だった。
(何…?何か……っ!!)
警告に近い感覚に緩く拳を握って周囲に視線を巡らせた時には、”それ”はもう間合いの中に入っていた。
ずるずると何かを引きずる音と、からからと乾いたものがぶつかり合う音を鳴らす”それ”は、近い表現をするならば影色の泥の塊だった。”それ”が通った後は常夜でも分かるほど真っ黒に染まっていて、何の光にも照らされない。
『……おや』
異界においてもよくないものであると直感した結理は咄嗟に目を逸らしたが、相手が少女を補足する方が早かった。通り過ぎようとしていた影は結理の姿を認めると方向転換してゆっくりとした速度で彼女に近付いた。触れられるほど側に来て、フードを深くかぶったローブの向こうにあるらしい目で少女の姿を上から下までじっくりと観察する。
接近されて気付いたが、この影はかなりの上位存在だ。下手に刺激したり逃走を図ればどうなるか分からない。全速力で駆け出したい衝動を抑え込みながら、結理はどうやり過ごすかを全力で思案する。
『……迷い子かね?』
「……いえ、待ち合わせをしています」
『ほう……それは、それは』
地鳴りのように重く、錆びた金属のようにざらついた声からの問いに掠れた声で答えると、影は面白いことを聞いたように笑い、その拍子に体全体もからからと乾いた音が鳴った。
『随分と、珍しい子だ。交ざりもののようだが、全ては見えぬ……あちらからの来訪か。実に、実に面白い……』
ぐつぐつと含み笑いを溢した影は、おもむろにローブの下から手を伸ばしてきた。頬をなぞる枯れ枝のように固く黒い指は氷よりも冷たく、触れられるだけで体温の全てを奪われてしまいそうな気がした。
『お嬢さん……名は、何という?』
「っ!!」
問われて出かけた悲鳴と拒否の即答をギリギリで飲み込んで、結理は奥歯を噛み締めた。この問いは非常にまずい。名を握られてここから出ることが叶わなくなるのならまだいい方で、最悪の場合心身共に喰らい尽くされる。影からはそういった気配が感じ取れた。だが明確に拒絶することもできない。こちらから攻撃するなど以ての外だ。先手を取れる自信はあるがこれはそうして対処していい相手ではない。逃げようが戦おうが確実に、呪詛の類を塗りつけられる。
声が震えないように一度ゆっくりと呼吸をしてから、結理は慎重に選んだ言葉を返した。
「……僭越ながら……高位なる御方に名乗れる程の身ではありませんので、どうかご容赦を」
『……クカッ!』
返答を聞いた影は数瞬黙ってから固い音を出した。どうやら噴き出したらしい。体全体を震わせてカタカタと音を立てておかしそうに笑う。
『クカッ、クカカカカ!他所の者かと思えばこちらの作法は嗜んでおるか!これはなお面白い』
影は笑いながら両手を伸ばしてきた。包むように頬に触れられて、まるで心臓を直接鷲掴みにされたような感覚に息が詰まる。思考がヤバいとまずいで埋め尽くされて、体の内側にどっと冷や汗が噴き出した。
『ああ、これか』
納得げな言葉と共に目隠し布の間に指が差し込まれた。止める間もなくびっと布が破れる小さな音がして、視界が少しだけ明るくなる。
布を通さない視界に映る影は更に禍々しく見えた。結理は動揺を隠さずに目線を泳がせる。せめて若輩者が上位存在と接して緊張しているのだと認識してもらえるように、頑なに目を合わせない。
『これは……ほほう……いやいや、クカカ…!』
触れられそうな程近くで顔を覗き込み、影は楽しげに笑う。
『実に興味深い。あちらとこちらの交ざりものかと思うたが、それでもないのか。なおのこと、知りたいものだ』
カタカタと笑う影は頬に触れていた両手で少女の顔を上げさせた。反射的に相手の方を見てしまった結理は、丸い目を更に大きく見開く。
「……ぁ……」
目の前にある暗闇の向こうに、一対の瞳が浮かんでいた。それを直視してしまった瞬間、強張っていた全身から力が抜けていく。
『さてお嬢さん、もう一度問おう』
頭の中でけたましく警報が鳴り響いているが、同時にどうにもならないことを嫌になるほど理解していた。
『二度目の問いかけは、どうすべきか分かるね?』
選択肢は二つ。名を明かすか、影を振り払うか。だがどちらを選んでも終わる。
『お嬢さん』
どうせ終わるのならば最後まで抵抗するのが自分だと、結理は無理矢理全身に力を込めた。
『名は』