おやじとボクの約束

  • 語り手

    目が覚めても、子供のままだった。これは夢ではないのかもしれない。

  • 語り手

    人間が持つすべての感覚はハッキリしている。

  • 語り手

    しかし、いつまでこの奇妙な時にいられるかわからない。

  • 語り手

    本日より、日記をつけることとした。

  • 語り手

    会話、しぐさ、行動等をまとめ、それらを考察し、感じたことを記入をする。

  • 語り手

    後で読み返したり、ボクを演じ切るためにも必要なことだと考えたのだ。

  • 7月2×日 海岸通りに行く一週間前の出来事。
    語り手 ボク

  • 環境音

    早朝。

  • ボクくん

    ただいまあ…

  • ボクの父

    おかえり。ラジオ体操。楽しかったか?

  • ボクくん

    この顔を見ればわかるでしょ。

  • ボクくん

    ラジオ体操大嫌いだわ。

  • 語り手

    平成の頃は、夏休みになると、公民館で近所に住む保護者と混ざり、体操をしたものだ。

  • 語り手

    時代が重なり、大勢で集まって体操をする、という物は少なくなっていく。

  • ボクの父

    去年までは楽しみに早起きしていたじゃないか。

  • ボクの父

    全部達成できたらおやつもらえるんだろ?

  • ボクくん

    この歳になると眠るのに体力を使いたくなるんだよ。

  • ボクの父

    何言ってんだ。

  • ボクの父

    朝飯用意しといたぞ。

  • ボクくん

    ありがとう――

  • ボクくん

    っなんだ、これ

  • 語り手

    海苔1枚、ごはん。

  • ボクくん

    父さんさあ…これは流石に手抜きなのではないか?

  • ボクの父

    昨日から何文句言っているんだ。

  • ボクの父

    俺の手料理にケチをつけるのか?

  • 語り手

    バンッと私は机を叩いた。乗っていたエロ本冊子が何冊か落ちた。

  • ボクの父

    うおっ!?

  • ボクくん

    父さん!これはね!料理をした、とは言わないんだよ!

  • 語り手

    席を立ち、台所に向かった。

  • ボクくん

    なんだ。ちゃんと納豆あるじゃないか。

  • 語り手

    納豆を取り出し、タレとカラシをつけて、一気にかき混ぜる。

  • 語り手

    たくあんは小皿に乗せて――

  • ボクくん

    父さん 茶碗貸して。

  • 語り手

    返事をするまでもなく取り上げた。

  • 語り手

    納豆をあつあつご飯に盛りつける。

  • 語り手

    父さんにはたまごかけ付きだ。

  • ボクの父

    ちょっと豪華すぎやしないか

  • ボクくん

    仮にも私達は力仕事に行くのだから、これくらいは食べなきゃいかん。

  • ボクの父

    わたし…

  • 語り手

    父さんは二口で納豆ご飯を口いっぱいにかき込んだ。

  • ボクの父

    お前は別に手伝いなんて、しにこなくて良い。

  • ボクの父

    お前は夏休みなんだから、友達と遊びなさい。

  • ボクくん

    いーや、行かせてもらいます。父さんの昼飯はわ…俺、おれが作ってき、くっから。

  • ボクの父

    いや、お前のご飯だけは食べたくない。

  • 語り手

    父さんは逃げるように玄関に向かい、鍵をかけた。

  • 語り手

    エンジンがかかる音がし、トラックを出す音がする。

  • 語り手

    残ったのはクーラーの音と、テレビの音だけだ。

  • ボクくん

    さて、と晩飯の食材ついでに昼飯も揃えてくるか。

  • 語り手

    基本的に生活費は父の寝枕に隠してあるという記憶は、変わっていなかった。

  • 語り手

    これは覚えてる限りではあるが、空き巣対策と、父さんは仕事の関係上、夜遅くまで戻ってこないのだ。

  • 語り手

    後は、私が飢え死にしないように気を遣ってくれているのだろうと考えた。

  • ボクくん

    晩飯作って――おれができるやつだと見返してやるぞ。

  • 語り手

    しかし、今日も暑かった。

  • 語り手

    クーラーがあるのは居間だけなために、部屋から出ただけでこの熱だ。

  • 語り手

    未来が恋しくなる。

  • さて。
  • 語り手

    2階に上がりきった頃には、私はまた半裸になり、脇腹に作業者を挟んでいた。

  • 語り手

    背中から汗の水たまりが落ちて、跡を残し、ズボンにシミを作る。

  • 語り手

    しかし、ボクはこんなにも体温が高いのは何故だ?子供体系だからか?

  • 語り手

    そういえば――スコップは自室に置きっぱだった。

  • 環境音

    ガラッ

  • ボクくん

    やっぱ持ってた方が自然か。

  • ボクくん

    そういえば、何故、スコップをいつも持っていたのだろう。

  • 語り手

    それ以前に、私がここで目が覚める以前の「このボクの」記憶がない。

  • 語り手

    あるのは、私が倒れる前のほんの数日前か、うるおぼえの出来事しかないのだ。

  • 語り手

    この世界の「ボク」が「ワタシ」が来る前に、どんな気持ちで、どんな生活を送っていたのかは「わからない。」

  • 語り手

    いくら眉をしかめて天井を睨みつけても、記憶は戻らなかった。

  • 語り手

    とにかく、スコップは持っていた方が周りが自然に感じてくれるなら、それで良いのだろう。

  • 語り手

    (外に出るからには、口調だけでもこどもっぽくしておかなければいけない。)

  • 家を出る
  • 環境音

    がたがた

  • 環境音

    ぴしゃっ

  • ボクくん

    うわっ暑すぎっ

  • 語り手

    蒸した熱気がムワッと顔面や胸に吹いてくる。

  • 語り手

    ほんの数分前にクーラーの下で蓄電したはずが、一気に放出されて、脳みそがフライになる。

  • 語り手

    とにかく暑すぎるのだ。

  • ボクくん

    ここらへん懐かしいなあ

  • ボクくん

    昔はよく父さんと外でキャッチボールをしていたなあ。

  • 語り手

    公園だ。

    30年後には公園は危ないという理由で撤去されてしまう。

  • 語り手

    ここらへんはボロの1階建ての一軒家が多かったと思う。

    後に住民は追い出されて、新しいマンションが建つようになる。

  • ボクくん

    けんちゃんいないかなあ

  • 語り手

    けんちゃんは

    小学生時代よくつるんでいた悪ガキ仲間のひとりだ。

  • 語り手

    けんちゃんの自宅に電話をかけたら、ワンコールで声が飛び込んだ。

  • 語り手

    すっかり忘れていた、けんちゃんの声がなんだか懐かしく感じてたまらなかった。

  • 語り手

    彼は中学に上がると次第に疎遠になり、成人式に一度顔を合わせたっきりだ。

  • 語り手

    話に花を咲かせてる間に判明したことは

  • 語り手

    夏休みも折り返しに入ったので、お盆が重なり、仲間のほとんどは旅行中らしい。

  • 語り手

    遊ぼうと言われて、心が踊ったが、やることがあるので断った。

  • 語り手

    受話器を置いて、カレンダーをみていたら、ふ、と脳裏によぎった。

  • ボクくん

    そうだ・・・お、お、おれがあの海岸通りに行くのは「いつ」だ?

  • 語り手

    父さんのお盆が8月入ってすぐだから、もうあと一週間と言ったところか。

  • 語り手

    どうせ暇な夏休みを過ごすなら、いきなり海岸通りからスタートしても、よかったのだが。

  • 語り手

    けんちゃんのことを思い出せたから良かった。

  • 語り手

    夏が終わったら、また一緒に遊ぼう。

  • 職場に行こう
  • 語り手

    父さんと自分のために、晩飯の作り置きとお弁当を作った。

  • 語り手

    父さんの予備の工具箱を私専用に失敬し、てこてこやってきた姿に、職場のみんな驚いていた。

  • ボクくん

    お、おやじーめしを作って来てやったぞ

  • 語り手

    ちょうど、昼休みに入りかけた頃に職場についたようだ。

  • 語り手

    久しぶりに支柱姿の建物を見た気がする。木材の香りで思わずウットリしてしまった。

  • 語り手

    工場内の敷地に、色んなとこをみて、懐かしく思いながら、

  • 語り手

    父が愛用していたトラックを見つけた。

  • ボクくん

    …。

  • 語り手

    足が一瞬止まったような、気がした。

  • 語り手

    父さんはトラックの中でコンビニ袋をがさがさといじくっている。

  • 語り手

    窓の外にいる、私に気づいてドアのロックを開けてくれた。

  • ボクくん

    おっ、開いてんじゃーん

  • ボクの父

    夏休みの宿題は終わったのか?

  • ボクくん

    もう今日で全部終わった。

  • ボクくん

    さすがに言えないな

  • ボクくん

    あーんなことあ どうでもいいわ

  • ボクくん

    おれの作った飯食ってくれよ

  • ボクの父

    えぇ…

  • ボクくん

    じゃーーーん

  • 語り手

    でかいシャケオニギリ2個
    野菜炒め少々(ラップ隔離済み)
    ダシ巻卵2個

  • 語り手

    父さんは目をかっぴらいて、弁当と、私を交互に見ると、お弁当に向かって、箸をのばした。

  • 語り手

    今、小さかった頃を思い返してみると、たしかに私はゲテモノ料理を作っていたような気がする。

  • 語り手

    気がするではなくて、そうだった、のだろう。うむ。

  • ボクくん

    おやじ、おいし?

  • ボクの父

    ・・・お前、昨日からどうかしてるんじゃないか。

  • ボクの父

    美味すぎる。

  • ボクくん

    おやじ。作ってくれた人に対して、言うこと、あんじゃないの?

  • 語り手

    父は箸を置くと、私の頭に手を伸ばす。

  • ボクくん

    と、とおちゃん

  • ボクの父

    ありがとな。美味しいよ。

  • ボクくん

  • ボクくん

    どういたしまして。

  • ボクの父

    泣くほどなでなでがうれしいか!

  • ボクの父

    かわいいやつめ!

  • ボクくん

    髪の毛くずれる~~やめろー!

  • ボクの父

    だっはっはっはっ!!

  • トラックの中
  • 語り手

    食事を終えると親父はタバコを取り出した。

  • 語り手

    私はそれを流し見つつ、手元に視線を落とす。

  • 語り手

    いざ、親父とまた話せるとしても、言葉が詰まってしまう。

  • 語り手

    何十年経っても、私が親父に心を開けなかった証拠だ。

  • ボクの父

    なあ

  • ボクくん

    なに

  • ボクの父

    来週、ちょうど父さんお休みもらえるから、二人で旅行に出かけないか。

  • ボクくん

    そんなに今、仕事暇なわけ?

  • 語り手

    少々きつい言い方をしてしまった。

  • ボクの父

    …ほんとうは暇じゃない。

  • ボクの父

    もしかしたら、約束はできないかもしれない。

  • ボクくん

    知ってる。期待はしてない。

  • ボクくん

    俺、手伝うよ。

  • ボクの父

    お?

  • 語り手

    親父の顔を見つめる。

  • ボクくん

    来週、仕事ついでに終わったらさ

  • ボクくん

    お酒もってバカンスしようぜ

  • 語り手

    親父は私を見つめると、顔つきが変わった。

  • ボクの父

    変だなとは思ってたけど、ずっとそれを伝えたかったのか?

  • ボクの父

    お前も父さんと同じ職に就きたいのか?

  • ボクくん

    うん

  • ボクくん

    だから、おれ、仕事を手伝いたいんだ。

  • ボクの父

    そっか…

  • ボクの父

    じゃあ、午前中だけな。

  • ボクくん

    だけ?

  • ボクの父

    お前はまだ仕事を学ぶよりもいっぱい学んでほしいことがたくさんある。

  • ボクの父

    お父さんの宿題だ。午前中は仕事の手伝い。午後は自分の「夏」を見つけなさい。

  • ボクの父

    わかったか?

  • ボクくん

    うん

  • ボクくん

    わかった。

  • ボクの父

    あと!お酒勝手に飲まない!飲んじゃだめだからな!

  • ボクくん

    ぷっだははははっ!!!!

  • ボクくん

    わーーーってるよ!おやじい!

  • 環境音

    セミの声が聞こえた。

  • 語り手

    夏ははじまったばかりだ。

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