君に殴られて
新太に殴られた。
誰かに殴られたとき、身を守る方法の一つとして、『殴り返す』という行動を選べる自信はあった。それが『新太って殴るんだ』と殴られた瞬間に驚いてしまって、去っていく背中を追うことすらできなかった。追って、どうにかできる自信がなかった。口の中に少し血の味が混じって、ため息をつくとヒリヒリ痛い。墓前に置かれた新太の分の木札を拾う。まだ新太の事情なんて全然わからないけれど、ここに置いていかれるのだけは間違っている。
誠司が自宅に戻ったとき、強く握りしめた木札のかたちの痕が、手のひらにくっきりと残っていた。
両親に傷のことをどう説明すればいいかわからないし、聞かれたくなかった。帰り道にマスクを買って着け、予備校で風邪が流行っていることにした。夕飯は予備校で食べたパンでお腹いっぱいだからもういいと、足早に自室に籠もった。
六人でもらった木札を一生大事にする、と言ったのは小さい頃の新太だ。木札だけじゃなく、一緒に過ごした日々も大事にしてくれると思っていた。傷口の血はとうに固まっているが、新太のことを思い出すと痛みも戻ってくるような気がした。
きっと新太には新太なりの事情があったはずだ。こちらの聞き方がまずかったのかもしれない。もしも良くないことをやっているならと思って、最初から責めるような口調になってしまった。もしかしたらマドカが新太の母親から事情を聞き出すかもしれない。新太に対して次にどう接するかは、とりあえずそれを聞いてからにすればいい。……でも、新太は俺に教えてくれなかった。
冷静に状況を俯瞰できる自分と、傷ついている自分が混ざっている。そしてそれをうまく分けれない。誠司はベッドに横たわり、新太の木札と自分の木札を照明にかざした。木の色は褪せているが、目立った傷はない。二つとも、粗雑に扱われてこなかったのだ。新太が今どんなことをしていても、どんな気持ちであっても、これは新太のもとに戻るべきだ。
「おいおい、お前はダメだろ。相手誰だ」
「……新太だよ」
結局、新太のお袋さんに話を聞いたマドカからの情報で、新太が無茶をしている理由はわかった。誠司は新太に殴られた夜のことを、置いていかれた木札のことも含めて話した。
実はあれから、新太に返せるタイミングがいつ訪れても良いように、木札を持ち歩いている。それで、その置いていった木札はどうしたの、と誰かに聞かれたら手元にあると言うつもりだった。
だが話題は、牙斗螺のアジトにしている絶望団地へ、楓士雄が直接新太を説得に行くという方に移っていった。誠司は黙っていた。新太の事情を知った今だからこそ、自分の言葉が新太に届くかどうかあの時よりも自信が持てない。絶望団地の希望と囃されるような人間の言葉が、地獄にいる新太に届くのか。
「まだ痛むか、それ」
「いや、見た目よりもう痛くはないよ」
「そっか。俺も先に手が出ちまう方だけどさー。新太だって、誠司が心配してるのぐらいは伝わってんじゃねえの」
「そうだといいけど」
「それぐらいわかるだろ、新太だし」
誰のものだかわからない自転車を引きながら、楓士雄は苦笑する誠司の顔を覗き込む。覗き込んできた楓士雄の顔やハンドルを握る拳には、治りかけの傷跡が星のように散らばっている。昔からやんちゃだったからか、生傷は似合っていて健やかさすら感じさせた。
「よく見たら、楓士雄の方がボロボロじゃない?」
「あー、でもそれはあれだ、あれ。ふえる傷あとが、おれたちのクンショォ〜、ってやつよ」
節をつけ音を外しながら、楓士雄は拳を握りしめる。爺ちゃんちで見たビデオでさ、良い歌だったんだよ。俺の母ちゃんが父さんに出会う前にハマって見てた番組なんだって。朗らかな解説と笑い声がぬるい夜に溶ける。
「あっ、誠司もおんなじじゃん!」
「どういうこと?」
「勲章が一個増えたってこと!まあ誠司ならこーゆー勲章以外にもなんかあるだろ?それにプラスワンってこと」
そうだな、と誠司が返したところで分かれ道。楓士雄は自転車に跨がり、じゃあな、と別れを告げる。
「でも痛かったんなら痛いって言えよ〜、新太に!」
遠ざかる楓士雄の声。届かないと知りながら、誠司はその場でおう、と応えた。
誰かに殴られたとき、身を守る方法の一つとして、『殴り返す』という行動を選べる自信はあった。それが『新太って殴るんだ』と殴られた瞬間に驚いてしまって、去っていく背中を追うことすらできなかった。追って、どうにかできる自信がなかった。口の中に少し血の味が混じって、ため息をつくとヒリヒリ痛い。墓前に置かれた新太の分の木札を拾う。まだ新太の事情なんて全然わからないけれど、ここに置いていかれるのだけは間違っている。
誠司が自宅に戻ったとき、強く握りしめた木札のかたちの痕が、手のひらにくっきりと残っていた。
両親に傷のことをどう説明すればいいかわからないし、聞かれたくなかった。帰り道にマスクを買って着け、予備校で風邪が流行っていることにした。夕飯は予備校で食べたパンでお腹いっぱいだからもういいと、足早に自室に籠もった。
六人でもらった木札を一生大事にする、と言ったのは小さい頃の新太だ。木札だけじゃなく、一緒に過ごした日々も大事にしてくれると思っていた。傷口の血はとうに固まっているが、新太のことを思い出すと痛みも戻ってくるような気がした。
きっと新太には新太なりの事情があったはずだ。こちらの聞き方がまずかったのかもしれない。もしも良くないことをやっているならと思って、最初から責めるような口調になってしまった。もしかしたらマドカが新太の母親から事情を聞き出すかもしれない。新太に対して次にどう接するかは、とりあえずそれを聞いてからにすればいい。……でも、新太は俺に教えてくれなかった。
冷静に状況を俯瞰できる自分と、傷ついている自分が混ざっている。そしてそれをうまく分けれない。誠司はベッドに横たわり、新太の木札と自分の木札を照明にかざした。木の色は褪せているが、目立った傷はない。二つとも、粗雑に扱われてこなかったのだ。新太が今どんなことをしていても、どんな気持ちであっても、これは新太のもとに戻るべきだ。
「おいおい、お前はダメだろ。相手誰だ」
「……新太だよ」
結局、新太のお袋さんに話を聞いたマドカからの情報で、新太が無茶をしている理由はわかった。誠司は新太に殴られた夜のことを、置いていかれた木札のことも含めて話した。
実はあれから、新太に返せるタイミングがいつ訪れても良いように、木札を持ち歩いている。それで、その置いていった木札はどうしたの、と誰かに聞かれたら手元にあると言うつもりだった。
だが話題は、牙斗螺のアジトにしている絶望団地へ、楓士雄が直接新太を説得に行くという方に移っていった。誠司は黙っていた。新太の事情を知った今だからこそ、自分の言葉が新太に届くかどうかあの時よりも自信が持てない。絶望団地の希望と囃されるような人間の言葉が、地獄にいる新太に届くのか。
「まだ痛むか、それ」
「いや、見た目よりもう痛くはないよ」
「そっか。俺も先に手が出ちまう方だけどさー。新太だって、誠司が心配してるのぐらいは伝わってんじゃねえの」
「そうだといいけど」
「それぐらいわかるだろ、新太だし」
誰のものだかわからない自転車を引きながら、楓士雄は苦笑する誠司の顔を覗き込む。覗き込んできた楓士雄の顔やハンドルを握る拳には、治りかけの傷跡が星のように散らばっている。昔からやんちゃだったからか、生傷は似合っていて健やかさすら感じさせた。
「よく見たら、楓士雄の方がボロボロじゃない?」
「あー、でもそれはあれだ、あれ。ふえる傷あとが、おれたちのクンショォ〜、ってやつよ」
節をつけ音を外しながら、楓士雄は拳を握りしめる。爺ちゃんちで見たビデオでさ、良い歌だったんだよ。俺の母ちゃんが父さんに出会う前にハマって見てた番組なんだって。朗らかな解説と笑い声がぬるい夜に溶ける。
「あっ、誠司もおんなじじゃん!」
「どういうこと?」
「勲章が一個増えたってこと!まあ誠司ならこーゆー勲章以外にもなんかあるだろ?それにプラスワンってこと」
そうだな、と誠司が返したところで分かれ道。楓士雄は自転車に跨がり、じゃあな、と別れを告げる。
「でも痛かったんなら痛いって言えよ〜、新太に!」
遠ざかる楓士雄の声。届かないと知りながら、誠司はその場でおう、と応えた。