葡萄の影に
閉まる直前の花屋に滑り込む。同時に駅から走ったはずなのに、誠司の方が足が早いから息を切らしながらもう店員に話しかけている。十年以上前に習った数学の問題みたいだ。滝のように流した汗が、花屋の空調で少し冷える。湿度が高くて乾かないから、張り付いたシャツが気持ち悪い。買い忘れていたのは季節ものだから、閉店間際の花屋にもわずかに残っていた。あったよ、と笑う誠司の首に一筋の汗が流れている。
母は世間的に言えば早逝だった。ただ、俺が十年前に折れていたら、母の死はもっと早く訪れていた気がする。そうやって俯瞰できるのも、もう三周忌になるからだ。
何も言わずに亡くなった父と違い、祖父母がしていたのと同じようにして、と母から言い残されたので、八月には坊主を呼ぶし仏花も供える。そして俺よりも誠司の方が、それらの手続きに対して誠実だった。
かつて誠司は度々見舞いに着いてきた。そして俺の母 の病状が悪化するたびに、帰り道の誠司の口数が減った。 十年前、良くなる姿を一度見ていたからかもしれない。 幼いころ住んでいた団地に、死は確かに佇んでいた。サダ婆の死だってあった。それでも、経過を見るのはきっと初めてだった。
そんな誠司を見ていると何故か俺は冷静になってしまって、昔されたように誠司の手をつないだ。人目がなければ抱きしめた。手を伸ばせる距離に誠司はいた。
あのとき怖かったのか、我が身を思ったのか、無力感に襲われていたのか、それとも俺の知らない他の感情でいっぱいになっていたのか。
誠司はすぐに元通りになるし、それを掘り起こすことは無粋だった。それでも見たことのない姿は気になるし、気にする。だから言葉で聞きそびれたことを、毎年この時期に思い出す。
俺が支払いをしている間、誠司は近くのコンビニへ行っていたらしい。仏花を下げて花屋から出ると、ぶどうが描かれた小さな袋を開けているところだった。袋から丸いアイスを一つ取り出す。
「新太口開けて」
「……ふへはい」
「えい、もう一個」
冷たさが頭と歯に沁みる。言葉にならないうめき声をあげながら、笑っている誠司の背中を叩いた。
母は世間的に言えば早逝だった。ただ、俺が十年前に折れていたら、母の死はもっと早く訪れていた気がする。そうやって俯瞰できるのも、もう三周忌になるからだ。
何も言わずに亡くなった父と違い、祖父母がしていたのと同じようにして、と母から言い残されたので、八月には坊主を呼ぶし仏花も供える。そして俺よりも誠司の方が、それらの手続きに対して誠実だった。
かつて誠司は度々見舞いに着いてきた。そして俺の母 の病状が悪化するたびに、帰り道の誠司の口数が減った。 十年前、良くなる姿を一度見ていたからかもしれない。 幼いころ住んでいた団地に、死は確かに佇んでいた。サダ婆の死だってあった。それでも、経過を見るのはきっと初めてだった。
そんな誠司を見ていると何故か俺は冷静になってしまって、昔されたように誠司の手をつないだ。人目がなければ抱きしめた。手を伸ばせる距離に誠司はいた。
あのとき怖かったのか、我が身を思ったのか、無力感に襲われていたのか、それとも俺の知らない他の感情でいっぱいになっていたのか。
誠司はすぐに元通りになるし、それを掘り起こすことは無粋だった。それでも見たことのない姿は気になるし、気にする。だから言葉で聞きそびれたことを、毎年この時期に思い出す。
俺が支払いをしている間、誠司は近くのコンビニへ行っていたらしい。仏花を下げて花屋から出ると、ぶどうが描かれた小さな袋を開けているところだった。袋から丸いアイスを一つ取り出す。
「新太口開けて」
「……ふへはい」
「えい、もう一個」
冷たさが頭と歯に沁みる。言葉にならないうめき声をあげながら、笑っている誠司の背中を叩いた。