今日もご安全に(木)

 前川新太は今週はとりあえず朝七時に起きている。この仕事は服装の規定がほとんどなく、襟があれば良いという程度なので、手持ちの中で条件に当てはまる五着を繰り返して着ることにした。食べるのは遅い方だから、朝食は着替えて荷物を準備してから食べ始める。荷物と言っても、家と自転車の鍵、財布、スマートフォン、ペットボトルのお茶しか持っていかない。筆記用具は借りた作業着のポケットに入れっぱなしだった、誰かのボールペンを流用している。
 朝食は百円で八本ぐらい入っているスティックパン。三本食べたところで出発の時間が迫る。鍵をよく確認して出発。関組の事務所は新太の自宅から自転車で十分。事務所に向かう前に、まず事務所近くのコンビニに寄る。事務所には冷蔵庫と電子レンジがあるから、昼間の人が混む前に昼食を確保する。できるだけすぐ食べ切れて、スプーンをつけてもらえそうな弁当を選んだ。でも元から選べるほどの品揃えはない。オムライス、カレー、ごはんにシチューがかかったやつ。
 働きだして一週間も経っていないのに、メニューを制覇してしまいそうだった。
 来週からはスプーンだけ持参しようか。自炊をする余裕はいつになったら生まれ るんだろう。
 オロチ兄弟に紹介されて新太が勤めだした建築会社の関組は、親族経営をして いる。工事現場に出ずっぱりな親方、事務所の何から何まで把握している親方の 奥さん。そして最近、親方の息子も現場で働き始めたらしい。
 親方の顔は、牙斗螺でプッシャーをやっているときに一度見たことがある。もちろん顔見知りではない。ある意味シマを荒らしたようなものなのに、オロチ兄弟はあの時と同じ現場で、新太を親方の前に突き出した。
「お前、名前は」
「前川、新太です」
「真也と正也から話は聞いてる。ちょうど事務方が足りなくてな、まあ真面目に 頑張ってくれや」
 力強く叩かれた肩が、いろんな意味で重い。オロチ兄弟がどこまで彼に事情を 話したのかわからないが、金平兄弟とは違った恐ろしさがあった。
「ちょっと、新入りビビらすんじゃないよ!その子は事務で働いてもらうんだから!」
「わぁってる!じゃあ後はアイツに着いていきな」
 現場の騒音にも負けない声が響き渡る。眼光鋭い親方夫人はおそらく病んでいる母より年上だろう。意外にも彼女の当たりが厳しいのは親方と息子、そして面倒な要求をしてくる取引先に限られていた。
 事務の担当にはもう一人、今年二十五歳に なる快活な女性がいたが、その人は妊娠を機に今年中に辞めるらしい。今週訳もわからないまま電話を取っては『担当の関さん』に取り次いだ新太としては、できればこの人に早く帰ってきてほしかった。
 人の名前と複数の帳簿、工具の名称と置き場所と個数、電話の取り次ぎ、届いた書類の仕分け、提出する書類の作成、などなど。必死に覚えようとはしている。 一ヶ月もしたら慣れるよ、と誰かに声をかけられて、気がつけば木曜日。
 出勤初日に生活を気遣うLINEが誠司から届いたのに返信をしそびれているし、まだ 朝礼のゴアンゼンニだって言い慣れなかった。
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