ある生鮮食品の廃棄理由

 変だ、なんかおかしい。でも何がおかしいんだろう。
 前川新太はおかしさを明確にできないまま、一歩を踏み出した。

 スーパーなかやで誠司が働いていることは知っていた。本人から直接近況を聞くついでに話されたし。でもスーパーといってもレジ打ちや陳列といった表に出る仕事から、惣菜の調理や仕入れたものの運び入れとか裏方な仕事まであるだろう。シフトもあるし、そう毎回は会えないと新太は踏んでいた。微妙に新太の生活圏ともずれているし、ものによってはもっと安く売る店も知っている。
 なかやは肉は高いがカップ麺はまあまあ安い。物によってはたまに野菜も安くなる。だから寄れば一応野菜売り場も一周はする。そんな気分で覗いたとき、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「せい、」
「王子~!そろそろ休憩でしょ?一緒に入ろ~」
 えっ王子?誠司じゃなくて?
 自分の母親ぐらいの年頃の女性店員が、王子と呼ぶ男性店員にけたたましくも甘ったるい声でまくし立てる。
 男性の二の腕に何度も触れたからだろうか、成りもの野菜の陳列を続けていた男性が振り返る。やはり王子と呼ばれていたのは誠司で、新太は自分が人違いをしていなくて安心した。きっと職場でのあだ名だ。女性店員はそれはもう嬉しそうな顔で誠司に話しかけていて、割って入るのは難しそうだった。
 誠司には話しかけずに、野菜だけ見て帰ろう。そう決意して、新太は誠司がいる反対側の端の方から野菜を眺める。一個が高いしでかいし、この店の野菜は家族向けの品揃えだ。モヤシのパックが輝いて見える。モヤシはどんな店でも値段や内容量に大きな違いがなくて好きだ。気になってた豆苗も買って帰ろうかな。二回食えるらしいし。
 働いている誠司を見かけたこともあって、なんとなくいつもより買うものが多い。もうそろそろ話し終わったかな、と新太が振り返るとまだ誠司はあの店員に捕まっていた。
 あれが客なら、暇な店員を判別するのが苦手な買い物下手か、クレーマーに見えただろう。でもさっき聞こえた言葉からして、女性の方はもう休憩時間のはずだ。でも休憩中に売り場をうろうろしていたら休憩にならないんじゃないか。そして誠司の手にはまだトマトが握られていて、足元にはトマトが入った箱が三つ積み重なっている。騒がしい女性は曖昧に笑う誠司ばかり見ていて、それに気づいていないようだった。
 誠司もせめて手に持ってる分ぐらいは置けばいいのに。缶詰とかならまだしも、トマトなんてずっと握ってたら売り物にならないんじゃ、
(あれ?)
 誠司がそれぐらいのこと、わからないわけがない。
 変だ、なんかおかしい。でも好意的に話しかけられてるだけだし、何がおかしいんだ?
 前川新太はおかしさを明確にできないまま、一歩を踏み出した。

「あの〜トマト買うんすけど、今日ないんすか」
「アッ…!はい、すぐ並べますんで」
「チッ…」
 牙斗螺にいたときに振りまいていた圧を思い出しながら、二人の背後から距離を詰める。あのときみたいな威圧感のある服装でもないから、舌打ちもおまけ。
 女性店員はあからさまに強張って後ずさる。あ、じゃあ私先に休憩してくるね、とギリギリ聞き取れる早口で言い残して、すり抜けるように去っていった。はあ、と吐き出したため息は誠司のため息と被って、トマトに落ちていく。
「ありがと新太……大丈夫?」
「いや俺は大丈夫だけど。いや、うん、わかんない」
「わかんないんだ。どうしたの?」
「お前、もしかしてあの人の絡み方、嫌?って思って、でもなんで嫌か、話聞いてなかったし、わかんなかった」
「そっか」
 俺もどうしたらいいかわかんないんだよね。握っていたトマトを隅に置いて、誠司は新しいトマトを並べる。ぱっと見では新しいものも、誠司に握られていたものも見分けがつかない。でもよく見ると、隅に避けられたものは皮にうっすら爪の跡が残っている。
「避けたやつ、どうすんの。買おうか」
「いいよ、悪くなってるかもしれないし。せっかく助けてもらったのに」
「……このあと、休憩すんの」
「これ並べ終わったらね」
 休憩しに裏に戻ったら、またあの店員に絡まれるんじゃないのか。トマトも一個無駄になってしまったし。少しだけでも助けれたならいいけど、誠司の困りごとはまだ尽きない。新太が己の無力感に苛まれている間にも、誠司は陳列を手早く進めていた。去り際を見失ってしまったし、なんなら休憩時間に電話でもかけて、誠司を外に呼び出そうか。
 誠司は最後の一個を置き終わると、避けたトマトをはい、と新太に差し出した。
「新太さあ、やっぱこのトマト買って?」
「あっ、うん」
「いやほんとに買わなくてもいいけど、ちょっと思い付いたことがあって。俺今から店長呼んでくるからさ。さっきみたいな雰囲気で、俺がさっきの店員さんと長話してたこと、クレームつけてよ」
「……そういうことか」
「俺と話してたのは××さんって人だから」
「おう」


「緊張したぁ」
「別に事実は事実だし、強めに言ってくれて助かったよ。新太、ありがとう」
 それでも、誠司がこの作戦を思い付かなければ新太にはどうしようもできなかった。そのようなことを新太がもごもご伝えると、そもそも買い物中なのに助けてくれただろ、と誠司は微笑む。
 秋のにおいをまとった風が、スーパーの搬入口を吹きすぎる。もうしばらく仕入れのトラックは来ないから、人気も少ない。
 今日の経緯の大半を、誠司は店長に話しきった。業務に支障が出たから流石に××さんとやらは縮こまっていたし、これから何か改善すればいい。誠司のあだ名と、女性店員から過剰にボディタッチが多い件については店長と二人で話したそうだ。そっちの件については、搬入口に来た誠司から初めて聞く話だった。
「直感で声かけたの、間違ってなくてよかった……」
「ついでに今も、電話かけて呼び出してくれて助かってるよ」
「最初それしか思い付かなかったから」
「充分だよ」
 新太のおごりのホットレモネードで、誠司は話疲れた喉を潤した。しばらく黙ってればいいから、と新太は声に出さずに思う。西日が町の中に沈み切るまで、二人は言葉もなく涼しい風を浴びていた。
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