HiGH&LOW〜THE STORY OF ZOMBIE〜

カラン。
 ドアベルの音に縦笛ゾンビ兄弟が振り向く。しかし音の発生源を確認すると、すぐに興味をなくして縦笛の練習に戻った。ゾンビらしくなだれ込むように入ってきたのは、ダン、テッツ、チハルだ。三人は長テーブルを占領している縦笛ゾンビ兄弟を一瞥し、店内で一番奥まった座席に気怠そうに腰を下ろす。
 三人の中で、ダンは他の二人より明らかに腐敗が進んでいなかった。手の甲に噛まれた歯型があり顔色は悪いが、おおよそゾンビと言い切れるほど容姿は崩れていない。荒っぽいゾンビが近くにいなかったために、穏やかに菌が身体を蝕み、身も心もゾンビへ変わっていく過渡期にいた。
「あー、うわもうあかん声がキモなっとる……テッツ、チハル」
「アーうァ」
「アーうァ」
「ダンさんやで、って……さすがにもうわからへんよなあ……」
「ヴヴー!」
「お前らは呼んでへん!縦笛吹いとけ!」
「ヴ……」
 シッシッ、とダンは何故か寄ってきた縦笛ゾンビ兄弟を追い払う。まだ意識があるから不思議な気分だが、ゾンビはゾンビ同士で傷つけ合わない。まだ人間らしい意識が残っていたとしても、いつか仲間になるとわかっているのか、ゾンビはまだ噛まれていない人間にしか、向かっていかなかった。
(山王おったときは喧嘩ばっかりしてたし、山王自体も一枚岩じゃなかったけど……もーゾンビなってしもたし、ある意味穏やかに暮らせるんかな……)
 ダンは変わり果てたテッツとチハルを眺める。変わり果てたと言っても、やはり二人はかわいい生意気な後輩たちのように見えたし、縦笛兄弟の絆はゾンビになっても相変わらず不可解だった。
 窓から夕暮れの赤い光が差し込んで、イトカンにノスタルジックな雰囲気が漂う。テッツとチハルは乾いたポップコーンとトランプでよくわからない遊びをしている。縦笛兄弟も何かしらアツく語り合っている。ゾンビになる前と何も変わらない。テッツに噛まれてからダンは慢性的に頭痛を抱えていたが、気分はむしろ穏やかになる一方だった。
(何かもう、ここが極楽浄土なんかもな、DTCはゾンビになっても永遠に、や。)
(……いつかコブラやヤマトやノボルが来ても、ゾンビやったら前より喧嘩せんでええかもしれんな……)

 幸福感に満たされて眠ってしまったのか、ダンが意識を取り戻したとき、イトカンには朝の光が差し込んでいた。
(うわっ、手ぇシワシワやん……指曲がらんし……)
 水気の抜けた手には皺が走り、爪が随分伸びたように見える。身体が強張っているのは、狭いソファで寝たためだけではないだろう。よく見れば向かいに座っていたテッツもチハルも、縦笛の練習に精を出していた縦笛ゾンビ兄弟もいない。
「ェー、イアー」
 テッツとチハルを呼んだが返事はない。とりあえず二人を探そう、と立ち上がる。不意に血が沸くような熱が身体中を駆け巡った。
 ゾンビでない誰かが、いる。
 辺りを見回すと、店の入り口にきらめく何かが見え隠れした。
(金色……?もしかして、コブラ?!)
「ォヴアー!!オウー!!」
「ダン、」
 心待ちにしていた声は、いつも通り地を這うように低くて、しかし憐れむようで、ダンには何故か不愉快に聞こえた。それでもいい。ダンの走って駆け寄りたい気持ちとは裏腹に、脚は重く中々前に進まなかった。ダンがのろのろ歩く間も、コブラは地を見つめて動かない。
(お前が歩み寄ってくれてもええんやけどな。てか抱きしめたらクサいかな、いやニオイじゃなくて、青すぎるかなっていう意味で……でも久々の再会やし……)
 あと30センチ。ダンはゆっくり両手を伸ばす。無意識のうちに口を開き、歯をむき出していた。
「ダン、すまない」
 コブラは顔をあげた。悩んで、悩んで、悩み抜いたために真っ赤になった頬と、覚悟を決めて潤んだ瞳は、ダンにはもう、手に入れられないものだった。
(あ、やっぱり、全然ちゃうんや)
 ダンが諦めと断絶を感じた瞬間、その身体は後方へ吹っ飛んだ。コブラの蹴りがきまったんだ、と気づいたときには身体は店の壁に叩きつけられていた。腕と足が絡まって動けない。
 コブラはダンが動けないのを確認すると、懐から何枚かのビニールに包んだ紙とダクトテープを取り出した。手早く長テーブルに紙をダクトテープで貼り付ける。店の入り口にも同じ要領で何かを貼った。迅速に作業をし終えると、コブラはもう振り返らなかった。まばゆい光は思ったより早く、ダンの前から消えた。半開きのドアから出ていったせいで、ドアベルの音さえ残さなかった。

 あれからどれぐらい経っただろう?ダンは絡まった手足をほどき、光の軌跡をぼんやりと眺めつづけていた。
気が付くとイトカンに縦笛兄弟が来店し、間もなくテッツとチハルもやってきた。
「お前らどこ行っとってん!」
「いや普通に家ですよ」
「日が暮れたら家帰るに決まってるじゃないですか。えっもしかして、昨日寝落ちしてからずっとイトカンにいた、とか……?」
「そのもしかしてや!なんで起こしてくれへんねん!じゃなくて、コブラが」
「えっコブラさん来たんすか」
「なんか言ってました?」
「えー……あっ、いつも縦笛兄弟がおるあたりになんか貼ってたような」
「えっこれ俺らの写真…っすかね?」
「しかもこれ左上に小沢入れてません?卒業写真みたい!」
「なんだよこの扱い、おれ先輩だぞ!」
「俺まだ見てないねん、俺にも見せーや」
 騒がしいゾンビたちを押しのけて、ダンは目を凝らした。ビニールの反射で見えにくいが、山王が大揉めする前に撮った写真。そして写真の隣に貼られた、これもビニールに包まれている白い紙。何か書いてあるが、押し寄せたゾンビたちの体液でビニールが汚れている。袖で体液を拭うと、見覚えのある文字が並んでいた。見覚えのある文字だ、ということまでしか、ダンにはわからなかった。



『ゾンビ複数確認 生存者なし
 でもいつか帰る 
 山王連合会総長 コブラ』
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