アレックスのはなし

 七歳のアレックスは、女の子じみた物は嫌いだった。
 父親に与えられる服はどれも男の子と同じ服だったし、名前はアレクサンドラだけど「アレックス」と呼ばれていた。髪も短くて、癖毛ゆえにあちこちはねていたし、喧嘩は誰よりも強かった。
 アレックスに会った人は全員、彼女を男の子だと勘違いした。そして、口を揃えて「アレックスは女の子だけど、まるで男の子のようだ」と不思議がった。
 別にアレックスはそれでよかった。今の容姿が自分にあっているのならそれで問題ない。
 ただ奇妙なのは、誰もがアレックスは女の子らしいものを嫌いだと思いこんでいることだった。
 綺麗な花束も、ふわふわのぬいぐるみも、きらきらしたブローチも、誰ひとりアレックスには渡そうとも見せようともしなかった。頼めばいくらでも見せてもらえるし、場合によってはプレゼントしてもらえることもあったが、そういうとき、人々は決まってこんな言葉を口にした。
「アレックスはそういうの嫌いなんだと思ってた」
 嫌いなんかじゃないのに。アレックスは不満だった。綺麗なアクセサリーも好きだったし、花飾りもよく作っていたし、ぬいぐるみだってたくさん持っていた。ただ、木登りや競走をするのが楽だからズボンをはいていて、父親が似合うと言ってくれたから髪を短くしているだけなのだ。
 ただ、女の子らしい服を着ない理由についてはほかにもあった。
「そこで何をしてるの」
 薄暗い店内で人の声がしたので、アレックスはびくついた。今は閉店後なので、誰もいないはずなのに。おそるおそる振りかえると、そこには見知った顔があった。
「レイ!」
「帰りなさい。お店に来たらご両親に叱られるわよ」
 そう、ここは両親が経営する洋服店だった。アレックスはこの店のディスプレイや洋服が好きだったが、両親は幼い子供が商品を汚すことを恐れて立ち入り禁止にしていたのだ。
 このレイという少女は店の従業員で四年前から雇われているらしい。裁縫の腕はいいが口数が少なく、いつもほの暗い表情をしていた。アレックスも彼女と話す機会はほとんどなく、まだ数える程しか口をきいていない。
「パパとママには言わないで! べつに悪いことをしようとしたわけじゃないんだ」
「なら、何しに来たの」
「それは……」
 アレックスは口ごもった。詳しい話をするのはかなり気が引けた。だが、レイは容赦のない冷たい視線でアレックスを刺した。
「答えられないのなら、ご両親に報告するわ」
「待って、待って!」
 両親にばらされたらたまらない。当分はおばさんの家に閉じこめられて、外出禁止令をくらうに決まっている。
「服を見ていたんだ。着ても似合わないから、せめて見て楽しもうと思って」
「似合わない?」
「昔言われたんだよ。そんな服を着てどうしたんだ? って」
 この言葉は隣町のギルに言われたものである。彼はアレックスよりひとつ年上のいけすかない少年で、ことあるごとにアレックスをからかってくるのだ。半年前に一度ぶん殴ってからは怖気づいたのかすっかり大人しくなったが、それ以前はひどいものだった。やれ年下は俺の言うことを聞けだの、俺より足が遅いだの、俺より背が低いだのと、くだらない欠点を見つけてはアレックスを小馬鹿にしてきたのである。悔しかったので短距離走の練習をして足を早くし、背を伸ばすためにカルシウムを摂るようにし、二度と偉そうな口が聞けないように喧嘩にも勝てるように練習した。練習台になった男子たちには申し訳なかったが、彼らが練習台になったのはアレックスの容姿をからかって失礼なことを言ってきたからであり、自業自得である。
 ただひとつ、どうしても解決できないことがあった。それは、友人の誕生日パーティーに母から貰ったドレスを着ていったときのことである。
 そのドレスは薄桃の布地に水色の花を刺繍したもので、六歳の誕生日プレゼントとして贈られたものだった。足にはパンプスをはき、髪にもピンクのリボンを飾ってもらい、アレックスは上機嫌だった。帰り道でギルと遭遇するまでは。
「なんだよお前、そんな女みたいな服を着て!」
 こちらを指さして大笑いしていた彼の顔は、今でも覚えている。
 その後、髪を振り乱し、袖のあたりが大きく破けたドレスを着た傷だらけのアレックスと、全身に青アザをつくって大泣きしているギルが発見され、辺りは大騒ぎとなった。両親をはじめ、大人たちはアレックスに暴力をふるった理由を問いつめてきたが、アレックスは頑として無言を貫いた。服が似合わないと馬鹿にされたからなどとは、口が裂けても言えなかった。そんなことが知れわたって笑いものにされるくらいなら、黙って罪を被ったほうがよほどましだった。
 そして、それきりアレックスはスカートをはくのをやめた。自分に似合わない服を無理に着用する必要はないと思ったからだ。
 ただ、服へのあこがれは捨てきれなかった。たとえ着ることができなくても、飾って眺めるだけでもよかった。けれど、あの事件以降、アレックスにかわいい洋服が贈られることはなかった。そこで、こうしてときどき、両親の目を盗んで洋服を見にきていたのだ。
「似合わないことはないと思うわよ」
 レイは特に声色を変えることなく淡々と喋りながら、店内の明かりをつけ、服を物色しはじめた。
「けれど、あなたのような子にピンクは不釣り合いね。もう少し強めの色がいいと思うわ。たとえば──この赤のような」
 彼女が取りだしたのは、ビロード地の赤い高級なスカートだった。色はやや暗めでとても大人っぽく、小さな女の子が着るには不釣りあいな気がする。
「こんなの、本当に似合うかな?」
「濃い色のほうが顔が映えるはずよ。あなたの瞳は濃い色だし、肌も日焼けしているもの」
 レイはため息をついて、スカートを元の場所に戻した。アレックスに着せる気はないらしかった。
「こういうコーディネートも、あなたのご両親に教わったの。そんなに気になるなら相談してみれば」
 そう言い捨てると、レイはさっさと店内の明かりを落とした。もう出ていくつもりらしい。
「待って。レイはどう思うのさ?」
 すると、彼女は振りむきもせずに答えた。
「似合うと思うわよ。私が選んだのだもの」
 そのまま、彼女の足音は遠ざかっていた。残されたアレックスは黙って、先ほどのスカートを手にとった。もし、本当に自分に似合うのなら……
 彼女がその服を着るようになるまでに、そう時間はかからなかった。


「それ、いつの話?」
 レイはきょとんとして、刺繍の手を止めた。
「本当に覚えてないの?」
「ちっとも。でも、その話が本当なら、あなたを変えたのは私だったのね」
「そうよ。だから私、『アレックス』はやめたの。この呼びかたじゃ、いつも男の子と間違われて、ややこしいんだもの」
「知らなかったわ。どうして今まで教えてくれなかったの、アリー」
 レイはあたりまえのように彼女の名をそう呼んだ。彼女の本名はアレクサンドラのままだったが、アリーは意図的に周囲に自分を「アリー」と呼ぶように頼んでいた。あの頃に比べると、彼女はとても女性らしい見た目をしていた。白いセーターに千鳥格子のグレーのジャンパースカートをはき、頭にはレイに貰った赤いベレー帽を載せ、髪は三つ編みのおさげに結んでいた。
「ちゃんとお礼は言おうとしたのよ。だけどレイは私のことを避けていたでしょ」
 言おう言おうと思いつつ、機会を逃しているうちに、自分自身もそのことを忘れてしまっていたのだ、とアリーは主張した。
「ごめんなさい、避けていたわけではないのよ。ただ……あの頃は色々あって、人と話す気にはなれなかったの」
「謝ることなんてないわ。私、レイと仲良くなれてとても嬉しいの。ねえ、あの日のお礼をさせて。もう三年も経ってしまったけれど」
 十歳のアリーは、ぎゅっとレイに抱きついた。
「ありがとう」
 そう告げると、レイは恥ずかしそうに笑った。
「そんな、お礼を言うのは私のほうよ。それにしても、ギルはどうしてそんなことを言ったのかしら」
「あっ、それがひどいのよ。じつは今日、本人にそのことを聞いてみたの」
 ギルとはあの事件から会うこともなくなり、お互いどうしているかも知らなかったが、半年ほど前にひょんなことから再会し、現在まで交流が続いていた。今の今まで、過去の大喧嘩のことはアリー自身も忘れていたのだが、今日、ふっと思いだして尋ねてみたのだ。
「そしたら、当時のギルは、私のこと男の子だと本気で勘違いしていたの。たしかに、半年前に会ったときにも、それらしきことは言っていたわ。だけど、まさか本気でそう思いこんでいたなんて。論外だわ!」
「まあ。それで、どうしたの?」
「その場で一発殴ってやろうかと思ったけれど、さすがにやめたわ。ギルに悪気はなかったみたい。昔の話だし、ちゃんと謝ってくれたから、もう水に流すことにしたわ。そのかわり、ちょっと協力してもらうことにしたの」
「協力って?」
 すると、アリーはにやりと笑って声をひそめた。
「ふふふ、今日はその話をしに来たの。じつは、もうすぐおばあちゃんの誕生日なのよ。だから、おばさんと相談して、当日はサプライズを仕掛けることにしたの。面倒な作業はギルに手伝ってもらうことにしたから、レイにはプレゼントを一緒に考えてほしいのよ」
「なるほど、そういうことね」
 レイは微笑んで、裁縫道具を片づけはじめた。
「だったら、ここにいても仕方ないわ。町へ行って、プレゼントになりそうなものを探しましょう」


(終)
1/1ページ
    いいね