天空の物語

 アンジュが門まで戻ると、小さな足はまだそこにいた。
「あなた、いつまでそうしているつもりなの?」
 何を話しかけても、答えは同じだった。まるで、山びこ相手に話をしているようだ。それでもアンジュは根気強く相手の反応を待った。たくさん呼びかければ、きっと何か反応を示してくれる。そうすれば、この人物も虹の住人と認められるかもしれない。
 しかし、ことはそう簡単にはいかなかった。いつまでもいつまでも、この小さな足はアンジュの言葉をはね返すばかりだった。アンジュはとうとう痺れを切らし、しまいにはこう叫んだ。
「いい加減にしてよ! ここに入りたくないの?」
 すると、変化はあっさりと訪れた。
 小さな足は困ったようにまごつき、ぱたぱたとそこらを歩きまわったあと、ぴたりと止まり、アンジュと同じ声で、おずおずとこう告げた。
「ここに、入りた、い」
 彼は喋った。自分の意思で、たしかに口をきいたのだ。
 アンジュは跳びはねて喜び、振りかえって、遠くの城にいるであろう女王に呼びかけた。
「女王様、聞いたでしょう。この子、入りたいって言ったわ!」
 もちろん、彼が意思表示をしたところで、この門がひらくという保証はない。だが、「口のきける人間がわざわざ門の前まで来ている」のだ。そして、この門に来る人間は必ず「新しい住人」と決まっているのである。少なくともアンジュの知るかぎり、そうではない者がここを訪れたことはなかった。
 これだけの条件が揃っているのなら、きっと女王も彼を認めてくれるだろう。アンジュはそう思い、なおも声をはりあげた。
「早く門をあけて。この子は新しい住人になるのよ!」
 けれども、返事はなかった。かわりに、女王とはまったく別の、やけに低い声がした。
「あまり騒ぐな。まだそうと決まったわけじゃない」
 声と同時に、門のむこう側にとある人物が現れた。その人物を、アンジュはよく知っていた。
「フォッグ! 女王様の許可がおりたのね?」
 白い服に白い帽子の男「フォッグ」は、この虹の国の門番だった。彼は常に門の前で見張りをしているのだが、普段は姿を消している。実際に姿を現すのは、女王に何かを指示されたとき、、、、、、、、、、、、、だけだ。
「微妙なところだな」
 彼の姿がここにあるということは、女王から何らかの命令があったに違いない。アンジュはてっきりこの客が住人と認められたものと思っていたのだが、フォッグの返事は思わしくないものだった。
「住人としてはまだ不完全だ。だが、女王様曰く『中に入れても問題はない』とのことだ。一度だけ門をひらこう。あとは、彼が自分で決めるはずだ」
 フォッグは手動で門を押し、門の片側だけをひらいた。
 小さな足は、その音に反応したようだった。が、一向に歩きだそうとはしない。何が起こっているのか、理解できていないようだった。
「ここへ来て。あなたはここに来るのよ」
 アンジュは一生懸命に声をかけた。アンジュたち虹の住人は、門の外へはでられない。勝手に国の外へでるのはルール違反であり、そむけば恐ろしい罰を受ける。だから、門の内側から呼びかけるしかないのだ。
 ふたつの足は、アンジュの声に導かれるようにふらふらとこちらへやってきた。そして──門の境界線を越えた。
 その瞬間、小さな足の上に、膝が現れ、次に胴が、そして最後に顔が出現した。それはアンジュの顔だった。さっきまで足だけだった人間は、一瞬にして、アンジュそっくりの子供へと変化してしまったのだ。その姿は鏡に映したようにそっくりで、どちらがどちらなのか見分けがつかないほどだった。
 それでもアンジュは喜んで、その子供の手をとった。とにかく、新しいお友達なら誰でもいい。姿なんて気にならなかった。
「よく来てくれたわ。あなたは今からわたしのお友達よ。わたしはアンジュ。よろしくね」
 アンジュが話している最中に、門は大きな音をたててとじ、もとの形に戻ってしまった。
 フォッグの姿は、すでにどこにもなかった。彼はいつだって、用がすみしだい姿を消してしまう。これはいつものことだった。
「ね、あなたのお名前は?」
 アンジュそっくりの少女は、アンジュそっくりの翡翠ひすい色の瞳をパチパチさせて、小首をかしげた。言葉が理解できないようだった。
「名前も知らないの? 『名前』ってわかる?」
 何度もしつこく尋ねると、相手はようやく「なまえ?」とおうむ返しで返事をした。名前というものがわからないらしい。
「名前はないのね」
 アンジュはそのことに驚きもしなかったし、悲しみもしなかった。名前がないのならつければいい。言葉を知らないのなら教えればいい。きっとそのうち、最高のお友達、、、になってくれるはずだ。
「だったら、あなたは今から『ストラ』よ。わたしがそう決めたの。いいわよね。これからよろしくね、ストラ」
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