天空の物語

 やってきた「足だけ人間」は、言葉を話さなかった。何を話しかけても、相手と同じ声で相手の言葉を復唱するばかりなのだ。
 パンチネロはこの風変わりなお客を気味悪がって、姿を消してしまった。こうしてアンジュは、この変てこな来訪者とふたりきりになってしまった。
 アンジュはなんとかこの人物を虹の国に引きいれたかったのだが、残念ながら門はひらかなかった。そこでアンジュはひとり、「虹の国の女王」を訪ねることにした。門の開閉を含め、この国にたずさわることはすべてこの「女王」が担っているのだ。
 この「虹の国」は円形の土地で、片方の端には門があり、その反対側には女王の住む城がある。
 それ以外の場所には牧場を思わせる草原が広がり、その中にときどき、いろんな色がマーブル状に入り混じった奇妙な植物が生えている。それらは見る角度によって色彩が変わる仕様になっており、場合によっては透明に見えることもある。
 虹の国にはたくさんの人が住んでいる。しかし、彼らがアンジュの眼前に現れることは滅多にない。かわりに、この国には大量のシャボン玉が浮かんでいる。
 シャボン玉といっても、本物の石鹸でつくられた泡ではない。ただ、てのひらサイズの透明な玉が、空からの陽光を受けて輝いているさまが、いわゆるシャボン玉に似ている、というだけの話だ。そして、このシャボン玉こそが、この国の「住人」の正体だった。
 虹の住人は口もきかず、人としての姿も現さず、ただの球体として国の中を浮遊している。そして、気まぐれにもとの姿に戻って、少しの間おしゃべりをし、そしてまた球体に戻ってしまう。アンジュもその気になればいつでも球体化することは可能なのだが、彼女はそうしなかった。彼女はまだ、人間としての自分でいたかったのだ。
 アンジュはひとり、裸足で草を踏みしめ、ふよふよぶつかってくる球体をかき分けて、女王の城を目指した。
 この国の空には何もなかった。ただの青い天井があるだけで、太陽も月も、雲も雨も雷も、何ひとつ存在しない。それなのに、暖かい光が上空から常に降りそそぎ、あたかも晴天の屋外にいるかのような情景を作りだしている。当然、そんな世界に夜はこない。この国はいつだって昼間なのだ。太陽がないから、光はあっても陰は存在しない。もちろん時間の概念だってない。この国には何もない。


 女王の城はすぐそこだった。この国は狭いので、ちょっと歩くだけで端から端まで移動できてしまう。
 この城は丈が低い横長の建物だった。その左右の長さは尋常ではなく、なんとその両端が国の最果てに届くまで続いている。おかげでこの国はこの城で行きどまりになっており、どうやってもその先には進めない。女王以外の住人は城に入ることを許されていないため、城のむこう側がどうなっているのかは、アンジュにもわからなかった。
「女王様!」
 アンジュは城の戸口にむかって呼びかけた。この城に扉はついていないので、外側から呼べばちゃんと中に聞こえるのである。
 虹の国の城は非常に特殊な見た目をしていた。ガラスのような透明の材質でできており、屋根からは大量の白い光の粒子が噴水のように噴きだしている。細かい光の粒は、土砂降りの日の雨粒のように屋根をつたって壁へとすべり落ち、ちょうど目隠しのカーテンの役割を果たしながら地面へとおりていた。もちろん、戸口にもそのカーテンはおりており、女王はいつもそのカーテンを暖簾のようにくぐって外へでてくるのだった。
「どうかしたのですか、アンジュ」
 声をかけるのとほぼ同時に、女王は玄関に姿を現した。瞳を持たず、色素を感じないほどの白い肌をしたその姿は、まるで古代の彫像のようだった。髪も肌も衣服も、すべてが不気味に白い。顔のパーツが凹凸でしか表されていない顔からはほとんど表情が読みとれない。
「門の外に新しい人が来たの。でも、門がどうしてもひらかなくて」
 しかし、この国で女王を嫌う者はいなかった。むしろ、その神々しい見た目に惚れこんですらいた。アンジュも例に漏れず女王を敬愛していて、困ったことがあれば、いつでも相談に行くようにしていた。
「新しい住人が来れば、門はひとりでにひらきます。ひらかないのなら、その人は招かれざる客なのでしょう」
「そんなの、おかしいわ。どうして関係のない人が門の前まで来るの?」
 相手が「女王」であっても、媚びへつらう必要はない。この国には上下関係などないからだ。「女王」はこの国のあり方を決定する。住人はそれに従う。ただそれだけだ。
「国の外の事柄については、私にはどうしようもありません。本当に悪質な客であれば門番、、がはじきますし、新しい住人であれば門がひらく。それが規則ルールです。それ以上はどうしようもありません」
「つまんないの」
 アンジュは口を尖らせて、女王の城をあとにした。
 あの小さな足はまだ門の前にいるだろうか。こちらに引きいれられないのなら、せめて話だけでもしたい。
 だって、あの子はようやく現れたわたしだけのお友達、、、、、、、、、なのだから。
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