Chapter3:True love for you

28 泡沫のおともだち ①


 初めに感じたのは、窮屈さと生温かさだった。身動きを取ろうにも、膝を折って座る姿勢で精一杯。オマケに、肩下までお湯が迫ってきている。水を吸い込んだワンピースが全身に膜を張るみたいにピッタリとくっつく。端の方の余分な布は、クラゲの口腕のようにヒラリと浮かんでいた。
 まるでアタシのために用意されたみたいに、スッポリと収まりの良さすぎる空間。そう思わざるを得ないから、不快だとは到底吐き出せなかった。
 ゆっくり顔を上げると、目の前にはアタシと同じ姿勢で居座る少女がいた。けど、彼女は服を着ていない。火照った頬は蒸気に隠されてもハッキリ色付いていた。彼女は手でそれぞれ逆側の肘を掴んで輪を描き、円の中心にキュッと膝を嵌めている。足なんて折り畳まなくてもいいのに、アタシのスペースを確保しているらしかった。
 でも、少女の身体は手足が弛んだ人形みたいに脱力しきっていて、とても居心地が良さそうだった。その状態は恐らく、この場そのものを受け入れているということ。なら、アタシの方が適応しなくちゃならないということでもあった。彼女と違って、アタシは頬が赤らむこともなければ、咳き込みたくなる煙ったさに鬱陶しさも湧き上がらないのだから。生温かさが染み込んだとしても、起こっている現象を視覚で捉えたというだけ。きっと実際は、アタシにはなんにも届いてはいなかった。

「アリス?」

 こてんと少女が首を傾げた。肩まで伸びた黒髪の毛先から、ポチャリと水滴が落とされる。静かに水面を潤わせたその音色は、ララバイを口遊む母親のように包容的だった。小さく広がっていく波紋がアタシを包む。あまりにも穏やかな揺らぎだった。

「えぇ、エリザベス」

 拒む理由がなかったからそう答えた。すると少女——エリザベスは、パチパチと瞬きを繰り返したあと、満足したように微笑む。フシギなくらい嬉しそうな笑みだった。

 アタシはこの羊水の中で生まれて、自分が「アリス」という名をつけられた少女であることを知った。
 優しく清らかで、母親エリザベスがアタシを守るために作られた、たった一つの海の奥底で。


◆◆◆


 サナシアに別れを告げた。今日で最後。もうここには来るなと。
 そもそも、エリィに近づくなと警告するために連れてきたあの日以降は、訪問を許すつもりなんてなかった。どんな相手であれ、エリィに近づけたくなんてない。そのために、アタシはホワイトガーデンに来たのだから。
 ……だけど、アタシは勘違いをしていた。サナシアはアタシやヴィクターみたいに、望んでここに訪れたはず。そのクセに「ここから出たい」だなんてマジメな顔で言うから、意味がわかんなくて本当にムカついた。
 でも、サナシアがお城から攫われて、後に続くようミラージェンが去っていって。残されたアタシは、必然的にヴィクターと二人きりになった。そのとき、あの男がこう言った。

 『どうやら彼女は、望まれた側のようだね』

 と。
 つまり、なんにも知らない、ってこと。……どう考えてもおかしい。だってサナシアは、アタシたちと同じ存在・・・・なのに。
 アタシは彼女がエリィと同じ立場だっただなんて気づかず、何度もキツイ言葉をぶつけてしまった。サナシアが困惑するのも当然ね。望みが分からないと返す彼女の反応に、今更納得感が追いついてきた。そして、それと共に、果てしない罪悪感が襲いかかる。
 ただやっぱり、ホワイトガーデンから出たいと彼女が躍起になる要因については、謎が深まるばかりだった。サナシアは箱庭に招かれた時点で、記憶を塗り替えられているはず。なのに、彼女には強い意志があった。生まれた瞬間から心臓に刻みつけられたみたいに、癒えることのない傷跡のような何かが。
 もしかしたらサナシアは、記憶を取り戻してしまうんじゃないのか。そんなことを考えてしまう。だって彼女は、自分の家族に「母親」がいないと気づいていたわ。このままじゃサナシアは、自分が何者なのかを明かしてしまうんじゃ……

 じゃあ、もしエリィがこの箱庭の歪みに気づいてしまったら?

 脳内にポツンと出現した疑問に、思わず口元を押さえてしまう。けど、嚙みちぎる力強さを唇に集中させて、アタシはグッと腕を下ろす。不安も焦りも削ぎ落すように、素早く頭を振る。そしたらあとは前を向くだけ。
 辺りは薄暗い闇に覆われていて、誰もあの子に光を照らすことなんてない。それでいい。ここにいれば、二度とエリィは傷つかないわ。他人の思惑通りに消費されることだって、絶対にないんだから。アタシは空っぽの水槽を横切りながら、心の中で何度も唱えた。固められた拳の内側に切り揃えられた爪が食い込んでいく。

 大丈夫。だってアタシはあの日から、あの子の偶像になると決意したのだから。

 深呼吸をして終止符を打つ。目先には、真っ赤なカーテンが垂れ下がっている。手のひらを広げると、爪の刺さった痕が滲んでいた。まるで三日月みたいな形。未熟で幼い、果実の中身。慣れない甘酸っぱさが身に染み渡るようだった。
 再度、五本の指を曲げて拳を作る。それから視界を上げると、アタシはその手でカーテンを捲って、極めて大人しい足取りで中に入っていった。
 布が落ちると、いつにも増して暗闇が濃く感じられた。エリィはライトを怖がっていたから不審な状況ではないけど、少し歩きにくい。転げる、だなんてダサいミスをしないよう、慎重に歩を進めていった。

「まだかなぁ、ねぇ?」

 隣から、声がした。アタシは即座に右へと首を回したけど、そこにはじんわりと黒色が染められるばかりで、何かを発見することは難しい。でもたしかに、知らない声が聞こえたわ。警戒心に加害性を付け足しながら、アタシは注意深く耳を澄ます。

「もう。それ、何度目の質問?」
「三度目だろう」
「冗談はよして、五度目よ」
「おや!」

 こしょこしょとした囁き声が二人分。舌足らずな話し方に高い声色は、男か女かの判別はつかず、子供が発するのに相応しい。彼らは自分たちの会話が響かないようにと、縮まるみたいに秘密を共有していた。

「あぁ、待ちきれないなぁ」

 呑気に笑い飛ばした子供が、贅沢そうに息を吐き出す。その息遣いはほんのり浅くて、どこか興奮を抑えきれない様子だった。

「なんていったって、主役はあの『エイプリル・ホープ』なんだから!」

 子供は沈黙を忘れて高らかに叫ぶ。台詞の中に含まれた一つの名前を、アタシが聞き逃せるはずはなかった。途端に背中を押されて、崖から突き落とされるような空洞を味わわせられる。酷い眩暈がして、足がクラクラと地面の上で泳ぐ。それでもアタシは、この道を歩まなければならない。絡みついた藻を払うように、重たい足首を前に突き出していく。
 周囲からはザワザワと擽ったい小声が鳴っていて、それらは次第に熱を増加させた。耳を塞ぎたくて堪らない。でも万が一、エリィからのメッセージを受け取れなかったらと思うと、あまりに恐ろしくて。もう後戻りのできない通路から逸れることがないようにと祈りながら、歯を食いしばって脚をすれ違わせていくしかなかった。
 刹那、誰かがアタシにぶつかった。後ろから走るようにしてやってきた人物は、通り過ぎそうになりかけたところを慌ててこちらへと振り返る。
 視線を下に移したアタシは、目を見開いた。

「ごめんなさい! ちょっと急いでるの!」

 つばの大きな帽子を片手で支えながら赤茶色の髪を揺らす少女の姿が、真っ暗な景色に埋もれたアタシの瞳にハッキリと、鮮明に、焼き付く。

「イシュミィ……!!」

 泡が暴力的に溢れ出すような、怒りと、憎しみと、恨み。それらが沸々と騒ぎだして、アタシの脳天にまで達したとき、口から零れ出たのは殺気だけだった。それに勘付くこともなく走り去ろうとした小さな少女の後ろ姿に、アタシは迷わず手を伸ばす。

 逃がすもんか。
 アンタだけは絶対に、絶対に、アタシが殺してやるんだから!!

「アリス」

 名前を呼ばれた。それも、運命的なタイミングで。
 懐かしい女の子の声。でも、この音色を思い出さない瞬間なんて、アタシにはなかった。毎日、毎分、毎秒。臓器が機能しない空っぽの身体に注がれるのは、いつだってこの優しい声だった。生まれるはずのない細胞が全身を巡り回るような生命力。無呼吸な五感が冴えわたるような感覚。その全てが熱を帯びて、中心部に集まってくる。すると再び、そこから熱が放出される。それはまるで、歌うわけのない鼓動が、生きているみたいで。
 あの子は、アタシの心臓だった。
 あの子に名前を呼ばれるだけで、この透き通ることが定めの身体は、クルリと従順に後方へと見返っていく。湯船に揺蕩うみたいに浮かんだワンピースが沈んだそのとき、同じ白色のワンピースを纏った少女が現れた。

「ここからうちのこと、見とってな」

 アタシよりも背丈の小さな黒髪の少女が眩しく微笑む。もう一生指先の届かない、遥かなる天空から。
 彼女は立ち尽くすアタシの隣を、駆け足で過ぎ去っていく。それからすぐイシュミィに追いつくと、道端の落とし物を大事に拾い上げるよう手を握る。二人の少女は楽しそうに、足幅を揃えて走っていった。彼女たちは広大なアクアリウムの前に辿り着くと、ガラスを通り抜けてシュワリと海の中に消えていく。アタシは二人を追いかけようと、一歩を踏み出そうとした。
 直後、一気に部屋が明るくなった。唐突な光の摂取に耐え切れず、アタシは腕で顔を庇ってしまう。瞑った瞼が見せる暗黒に、閉じこもりたい。そうやって逃げようとする自分が、心の底から憎たらしかった。
 震えが止むように念じながら、ひっそりと後退りするみたいに眼から皮膚を剥がす。すると、アタシを待ち構えていたかのように、大歓声と拍手が終わりなく奏でられた。両隣には豪華な観客席がズラリと敷き詰められていて、空席を知らない客たちは期待と歓喜の眼差しをたった一点に捧げている。騒音に囲まれたアタシは、大衆に釣られるがまま、正面に顔を引っ張られていく。
 天井から燦々と、スポットライトが降り注ぐ。その白光が選んだのは、水槽の中に浮遊している一人の少女——エイプリルだった。だけど彼女は地に足をつけて、まっすぐ立っているような佇まいをしている。凛とした背筋が、こちらに喜ばしい緊張感を付与する。そんなプレゼントを貰った客たちはようやく、この世界のヒロインが登場したのだと気がつくの。もう、手と手が喜びを叩き合う音も、衝動的な感動を告げる歓呼の声も、止めることはできない。赤く彩られていく観客たちとは真逆に、アタシの顔色は勢いよく青ざめていく。ここで今アタシが何を叫んだって意味がないことを、存分に分からせられるみたいだった。
 エリィは、崩れ落ちていくアタシを見つめながら、澄んだ両目を円やかに細める。そうすれば、客たちは黙らざるを得ない。これは始まりの合図だった。その慈悲深い母親のような愛情は、会場にいる人々に留まらず、宇宙の果てにまで広がっていく。彼女はどこまでも光り輝く、誰もの一等星エトワールだった。
 彼女の指先が、ガラス面にピタリと触れる。すると、透明な壁には美しい亀裂が生じていって、ヒビの隙間からは海水が漏れ始める。パキ、パキ、と骨を折るような音が、アタシを突き刺す。アタシは項垂れそうな頭をどうにか持ち上げて、もう一度あの子と目を合わせる。けど、結果は変わらなかった。
 あの子はやっぱり、幸せそうに笑っていたのだから。

「イヤアアアッッ!!」

 アタシが甲高い悲鳴を上げると同時に、アクアリウムは完全に崩壊した。彼女を包んでいた卵膜は破れ、あたたかな羊水が溢れ出していく。その激流は一室を埋め尽くし、ホワイトガーデンへと満ちていくようだった。そんな光景を、アタシはボロボロと無気力に流れる涙がマリンブルーに同化していくのと共に、泣き出したくなるのを諦めながら、ただ眺めることしかできなかった。


◆◆◆


 アタシが生まれた理由は、決して幸福めいたものではなかった。
 アリスという少女は、母親であるエリザベスの作った「理想の女の子」であり、わざとらしく表現すれば、アタシは都合よく生み出された泡沫のおともだちイマジナリーフレンドだった。
 あのバスルームで名前を与えられてから、アタシの運命はエリザベスの手の中にある。そんな覆しようのない事実に、どうしようもないやるせなさを抱えた。アタシの感性も、意志も、この存在でさえも、全部作り物だなんて。自分の定めを生まれた瞬間から悟ったアタシは、残酷で理不尽な道を築き上げたエリザベスのことが大嫌いだった。
 エリザベスがアリスと呼べば、その名を持つアタシは現れなくちゃならない。大抵は入浴中で、時には彼女の部屋だったり、寂しい学校の帰り道、あとは夜の海の散歩にもよく付き合わされた。だけど、アタシは彼女が話しかけてくるたびに、刃物で傷をつけるみたいに突っぱねる。昨日が腕なら、今日は頬に。明日は髪でも切ってあげようかしら。だなんて、毎日飽きもせず考えながら。この辛辣極まりない口調や語彙は、エリザベスに鍛えてもらったも同然だった。
 でもエリザベスは、何回だってめげずにアタシへ声をかけた。きみの好きな色は? ほっとする時間帯は? どうしてそんなにかわええの? って、くだらない質問ばっか。「名前の由来はあるん?」と尋ねられたときは、ホント、どうしてやろうかと顔が歪んだ。けど、彼女があんまりにも無垢に問うものだから、アタシは「知らない」と返すしかなかったわ。

 アタシの母親ことエリザベスは、うんざりするくらいの人見知りだった。クラスメイトはもはや他人で、エリザベスの苗字がホープだなんて知らないかもしれない。おまけにセンセイからも「控えめな子」認定をされていて、二人組を作るときは既に余ることが決定しているから、オトナたちはにっこりと笑いかけながら彼女の隣に立ってくれる。そーゆー気遣いほどお節介だと小言を言うと、あの子は困ったみたいに「そうやなぁ」と呑気に語尾を伸ばしていた。
 エリザベスはイギリスにある海辺の村で生まれ育った田舎娘だった。内気で、弱気で、浅瀬の海の波のようにのんびりとした性格をしている。だけどそんな泣き虫な彼女は、アタシとの交流を積極的に望んだの。威圧的な物言いも、鋭い視線だって、ママの胸に飛び込みたくなるくらい苦手なはずなのに。
 エリザベスは、ハッキリ言って可哀想な女の子だった。別に、境遇が不幸だとか、そういうのじゃなくて。ただ一つ、アタシという存在が、彼女を惨めな子供へと飾り立ててしまっている。だって、そうじゃない。アリスはこの世には存在しないのに、そんなことは夢にも知らず、エリザベスはアタシのことを「おともだち」だと信じているのだから。

 可哀想なエリザベス。ホントはずっと独りぼっちなのに。おともだちなんて、初めからどこにもいないのに。

 そう思えば思うほど、エリザベスの天真爛漫な笑顔が、何故だか堪らなく愛おしいもののように映った。何も知らないこの少女は、絵空事の少女であるアタシに、純粋で大きな愛情を与える。愛情を示す行為はしつこいものだったけど、アタシは一度だって、彼女に見返りを求められたことはなかった。
 エリザベスは、存在しないアタシの存在を、ひたむきに愛してくれるだけだった。そこにいてくれてありがとうと、無邪気に口角をあげるだけだった。

 バカみたい。アンタがアタシを、勝手に産んだクセに。そうやって反抗する準備は、いつだって万端だったはず、なのに。子供は親を愛さずにはいられないっていうのは、こういうことみたい。創造物の宿命に、アタシは呆れ笑った。けど、憎しみという感情には程遠いわ。
 偽物のアタシにできることなんて、きっと限られてる。こうやって思考している現状ですら、エリザベスの描いた脚本通りの展開かもしれない。だけど、たとえ自分の存在が無価値な泡の結晶だったとしても、アタシだけはエリザベスの理解者でありたい。彼女の望んだ理想の女の子のアリスであり続けたい。こんなマヌケなことを願ったのは、エリザベスがくれた愛情がどう足掻いても、アタシにとってかけがえのないものになってしまったからだった。

「あんな、アリス。笑わへんで聞いてほしい話があるねん」

 エリザベスの真剣な声がして、アタシははっと目を覚ます。随分昔のことを思い出していたらしい。
 アタシの前を歩く彼女が、安っぽいサンダルで砂浜に足跡をつけていく。足の指に砂が入り込んでも、特に気にする素振りはない。アタシも靴なんて必要ないから、夏の宵に冷えた地面を裸足で歩んでいた。
 すぐそばには、深いマリンブルーを飲み込んだ海が表面に欠けた月を乗せている。煌々とした三日月はもう時期沈んでしまうから、その前に見に行こうとエリザベスが誘ってきた。彼女はどうやら、月に特別な思い入れがあるみたい。中でも三日月が好きなのだと、聞いてもないのに教えてきたわ。それから「アリスはどの姿の月が好きなん?」と問いかけられたから、アタシは「満月」と答えた。満たされた円形を手に入れた風貌は、まさしくカンペキな理想像だと考えたから。返答を受け取ると、エリザベスは楽しそうに頷いていた。その柔軟な反応を、アタシは未だ忘れられないでいる。
 ほっそりとした黄金色に目を凝らしていたエリザベスだったけど、彼女は唐突にこちらへと大急ぎに振り返った。

「ほ、ほんまに笑わんとってな!?」

 濃密な夜の海みたいな瞳が、不安そうに潤っている。相槌が返ってこなくて心配になったのかしら。

「分かったわよ。それで何?」

 アタシはどうぞ、と手のひらを向ける。するとエリザベスは安心したのか、緩慢な動作で目を閉じて、すぅっと息を吸い込んだ。

「うち、夢を見つけてん。アリスみたいに、誰かを照らして導ける存在になりたいって」

 パチリと眼を晒した彼女が、アタシだけを見つめる。

「月って、こんなに広くて大きい海を引き寄せてまうやろ? 凄いよなぁ……まるでアリスみたいやわ」

 日焼けした指を軽やかに組みながら、エリザベスはうっとりと語っていた。彼女は横目に波音を立てる海を見ていたけど、夜空に昇る月光の主には興味がないのか、やっぱりアタシだけを瞳の景色に選んでいる。

「アリスはうちの憧れや。一番大好きや」

 恥ずかしげもなく好意を伝えるものだから、アタシは少しだけ目を逸らしたくなった。でも、エリザベスがこんなにも誠実に言葉を渡してくれているのだから、アタシも同じように向き合いたい。彼女はアタシと目線が重なり合う時間を喜ぶみたいにはにかんだ。

「でも、うちはアリスになりたいわけちゃう。うちはうちとして、アリスの隣に立っても恥ずかしないくらい、きらきら輝く存在になりたいねん」

 ——あの一等星みたいに。

 少女は組んだ指を解くと空高く人差し指を掲げて、幼い決意を宵に煌めく星へと解き放つ。彼女の横顔は、指をさしたあの光なんかよりも、よっぽど神々しく輝いていた。

「いっいつものポエムとちゃうで!? 今日のうちは超超ド真剣や!!」
「まだ何も言ってないじゃないの」

 タコみたいに頬を真っ赤にしたエリザベスに、アタシは大きくため息をつく。余計な一言さえなかったら、褒めてあげようかと思ったのに。全く、アンタってば世話のかかる子。

「じゃあ、その恥ずかしがり屋さんも直さないとね」

 アタシは彼女に近寄ると、焼き立てのパンみたいにあたたまった頬を両手で挟む。ムニュリ、と唇が丸くはみ出して、そのビジュアルはまさにタコそのものだった。アタシはうっかり笑い声を漏らしてしまう。馬鹿にしたつもりはなかったけど、エリザベスは真に受けやすいところがあるから、それはもう分かりやすく落ち込んだ。ガーン、だなんて文字が石化して、上から落下してくるみたいにね。揶揄うのもここまでにして、ゴメンゴメン、と謝りながら頭を撫でたけど、彼女はすっかり肩を落としている。

「む、むりかもぉ……」
「フーン、なら諦める?」
「! あっ諦めへん! 大事な夢やもん!」

 萎れた卑下が裏返って否定を主張したエリザベスに、アタシはひっそりと微笑む。この子ならこう言ってくるに違いないって分かってたから。

「アリスも驚くくらい、立派な女の人になる。やから……うちのこと、ずっと見ててな」
「えぇ、約束よ」
「うん、約束! 破ったら針千本飲ます……なんてことせえへんけど、うちの泣き虫が再発するかもしれへんことを忘れんといてな!」

 彼女が差し出した小指に、アタシも小指を絡ませた。例えるなら、そう。ダイヤモンドのついた指輪を、薬指に嵌めるみたいにね。

「イヤでも破れないわね。でも、アタシのスパルタ指導に泣き虫の予防は効くのかしら?」
「……え!? アリス、何考えとるん!? うちのこと泣かす気なん!?」
「見た目、振る舞い、それにその口調。改善すべきトコは山ほどあるんだから」

 アタシは教え込むように、人差し指でエリザベスの体や顔を加減したデコピン程度の力で突いた。
 別に、芋くさい容姿を整えろって叱りたいわけじゃない。どんな身なりでも、この子はこの子。でも、梳かしきれていない髪とか、如何にもママが買ってきてくれたスーパーのシャツとか、物持ちのいい眼鏡とか。あとは臆病に丸まった背筋と、オドオドとした喋り方。この要素は、果たしてエリザベスの目指す一等星に相応しいのかしら。

「エリザベスの夢はこんな甘っちょろいモノじゃないでしょ」

 彼女のあらゆる部分を突き終えると、最後は少女の唇へと指を乗せる。

「うん、おっしゃるとおりや……。ほな、弱音なんて吐いてられへんなぁ」

 アタシの行動が、黙らせるための魔法なんかじゃないって、この子はすぐに理解する。だから彼女は魔法のステッキを掴んで離すと、力一杯に両の手でそれを包み込んだ。

「よぉし気合い入れてくで! アリス先生、不束者やけどよろしくお願いします!」

 エリザベスの手はペタペタしていて、アタシの手にハグするみたいにくっついた。決意を漲らせた彼女の笑顔はまあるくふっくらと、まだまだ子供っぽくて。
 いつまでこの子を見下ろしていられるのかしら、と。アタシは一人、意識の片隅でそんなことを思っていた。
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